夢の中にいつも出てくる女性がいる。
暗闇の中にぽつん、と一人で立っていて。
気になるから近付くけど、近付けば近付くほど距離を置かれる。
それが何故か無性に悲しくて。
だけど彼女は僕の前でいつも泣いている。その涙を見るのも辛いからなんとかして泣き止んでもらいたくてまた近付いて。
すると彼女は泣きながら僕の名前を呼んで、言う。ごめんね、って。好きなのに、ごめんね…って。
「…っはぁ、はぁ」
…また、あの夢を見た。
寝汗でべっとりと張り付くシャツの中に風を送る。…ここのところ、毎日のように夢を見る。
その内容は起きてしばらくすると忘れてしまうけど…何故か今日はしっかりと覚えていた。
暗闇の中で泣く女性。思い出すと、苦しくなる胸にまた深い息を吐いたー…
時計に目をやって、そろそろ活動時間だと脳に指令を出す。…僕は今、自分が何者なのか分からない毎日を送っている。
万事屋銀ちゃん、坂田銀時…それが僕の職業で、名前。だけど、その記憶がない。
名前だって分からなければ、職業なんてもってのほかで。いつ生まれて、どこで育って、そしてどうやって今まで生きてきたのか。さっぱり分からない。
記憶障害、病院の先生はそう言った。どうやら事故に遭った時のショックで今までの記憶が全てどこかに飛んでってしまったらしい。
「…なんなんだ、」
僕は何か大切なことを忘れている気がする。それが何か思い出せないことが凄くもどかしい。なんだ、何を忘れてるんだ?何を…
「あ…おはようございます、坂田さん」
「あ、どうもおはようございます」
寮から仕事場へ向かう途中、いつも出会う女性がいる。彼女の名前はミョウジさん。
大江戸スーパーで働いてる事務員さんで、僕がまだ入院していた頃何度かお見舞いに来てくれた人だ。
どうやら僕らは知り合いらしい。
彼女と僕がどんな間柄なのか詳しくは知らないけど、仲が良かったというのは神楽ちゃんから最初に何度も聞かされた。その神楽ちゃんとはあれから全く会っていない。
…万事屋は、解散したから。
「あの、体の調子はどうですか?」
「あぁ今はもう全然なんともないですよ!ただ最近、変な夢を見るようになって…」
「変な夢?」
毎日の挨拶の後には必ずそう声をかけてくれるミョウジさんに僕は少し好意を寄せ始めていた。周りの人達と違って無理に記憶について触れてこない彼女。この人といるとホッとする。
ならよかった、とそう言って笑うその笑顔にどれだけ救われたか。
…記憶がなくてもいい。たとえ記憶がなくても、僕は僕。
そう、思えるようになったのは彼女のおかげでもあって。
…だけど彼女はたまに辛そうな顔で僕を見る。
本人は気付いてないみたいだけど、僕にはすぐ分かるんだ。
だって今にも泣きそうな顔してるから。
「そうなんです!なんか、暗闇の中に女の人が立ってて…泣いてて、」
そう言って、はたと気が付く。どうしてこんな夢の話をミョウジさんに?
「あ、すいません僕…」
「ごめん」
「え?」
「…私、先に行くね」
そう言ったきり、彼女は僕の顔を見ずに先を歩いていった。その背中が僅かに震えていたことに気付いて伸ばした手。
それは彼女に届くことなく空を切る。…追いかけられなかった。声をかけることも出来なかった。
何故かあの夢と被って見えて。
どんどん遠ざかっていくその背中が誰かと重なる。
誰か?誰かって…誰なんだ?
「…ナマエ、」
…あれ?僕、彼女の名前知ってたっけ?
自分で呼んだくせに、ふと出た名前に首を傾げた。妙にしっくりくるその呼び方に覚えた安堵感。
なんだ?この沸き上がってくるような気持ちは。
遠くなる彼女の背中を見つめて、苦しくなる胸。
…どうして、こんな気持ちになるんだろう。
end
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