★ある初夜の悲劇(2/2)
最初はどうなることかと思った二人の関係だったが、徐々に仲睦まじくなる様子に幹部たちは胸を撫で下ろしていた。
どちらかが嫌だと言えばすぐさま折衷案を出さねばと思っていた一年前が懐かしい。
そんな折、総司が千鶴を連れて近藤のもとへ行き、そろそろ身を固めたいと申し出た。
もちろん反対する者などおらず、家を持つのか、式や千鶴の扱いをどうするのか等の話題に終始する。
だが総司も千鶴も関係をきちんとした形にしたかっただけなので、これまで通りで構わないと変化は求めなかった。
「ごめんね、千鶴ちゃん。色々後回しにしちゃって」
女の子は花嫁衣裳を着たいだろうし、まだ綱道も見つかっていない。
総司が申し訳なさそうに言うと、千鶴がにこりと笑う。
「嬉しいです。沖田さんのお嫁さんになれるなんて幸せです」
見ているだけでむず痒くなる二人に幹部たちはささやかな祝いの席を設けて祝福して。
食って飲んで騒いでいるうちにイチャイチャする二人が煩わしくなってきて。
てめぇら先に屯所に戻ってろと追い返したりして。
彼らがそうなるようにわざと図ったのかは定かではないが、その晩、広い屯所の中で総司の部屋周辺は蛻の殻になった。
このままそれぞれの部屋に戻っておやすみなさいをするには素っ気無いし、祝いの余韻にまだ浸っていたい。
総司は特に何も考えずに千鶴を自分の部屋に招いた。
だけど婚姻して最初の夜。人がいないのなら気にすることなど何もなく、そういう雰囲気になるのは当然だろう。
――ってわけで冒頭のやり取りに至るのだった。
千鶴はぼんやりと意識を取り戻した。
部屋はまだ暗くて外から漏れ聞こえる音もなく、朝が遠いことを示している。
身体はまだ余韻に浸っているのか重たく動かすのが億劫で、千鶴はゆっくりと目線を動かした。
するとまず目に入ったのは総司の腕。
千鶴が寝ている間もずっと抱きしめていてくれたのだろう。
その腕は千鶴の身体の上に乗っていて、それを辿るように総司の肩、首筋、唇、鼻、と視線を移していく。
そして進んだ先にある、総司の翡翠色の瞳とかち合った。
「目、覚めた?」
「……総司、さん! 起きてらしたんですね」
まさか彼が起きているとは思わず、千鶴は一瞬言葉を詰まらせた。
なんだかいつも以上に甘い声色に聞こえるのは千鶴の気分の問題だけなのだろうか。
「うん。千鶴の寝顔見てた」
そう言った総司が千鶴を抱きしめ直して、お互いの距離をぎゅっと近づけた。
一晩で慣れ親しんだ人肌の温もりに、千鶴は顔をうずめて擦り寄る。
なんだか今更恥ずかしくなってきて、総司の顔がまともに見られなかったのだ。
寝てる顔が変な顔だったらどうしよう。
寝言を言っていなかったか、寝相は悪くなかったかが気になる。
でもそれよりもずっと気になるのは、肝心の出来事のことだ。
千鶴は数刻前にしたことを思い浮かべる。
………………………………………………………………………………………………………………………………。
初めてのときとは違い、今度はちゃんと――最後の方の記憶は怪しいけれど、ちゃんと何があったかは覚えている。
そして思い返したことでまた、千鶴は恥ずかしさをが増して総司の胸に顔を押し付けて一人悶えた。
そんな千鶴の頭を総司は愛しげに撫でて、労わる。
「身体は平気?」
「は、はい……初めてじゃないので平気です」
と言いつつも色んなところに違和感があった。
まあ一年ぶりだし、酔っていて何も覚えていない前回とは身体にかかった負担も違ったのだろう。
「そればっかりだね」
真実を知っている総司は千鶴の言動にくすくすと笑う。
大丈夫だと言い張っていたけど身体はガチガチに固まっていたし、怖いのか不安なのか必死に縋り付いて掴まってきた。
だから何度も、動くたびに気遣ってはみたものの、無駄に強がって堪えようとしている姿が可愛くて仕様がなかった。
一年前は素っ裸の千鶴を前にしても、どうやってコイツを黙らせ追い返そうか・捻じ伏せようかという考えしか浮かんでこなかったのに、心境の変化とはすごいものだ。
千鶴をこんなふうに愛しく思うなどあのときは思いもしなかった。
――総司はこれまでを振り返り、偶然やら勘違いが重なってこういう展開に進めたことに感謝した。
したのだが、やはり千鶴はあの頃と同じでとことん総司にとっては厄介な存在に変わりなかったのだろう、迂闊にも気分を良くしている総司に向かって言っちゃいけないことを言い出した。
「平気です。その、なんとも……なにも感じなかったですから!」
「…………………………感じ、なかった?」
「はいっ全然、大丈夫です!」
千鶴は総司の全身から溢れ出る優しさが嬉しくて、幸せな気持ちが勝っているから多少の違和感や痛みくらいなんともなくて。
だから気を遣わないでも大丈夫、ということを言いたかっただけなのだ。
ただ選ぶ言葉を残念な方向に間違えただけで。
「へぇ、あれで? ……ふうん、そうなんだ」
総司の声色が急速に落ちていく。
だが千鶴は、総司の腕の中でもぞもぞと幸せを噛み締めているために全く気づきはしない。
このままずっとこうやって話していたいな、とか、朝になって離れるのが嫌だな、とか、他の皆と顔あわせるのが気恥ずかしい、とか。
総司と千鶴の心境はまったくをもって正反対だった。
「そういえば君に言わなきゃいけないことがあったんだよね」
「……? なんでしょうか」
「でも今更すぎるし……言っても怒らない?」
「…………は、はい」
歯切れ悪く言い出した総司に、千鶴はやっと嫌な空気を感じ取ることができた。
しかも、そんなふうに言われたら頷くしかない。
内容がなんにせよ“場合によっては怒る”と返事をすれば打ち明けてくれないだろうし、何より“言わなきゃいけないこと”なのだから“聞かなきゃいけない”気がした。
何もこんなときに不安になるようなことを言い出さないでほしい。
千鶴はざわつく心を平常に保とうと努めて深呼吸をした。
それを総司が、そんなに緊張しないでも平気だよ、とけろりとした口調で笑い、申告する。
一年前の夜、二人の間に何もなかったことを。
当然千鶴は信じなかった。
だって男女が二人、裸で一夜を明かしたのだ。あの朝の悲劇的な惨状が全てを物語っていた。
しかし総司はあっさりと「そんな子ども体型に欲情するとでも?」と返す。
だったらさっきのは……と言うモヤモヤが残るものの千鶴は残念ながら納得するしかなかった。
でも、だけど、他にも証拠は――そう、血だ。あの朝、寝巻きに真っ赤な血が付いていた。それこそ根拠だ。
「ああ、あれは鼻血だよ。ここ痛かったの覚えてない?」
そう言うと総司は千鶴の鼻筋を指でなぞった。
確かにあの朝、鼻骨がズキズキと痛んでいた。
二日酔いの後遺症なのか大人になった影響なのだろうと済ませてしまったが、今日、少なくとも後者ではないことが判明した。
「で、でも、私――鼻から血なんて出ません、出たことないんです」
それは千鶴にとってちょっとした自慢だった。
これまでの人生で、暑い中でのぼせて吹き出す人や、ぶつけたり傷つけて吹き出す人を何人も見てきた。
だけど千鶴の鼻っ柱はすごく頑丈で、生まれて此の方一度も経験がない。
だからそういう体質だと思っていたのだが……。
「うん、前のときも初めてって主張してたよ。やけに恥ずかしそうにしてたし」
そうして総司によって一年前の説明をされた千鶴は、あのとき言われた“血”や“初めて”が今夜起きたようなことではないことをようやく気づかされて。
「だから君は傷物でもなんでもなくて、嫁ぎ先の心配なんて必要なかったわけ。僕だって取らなきゃいけない責任なんて一つも無かったのに君が勘違いしちゃうから」
総司が追い討ちをかけて。
「たった今やっちゃったから後戻りもできないんだけどね」
とどめを刺した。
呆然とする千鶴の見開かれた瞳には、一年越しの報復に成功して楽しげに笑う総司が映し出される。
こうして二人の初めての夜は、総司の高らかな笑い声と共に過ぎていったのだった。
END.
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2012.04.17
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