★1.想いの正体(2/3)

猫の爪みたいな鋭く尖った月を眺めていた。薄雲がかかり、ぼんやりと霞む。まるで今の自分の心のようだ、と沖田は思った。
夕食にも千鶴は現れなかった。平助や新八が千鶴を元気付かせるために部屋に向かおうとしたのだが、今はそっとしておいたほうがいいという意見にまとまり、お前が一番無難だと選ばれた斎藤が食事を部屋の前まで運んだ。

千鶴の部屋の前。あれから一刻ほど経過してるというのに、まだ運ばれたままの状態のそれがそこにあり、通りがかった沖田は溜息をついた。

「千鶴ちゃん、開けるよ」

どうせ返ってこないだろう返事は待たず、沖田は襖を開いた。片手でお膳を持ちながら、すっと部屋に踏み入り、襖を閉める。部屋の中心に敷かれた布団は、こんもりと膨らんでいた。頭まで布団を被った千鶴が中で丸く蹲っているのが想像できて、沖田は自然と笑みを零した。

「千鶴ちゃん、ご飯。ほら布団から出て」

横に腰を下ろして掛け布団をつんつん引っ張ってみても、内側で押さえてるのか捲れない。寝たふりをしているつもりなのか、無視を決め込むつもりなのか。千鶴の小さな抵抗にますます笑みを深める。

「早くしないと殺しちゃうよ」

途端、びくっと揺れた。やっと反応してくれたのが嬉しくて、沖田は布団の上から千鶴に寄りかかる。少しずつかける体重を増やしていくと、中で千鶴が耐えれなくなったのか急に膨らみが潰れた。ガクッと一緒に崩れ落ちた沖田は小さくぷっと噴き出し、いま千鶴がどんな表情をしているのかを見たくなった。急かすように声をかけたら……。

「千鶴ちゃん、早く出てこないと――」

「っ……嫌ですっ」

拒絶された。

昨日いじめすぎが原因で初めて拒絶された。今日もまた拒絶されて……。嫌いな人はいるのかと問われたら「みんな大好きです!」と笑顔で即答しそうなこの子にここまで嫌がられる人間なんて、この世に自分だけだな、と沖田は自嘲した。

「この世で僕だけ、か…」

たった一人の存在になれるならそれも悪くない。

そんなことを考えながら沖田が今度は手加減なしに布団を剥ぎ取ると、中から千鶴がコテン、と転がり現れた。
いつも高く結んでいて歩くたびに揺れる黒髪はおろされ、袴ではなく真っ白な寝間着に身を包んでいる。下手な男装している彼女も、こうなっては言い訳の余地がないほど女にしか見えない。

「か、返してください!」

沖田の力技に一瞬ぽかんと呆気に取られていた千鶴だが、すぐに我に返って奪い返そうと布団にしがみついてきた。しかし焦っているのか動転しているのか、千鶴は、沖田ごと布団にしがみついたのだった。

「あっはは!大胆だね、君は」

にやけた顔でそう言われてようやく気づいた千鶴は、顔を赤らめながらバッと引いて、そのまま背中を向ける。

(あ。……今の顔、結構好きかも)

千鶴が頬を赤らめた顔。沖田は、彼女が斎藤や原田に頭を撫でられたときに見せる表情を思い出した。こんな間近で見るのは初めてで、だからもう一度きちんと見たくなって後ろから顔を覗き込もうとするのだが、千鶴は両手で顔を覆って、壁際へと逃げてしまう。

「ねえ、千鶴ちゃん。こっち向いて」

狭い部屋を軽い足取りで進む。隅に追いやって、逃げ場をなくして、それでも千鶴は無言のまま振り向かない。最初は初めて見る彼女の反応を面白く思っていたが、相手にしてもらえないことに次第に苛立ってくる。

「千鶴ちゃん、千鶴ちゃん」

何度も何度も名前を呼んで肩をとんとんと叩いていたら、漸く。

「見せません。私の顔、嫌いって言ったじゃないですか」

千鶴のうなじを見ながら、沖田は眉を顰めた。

……そんな理由で背を向けていたのか。確かに嫌いと言った。だって千鶴ちゃんの所謂好意的な表情は決して僕には向けられず、いつも誰かに向けられているのを傍から見かけるだけだった。僕には恐怖とか不安とかそんなものが入り混じった酷い表情ばかりの癖に。だから、好きになれって言うほうが無理な話だ。

だけど…………

「さっきの表情は、可愛かったからもう一度見たい」

自分には決して向けられないと思っていた種類の表情だ。痺れを切らした沖田が千鶴の肩を掴み、強引に振り向かせたと同時に千鶴の瞳からは一滴が零れ落ちる。

「意味がわかりませんっ!」

薄暗いこの部屋ではよく見えなかったが、間近で注視してみると平助の言ったとおりに目は赤く腫れていた。またひとつ、ふたつと雫が零れていく。なんとか堪えようと噛み締めた唇は震えていて、上目遣いする大きな瞳はまるで沖田に助けを求めて縋っているようだった。

今までの沖田を恐れ拒絶するかのような表情とは違い――

「すごく可愛い」

嗜虐心を擽る、と沖田は思わずにやけた。

でも……僕より先に平助が見たというのは、少々悔しい。泣かせた原因が僕なら、この泣き顔も僕だけのもののはずだ。

「千鶴ちゃん……」

泣いた千鶴ちゃんに対して、平助ならば泣き止ませようとするだろう。左之さんは胸を貸したりするかな。一君は泣き止むまで黙って隣に居そうだし、土方さんは……考えたくもないや。

そうすることで千鶴がどんな反応を見せるか、沖田は想像した。千鶴のことだから素直に感謝して、心配をかけぬように涙を止めるように努めるだろう。泣き止んだら頬を染めてお礼を言う。
それが見たいのであれば同じように千鶴を優しく慰めればいい。しかし皆と同じものを見たってつまらないし、その様子は暗に想像できた。


沖田の行き着いた結果が、【さらに泣かせる】だったのだ。

「千鶴ちゃん、もっと泣いて」

ますます冷たい笑みを浮かべた沖田が、軽やかな声で囁く。

「ほら、泣きなよ」

「いっ、嫌です」

せめてもの抵抗を見せる千鶴だったが、我慢すればするほどに様々な思いが駆け巡り、ぽろりぽろりと大粒を零していく。

「ねえ、どうして泣いてたの?」

泣き顔に満足しながら、その理由を追求する。理由さえ知ればもっともっと沢山泣かせられる、と沖田が企んでることなど千鶴が気づくはずもない。

「沖田さんに、……っ」

「僕が、なあに?」

「これ以上、嫌われたくないです」

一瞬、沖田の思考が停止する。理由はこの通りだ。

「君も僕のこと嫌いなんでしょ。それなら嫌われたって構わないんじゃない?」

眉を寄せながらさも当然のように言ってのけると、千鶴は一度大きく息を吸って、呼吸を落ち着けるようにする。

「っ、嫌いじゃ、ない、です」

想像通りの返答に沖田は心中で苛立った。だから予め用意していた言葉で攻撃をする。

「ああ、そうだったね。千鶴ちゃんは皆が大好きなんだもんね。僕だけ優しくないのは不満?誰彼構わずチヤホヤされたい?」

「ちがっ……」

「違わない」

有無を言わせぬ沖田に追い詰められ、千鶴は涙だけは零さぬようにと耐える。耐えるのだが、そのせいでしゃくり上がってしまう。

「全然っ、違います。っ、沖田さんに、沖田さんっ…おき、」

必死に名前を呼ばれ、沖田の口角が上がった。まるで自分だけを求められているような感覚だ。皆が千鶴に優しくしてしまう気持ちが少しだけわかったような気がしたのだが、皆とはズレているという自覚もあった。優しい声で続きを促せば、千鶴は笑えるほど素直に従う。

「沖田さんの前だと、いつも緊張して、嫌われたくなくて、どうしていいかわからなくて、いつも……っ」

「だからいつも変な表情してたの?」

沖田が思い浮かべるのは、いつも自分へ向けられていた不安と緊張の入り混じる大嫌いな顔。

「……変な表情、ですか?」

千鶴は自分の頬をぺしぺしと触って自分がどんな表情なのかを思い浮かべようとする。無自覚とはタチが悪い、と沖田は憮然として頷いた。

「どうして僕の前では変な顔、するの?」

他の皆の前ではごく普通の自然体にしか見えないのに。千鶴は少し考えるように天井を見上げてた。
最初こそ沖田の前でぎくしゃくしてしまうのは、隠しもしない敵意を向けられているからだと思っていた。だけど千鶴だってもう子供ではないのだから、そういう相手だと割り切ってしまえばそれで済む。特にこの新選組の屯所では、幹部にちやほやされている千鶴をやっかむ一般の隊士も少なくない。彼らからのそういう態度はさらりと流すことができるのだが、どうしてか沖田は流すことができない。冷たくされたことをいつまでも気にしてしまい、次に顔を合わせるのが怖くなる。だけど、会いたくないとは思えないから意味がわからなかった。

「わからないです」

色んな意味を込めて、千鶴はそう答えた。しかし明確な答えを期待していた沖田は、どす黒い感情を織り交ぜながらにっこりと微笑んだ。

「千鶴ちゃんのそういうとこ、大嫌い」

その言葉に、千鶴の心は叫ぶような悲鳴をあげる。そのまま泣き崩れたいような、外へと逃げ出したいような衝動に駆られた。それをグッと堪えた千鶴は、白の袖をきつく握り締める。

「はっきり嫌いって言われると、悲しいです」

泣いたって逃げたって何も変わらない。だから千鶴は少しでもいいから向き合いたいと思った。なのに。

「だから江戸に帰りたいなんて言ったの?」

千鶴が縦に首を振れば、沖田は面白いものを掴んだとばかりに声を弾ませる。

「帰ってもいいよ。千鶴ちゃんがいてもいなくても誰も困らないから」

千鶴には江戸に帰る家はあるが待つ人はいない。近所の住人と親しい付き合いがあったかもしれないが、綱道がたった一ヶ月音信普通になっただけで単身京へやってくるような子だ。綱道捜しの唯一の協力者である新選組から離れられないだろうし、ここでの集団生活に慣れ馴染んだ今、一人ぼっちになってしまう江戸の家に戻りたいと本気で思うはずなどない。
千鶴の答えを見越してわざと突き放す言葉を並べれば、千鶴は信じたくないといった表情で縋りつく。

「私っ、ここにいたいです……、ご迷惑かけません。沖田さんの邪魔にならないようにします、だから・・・っ」

捨てられそうになった子犬が必死で飼い主を頼るような、うるうるとした瞳で千鶴は上目遣いする。
実際にそれを決めることができるのは沖田ではないことを千鶴も知っているはずなのだが、今は頭からすっかり抜け落ちているらしい。

「だったら僕の言うこと、聞ける?」

瞳に涙いっぱい溜めながら、千鶴は何度も頷く。狙った通りの展開に、思わず沖田自身も驚くほどの甘い声が出た。





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2011.04.29

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