★ひとひら舞う 第9話
思い返すのは、先輩の部屋の勉強机にあったもの。
無駄なものは一切置いていない整えられた部屋にあった、くしゃくしゃしたビニール素材のそれ。いつかの調理実習で作ったお菓子を、先輩に渡すためにラッピングしたものだった。
なぜ取ってあるんだろう。捨てないんだろう。
淡い期待が浮かんでは振り払い、それでも気になって、沖田先輩の顔を盗み見た。
「なぁに、何かついてる?」
すぐに目がかち合う。気づかれないと思ったのに、先輩は気配に鋭い・・・・・・って前に言ったら、「千鶴ちゃんがにぶいだけ」って言い返されたことがあった。
「ついてません!」
ぶんぶんと頭を振ると、先輩がクスッと笑う。緊張で繋いだ手が汗ばんでしまうのが嫌だ。ただでさえ季節は朦々とした夏なのだから。
こうやって手を繋ぐことは当たり前になり、お互いの教室を行き来したり、週に1、2回は一緒にお昼ご飯を食べるようになった。
周囲からの「付き合ってるの?」という質問は一切なくなった。この間先輩がみんなに、私にそういうこと聞かないで、と言ってくれたおかげだと私は思っていたのだけど、友達曰く「聞くまでもない」そうだ。
私は沖田先輩が好き。大好き。
先輩も私のことを・・・そう思ってくれてる気がする。
楽しくて、嬉しくて、幸せ。
だけど、あの言葉が頭から離れない。
『僕との約束を忘れた千鶴ちゃんがいけないんだ』
ずっとずっと考えているけど、思い出せない。
私は何を約束したの?何を忘れてしまったの?
***
「おいで」
放課後、先輩の家。実はここに来るのはもう何度目か、数え切れな・・・ちゃんと数えているけど。自然と道を覚えてしまうほど何度もお邪魔させてもらっている。
不意に先輩の甘い声が私を呼んだ。
何だろう?と思いながらも、先輩の隣に座る。足と足がぶつかりそうなほど近寄ってしまい、内心ドキドキする。すると先輩はさらに私の腕を引いて、体がぴったりとくっついた。
こっ・・・これは、うろたえないほうが無理というか・・・必死で平静を保ってみるけど、先輩には全て見透かれてしまっていそう。
「僕は何でも言ってほしいな。何か悩んでるでしょ」
一瞬きょとんとしてしまう。
「僕のこと?」
そこまで言われて、私は私自身が気にかけていたことを頭に浮かべる。もしかしたら先輩はずっと気づいていたのかもしれない。だけど理由を言う気にはなれなくて。
「えっ、いえ・・・悩んでません・・・・・・」
嘘を吐いた。
「なら、いいけど」
先輩はそれ以上追求しなかった。だけど悲しいような顔をして私に笑いかけた。
こんな顔を見たいわけじゃない。そんな表情をさせたいわけじゃない。なのに、どうして私は先輩に何もすることができないんだろう。だけどこれは私自身の問題でもあるから、自分の中でしっかり決着をつけたかった。
でも沖田先輩は、私を嘘から逃がしてくれなかった。私の髪の毛を指先でくるくると弄り、一束掬って口付け、言った。
「好きだよ。・・・・・・僕は君が好きだよ」
何と言う表現がいちばん近いのだろう。
震えた?心が満ちた・・・?
それは私がずっと望み続けていたほしかった言葉。同時に、哀しかった。
「・・・っ」
沖田先輩にはたくさん幸せをもらうのに、私は何も役に立てない。嬉しいのに、いつもしてもらうだけの自分が情けなくて、泣きそうになった。
そんな私を沖田先輩は強く強く、抱き締めてくれる。安心させてくれる。
「・・・・・・ごめんなさい」
色んな思いが頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かんだ。私の中に強く残ったのは、先輩が好きで好きで仕方ないという気持ちと、それゆえの申し訳なさ。だからそんな言葉が思わず漏れてしまったのだと思う。
「そっか、残念」
沖田先輩が笑い混じりでそう言って、私はハッとした。
そういえばさっき先輩に言われたのは「好き」って言葉で、そのあとに私が「ごめんなさい」って言ったら、先輩の気持ちを断ったってことになってしまう?
誤解を解こうと先輩の顔を見ようとするけど、沖田先輩は私を抱き締める腕に力を込めて、私の頭を撫でるように押さえて・・・・・・とにかく、顔を見せてくれなかった。
沖田先輩は私が思っているよりずっと鋭くて、聡い。
でも、それに甘えて肝心なことを隠してたらいつまで経っても私は変われない。
「ち、違うんです。私も・・・私も沖田先輩が・・・っ」
身じろぎながら否定するけど、腕の拘束は緩めてもらえなくて。
「私、覚えてなくて・・・あのとき先輩に言われたこと、ずっと考えていたけど、思い出せなくて」
自分でも何を言いたいのか、どうしたいのかよく分からなくなってきて。
そうしたらやっぱり私は、沖田先輩に甘えたくなって、甘やかしてほしくて仕方なくなった。
「何を約束したのか、わからなくて、だから」
先輩のシャツを掴んで、縋り付いた。
なのに先輩が私の頭を撫でようとしたとき、やっぱりこれじゃいけないという気がして頭を横に振った。
「だから、先輩に優しくしてもらえる資格なんてないんです」
視界は涙でぼやけていて、こんな顔でそんなことを言う自分が情けなさすぎる。
「でも私は、先輩が好きです。大好きだから、傍にいたくて、思い出せないくせに離れられなくて、・・・どうすれば――っ」
ごめんなさいと言えば、許してくれますか?
必ず思い出すと確証のないことを言えば、傍にいさせてもらえますか?
苦しくて、苦しくて、息をするのも辛くなったとき――。沖田先輩が、そっと塞いだ。唇に伝わる温かくて柔らかい感触に、私は目を見開く。
「・・・せんぱっ」
瞳や涙、頬、鼻先。
柔らかなそれは次々と私に降り注いできた。さっきまで悩みでグルグルだったことも忘れて、今、私の頭の中は目の前のことでいっぱいになっていた。
優しく前髪を撫でながら額にも口付けを落とされて、甘い吐息に耳を擽られて。
もう何も考えられない――そう思ったとき、沖田先輩が私の頬を両手で包んで、言った。
「覚えていてほしかったし、まだ思い出してほしいと思ってる」
私は忘れてしまったし、思い出せるかもわからない。だけど、この手を離してほしくない、離さないで。先輩の手に、自分の手を重ねて、願った。そしたら……
「でも、君はどうもしなくていいよ」
「へ?」
何か、すごいことを言われた気がする。
「あ、あの。今の、もう一度・・・・・・」
「忘れたっていいし、思い出さなくたっていいよ。千鶴ちゃんは千鶴ちゃんって、わかったから」
・・・・・・わけがわからない。
だって、え?どういうこと!?
先輩をあそこまで追い詰めた・・・んだよね?
私が困惑している様子に、沖田先輩はくすりと意地悪な笑みを浮かべて、ちょっとだけ申し訳なさそうな顔をした。
「ありがとう千鶴ちゃん。それと、ごめんね」
「・・・・・・私、本気で悩んでたのに」
少し恨みがましいことを言ったら、なぜか先輩は嬉しそうな顔をした。そして、真剣な顔をして。
「君は、僕の傍にいればいい。もう二度と離さないから」
ずっとその言葉がほしかった。嬉しくて、でも少し恥ずかしくて。だから一つだけ、私は先輩に条件を出した。
「わかりました。その代わり、私も先輩を離さないので、ずっと傍にいてください」
夕日の差し込むマンションの一室で、私たちは約束を交わした。
その約束はどこか懐かしくて、必然のようなものに思えた。
沖田先輩の顔が赤く見えるのは、夕日のせいではない気がした。
約束します。
いつかまた廻り逢えたら、また貴方に恋をする。
二度と離れない。
だから必ず、私を愛してくださいね。
END.
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2011.04.29
千鶴編も完結です。お付き合いくださいましてありがとうございました!
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