★約束、おぼえてる?(1/2)

地元駅から七つ離れたその街には、この辺りで一番大きなシアターがある。
映画鑑賞が趣味というわけではないが、友達と映画を観るのならここが定番の場所だった。
二ヶ月前の休日にもこの街に来た。
映画チケットを買って、時間までご飯を食べたり買い物をして、そして映画が終わるとカフェで感想を言い合いっこする。
そのとき話題に出たのが当の作品の話ではなく、一番最初に流れた他作品の予告。
公開されたらまた一緒に観に行こうと約束をしたのだが。

今日はその約束の日だった。

仕度に手間取った千鶴は、出掛けにバタバタしていて携帯電話を部屋に忘れたまま家を出てしまった。
気づいたのは電車の中で、取りに帰れば確実に遅刻してしまう。
待ち合わせ時間も場所もきっちり決めてあったため、千鶴は大丈夫だと判断してそのまま現地へと向かった。
だけどこんなときに限って約束の相手はなかなか現れてくれず、千鶴は三十分も待ちぼうけをした。

「何かあったのかも……」

不安になった千鶴は、今は珍しい公衆電話を駅前まで探しに行き、自宅に電話をかける。
家にいた兄に置き忘れたままの携帯電話を確認してもらうと、案の定、友人から着信とメールが何件かあり、急用で行けなくなってしまったとのことだった。
返信を兄に代行するように頼んだ千鶴は、受話器を置くと小さな溜息を漏らす。
せっかくここまで来たのだからそのまま帰るのは勿体ない。
一人で映画でも観ようか……。でもあの作品はあの子と一緒に観たい。
他に何がやってるのかとりあえず映画館まで足を運んでみようか。それよりも買い物にシフト変更すべきか。

公衆電話の前でしばらく考え込んでいた千鶴がおもむろに顔を上げると、その先に忘れもしない面影を見た。
彼を視界のはずれに捉えた直後、千鶴の足は勝手に走り出す。
溢れ返るほどの人波も自動車も街頭の瞬きも――全てが動きを止め、音さえも鳴り止んだように錯覚する。
だけど千鶴自身の動きもまたゆっくりと、まるでスローモーションにかかったかのように上手く動かない。
追いかけたいのに進まない、見失ってしまう。
そう思った瞬間、千鶴は声を張り上げた。

「総司さん、総司さん……!!」

現世に生れ落ちてからずっとずっと、探し続けていた大事な人がそこにはいたのだった。
しかしここはにぎわう街中、雑踏の中。
千鶴の近くを歩く人が何事かと振り返ったり視線を向けるだけで、遠くを歩く彼の後ろ姿には届かない。
昔のように背の高い彼は頭一つ飛びぬけていて、追いかける千鶴にとって目印となった。
しかし千鶴の背は昔のように低い。人込みの中に埋もれてしまい、総司を目で追い続けるには限界に近かった。

待って、行かないで、総司さん……!

その切なる願いが通じたのか、彼はタクシー乗り場を過ぎた辺りで立ち止まっていた。
ようやく追いついた千鶴は、呼吸を整える時間すら勿体無いと息を絶え絶えにしながら、後ろから袖を引っ張る。
振り返ったその人の瞳はあの頃と変わりない綺麗な黄緑色をしていて、そこに自分を映してもらえた喜びで千鶴は思わず涙を溢れさせそうになった。
だが、気づく。
一見しただけでスタイルもセンスも良いとわかる、綺麗な女性が彼の横に並んでいることを。
――急速に凍てつく心。ようやく掴んだはずの彼から、千鶴の手はするりと離れた。



きっと総司も自分のことを探してくれていると思っていた。
遠い昔、小指を絡めて約束をしたから。
生まれ変わってもまだ記憶を持っているのは、その約束を守るためだと思っていた。
彼に前世の記憶がないことや、他の人と幸せになっていることを考えなかったわけではない。
再び双子の片割れとして生まれてきた兄にはかつての記憶がなかった。だからそういう覚悟はできていた。
でも心のどこかで――総司は覚えていてくれる、忘れるはずがない…………そう信じていた。



「…………あ、えっと、すみません、間違え…ました」

振り向いた彼へと絞り出した言い訳に力はなく、きちんと耳まで届いたのだろうか。
人違いを装ってその場から去ろうと決めた千鶴は、俯きがちに来た道を戻ろうとする。
しかし、歩き出す瞬間に手首を掴まれた。

「誰と間違えたの?」

懐かしい声に千鶴の心臓はさらにざわざわと嫌な音を立てた。
それと同時に嬉しさが溢れる。夢の中でしか聞くことができなかった声だ。
掴んできたその手は……剣に明け暮れていたあの頃よりはゴツゴツしていないけれど、手つきや温度は変わらないままだ。
この手を握り返したい。掴んで離さず、そして誰にも触れさせたくない。

「ねえ、誰と?」

なぜ引き止められたのだろう。なにか怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
恋人とのデート中に他の女性から声をかけられたら、そりゃあ面白くないはずだ。
だから彼女の前でしっかりと誤解を解かせるために……引き止められたのかもしれない。
そんな理由、悲しすぎる。
千鶴は手を解こうと振りながら、まっすぐに総司を見据えた。
どんなに悲しくても、彼の姿をその眼に焼き付けておきたかった。

「好きな人と、です。間違えてしまってごめんなさい」

そう誤魔化そうとすれば、総司の口元は歪み、手首はさらに強く掴まれた。

「君にとってその“好きな人”は、間違える程度の“好き”なんだ」
「――……っ!」

出会った頃のような、人を傷つける棘のある言葉だった。
まるで責められているような気持ちになった千鶴は、今にも溢れ出そうな涙を必死で堪える。
間違えてなんていない。
その顔も瞳も、声も口調も、しぐさも、大好きで仕方のない人そのものなのに。

「離して、くださいっ!」

これ以上は耐えられないと判断した千鶴は、勢いをつけて手を振り解き、走り出そうとした。
したのだが、今度は反対の腕を総司に掴まれ、身体の向きを変えることすらさせてもらえない。
わけのわからない事態にどうすることもできなくなった千鶴は、ついにしゃくりを上げ始めてしまった。

「……っ、離し、っ…うぅ……っ」

一度零れてしまえばもう抑えることは不可能で、千鶴は総司に記憶がないことや他の女性と付き合っていること、その他諸々の思いまで一緒に溢れさせ、呼吸もままならないほどに嗚咽する。
すると掴まれていた腕を強くと引かれた。
千鶴はそれに逆らうことなく、引いた人物、つまり総司の胸にぶつかり、そのままスッポリと腕の中へ包まれる。
昔もよくこういうことをしてくれた。ぬくもりも匂いもあの頃と変わらない。
そこからはもう何も考えられなくなって、一緒にいる彼女のことや総司の立場なんて頭からすっぱり抜け落ち、千鶴はただ自分の思いのままに総司に抱きついた。
離したくない、離れたくない、誰にも渡したくない――その一心で。
しばらくそうやっていると、上から不機嫌そうなかすれた声が落ちてくる。

「……“間違え”なんて言われて泣きたいのは僕のほうだよ」
「――え?」

不思議に思い見上げると、彼は声の通り不貞腐れたような表情をしていた。
だけど零れてやまない千鶴の涙を、優しく、そっと拭う。

「他に好きな奴ができたってこと? ソイツを捜していたとでも?」

状況の急転に頭が追いつかない千鶴がまばたきを繰り返していると、総司の横にいた女性が顔を覗かせ、驚きの声をあげる。

「ちょっと、なに泣かせてるのよ。その子のこと捜してたんでしょ?」

いっぱいあるから使って! とカゴに入っている大量のポケットティッシュを千鶴に押し付けた。
ここから目と鼻の先にあるカラオケ店の割引クーポン券が中に折り込まれている。
渡されるままにそれを受け取った千鶴は、総司と女性とティッシュを見比べてぽかんと口を開けた。





つづく
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2012.04.12

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