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「すごい……」
一面が真っ白な花畑。溜め息が出る程の美しさだった。
ユメカ花を踏まないようにと、足場に注意しながら中へと踏み入る。鼻腔を満たす甘い香りに酔いながら、草が生い茂った空間に寝そべった。
横を向けばいつもと目線が違うため、凛とした立ち姿が一層際立って見える白い花。上を見上げれば、気持ちいいくらいの快晴。
目を細め、大きく空気を吸い込み吐き出した。
「あー生きてる」
言いたくなった。こんなに生を実感することなんてあっただろうか。
しみじみと満たされていることを感じていれば、同時にゆっくりと睡魔が襲う。皆が頑張っている時になんて自分は弛んでいるんだろうか。
しかし少しだけなら、自然の中で眠るのもいいだろう。
睡魔に負けるようにそう思い、ユメカは瞼を閉じた。
日が完全に姿を隠した頃、ひと騒動起こった。
マンゾウが裏切り、野伏せりにサムライ達を売ろうとしたのだ。自分だけ助かろうとした行為。
その行いを心底許せないヘイハチの怒りは酷く、まとまりかけていたサムライと農民の間の溝が途端に深くなった。
しかし其処を埋めたのが、キクチヨ。農民の出であったキクチヨが農民を語り、違う立場同士互いの理解と思いを結んだ。
そして自分自信の姿が見えたキクチヨは、カンベエに七人目のサムライとして認められた。農民の心を持つサムライがいてもいい、と。
広場に集まっていた皆が、再び新たな思いで持ち場に戻る。
しかしここにはひとり欠けていた。
キュウゾウがじろりと辺り一面を見回すも、ひとりの姿が見当たらない。
そこに、農民の男が近付いた。
「あんのぉ、キュウゾウ様、弓の稽古は……」
「続けていろ。すぐに戻る」
キュウゾウは皆から離れるように森へ向かっていった。
入り込んだところで、眼を閉じる。
意識を研ぎ澄ませ、感じ取った気配のする方へと再び歩き出した。
視界が開けた時、キュウゾウの足元は月明りで輝く白い花々で埋め尽くされていた。日差しの眩しさとはまた違う、月明かりを反射した光に、薄く目を細める。
さく、さくと歩を進めた先。そこには、白とピンクの着物を花の様に広げ眠っているユメカの姿――。
月明かりのせいか、白い肌が一層白く見え、はたして生きているのかと疑問を抱くほど。
辺りを蝶がひらひらと舞い、一匹の蝶がユメカへ近付いていった。やがて止まったのは、ふっくらとした唇の上。
花と間違えてしまったのか。羽根をゆっくりと動かしながら、留まり続ける。
そこで初めて、じっと見下ろしていたキュウゾウが膝を折った。
手で蝶をすっと払う。すると蝶はひらひらと舞い上がり、高く飛んだ。
間違えて止まってしまうほどに、ユメカの唇は甘味だというのだろうか。
淡く生まれた疑問と興味。
キュウゾウはゆっくりと顔を近付け、ユメカの唇に自らの口を重ねた。
唇の違和感にユメカの意識が徐々に浮上する。柔らかい感触。まどろむ意識の中、心地よさを感じ小さく唇を動かす。するとそれに答えるかのように、重なりが強くなり気持ちよくなる。
こんな感覚、初めてだ。するとその感触が遠のき、追いすがるかのようにユメカは目を開いた。
「あ……れ?」
飛び込んできたのはキュウゾウの姿。
突然のことにただ驚き、瞬きも出来ない。
「キュウ…?」
「……花になるつもりか」
「花?え、いや……ってわ!もう夜!?そうだ!私ちょっと眠るつもりで…!やば…!本気で寝てた」
「…………」
がばりと体を起こしたユメカ。
すると予想以上にキュウゾウと顔の距離が近く、一瞬にしてぼっと頬に熱が集まった。
そういえば、さっきの唇の違和感はなんだったのだろうか。
「夜も更けた。戻れ」
キュウゾウが立ち上がり、踵を返す。
思わずユメカはキュウゾウの赤いコートの裾を掴んだ。
「待って!」
キュウゾウが、なんだというように見下ろす。
ふたりきりの今。ずっと心から離れなかったことを口にするには、今しかないような気がした。
それは花の香りに酔わされた幻想かもしれない。
しかし、ユメカは決意した。
「渡したい、ものがある」