THE LAST BALLAD | ナノ

#37 The killing name

 それはもう昔の記憶だ。彼との出会いから長い月日が流れ、思い出はやがて遠い記憶の中でひとつになる。あれは陽の光も届かない薄暗い地下街の記憶。命を助けてくれた彼と帰れない自分。彼の家に転がり込むように二人で暮らし始めた日々の中、何もかもを失い、彼しか居ない閉鎖された世界の中、彼の不器用な中に見えた男らしさ、そして優しさを知れば知るほど惹かれていく自分がいて。本当の恋を知らない自分がいつしか彼と恋に落ち、彼を好きだと自覚するまでそう時間はかからなかった。

 しかし、自分が彼へ思いを寄せている事が日を追う事に増えてゆくほどに彼は自分を避けるようになってしまった。
 夜な夜なアジトを抜け出してどこかにいなくなってしまう事が増えていた。そして夜明け前の薄暗い時間帯に戻ってくると延々とシャワーを浴び続けている。そして寝たふりをしてずっと彼の帰りを起きて待っていた自分の髪を優しく撫でてくれたあの時、感じた切なさの入り混じる感情が今もまたウミの脳裏を支配していた。結ばれる前のすれ違っていく切なさ。抱き合うだけで幸せだった。寄り添い見つめ合う瞬間は何にも代えがたい至福の瞬間だった。それなのにどうして人は欲深いのだろうか、もっと、もっとと、相手のすべてが欲しくなるのは。どんなに愛し合ってもこの世界のように境界線は消せないのに。

「ごめん、お待たせ」
「やぁ、待ってたよウミ。身体は?大丈夫?エルミハ区を出たら、もう巨人の領域になるから注意してね」
「うん、大丈夫だよ。よろしくね、ハンジ」
「やっとウミと同じ任務だね、」
「ふふ、そうだね」
「リヴァイがなかなかウミの事、離してくれないからね。やっとウミと一緒に居られる!」
「ありがとう、私もハンジと一緒で嬉しい…!」

 どこか元気のない表情のウミを気遣い明るく会話しながらウミはリヴァイの分まで自分がこうして負傷した彼の手足となるべくハンジを支え、働かねばとおもうのだった。
 先ほど抱いた醜い感情は思い過ごしだと言い聞かせて、何も気づかないふりをしてやり過ごそうと思った。自分は兵士として、巨人を殺すことでしか生きがいを見つけられないのなら。今はこの現状に挑み戦い続けよう。

「ウミ、お互いに上司には苦労するな」
「ふふ、そうだね、本当に。まだブランクも取り戻していないのに身体がもたないよ…モブリット、今の兵団事情まだいまいちわかってないから色々教えてね」
「ああ。俺が教えなくても大丈夫だと思うけどな。そうだエレン、馬には乗れそうか?」
「ええ、身体の力が戻ってきました」
「西側のリフトに用意してる。急ぐぞ」
「はい、モブリットさん」
「行くぞウミ、分隊長も急ぎましょう、」
「うん、」

 ハンジを中心に動き出す壁の破損個所を調査する先遣班とそのまま南下してトロスト区に向かう待機班で別行動となる中、ウミは燃え盛る激しい感情を笑顔にすり替えてハンジたちの班と合流し打ち合わせを行うべく宛がわれた一室に向かう。その瞬間、ニック司祭と戻って来たリヴァイと一瞬目が合ったウミ。

「オイ、何だその目は、」

 しかし、先ほどのやり取りに抱いた醜い嫉妬心。それを彼に見抜かれないように、ウミは静かに睫毛を伏せ、愛しい彼の灰色の切れ長の三白眼から目を反らしてしまったのだった。
 明らかに今自分を避けた。それは野生動物よりも獰猛な洞察力で地下街(アンダーグラウンド)を生き延びてきた男には本能でウミが自分を避けたと、ひしひしと感じ取ることが出来た。歩きながらウミはまたあの光景にこれから向かう戦場に思いを馳せるよりも思考を奪われることになる。
 最愛のリヴァイと親し気に会話をするあの美しいレイラと呼ばれた女。正直あの2人の方が並んでいて絵になるのではないのかと思った。
 やはり育ちも違えば人並みの容姿でしかない自分は彼とは釣り合わないのだと思い知らされた。もし、彼が今後自分との婚約を打ち明けたとして、それで自分の存在が資金援助の貴族たちや兵団内に知れ渡った時、彼にマイナスな影響が及んだらどうしようかという不安でいっぱいだった。
 誰もが欲しがるこの壁内の「人類最強の男」の花嫁の座。明け渡したくはないと思うのに、誰にも彼を取られたくないと切に願っても、思えば思う程すれ違うのは何故なのか。

 戻って来たリヴァイは普段通りの仏頂面。先ほど美しい女と会話していた時に微かに見せた穏やかな表情はまるで嘘だったかのように。出来ればそれが幻であってほしかった。連れられて目の前の現実にただ立ち尽くしている放心状態のニック司祭にハンジが逃げるように彼から目を反らそうとしたウミとモブリットを制止して再びニック司祭に夕方に彼を問い詰めた内容と同じ質問をした。

「ウミ、モブリット、ちょっと待って、ニック司祭。何か……気持ちの変化はありましたか?」

 ハンジの問いかけに未だ沈黙のまま立ち尽くすニック司祭。さっきのエルミハ区にあふれる避難民の姿がよほど堪えたらしい。ウミは普段の調査兵団の一員として真剣な表情でニックに詰め寄る親友の冷静さを欠いた必死に詰め寄る姿にハンジがいかにこの壁の中の人類の重大な秘密を今も隠し続ける彼に対して怒っているのかひしひしと伝わってきた。

「時間が無い!! わかるだろ!? 話すか、黙るか、ハッキリしろよ!! お願いですから!!」
「……私は話せない。他の教徒もそれは同じで変わることはないだろう」
「それはどーも!! わざわざ教えてくれて、助かったよ!」
「……それは、自分で決めるにはあまりにも大きなことだからだ。我々ウォール教は大いなる意思に従っているだけの存在だ」
「誰の意思? 神様ってやつ?」

 重々しい空気の中まるで神に許しを請うかのようにニック司祭は小さな声でぼそぼそとどこで誰が聞いているかもわからない恐怖の中でその秘密の末端を静かに口にした。一人で抱えるにはあまりにも重いこの壁内の知られざる秘密を…。

「我々が口にするにはあまりにも荷が重い……我々は代々強固なる誓約制度を築き上げ、壁の秘密をある血族に託してきた我々は話せない。だが……その大いなる意思により監視するように命じられた人物の名なら教えることが出来る」
「監視? 責任を……誰かに押しつけて自分達の身や組織を守ってきたってこと?」
「……そうだ……。その子は……3年前よりその血族の争いに巻き込まれ偽名を使って身を隠している。その子はまだ何も知らないが……壁の秘密を知り公に話すことを選べる権利を持っている。その人物は今年調査兵団に入団したと聞いた。その子の名はー…
    ・   。だ」

 ニック司祭が告げたその名前。ウミは驚愕に目を見開き、さっきのリヴァイとレイラのやり取りの事などたちどころに吹っ飛び、、そして同期のエレン達も思いがけない少女の名前がニック司祭の口から飛び出したことの衝撃に瞳を見開き、同期で在り彼女を知る者達は互いに顔を見合わせそれはそれはすごい剣幕で驚いていた。本当に今期の新兵はなぜこうも正体が巨人だったり、そして王政で秘密裏に事情を抱えた者達で溢れかえっているのか……。

「失礼します!! 104期調査兵、サシャ・ブラウスです!!」

 そのタイミングをでドアを開けて無事に南から生還を果たしたサシャが私服のロングスカート姿から兵団服に着替え終え、その元気な姿を見せたのだが、誰も彼女に気が付かない。ニック司祭が告げた事実、そしてその身近な名前の存在がニック司祭の口から放たれた事に驚きそして、呆気にとられていた。しかし、ハンジは未だ今年調査兵に入団した104期の存在をよく知らず、一同のリアクションに戸惑っている…。

「あいつ」
「えっ、だ、誰??」
「あの……分隊長殿、これを……!」
「とにかく彼女を連れてこい。彼女なら我々の知り得ない真相さえ知ることができるだろう。私ができる譲歩はここまでだ。後はお前達に委ねる」
「待ってよ……もしかして、その子……104期だから……今は最前線にいるんじゃ……」
「行きましょう! とにかく現場に急がないと!」
「あっ、待って!!」

 エレンが先走ってしまいそうになる中でハンジが落ち着けと暴走しがちな彼を止めようとする。
 尚更ニック司祭が口にした「彼女」が巨人に食われることはあってはならないのだとエレンが救出に行かなければとくるりと踵を返した瞬間、懸命に渡された書状をハンジに渡そうと後ろでうろちょろしてサシャとぶつかって、2人はそのまま尻餅をつくとようやく全員がサシャの存在に気が付いたのだった。

「サシャ!?」
「こんなとこで何やってるの」
「あいたたた……っ、あの!」

 箱の中、山積みにされた避難民への備蓄の蒸かした芋を横目にサシャがハンジ分隊長にと支部の上官から託され預かった上質な紙に記され厳重に封を束ねられた紙の束をスッと手渡した。

「先ほど兵団支部に事後報告に行ったところ、上官殿から分隊長宛ての書類をお預かりしました!!」
「書類? わかった、ご苦労さん、」

 書類をひったくるように受け取りそして入れ違いにほかほかと温かそうな湯気を放つ蒸かした芋をサシャへ渡してやると。
 日中は情報拡散に走り回り、村で遭遇した巨人を立体機動装置もなく弓矢だけで少女を守るべく果敢に立ち向かい疲れたサシャは嬉しそうにうっとりと瞳を潤ませて頬を染めて、その芋に食らいつくとようやく自分は生きているのだとまた生還することが出来たことに安堵することが許された。
 装備を解かれ監視下にあった104期の中で最初に身の安全、そしてアニの共謀者の疑いから外れたサシャ。
 しかし、まだ疑惑は明らかにはなってはいなくて。そして今もなお最前線に居るはずの壁の秘密を知る存在の「彼女」が生と死の隣り合わせの中に居ると知り早く行かねばと一同は慌ただしく立体機動装置のガスの補充やベルトの装着の準備に追われる中でハンジはウミ達に問いかける。

「それで、その104期の子は誰なの? まだ全員の名前を知らないんだけど」
「あの一番小さい子ですよ!」
「金髪の長い髪で小さくて……えーと……あと、かわいい! 女神みたいな子です」

 アルミンの本音が出るが、満場一致で小柄で優しい104期のアイドルでもある彼女を可愛いと、誰もが思うだろう。しかし、その言葉にハンジは不思議そうにウミを引き寄せアルミンに真顔で問いかける。

「え、ちょっと待ってよ。ウミよりかわいい子なんて新兵の中にいた? 確かにミカサは美人だけど、可愛い系等ではないよね」
「ちょ、ちょっとハンジ! 104期生のアイドルと比べないで! 石投げられるでしょ!? ハンジ視力悪いからぼやけてそう見えるだけだからね?」
「いいや、私はウミがタイプだから」

 アルミンは誰ともつるもうとしないそれでも本当は誰よりも優しい少女だったアニを密かに思っていたのだが、クリスタは別格である。可愛くて優しくて不思議な人徳がある彼女を天使、いや女神のような存在だと思うだろう。
 それほどまでに男子達の間で不動の人気を誇っていた104期女子のナンバーワン女子。
 しかし、新兵の中にそんな子がいたかどうかさえ。思いつかないハンジはこんな状況でサラッと恥ずかしげもなく歯の浮くような台詞を口にした。
 不意打ちとも取れる親友からの誉め言葉に赤面するウミ。そんな二人の様子をさっき無視された事もありいちゃつく2人を不快感たっぷりにリヴァイが睨みを利かせた。

「オイ、ハンジ。てめぇ何、寝言言ってやがる」
「まぁまぁ、そんなに睨まなくてもいいじゃないか。あくまで生物学的にウミに惹かれるって事だよ、いい匂いだしね、」
「きゃっ、」

 好いたウミの良さなど自分だけが知っていればいいのだと言わんばかりに静かなる怒りを見せている。やはりこいつとは一緒にしたらダメだと。聞けば自分の班に入るまでハンジと同じベッドで寝てたらしい。ますます気に入らない。

「ウミはねぇ、生身の人間、それに、リヴァイだけのものじゃないんだからね、ウミはウミなんだから!」

 くんくん、と長い髪をくるくると纏めた髪から見えたうなじに顔を埋めるハンジの記憶に浮かぶのは調査兵団に入団した時の新兵勧誘式で迎え出てくれたのはまだ幼かったウミ。
 恐ろしい強さと長身の両親から生まれたとは思えないプラスがマイナスに働いてしまったのあの頃から今に至るまでほとんど代わり映えしない身長だが、その時から今に至るまでウミの成長を共にしてきてハンジはずっとそんなウミの愛くるしさと守りたくなるような儚い外見、それなのに内面には一本筋の通った芯のある強情なほど意志の強い性格に実際に惹かれた。
 しかし、ウミは突然姿を消してしまった。それから数年が過ぎて、エルヴィンが彼女、地下街で見つけてくるまでの間に彼女は一人の男を愛し、そして。
 かわいらしさの中に匂いたつような色香を兼ね備えた女性へと成長を遂げていたの。愛され満たされてそれは幸せそうな笑顔を浮かべて。密かに思っていた存在をハンジはリヴァイにあっという間に奪われてしまったのだから。

「クリスタはユミルといつも一緒にいる子です」
「え……? ユミル」

 思考を再び戻したミカサが口をついた「ユミル」というその名前に、単語に互いに反応して顔を見合わせたのはハンジとリヴァイ。それは850年になってからの出来事だった。奇行種と遭遇し、ある一つのメモを手に命を落としたイルゼ・ラングナーの戦果により得た情報の中にそのミカサが告げたその単語は紛れ込んでいた。
「ユミルの民」そのユミルと同じ名前。
 イルゼ・ラングナーと同じそばかす顔の背の高い少女の姿を。

「え!?」
「どうしたんですか、ハンジさん!?」
「ああ……この前請求したアニ・レオンハートの身辺調査の結果がようやく届いたんだ」
「アニの?」
「ああ、管理状態がずさんでなせいで探すのに今まで手間取ってしまったらしい。これによると君たち104期生の中に2名ほどアニと同じ地域の出身者がいるようなんだ。その2人は。
 ライナー・ブラウン
 と、
 ベルトルト・フーバー」
「えっ、」
「は……?」

 戸籍謄本を取り寄せたハンジの元に集まり、一同はその名前を聞いて誰もが頭から雷を受けたかのような衝撃を受けた。その2人の名前に…。ハッと気が付いたようにサシャが反応を示し、ウミは両手を口元に持って行き、エレンは思いがけないその名前に疑問符を浮かべた。なぜあの二人が…?3年間一緒に生活してきた中で知られざる同期の思いがけず浮かび上がったその名前。
 アニがあの二人と同郷だったなんて全く知らない。アニも、それにあの二人もそう言っていなかったから…。まさか敢えてそれを隠していただけなのか。これ以上は104期生の中に裏切り者が居るなんて信じたくはなかった。

「5年前の混乱のせいで戸籍資料なんかどれも大雑把な括りでいい加減なもんだ。ただ、この二人は先の壁外調査の時、「誤った」作戦企画書によって、エレンが右翼側にいると知らされていたグループに所属していた」
「「女型の巨人」が出現したのも右翼側でした」
「ええっ!! どういうことですか??」
「2人がアニに情報を流した可能性があるってことだよ」
「えっ、何でアニに!?」
「オイ。待てよアルミン、何言ってんだお前?」
「分かってるよエレン、当然それだけで何が決まるってわけじゃない、念のため、訓練兵時代の3人の関係性などが知りたい。どう思う?」
「……ライナーとベルトルトが同郷なのは知っていましたが、アニとその二人が親しい印象はありません」
「オレも……二人がアニと喋ってるのはあまり見たことがないような……まぁ……アニは元々他の人ともあんまり喋んなかったけど……」
「見た事無いフード付きの服も着てた」
「ご飯の時もたいてい一人でもくもく食べてましたね。アニは……あっ、そういえば顔に似合わず甘いお菓子が好きだと聞いたことがあります!!」
「私は……覚えていません」

 口々に同郷の3人の関係性を口にする中でサシャは全く関係ないアニの食べ物の好みの話を始めるも誰も聞く耳を持たない。ずっとエレンを守ることを信条として生きてきたミカサはエレン以外の者達には興味が無かったので、愛の反対は無関心か。正直に興味が無いのでわからないとそう告げた。
 ウミは信じられないと、いや、信じたくないと。無言で考え込んでしまっている。まさかあの二人があの時の……。
 3年も一緒に居たのに見抜けなかった自分があまりにも平和ボケしきっていたのだとただ自責の念に駆られた。

「イヤ……でも同期としては……その疑いは低いと思います。無口なベルトルトは置いといても……ライナーはオレ達の兄貴みたいな奴で…人を騙せるほど器用じゃありませんし」
「僕もそう思います。ライナーは僕とジャンとクライスさんとで「女型の巨人」と戦っています。ライナーは危うく握り潰される直前でーー……!」
「どうした?」

 女型捕獲を思い出すアルミン。にウミは驚いたように顔を上げいつの間にかそこら辺の女よりもかわいい顔をしているが成長期真っただ中で、自分の身長をとっくに追い越していたアルミンに問いかける。握りつぶされる直前で助かった?そんなの有り得ないとでも言わんばかりに。

「えっ、そうなの……!? 巨人に捕まれて逃れられたケースなんて、それに、あのアニに捕まった人たちは逃げる間もなくみんな捻り殺されたのに……!?」
「ライナーは逃げられたんだけど…アニは急に方向転換してエレンがいる方向に走って行ったんだ。僕も……推測でエレンは中央後方にいるんじゃないかと話してたけど…アニに聞かれる距離ではなかったし」
「何だ……そりゃ?」
「話してたって? ライナーがエレンの場所を気にしてる素振りはなかった?」

 ハンジに尋ねられて、アルミンがライナーの言葉を思い出した。あの時は協力して女型をどうするのか考えるのに必死だったから。

 ーー「アルミン。じゃあ……エレンはどこにいるってんだ?」
「(まさか……)エレンの場所の話をしたのは…ライナーにそのことを聞かれたからでした。それに……あの時「女型の巨人」が凝視してた手の平に刃で文字を刻むこともできたかもしれない……ライナーなら!」
「は……? 何だそりゃ……何でそんな話になるんだお前はーー……」
「エレン!」

 ハンジが遮り、その場に居る自身の部下とそして遠くからその話を聞くリヴァイとそしてウミ達に告げる。

「いや……全員聞くんだ。もしライナーとベルトルトを見つけてもこちらの疑いを悟られぬように振る舞え。もちろん、アニ・レオンハートの存在には一切触れるな! 彼らがアニの共謀者であってもなくても、上手く誘導して地下深く幽閉する必要がある……全員、分かったね!」
「「はい!」」
「とにかく……! 前線に、」

 南へ向かう理由が出来、重要な秘密を握る者達がなぜこんなに104期生の中には多いのだ……しかも上位10位内に……。ウミが思案し、そして早く早くと勇み足のエレンに遠巻きに話に耳を傾けていたリヴァイが諭すようにエレン達に彼なりの激励の言葉を投げかけた。

「落ち着けエレン。お前らも聞け、こっからは別行動だ。後は任せたぞ。お前らはエルヴィンが決めた即席の班だ。今はお前らだけが頼りだ。わかってるな……? アルミン、お前は今後もその調子でハンジと知恵を絞れ」
「は……はい!」
「ミカサ……お前がなぜエレンにそんなに執着してるかは知らんが……お前の能力のすべてはウミと連携してエレンを守ることに使え!」
「はい! もちろんです」
「……それからだ……。エレン、お前は自分を抑制しろ、怒りに溺れて本質を見失うな。今度こそ……しくじるなよ、」
「はい、」

 リヴァイはエレンへ達幼馴染シガンシナ区出身組の3人へ彼なりの激励をした。ようやく捕らえた壁内の破壊をもくろむ諜報員の正体であるアニを肉体のまま捕縛することが出来なかった。巨人化したエレンは強すぎるその力に溺れて、「1匹残らず巨人を駆逐してやる」巨人に奪われた物が多すぎる中で、その強い怒りに身を滅ぼして理性を失い暴走した。リヴァイが居なければ窮地を脱することは出来なかっただろう。
 負傷した左足の痛みを抱え立体機動装置を展開した時、絶対に痛かったはずだ。彼は確かに常人よりも回復力も腕力も強いがそれでもまだ完全に怪我は治ってはいない筈だ。
 怒りは我を見失うものだと遥か昔の哲学者も言っていた。「怒りは無謀を持って始まり後悔を持って終わる」と。
 あの時のエレンは手の付けられない化け物になられてはそれこそ故郷を破壊しかねない。
 冷静にならねばとエレンは自分自身にも言い聞かせた。
 そして、次にそのグレイの瞳は真っすぐウミを見ていた。

「ウミ、お前は目的を果たそうと自分の命を顧みねぇ傾向がある……、お前が死ぬことは許さん、何としても生きて務めを果たせ」

 ウミはその言葉を受けて無言でリヴァイを見た。
 先ほどのやり取りが浮かんではまたウミの思考を奪う。これから戦場である死地に赴く中で余計な考えは死を招く。しかし、あの時の彼の表情が今も胸を締め付け、そして忘れられなくて。

「……ウミ?」

 上官でもあるリヴァイの言葉にウミは返事もせずにミカサの声に振り向かずにそのまま部屋を出て行ってしまった。廊下を突き進み見据える先に広がる世界。
 彼と抱き合い確かめた一昨日がもう遠くに感じた。
 5年間の積年の思いと彼は言ってくれた。幾ら自分の為に他の女性との接触を頑なに避け続けてきたと本人の口や周りから聞いても、真相はあの二人にしかわからない。口では何とでも言える。身の潔白を証明するなんて所詮無理なのだと思った。
 どんな時にも離れないと誓った。それなのに、たった1人の女の存在によって引き裂かれる脆い絆。もうあの時見上げた星空は遥か遠く、あの頃にはもう二度と戻れないのだと輝きを放ち、そんな二人をいつまでも月が見守るように照らしていた。
 公に書類で正式に彼の婚約者になったわけではない。だから今の私はただ彼の言葉に舞い上がっているだけなのか。ウミの双眼は彼越しにどこか遠くの場所を見ていた。
 兵団の兵士長と言う立場でもある彼が、簡単に一般人に婚約したことなど公表できないと思うが、それでも知りたくなかった。親しげにリヴァイと世間話を繰り広げる美女の存在がウミの胸に抱いた不安を加速させた。仕方ない、分かっている。彼を5年間も置き去りにしたのは自分なのだから。その間に彼が他の女性とロマンスを過ごしていても自分にはそれを咎める資格など無い。5年間ずっと離れ離れでいたその空白の期間の中で、調査兵団の兵長でもあり、人類最強という呼び声、男前な容姿の彼に思いを寄せる女の一人や二人いてもおかしくないのは分かっている。まして、資金繰りの夜会でも資金援助を受けるためには避けられない貴族のご令嬢との接待もあったはず。どんな理由があれど彼を捨てたのは私なのだと呪文のように唱えながら。
 サラリと自分のまとめたサイドの後れ毛に触れる。なんの痛みも穢れもない手入れの行き届いた綺麗な髪だと思った。
 リヴァイの為に伸ばしてきたとは言え、戦闘で痛みほぼ伸ばし放題の髪を誤魔化してまとめている自分とは大違いだ。
 女の顔を見ればわかる事だ。彼に思いを寄せていることくらい。自分を部下だと告げた時に見せた安堵したような表情で…。返事もせず無視をしたのは行けない事だと分かっていても、でも、これ以上彼の目は見るのは耐えられなかった。
 逃げるように厩舎で馬達の鬣を撫でているとその背後でドアが開く音がした。ウミの華奢な肩を小柄な背丈の割に武骨で筋張った彼の男らしい手が掴んで乱暴に振り向かせ、目の前の彼と視線が交わった。
 現役時代、リヴァイよりも足の速さには自信があったがこの5年間巨人と戦い続けてきた彼と反対に巨人から離れた世界で暮らしたことで彼の化け物じみた身体能力と差が出て、もうあの頃の自分ではないのだと悟った。

「ウミ。どういうつもりだ。上官である俺の話が聞けねぇと? まだ終わっちゃいねぇが……」

 怪訝そうに問いかけるリヴァイの凄みに当てられ竦む身体。しかし、ウミはその問い掛けにも答えない。それどころか肩を掴んだままの手を振り払うようにそっぽを向いたので、リヴァイの舌打ちが聞こえた。
 きりりと引き結んだ桜色の唇は閉ざしておかないと酷い言葉達で彼を追い詰めてしまいそうだから閉じておく。だから返事をしない、目も合わさない。子供みたいな事をしていると理解しても、頑ななウミの態度にそんなに気が長い方では無いリヴァイは苛立ちを見せている。

「しけた面しやがって……上官の話を無視して途中退出か、出世したとたんいいご身分じゃねぇか」

 リヴァイがレイラとの会話を終えて戻ってくるまで待ち続けていたあの時、夜な夜な女の元に行く彼を待っていた切ない記憶が浮かんでは消えて、鼻の奥がツンと痛んだ。ようやく会話を終えて戻って来たリヴァイは普段と変わりなく受け答えしているように見えてウミの口調はどこかよそよそしくて、目を合わせようとしないウミのそっけない態度、5年ぶりの沈黙の末に再会したばかりのぎこちない会話を繰り広げる2人の頃に戻ってしまったかのように。

「ウミ。分かってんのか、ウォール・ローゼの壁が破られたかもしれねぇ時にガキみてぇに何ふてくされてやがる。何妄想してるか知らんがレイラはクライスに連れていかれた飲み屋の女給なだけでお前の思うようなことはねぇよ、」

 レイラ、その名前を呼ばないで。彼が自分以外の女の名前を呼ぶだけだ気でどうしてこんなに胸が苦しくなるのだろう。きっとこの空白の時間が積もりに積もって不安にさせるからだ、ウミはもう聞きたくないと耳を塞ぐように彼の間をすり抜けた。

「もう、いいよ、ほら。行こうよ」
「ウミ……」
「らしくない。取り繕うなんて…。そうだよね。私たち、5年間も離れていたんだよね……。別に、リヴァイがどんなにきれいな女の人と親しくしてても、私、気にしてないから……。私がリヴァイからいなくなったんだもん、私にはリヴァイを責める資格なんかないんだから」
「ウミ、」
「すごく綺麗な人だね……。そうだ、リヴァイはこの後ここにニック司祭と待機なんでしょ?傍に……居て安心させてあげたら?」
「オイ、馬鹿かてめぇ」

 あっけらかんとした口調でそう言いながらも彼の眼を見ることは出来ない。目は嘘をつけないから。本心は「誰よその女!!」と今すぐ詰め寄りたいくらいに苛立ち自分と違い巨人の返り血も浴びた事のないあの女性に対して親しげに話すリヴァイのクラバットを掴んで突っかかりたくなるくらいに嫉妬の炎がくすぶっていた。
 否定はしない、自分がそうであるように、彼のような屈強な腕に抱かれたいと思う女ならごまんといるだろう。
 不愛想で粗暴で冷たい印象に見られるが本当は誰よりも優しくて人望が厚く、そして、人を失う痛みを知っている彼に惹かれる人間なんて今までもこれからも、たくさん居るに決まっている。
 一人それを言い聞かせようとして厩舎を後にするウミにリヴァイはそれは違うとその背中を追った。

「チッ。…そんなに俺が信用ならねぇのか。面倒事増やしやがって…クソ女」

 悪態突きながらも、それならばこんな面倒なやり取りなどさっさと止めてしまえばいい。
 女とは互いに割り切った身体だけの後腐れない関係が楽だった。しかし、それはもう昔の話。
 いつからかどんなにいい女を抱いてもウミのことしか考えられなくなっていたのは。
 それが、恋なんだとファーランに指摘されるまで気が付かなかった。
 ウミを守れなかったあの日絶対にもう二度とウミを悲しませないと誓った。
 不器用な男の思いは空回りをしながらも彼女を追いかけた。
 今こうして共にいることが出来る。
 人は生きている限り何度でも思いをつなぐことが出来る。
 今誰が見ても明らかに自分が話していた女性に対する嫉妬心剥き出しのウミ。気にしていないといいつつ気にしているのは目に見えて明らかだ。こんなにもこの心を占める存在に振り払われた手は虚しく空を握る。
 たった一人の少女を追いかけるなんて今までそんな経験など無かった。人を愛した経験なんて今までなかった…。男の自然な現象を満たせばそれまでで、言葉が足りないのは仕方がない、人を愛したことのない自分は愛し方を知らないのだから。
 だから、ウミに出会うまでは彼も同じ健全な男で、あんな風にきれいな女性の知り合いが居て、そしてもしかしたら一夜を過ごしていたとしても彼を責める資格は5年前に彼の前から姿を消したウミには無い。

 それでも、どうしてもそんな自分の知らない空白の期間の中で彼を取り巻く環境の変化に彼との別れを自ら選択した自分を責めた。どうしても、彼を許せなかった。

To be continue…

2019.09.27
2021.02.01加筆修正
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