THE LAST BALLAD | ナノ

#09 名もなき墓標

 夢を見ていた。ひとりきりずっと。そして、あの人が帰ってくる夢。あの時の選択を間違わなければ今も三人で幸せに笑っていたのだろうか。名もなき墓標は何も答えない。何をすべきで何を選べばよかったのかなんて。誰も未来の正しい選択なんてわかりはしない。

「それじゃあ、またよろしく頼むよ、ウミ」
「はい、よろしくお願いします」
「いやあ、突然辞められたときは本当に驚いたけどまたこうして戻ってきてくれて嬉しいよ。ウミ、ありがとうね」
「いえ……こちらこそこっちの勝手な都合で辞めたりしたのにまたこうして声をかけてくださり、本当にありがとうございます」

 調査兵団卒業後も配属兵科が決まるまではそれぞれ班に分かれて訓練を行うそうだ。
 あの後、エレンが復活したとミカサから聞きウミは安堵したように微笑み五年前にウォール・マリアが陥落してから最前線の街になったトロスト区の相変わらず賑やかな大通りを歩いていた。大通りに面した酒場、まだ若く愛想もいいウミは訓練兵団に向かう三人についていくために一度はやめた職場だったが、オーナーの好意でまた再雇用してもらいこれからはここで働きながらトロスト区に居住を構え暮らしていく。
 出勤時間まではまだある。軽い面接という名の雑談を終え出勤時間まで自分の部屋の整理などでもして時間を有意義に過ごそうかとのんびり考えていると鐘の音がカランカランと鳴り響いた。この鐘の音は…非常事態でなければ調査兵団が壁外調査に向かうために開門する合図だ。二度と顔向けなんかできやしない。知っていたら外には出なかったのに。タイミングが悪い。ウミは思わず心臓がドクンとやけに強く打ったように感じられた。

「おや、そういえば今日って調査兵団が壁外調査に向かう日じゃないか!!」
「えっ……あ、ああ、そうなんですね」

 鐘の音が聞こえる。そう、五年前シガンシナ区が陥落した今はここトロスト区が調査兵団の出発地点になるのだった。知らぬふりをしたウミ、しかしオーナーは嬉しそうに微笑みながらウミの手を引いたのだ。

「私ね、エルヴィン団長が就任してからずっとファンなんだよ、紳士で素敵な人だよねぇ。そうだ、ちょうど調査兵団の精鋭さんたちがここを通るじゃないか! 久々の壁外調査だ、お姿を拝見しよう」
「えっ!? あの……っ、私はいいので大丈夫ですよ……」
「いいから、いいから。ああこんなことならもっとおしゃれすればよかったかね」

 全然よくないとウミは青ざめた。調査兵団の壁外調査の出陣を見送る。
 それはいくらなんでもとんでもない!まずい!!あんなに決意して離れたのに、辞めた職場には二度と顔を出さないように、五年前に逃げるように辞めた兵団の出発を見に行くなど……。
 悲痛な思いを引きずり涙を呑んで離れた彼に居所が見つかってしまう。そんなことになったら何のために彼と離れたのかわからないではないか。悲しみはいつか忘れてしまう、その言葉を信じて離れた。それなのに今彼の姿を見たら。抱いた決意はたちまち崩壊するだろう。

「来たぞ! 調査兵団の主力部隊だ!」

 調査兵団に寄せられる期待はこの五年ですっかり変わった。大通りは調査兵団の主力部隊を一目見ようとたくさんの人でごった返していた。逃げるように挨拶もなしに退団したことに変わりなど無くて…今更皆に合わせる顔などない筈なのに……。走ってその場から逃げ出したい衝動に駆られるウミだが周囲の人だかりに囲まれすっかり身動きが取れなくなってしまった。

「エルヴィン団長! 巨人どもを蹴散らしてください!!」

 そうこうしているうちにまっすぐ前を見据え分隊長から団長となり出世し馬に乗ったエルヴィンが姿を現した。かつてのキースの時は壁外調査の時は非難を浴びてばかりだったのにウォール・マリアが陥落した今、調査兵団の活動は五年前に奪われた街を奪還するべく民衆から大きな期待と税金が支払われていた。それに伴いエルヴィンが団長となったことでさらに期待値は増え、今では多くの民衆の注目を集めていた。
 こっちには気付いてはいないが、視野の広い彼がいつ気が付くか時間の問題だ。ああしていろんな人に見つめられながら出発したからこそわかるのだが馬に騎乗していると本当に視野が広く眺めがいいのだ。誰がどこにいるか簡単に見渡せる。出発の時も父親はそうやって自分を見つけてくれたから。

 精鋭と呼ばれているのはかつて自分とともに戦った仲間たち。多くの人の命が巨人に蹂躙される中で生き残っている者たちはどんどん減りその中で強い者だけが瞬く間に昇進していく調査兵団の昇進は早いものがある。
 今更顔など向けれらないとウミは見つからぬように申し訳程度のストールをフード代わりになんとか姿を隠そうとした。人よりも小柄だから、そのまま殺到する人だかりに紛れ込んでみるも、上からでは自分の姿は簡単に見つけられてしまう。
 見なければいいのに。自分がそこに目を向けて心奪われるのだから。今更合わせる顔などないのに。今更会うなんて怖くてたまらない。それなのにどうして自分は両足に釘を打たれたように、今ここから動けないのだろう。

「見ろ! 人類最強の兵士、リヴァイ兵士長だ!」
「一人で一個旅団並みの戦力があるってよ!!」

 一瞬、もう呼ばないと決めた名前が、聞かないようにしていた名前が瞬く間に自分に浸透していく。その名を耳にした瞬間、時が止まった。一気に意識はそこに向く。その名前を聞いただけなのに呼吸さえもうまくできない。五年も姿を見ていないのに、空想の彼しかもう記憶にないのに、どうしてこうも鮮明に記憶は甦るのだろうか。

「……っ」

 揺れ動く思いにかき消されそうなあまりにも脆い決意にただ瞳を閉じた。たちまち立ち戻るあの時の何も知らない無邪気な自分。
 会いたい、ずっと会いたかった。この五年間彼の名を呟かないようにしてもどうしてもこの指輪だけは捨てられなかった。心の中で今も誰よりも深く強く永久に愛し続けていた。
 視界が一気に滲んでゆく…黒い馬にまたがった綺麗に切りそろえた刈り上げの刃のように鋭い目をした男……。ウミは一瞬で心奪われ呼吸すら止まるようだった。見つめてしまえば最後もう動けない。ぽっかり空いた心の穴が一気にふさがるようだった。

「あっ! ウミ」

 周囲からの羨望の眼差し、疎まし気に眉を寄せるその姿がとても彼らしい。そのまま彼が気づかないままでいて、ずっとその瞳に焼き付けるから。男が自分の前を通り過ぎようとしたその時、間近で人類最強と称される男を目の当たりにし興奮気味にはしゃぐエレン達がウミの姿を見つけるとそのまま駆け寄り大声でその名を呼んだのだ。しかも彼の前で。

「っ……」

 慌てて顔を地面に向けるが、もう、遅い。その時強い風が吹きあがり申し訳程度に隠した薄手のローブが吹き飛ばされ、ふわりと腰まで伸びた髪が緩やかに風に舞いウミの姿を男の前に現した。

 一瞬、二人の視線が交わった。

「“  ”」

 男の薄い唇が確かに形作ってその名を紡ぎあげる。
 ウミ、確かに男は群衆の中でそう呼んだ。男も驚いたような、不機嫌そうな目つきが一気に驚愕に代わりその名の中心に向けられる。哀愁入り混じるその瞳に宿したかつて愛した少女だったころのウミを見つめた。未だ青年と少女だった二人。ずっとそばに居た。確かに何度も見つめ合って愛したお互いのことをそう簡単に見間違うはずもない。

「あの人……こっちを見てる……どうして」

 ミカサがそうつぶやき見上げた先で馬上から驚いた顔をする男と、その目線の先に注がれる、ウミは見る見るうちに視界が涙で滲んで、勇気がない自分はその場にいたたまれなくなって何でも見透かすような瞳から背中を向け逃げてしまった。

「ハンジ、馬を頼んだ……あいつだ、間違いねぇ……。生きていやがった」
「ええっ!? でも、もう開門始まってるよ!?」
「リヴァイ、気持ちはわかるが、彼女はウォールマリア奪還作戦の犠牲者の名簿にも刻まれている。彼女は、死んだ。諦めろ」
「俺の目に間違いはない。俺はあいつの死に顔を見ていない。あいつは…そう簡単にくたばっちまうような女じゃねぇ……!」

 馬を、任務さえも放棄して今すぐ追いかけてしまいたかった。しかし、もうそんな自由勝手に動き回れるほど自分たちの置かれた立場や期待は軽いものではない。もうあの頃の自分達ではないのだ。ハンジが慌てて男を止めようと声を投げかける。同じく主力部隊の一人で分隊長も務める長身で寡黙な男ミケ・ザカリアスも今にも馬を捨てて立体機動装置で飛んで行ってしまいそうな男を宥めるように静かにそう告げる。それに今から壁外調査で危険な壁外に向かう中で余計な考えは刃を鈍らせる。一瞬の油断が危険だということを誰よりも長く調査兵団で生き残っているミケはよく知っている。

「前進せよ!!」

 エルヴィンの張り上げる声に人類最強と呼ばれ壁の中の住民たちから羨望と期待を背負った救世主がそんなたった一人の女に心乱されてはいけないのだと。今すぐ馬から飛び降りて走り去った小さな背中を追いかけたい衝動を必死にこらえる。

「兵長……?」

 かつて地下街のゴロツキの自分が今はこうして世間に知れ渡る英雄として崇められているなんて何という皮肉。振り返ればそんな自分を今は慕って着いて来てくれる
 ペトラやオルオが不安そうにこちらを見つめている。そう、自分の今の“兵士長”というポジションはそんな軽いものではないのだ……。
 自分が取り乱せばそれを慕ってついてきてくれる部下が不安になる。兵士をまとめる自分がいちいち感情的になってどうするのだ。若さも青さもすっかり通り過ぎた自分の未練がましい無様な姿をさらして……。
 上官とは立場、責任自分の行動を客観的に見つめて行動しなければならない。上官とはそういうものだ。

「何でもねぇ、気にするな」

 男は静かに振りきるように前を向きなおし愛馬の手綱に力を籠める。この先、巨人が人間を蹂躙する地獄、またそこから生還して生き残りたいのならば余計な考えは捨てるべきだ。

「……気をつけてね。あなた」

 門を抜け危険な壁外へ向かう彼の自由の翼を背負った背中を遠く離れた場所で見送りながらウミはずっと口にしなかった彼を思い見送ると背中を向け路地裏に姿を消した。そして近くの花屋で色とりどりの花束を買い向かった先は多くの人たちが眠る集団墓地だった。

「…久しぶり、来るのが遅くなってごめんね」

 この5年間、決して欠かすことのなかった墓参り、名もなき墓標、横たわる墓標の下には何も残らないがそれでも確かにここに命は存在していた。名前すら与えてあげられなかった小さな命、ウミが花束を置こうとしたとき、先に置かれていた花束が目についた。

「花……誰が? でも、すごくかわいいね。うれしいね」

 かわいい小ぶりな花束に思わずほころぶ頬。この墓に眠る命にも似た可憐な花は先ほどの再会の衝撃を忘れさせてくれた。そう、この墓はずっと守り続けなければならないもの、ここにいると全てのつらさもむなしさも忘れさせてくれる気がした。
 今日はいい天気だ。いつにも増して穏やかな気候。優しい草木の香りが髪を駆け抜けていく。こんな日に相応しい。

「また、来るからね」

 小さな墓標に決意を、悲しみに暮れた祈りはやがて希望に変えてこれからもここを守り続けよう、背中を向け、歩き出した瞬間だった。

「えっ……」

 5年前のあの日と重なる。これはデジャヴか?思わず立ち止まってウミは全身から力が抜けるようにそのまま地面に膝から崩れ落ち、手に持っていた水差しと取り換えた花が地面に転がった。得体の知れない恐怖。
 身の毛もよだつような不安に支配され、心臓が先ほど彼を見つけた時よりも早く脈打つように。見間違いであってほしいという願いは脆くも散る。全身を蒸気と筋肉の繊維で覆われたあの超大型巨人がいつの間にか姿を現し、じっくりとこのウォール・ローゼの壁を覗き込んでいるのだ。 一体いつから? さっきまであの壁には何もなかったはずなのに。音もなく現れたというのか?ありえない、しかし、五年前と同じく巨人は再び出現したのだ。

「嘘、でしょ……なんで、なんでっ!?」

 これが悪い夢なら。しかしそれは紛れもなく現実。人類は再び思い出すのだ。巨人(ヤツら)に支配されていた苦痛を。

「っ……5年前のようにはさせない」

 まずい、またあの時と同じく壁を破りに来たのだ。ウォール・ローゼまでもが鎧の巨人に破られ陥落したら今度こそ本当にこの小さな壁の世界は終わりだ…。食糧を求めた人類の殺し合いでこの世界は終わる。何よりもこの墓標を奪われるわけにはいかない。今度こそあの日の痛みを忘れたわけではない。

 五年前のあの日、壁を破壊されその投石のような破片に押しつぶされ次々と罪なき住民たちは無残に殺され壊れた壁から次々と現れた巨人たちによって見るも無残な死を迎えたのだ。あの日穏やかでささやかな日常は消えた、人類は巨人に敗北を許し平穏は終わりを告げた、よりによってなんでこの日に。ウミはありったけの声で叫んだ。あの日とはもう違う。もう二度と人類は巨人に負けはしない、その決意はむなしくも粉々に破壊されるのだった。

「逃げて、逃げるのよ……!」

 やはり、間違いない。あの巨人には知性がある。よりによって巨人に対抗する術を一番持っている調査兵団が壁外調査に出た時を狙ったかのように。
 呆然と超大型巨人を眺める住民たち、ウミは血の気が引くような得体の知れない恐怖に支配され足が震えてうまく走れずあの日のトラウマで呼吸が早くなり恐怖で足はもつれ何度も転びながら墓地から抜け出し表通りへ走るとあらん限りの声で叫んだ。その瞬間、耳をつんざくような轟音とともに超大型巨人はトロスト区の、先ほど彼が旅立った門を破壊し、五年ぶりの再来を果たしたのだった。
 ただ不安感をあおる鐘の音に瞬く間に飛んでくる壊れた壁の破片たちが雨のようにあの日と同じく猛スピードで降り注いだ。

「伏せて―――――!!!!!

 たまらず叫んだその声は。飛んできた破片の嵐にかき消された。その同時エレンが超大型巨人を補足し攻撃を仕掛けていることも知らずにウミは目の前の幼い少女に向かって飛びつくと少女を破片から庇うように覆いかぶさった。

「大丈夫?」
「うん……」

 よかった……少女は無傷だった。せめて目の前の人だけでも。ウミはもう二度と繰り返したくないその一心で少女を助けたウミに何度も頭を下げる母親へ頭を下げて走り出した。

「オーナ―――!」

 角を曲がり先ほどまで調査兵団の居た大通りへ向かう。そこは降ってきた扉の破片の直撃によって地獄絵図と化していた。先ほどまでここに居たら…想像するだけでゾッとした。誰か生き残りはいないのか、ウミは血眼になりながら自分を再度雇用してくれたオーナーを探す。店に行けば大丈夫だと、しかし、待っていたのは想像を超える過酷な現実であった。
 店は直撃した破片によって見るも無残な姿と化していた。早くあの門をふさがないとウォール・マリアまで侵入している巨人どもがもうじきここに入ってくる。

「オ―ナ―!!」

 家屋の破片が首の頸動脈を貫き今にも息絶えそうなオーナーが倒れているのが見えてウミは駆けだした。

「しっかりしてください!!」

 必死に頸動脈に指先を当てて止血するも頸動脈の太い血管からの出血は噴水のように指先からあふれてウミが着ていたワンピースを汚しウミの手当てむなしくオーナーは真っ青な顔に変色しどんどん血の気がなくなっていく。

「オーナー!」

 口を必死に動かすももう言葉を発することは出来ない。揺り起こし必死に呼びかけるがオーナーはウミに看取られながら瞼を震わせて絶命したのだった。

「うそ、でしょう……―――!」

 数時間前まで自分と会話していたのに…勝手に退職した自分を責めもせず受け入れてくれた、時には母のようにつらいときに励ましてくれた恩人だったのに…ウミは静かに瞳からこぼれる涙を落としそうになりながらも涙を流さぬように堪えて立ち上がった。そう、約束したのだ。自分から離れたのに一番約束していたことを破った自分が今も健気に律義に守り続ける自分は愚かなのだろうか。

「どうしたらいい、の、リ――……ッッッ!!!」

 たまらず彼の名前を口に出しかけて立ち止まる。今は悲しんで泣いている暇など無い、壁をふさぐのは、応急処置は駐屯兵団に任せればよいのだ。
 しかも、よく見れば壁の上にある固定砲が無残に破壊されている。あれを狙って破壊したのか…あれを壊されれば駐屯兵団も何もできない。大砲で巨人を倒せるとは思っていないが巨人を遠ざける間に避難できる時間稼ぎにはなったのに。
 まさか巨人に一番扱いが長けている調査兵団ので払ったときに壁の強化と万一の訓練しかしてきていない駐屯兵団がこの地区を死守するとは…しかも間違いなくこの騒動で超大型巨人出現時の作戦が始まっている。調査兵団が居ない今訓練兵団も駆り出される、そうしたら…104期生のみんなと過ごした楽しい日々がふつふつと思い浮かび、みんなの身を案じる。そう、実戦経験の乏しい若い命たち、いきなり前線に駆り出されてみろ、それではみんなが殺されてしまう…。

「そんなことは、させない―――……!」

 5年前の悲劇、守れなかった人、残る後悔、二度ともう失いたくない人たちがいる。今にも泣きそうな顔を必死に叱咤してウミは走り出した。

 
To be continue…

2019.07.02
2021.01.10加筆修正
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