THE LAST BALLAD | ナノ

#11 ローゼの落涙

 トロスト区の壁が破壊されたのと時同じく、色とりどりの花が咲き乱れるウォール・ローゼの湖を湛えた豪奢な城では真昼間から酒や豪華なクラッカーに色んな具材を乗せたオードブルを並べ、見るからにぜいたくで醜く肥えた城の主、バルト侯爵はチェスに興じていた。こんな優雅な風景の裏側では超大型巨人に壁を破壊されたようには見えない。

「真面目にやってるのか? ほーれ、また余の勝利だぞ。こうして月に一度手合わせしてやってるというのに貴様は本当上達せんなぁピクシス」

 ピクシスと呼ばれたキースとまた同じようなスキンヘッドの男は何とも朗らかな笑みでバルト候のチェスの相手をしながらワインを飲んでいた。ドット・ピクシス。こう見えてもこの男はトロスト区を含む南側領土を束ねる最高責任者であり人類の最重要区防衛の全権を託され貴族の護衛も行う駐屯兵団を統率している。そして生来の変人としても有名でありその穏やかな笑みの下では常に壁の防衛と万が一の有事にいつでも備えられるように、人類の為に常に笑顔の裏で思案している。

「いやいや、まだまだ適いませんね」
「貴様は南方領土を束ねる最高責任者だからのう。その程度の頭と腕でどう巨人に勝つつも「ピクシス指令! 伝令です!」
「何だ貴様、無礼な!」
「トロスト区に超大型巨人が出現! 開閉扉が破壊されました!」

 駐屯兵団の伝令班からの伝言とその言葉にバルト候は飲んでいたワイングラスを落としてしまった。あたりに衝撃が走る。五年ぶりの悪夢の再来にピクシスはテーブルの上に置いてあったワインボトルに手を伸ばすと残りを味わうかのようにそのままラッパ飲みをしたのだ。

「ううむ、こりゃあうまい酒ですなぁ、戦場の友として謹んで頂戴しますぞ」
「おおい、待てぇピクシス! ピクシス、待たんかぁ! ここを離れることは許さんぞぉ!直ちに兵を招集し我が領地防衛に努めるのだ。それが貴様の職務であろう」

 チェスを止めピクシスは自らの責務を果たしに向かう。貴族らしい発言に立ち止まり、くるりとバルト候に向き直りピクシスはあくまで優しく穏やかに諭すように答えた。

「バルト候、トロスト区では今まさに兵たちが身命を賭して戦っているのですぞ」
「ピクシス指令、馬を準備してきます」

 最高責任者の存在なしに壁の防衛は果たせない。今こうしてる間にも鎧の巨人がいつまた壁を破壊しに現れるのかわからないからだ。

「そして、おそらく多くの者が命を落としています。わしらがおしゃべりしとる今この時にも」
「ふっ、どうせ安い命だ。捨て置けぃ、そもそも盤上の戦で余を相手に負け続ける貴様が言ったところで状況は変わらんわい」

 平民の命よりも自分の身の安全の保障を願い出る男に彼の側近がピクシスの代わりに応えた。侯爵という肩書に守られているこの男は何もわかっていない。なぜピクシスがチェスゲームに毎回負けているのかも、それは資金援助しているこの男の機嫌を損なわせないためであるということも。

「ご安心ください侯爵、実際の戦で巨人が相手ならば指令が手心を加える必要はございませんので」
「よさんか。バルト候、候は平素通り平和で穏やかな1日をお過ごしください」
「おお、ピクシス、ピクシス、戻ってこい、ピクシス! わが領地防衛に努めるのだ!」

 バルト候の悲痛な叫びはむなしく古城に響きそして消えていった。

***


「もう……だめだ……」
「終わりだ……」

 補給部隊に回され本部に待機していた訓練兵たちは頭を抱えて机を四角に囲んだバリケードを作り本部に籠城していた。眼前に見える信じがたい光景、巨人は先ほどまで作戦会議をしていた本部にまで侵入していたのだ。
 顔を上げれば食糧を探す巨人の大きな目と目が合った。これはどうしようもない状況に絶望し嘆いた補給支援班は初めて遭遇した巨人に恐れを成してしまったのだ。脱出も出来ず完全に囲まれた。今出来ることはこのテーブルのバリゲートに身を隠して巨人がこっちに向かって伸ばす手からただただ息をひそめて時が過ぎるのを、来ない助けを待つことだった。
 中にはこの八方ふさがりの状況に絶望して巨人に食われるくらいならと今この状況で何の役にも立たない銃で自殺を図ってしまった者までいた。
 作戦が開始されようやく撤退の鐘が鳴ったというのに皆は補給班が戦意喪失してしまったことによりガスの補給が出来ず、未だに壁を登れずにいた。避難完了までの時間稼ぎ、その為にあちこちを飛び回っていたジャン達は残り僅かとなってしまったガスを補給出来ずに屋根の上で途方に暮れていた。

「(一時撤退の鐘の音は聞こえたはずなのに……なぜみんな壁を登ろうとしない?)」

 曇天の空の下で次第に状況と共に悪化してゆく天候。雨がぽつぽつと降りだしてミカサの黒髪を濡らしてゆく。前衛の撤退の支援に回ったミカサは立体機動装置を付けているのに一向に避難をせず青ざめた表情で何かを話している訓練生を見ながら疑問符を抱いていた。そして、気が付く。本部に群がる巨人の群れに。
 そしてガスがほとんどカッスカスの状況で屋根に上れずに絶望に暮れるジャン達の姿があった。そんなジャンに判断を促すコニー。威張り散らしている先輩たちはほとんどが巨人にやられてしまい、自分たちで判断するしかない状況だ。

「クソッ! どうすんだよジャン!?」
「どうもこうもねえよ……やっと撤退命令が出たってのに、ガス切れで俺達は壁を登れねえ……そんで死ぬんだろうな、全員…あの腰抜け共のせいで……」
「補給班の連中か、あいつらどうしたんだよ!?」
「戦意喪失したんだと。気持ちは分かるけどよ、俺達への補給任務を放棄して本部に籠城はねぇだろ……案の定、巨人が群がってガスを補給しに行けねえ」
「だから! イチかバチか群がる巨人を殺るしかねえだろ!? オレらがここでウダウダやってても同じだ! いずれここにも巨人が集まる! いたずらに逃げ続けてもオレ達の残り少ないガスを使い果たすだけだ! 機動力を完全に失えば本当に終わりだぞ!!」
「珍しく頭を使ったなコニー…だが今の俺達の兵力でそれが出来ると思うか? 前衛の先輩方はほぼ全滅だ。俺達訓練兵の誰にそんな決死作戦の指揮が執れる?」

 ジャンは冷静に状況を判断し今が最悪の事態なのだと理解し、そして絶望してしまっていた。ガスがなければ壁に上れず一か八かにかけて本部に行ったとして本部はすでに巨人の進入を許してしまっているというのに。

「まぁ指揮がとれたところでオレらじゃ巨人達をどうにも出来ない。おそらくガス補給室には3〜4m級がわんさか入ってるぜ? 当然そんな中での作業は不可能だ」
「ダメかな?」
「はぁ〜……つまんねぇ人生だった。こうなるくらいならいっそ言っておけば」

 ジャンはミカサにこうなる事なら昨日自分の思いを伝えればよかったのだと心底悔やむのだった。誰もがこの状況に落ち込んでいる中で、やけに明るい声でサシャがみんなを励ますように的外れな明るさで呼びかけた。

「やりましょうよ、皆さん! さあ!立って!! みんなが力を合わせればきっと成功しますよ! 私が先陣を引き受けますから!」

 しかし、誰もサシャの呼びかけに答えない、このままここに皆でいても人の匂いを嗅ぎつけた巨人共が集まって来て食い尽くされるだけ。こんな状況で助けや応援も来ないだろう。この最悪な事態からの収束をはかるにはあまりにも自分たちは経験が浅すぎる、そして一か八かにかけるにもリスクが大きすぎる。動くことも出来ずこのままここで巨人の餌になるのかと思うと誰もが絶望に暮れるしかなかった。

「アルミン、一緒にみんなを……」

 明るく健気に振舞うサシャの励ましの声は誰にも届かない。気まずくなりながらもサシャは笑みを消さずにアルミンに話しかけたがアルミンは自分以外のメンバーの壮絶な最期、そしてエレンに助けられて役立たずの自分が生き残ってしまった罪悪感に打ちひしがれておりその顔色はひどく青ざめている。アルミンはあまりのショックに精神的なダメージが大きく真ん丸の瞳は生気を失い、言葉を発することも出来なかった。
 壁が破られどんどん巨人が侵入してくるトロスト区の屋根の上、逃げる場所もない絶望の淵。その向こうではアニが班長のライナーにこの展開をどう打破するのかと尋ねていた。

「ライナー……どうする?」
「まだだ……、やるなら集まってからだ」

 しかし、ライナーは今の状況下でアニにしかわからない的外れな回答をした。皆が意気消沈する中もっと他の違うことを考えていたことを、この時は誰も知らない。

「駄目だよ、どう考えても……僕らはこの街から出られずに全滅だ。死を覚悟してなかった訳じゃない…でも……一体何のために死ぬんだ……」

 ベルトルトはこの状況をただ眺めていた。トロスト区には沢山の人が生活していた、あのシガンシナと同じ時のように平和は再び崩されたのだ。その隣にいたマルコはこの状況にただただ絶望していた。その時、こちらに向かって飛んでくる影が見える。黒い髪を揺らしてみんなの前に姿を見せたのはミカサだった、周囲の声に耳を貸さずミカサは真っすぐにアニの元へと駆け寄った。周りへの心配もだが、ミカサの気がかりはただ1人。

「ミカサ、お前後衛の方じゃ、」
「アニ!……何となく状況は解っている。その上で……私情を挟んで申し訳ないけど、エレンの班を見かけなかった……?」
「私は見てないけど。壁を登れた班も……」
「そういやあっちに同じ班のアルミンがいたぞ」

 アニは知らないと言わんばかりに冷静に答えた。ライナーが親指で示した先には屋根の上でうなだれるアルミンの姿があった。すぐさま駆け寄るミカサ。見るからにアルミンの様子はいつもの彼ではない。絶望に暮れているのが目に見えてわかるようだ。

「アルミン」
「ミカサ!?(駄目だ…合わせる顔がどこにあるっていうんだ、ミカサになんて言えばいいんだ。僕なんか無駄に生き延びただけだ、こんなことならあの時一緒に死んどくんだった・・・!!)」
「ケガはない?大丈夫?…エレンはどこ?」

 同じ班ならここにいるはず。あたりを見渡しても見慣れた茶髪と大きなグリーンの瞳はどこにもなかった。アルミンはエレンを思うミカサのことをよく知っているからこそだからこそ自分が生き残ってしまったこと、左腕だけを残して自分の身代わりになったも当然なのだから。今頃巨人の胃袋で消化されてゆく幼馴染の最期の表情が頭から離れなかった。いつも守ってくれた幼なじみの伸ばした左手を、自分は掴むことが出来なかった。

「僕達……訓練兵……34班――トーマス・ワグナー、ナック・ティアス、ミリウス・ゼルムスキー、ミーナ・カロライナ、エレン・イェーガ―……! 以上五名は、自分の使命を全うし……壮絶な戦死を遂げました……!!」

 エレンの名前がアルミンの口から零れ出た瞬間、仲間たちに衝撃が走った。エレンが死んだー…何よりも重い現実、想像すらしたくなかった。エレンが死んでしまうなんて。あまりのショックにミカサはそれは嘘だとさえ思った。これは何かの悪い冗談だと。彼女の頭の奥でズキンと鈍く痛んだ。まさかエレンが食われるなんて。巨人を誰よりも憎み上位10番内に入っても変わらず調査兵団に入るという強い意志を持ち、それは時に同期の仲間たちに多大な影響を及ぼしていたそんな彼の死は同期たちに大きなショックを与え、誰もが絶望し、ただ立ち尽くしその言葉を受け止めている中で、エレンの死を知らないまま駆け抜ける影があった。

***


「まだ鎧の巨人は出てきてない、急がなきゃ…!」

 トロスト区の門を破壊しに絶対に鎧の巨人は現れる。そう睨んだウミはひとまずはトロスト区を抜けるとすぐ様路地裏に隠れてくるくると器用に手慣れた手つきで長い長い髪をまとめ、真っ白なコートを羽織ると付いていたフードを鼻先が隠れるくらいまで深く被った。立体機動の邪魔にならないよう飾りのない動きやすい服に着替え取り出したのは復讐の機会を失ってたまるかと重罪覚悟の上でずっと隠し持っていた立体機動装置。
 立体機動の感覚を忘れないようグリップを握る。三年過ごした訓練所で皆が寝た夜にこっそりと月夜の下での日々の鍛錬は怠らなかった。それが今発揮される時が来たのだ。幼いころは父に遊びと称していろんな訓練をしていたこと、そして調査兵団で培ったこの能力、今使わずしていつ使うのだ。と。今までもこの二対の刃ですべて切り抜けてきたのだ。
 104期生のみんなに知られないようにとウミは手慣れた手つきで立体機動装置を身につけると駐屯兵団に見つからないように即座にアンカーを放ち壁を一気に駆け抜けた。どうやら見つからずに壁を乗り越えられたので大丈夫そうに見える。壁の上から見た懐かしい景色にウォール・マリアを見つめていた。未だに撤退しない屋根の上の絶望を抱える104期生を見つけてウミは5年ぶりに自由の翼を受けて自在に立体機動装置で空を舞った。
 大丈夫、まだ覚えている。ほら、こんなにも。身軽に空を舞う、その懐かしさにウミは瞳を細めその感触を、ワイヤーを打ち込み高く舞いグリップを握り締め巨人に向かって刃を振るった。
 自分の手に吸い付くような感覚にはまだ戻らないがすぐに五年のブランクも今の調査兵団の新兵たちと同じレベルまでは取り戻せるかもしれないとまで思った。
 ひとまずはミカサの後を追いかければみんなが無事かどうかわかる。それだけがとにかく気がかりだった。
 104期でも特に親しくしてくれた12人。ミカサはさっき見た通りだったし、クリスタは非力だがユミルが居れば安心だろうし、アニはあの通りいつも冷静で対人格闘術にも秀でているしいつも何かひそひそ話しているライナーとベルトルトのコンビも問題ない、コニーとサシャコンビはきっとマルコとジャンもいるから安心だしエレンはアルミンが居る。なんだ、みんな大丈夫ではないか。

「本部に行けば……ああっ!?」

 本部を目にした瞬間、ウミは思わず素っ頓狂な声を上げた。思い出が色濃く残る長く過ごした本部が巨人の手によって蹂躙されているのだから。衝撃的な光景を目にしてしまい、ウミは言葉を詰まらせた。その瞬間、ウミはそちらの方に一瞬意識を傾けてしまい、その動きにスキができ、目の前の自分を捕食しようと飛び込んできた小柄な体躯の奇行種とまともにぶつかりそのまま地面に叩きつけられてしまったのだ。

「っぐう……いった……クソ、ヘマした」

 自分としたことが…とっさに受け身は取れたが頭を強打し一瞬星が見えた気がした。巨人と激突はしたが四肢もあるし骨折まではいかないが、しかし脳震盪でも起こしているのか全身が痺れたように動けない。

「っ……うう……」

 逃げなければ……。ウミはあまりの痛みに悶絶し石畳の地面に思わず顔をうずめた。じわじわと水たまりに溶けて広がる赤いじゅうたんは自分の身体から流れている。まるで自分の生命力がそこから流れて失われていくようだ。悲しいほど安らかな気持ちになるのはこれが死の淵なのだろうか。死神だと比喩された過去、ようやく安らかな死神の姿をした天使が来てくれたのだろうか。それとも多くの部下を死なせた自分は安息の死など迎えられないのだろうか。
 こうしている間にも奇行種が迫ってきている。早く体勢を立て直さなければいけないのに指先に込めた力は握り締めたところからどんどん離れていく。もう104期生に比べたら若くもない身体はどうしても思うように動いてくれない。兵団を離れた五年のブランクはこんなにも自分を弱体化させてしまうのか。それがショックでもあり認めたくない事実として小さな彼女を責め立てる。そう、自分は罰を受けたのだ。何も言わず逃げるように姿を消した。その罰を今、この身で。

「……っ」

 しかし、それでも尚も足掻く、あの人へ捧げた心臓など既に投げ捨てたのだから今更死を恐れはしないが巨人に食い殺され何も残らず忘れられたまま死ぬのだけは嫌だと逃げようと立ち上がったウミは絶望した。
 自分を取り囲む巨人の数に。調査兵団でも幾多も巨人を相手取ってきたがあの時は愛馬がいた、武器もガスもあった、そして何よりも討伐の補佐をしてくれた仲間がいた…そう、今の自分にはもう何一つ残されていないもの。
 ウォール・マリア陥落の時、口減らし作戦の時もあの時は死んだ兵士の乗っていたと思われる馬があったから難を逃れ生き残ることができた。しかし、今のこんな状況下で、誰も助けに来ずそして脳震盪でしばらくは動けそうにない。分隊長としての判断、頼りない上官をいつもフォローしてくれた優秀な部下、泣きたいくらい今の自分はあまりにも孤独で、みじめで。幾多も死線を潜り抜けてきたがここまで絶望的な状況はもうどう打開すればいいのかわからない。

「ああ……これが罰なら、本当に終わり、かな」

 こんな寂しいところに誰に気づかれることもなくここでバラバラに引きちぎられ巨人の胃袋に収まるのだろうか。いつか来るとは思っていた人生の終わりはあまりにもあっけなく静かに訪れた。調査兵団を辞めたから普通にあたたかなベッドで死ぬのかと思っていたが、今まで死んでいった者たちの恨みだろうか。死なせたくせにのんきに今も生き残る自分、せめてもの償いにここで巨人に残酷に殺されろ、ということだろうか。
 ここが自分の果て、人生の末路であり終着点か。せめて父親が望んだ壁の外の世界を巨人の居ない世界を自分が代わりに見届けたかった。母を潰しエレンとミカサの家族を奪った、そもそもすべての人類の仇である超大型巨人と鎧の巨人に一撃を見舞ってやりたかった。

 そして…許してはもらえないだろうが自分から突き放し逃げてしまった彼に会いたかった、しかし、そんな彼に今更謝るなど。謝りたいのは自分が許されたくて楽になりたいからなのか、自分のエゴなのかわからないが今まで見過ごしてきたたくさんの犠牲となった仲間やその家族、何度も謝りに行ったのは自分が少しでも許されたかったから。
 その度に家族を亡くした遺族から何度も罵倒され、石をぶつけられたこともあった。泣きたい気持ちを堪えて頭を下げ続け回収した遺品を渡しに回った。だって泣きたいのは最愛の子供を失った家族、中には大きなお腹を抱えた妻の話を嬉しそうにしていた部下もいた。自分の判断が悪くて死なせてしまったという罪悪感に駆られ、自分を責め続けた。
 巨人に食われて逝った仲間たちを弔いそんな家族との幸せを差し置いて自分だけが女として当たり前の、ただ大好きな人とそばに居たい。というこの世界ではそれすらも望めなくて、疲れ果て諦めなければと思う程に自分は病んでしまった。この世界でなければ当たり前に掴める自分の幸せを望むことすらも罪なのだ、愛する人が笑えば笑う程幸せにできるのは自分ではないと、いつからかそう感じるようになってしまった。

「お前自身が幸せになるのを拒むな!もう逃げるな!ウミ!」

 大切な思い出を置き去りにしてきた。もう二度とは重なることのないこの手はどこに行くこともないだろう。殺した気持ち、感情、自分の幸せを否定した時も彼はそれを叱咤し、払拭してくれた。力強い言葉でいつも支えてくれた。眠れぬ夜はいつも寄り添って。泣きながら自分の痛みを受け止めてくれたのに。
 この手を取ってほしい、先に求めたのは自分なのに。誰よりも愛していた、誰よりも大切にしていたのに。彼の手を自ら振り払って自分の安息へ逃げて、そしてひとりただ置き去りにした、彼の恨みが体現したのかもしれない、彼を失意の中、不幸にしてしまったことすらも自分の罪なのだ。どんなに年月が流れても今も枯れない思いを残して。

「ああ……そんなに全員で取り囲まなくたって……私はどこにも逃げないよ。ね、」

 今更足掻いたところでどこに逃げるというのだ。やつらはどこからともなく姿を現す。血の匂いを嗅ぎつけた巨人たちは自分の事をどこまでも追いかけてくるだろう。
 バラバラに手分けしてウミの四肢を食いちぎろうと集まってきた巨人の一人にあっという間に掴まれてウミは身じろぎすることも諦めてしまう程この状況に絶望していた。こんなことなら、こんなことなら…

「さよなら、“   ”」

 別れの言葉をウミは誰に聞かれることもないからと、静かに彼の名前を口にした瞬間、

「アアアアアアア――!!!」

 それはまるで人類の叫びを代弁したかのような耳をつんざく覚醒の咆哮が絶望に染まったトロスト区に反響したのだった。信じられない光景が今巨人に食われるのを覚悟した彼女の眼前に広がる。どこからか現れた15m級の黒髪の長髪の巨人が自分を捕食しようとしていた巨人共を振り上げた拳でウミごと吹き飛ばしたのだ。
 そのまま屋根の上によじ登り、どうにか危機を回避した一瞬、ウミは何が起きたのか頭をぶつけた衝撃ですぐ理解出来なかった。しかし、今わかるのはこの巨人は自分を全く見ていない。見ているのは巨人の方だった。

「うそ、でしょう……?」

 巨人が巨人を攻撃するなんて聞いたことがない。ウミは巨人が巨人をひたすらに殴り、踏みつけ、そして攻撃する光景にただ魅入っていた。それはまるで、夢のようだった。門を破壊したり突然壁を壊したり人類に多大な被害を与えたあの「超大型巨人」と「鎧の巨人」と全く同じこの巨人の瞳が見知った少年と同じ目をしていたことに気が付いた。

「エレン?」

 当たり前だが巨人は何も答えない。その筋肉隆々の巨人はまた新たな巨人に向かって進撃を始めた。ひとまずはこの巨人についていくしか今の自分には道がない。まさか、そんなわけがないのになぜ、今エレンの名前が口をついたのか自分でもわからなかった。本部へ行けば三人に会えるだろう。104期生のみんなもきっとそこにいるはずだ。それを信じまさかまた生き永らえたことで彼女はまた深く彼のことを思い出してしまうのだった。
 離れたくなくて離れたからこそ心には今もこんなにも彼の存在が焼き付いているのだと思い知っただけ。この指輪を今も捨てられないのは終わりにできないから。今も彼をこんなにも…自分は。彼女は涙をこらえ、生きてる実感を刻み込むとまた地を蹴って飛んだ。

***


 場所は変わり、アルミンの言葉は仲間たちに大きなダメージを与えた。エレンの死はそれほどまでに影響が大きかったからだ。それだけ彼の存在は多大な影響を与えていたのだ。

「そんな……」
「34班がほとんど全滅か……」
「俺達だってまともに巨人とやりあえば、そうなる」
「ごめんミカサ………エレンは僕の身代わりに…僕は……何も、出来なかった。すまない……」

 ぼろぼろと大きな瞳から涙をこぼし謝罪を口にするアルミンエレンの死に誰もが動揺する中でミカサは取り乱すことなくいつも通りにアルミンの肩に手を置くのだった。

「アルミン――……落ち着いて。今は感傷的になってる場合じゃない。さあ、立って! マルコ、本部に群がる巨人を排除すれば、ガスの補給が出来て皆は壁を登れる――違わない?」

 力なくへたり込むアルミンを元気づけるように立たせてミカサはみんなを鼓舞するかのように立ち上がるとホルダーからすらりと刃を抜き灰色の空に活路を見出すように天に掲げた。

「ああ、そうだけど、でも……いくらお前がいてもあれだけの数は……「出来る! 私は……強い……あなた達より強い、すごく強い! ……ので、私は……あそこの巨人共を蹴散らすことが出来る。……例えば……一人でも。あなた達は腕が立たないばかりか臆病で腰抜けだ。とても、残念だ。ここで指を咥えたりしてれば良い。咥えて見てろ!」

 突然のミカサの発言に戸惑う中で誰もが不可能なその全容に首を振り異を唱える中でミカサはそれでも可能性を捨てなかった。ミカサはここにエレンが居たらどんな風に皆を鼓舞したか想像した。そう、彼はいつどんな時もみんなの輪の中心にいた。訓練でもこんな風にみんなを時に励まし、時に発破をかけていたことを思い出していた。きっとここに彼が居たら彼もこうして皆を鼓舞しただろう。

「ちょっとミカサ? いきなり何を言い出すの!?」
「あの数の巨人を一人で相手にする気か?」
「そんなこと出来る訳が――「出来なければ……死ぬだけ。でも……勝てば生きる……戦わなければ、勝てない……」

 ミカサなりの鼓舞にも似た挑発だった。自分が先陣を切るからついて来いと言わんばかりに…。それは号令となり仲間たちのふさぎ込んだ心に浸透し、それは次第に広がってゆく。

「おい!!」

 突然のミカサからの先導に普段の冷静で物静かな彼女らしくない姿、彼女がエレンに向ける感情がどんなものか知っているからこそ皆はエレンの死にミカサは混乱し悲しみに暮れると思っていたが彼女は誰も予想しなかった行動に出た。
 どん詰まりの状況に閉ざされ呆然と立ち尽くす中で同期たちの合間を抜けミカサは屋根を走るとそのまま本部に向かってアンカーを放ちそのまま飛んで行ってしまったのだった。三年間片思いしているミカサの意図の読めない不器用な言葉にジャンは頭を抱える。エレンの死がミカサに何らかの影響を与えたのは確か。しかし、無謀ともいえる作戦を決行したのは紛れもなく主席の彼女。主席の彼女だからこそ許される発言だった。
 彼女なりに皆に発破の号令をかけたのだった。

「残念なのはお前の言語力だ…あれで発破かけたつもりでいやがる……てめぇのせいだぞ……エレン。オイ! 俺達は仲間に一人で戦わせろと学んだかぁ!? お前ら! 本当に腰抜けになっちまうぞっ!!」

 皆をまとめる力を持つジャンがミカサに続けと刃を掲げさらに仲間たちに発破をかける。

「そいつは心外だな……」

 自分は決して腰抜けではない。ライナーは自分自身に対し問いかけ、そしてその言葉を否定するようにそう静かに呟いていた。自分は決して腰抜けではない、何のためにここに居るのか並々ならぬ覚悟の末にここに今立っているのだから。
 大柄な体躯が飛び出しミカサの発言、ジャンからの声に次第に臆病に閉じこもっていた心に灯をともしていく。マルコも青白い顔で死を覚悟しながらも親友の声に決意したようだ。一歩踏み出しライナーに続きアニ、ベルトルトも続いて次々飛び出してゆく。

「や、やぁい、腰抜け――! 弱虫、ア、アホッ!」

 アルミンも涙でぬれた瞳を袖で拭い、サシャが躊躇いながら一歩踏み出すと未だに呆然と動こうとしない同期たちに止めの一声をかけ、その声にサシャも続いた。

「あいつら……」
「ちくしょう……やってやるよ!!」
「「うおおおおおおおおおお!!」」

 周りに広がったミカサの発破は大きな波紋となり広がってとうとう全員を動かしたのだ。気合を入れるための歓声にも似た叫びをあげて、全員が絶望から立ち上がった。立体機動装置を展開し、一斉に空を飛ぶ。ここで死んでたまるか。まだ可能性は失われていないのだから。灰色の空は訓練兵団の団服を纏った若者たちが絶望へ抗うべく反乱を起こした。

 
To be continue…

2019.07.06
2021.01.11加筆修正
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