THE LAST BALLAD | ナノ

#07 死神と呼ばれた女

 各々抑圧された厳しい訓練から解放されれば年相応の無邪気な少年達だ。各自で自由な時間を過ごす若者が溢れる男子寮。
 その中で、ライナーやベルトルト、ジャンやマルコやコニーを始めとする男子達との会話を終えたウミは一応男子の中に女子一人紛れ込むのは風紀が乱れるどうのこうのだとキースに怒られるからと早々と若い匂いのする男子部屋から出て自室へ向かった。

 いつものように星空を見上げて歩くその道の途中、上背のある別の部屋の訓練兵がまるで通せんぼをするようにその道を塞いできたのだ。
 自分に用がある訳じゃないだろうと俯きながらすり抜けようとするもガタイがよくて無理やり通ろうにも体格差がありできそうにもない。昔の自分なら簡単に投げ飛ばしていただろうが兵団を退いた今の自分ではいまいち自信が持てない。

「こんな夜遅くに何をしているの?」

 仕方なく会話に付き合ってやるか。ため息をついてその目線に合わせようとするも小柄なウミは見上げるような格好になってしまう。

「いや……ここに若いガキしかいないと思っていたらまさかおばちゃんの中にこんな若い女がいるなんてと思って」
「お世辞でも褒めてくれてありがとう……それで、話はそれだけかな?」
「いや、こんな夜に一人で歩いて心配だから部屋まで送ってやろうかと」
「若い女だなんて……(もう結構いい年なんだけどなぁ。)大丈夫、あなたより小さいかもしれないけど、あなた一人くらいなら簡単にやれるわよ?」
「じゃあ三人ならどうだ?」

 見た目だけで判断されたくない。ウミは脅しのつもりで声をかけたが、すると背後から2人の少年が出てきてウミを完全に取り囲んだのだ。まさか・・・確かに訓練兵はでそういった事に興味のある年頃だが、これには思わず笑いそうになってしまった。まさかこうやって毎晩非力な女子に・・・抑圧された訓練所でストレスも溜まるだろう、こうしていつも発散しているのかとウミは憤りを覚える。

「冗談でしょう? 三人を相手にする趣味なんてないわ。それに子供だからって容赦しないわよ」
「あんた、昔調査兵団の分隊長だったんだろう?」
「分隊長レベルなら上官へのサービスもお勤めの内に入らないのか?」

 だいぶなめられたものだ。ウミは内心舌打ちし、3人だろうが容赦しないことを示そうとしたその時、まさかの思いもよらぬ言葉が返ってきたのだった。

「…そうだとしたら? 何なの?」
「あんたの分隊に所属してた俺の親父はあんたに殺された。あんただけが生き残った。いつもあんただけが生き残る、まるで死神だって」
「顔隠してコソコソと……調査兵団にここにいることを知られたらまずいんだろう?お姉さん、ちょっと時間貸してくれたら黙っててやるよ。あんたが元調査兵団のウミだろ?」
「あんたの可愛い金髪や黒髪の綺麗な友達でもいいんだけどな?」
「っ……!! ちくしょう……」

 後ろから伸びる怪しい手つきにウミは顔を顰め思わず毒づき小声で吐き捨てた。しかし、そんなの無駄な抵抗でしかない。黒髪の綺麗な女の子。そんなのここには一人しかいないし、もしかして金髪の髪ってクリスタでなければアルミンか?確かにかわいい顔をしてはいるが彼はれっきとした男なのだが。
 まぁ、ミカサなら返り討ちにするだろうがまだ15にもならない少女にまで手をかけようとしているのかと思うとその男達に対して下衆野郎と憤りを覚えたくもなる。しかし、この状況では自分の方が不利だ。こんな3人、普段なら簡単に捻りつぶせるのに今自分が逆らえば・・・それにここで騒ぎを起こして追い出されてしまったら3人と離れ離れになってしまう。

「あんたたち、何してるの?」

 どう切り抜けようかと考えを張り巡らせていると後ろから金髪の髪を後ろで無造作にお団子にした自分と同じ背丈くらいの小柄な鷲鼻のどこかキツイ顔つきの少女が姿を見せた。

「お前は……」
「あっちいけよ、ただしゃべってるだけだ」
「……そういう感じにはとても見えないけど。もうすぐキース教官が見回りに来るよ。早く部屋に戻ったら?」

 さすがに素通りは出来なかったのだろう。見るからに非力な女性が絡まれてるのを知ると立ち止まり皆が恐れるキース教官の名前を出しウミを助けてくれたのだった。

「ふぅ……」

 まさかこんな年にもなって一回りも年下の幼い訓練兵の少女に助けられるなんて・・・今までの会話も聞かれていたかもしれないと思うと尚更元兵団所属の人間が。情けなく思った。恥を堪えてウミは努めて明るくさっきのは何ともないとでも言わんばかりに振る舞った。

「ありがとう。えっとあなた、お名前は?」
「……アニ、」
「アニ……ね。ありがとう。こんな若い子に助けられるなんて恥ずかしいね」
「夜は気をつけなよ。ただでさえ訓練兵の中には日々のキツイ訓練でストレス溜まってよからぬ事を考える馬鹿な連中が多いからね」

 しかし、安心したように笑うウミをじろ見してアニはすぐその場を去ろうとした。まるでなるべく人と関わらないように。人見知りなのだろうか、もともとクールな性格なのだろうか?さっきの会話を聞かれた可能性もある。ウミは慌てて彼女のことを呼び止めた。

「あっ! ちょっと!!」
「何」
「あのね、さっきの話、どこまで聞いてた?」
「元・調査兵団分隊長だろって話から」
「そ、それなんだけれど……お願い、この事はどうか内緒に」
「いいよ。黙っておくから。あんた訓練兵じゃなかったんだね」
「う、うん、そうなの。そうしてもらうと助かるわ。とにかく、ありがとう!」

 ウミが調査兵団の分隊長だと言うやり取りも聞かれてしまったようだ。しかし、アニは顔色ひとつ変えずにウミに背中を向け吐き捨てた。

「別にあんたの過去なんて興味ないよ。人には話したくない過去の一つや二つ、あるだろ」

 冷たい雰囲気を纏うアニ。しかし、本当に冷たいならきっと自分を構いもせずスルーしただろう。それでも助けてくれたアニにウミは何度も頭を下げるのだった。

「すごくきれいな子。小柄なのにちゃんと発育もよさそう……最近の若い子はみんな大人っぽいなぁ」

 ライナー、ベルトルト、アニ、今日もエレン達の新しい共に厳しい訓練をこれから乗り越えていく104期生の若い仲間たちとの出会いは後にウミに大きな喜びと共に救いとなることをこの時のウミは知らない。そしてこの出会いがのちに大きな悲しみともたらすことを。
 しかし、相変わらず飛び交った“死神”の愛称は消えないらしい。まさかこんな所で自分を知る人物達に出くわすとは。まして元上官にまで正体が見つかってしまったり逆に見つからないようにと意識してこそこそしてるから余計に目立って怪しまれてしまったのだろうか。つくづく変装は苦手だ。
 
翌日、エレンはやはり失敗したが、ウミの読みが当たったのか結局機械の一部が破損していたということでエレンはあんなに苦労したが任務をクリアすることができた。キースの後ろ姿を横目にウミはエレンがうまくいったのだと安心し、エレンもこれで大丈夫だと安堵したのだった。

「(グリシャ……今日お前の息子が兵士になったぞ)」

 心の中でキースがかつての友の息子を思い語り掛ける。両手の拳を突き上げ歓喜するエレンの姿を見て安心するのはミカサもアルミンも同じ。皆に見守られながらエレンは実感する。これで巨人を一匹残らず駆逐してやると、天国の母に、行方知れずの父に、遠巻きにだが母のように姉のように見守ってくれるウミの優しさに応えたいと、決意を新たにしていた。

 そして。それから季節は流れ、……二年の月日が流れた。
 エレンもミカサもアルミンも。みんなこの年月を経てあっという間に小柄なウミより一回り以上も成長を果たし追い抜き、立派な兵士に向けて日夜訓練に励んでいた。
 ジャンが話していた上位成績10位以内に入れば道が開かれる憲兵団、内地での快適な暮らしを目指し死を覚悟するくらいの厳しさを増す訓練。
 次第に耐えられずに夜にいなくなったり脱落した者、志半ばで無理だと挫折した者、大きなケガを負った者、中には厳しい訓練で追い出されたり、そのまま亡くなった者も多くいる中で志願した104期目の訓練兵はどんどん篩にかけられ、いよいよその数は半分以下となっていた。

 が、その中でもなんとか自前の根性でクリアしてきたエレン、体力はないが持ち前の知性で切り抜けてきたアルミン、すべてのにおいてずば抜けたパーフェクトな成績をおさめるミカサ。
 チームを組んでの団体行動も増え本部で訓練を受けたり、嬉しそうにあこがれの調査兵団の精鋭達の話題が飛び交う中で人間関係を築くのが下手なエレンはジャンとは喧嘩ばかりだがそれ以外のメンバーとつらい訓練を経て親睦や絆を深めながら充実した訓練兵ライフを過ごしていた。
 ミカサは相変わらずエレンにぞっこんだがエレンは気づく由もない。そして間もなく卒業に向けての模擬戦闘試験が差し迫っていた。そう、どんなに訓練をこなしたとしても厳しい試験にクリアしなければ調査兵団の自由の翼を背負うことなどは出来ないのだ。

「おい、ウミ」
「どうしたの、ライナー?」
「まったく、隠すなんて知らなかったぞ。そうと知ってればぜひ教えてもらいたかった」
「ん? 何のこと?」

 ふと、いつものように掃除をしていると広場の方で対人格闘術の訓練を行っていたライナーがやってきた。もともとみんなより年上でここに来た二年前から体格はよかったがこの二年で少年から青年となりますます体格がよくなり、ウミとの身長差もますます開くばかりだ。みんなから慕われる頼りがいのあるライナーをウミも信頼していた。

「エレンからウミはミカサと同じくらい。いや、それ以上に対人格闘術に長けてると聞いたぞ」
「えっ!?」
「今、ちょうど教官が居ないんだ。よかったら見せてくれ。いや、ぜひ時間があるならアニと手合わせしてくれ。誰もあいつに適わなくてな…あいつをだまらしてやってくれよ」

 なんと、対人格闘術の訓練でエレンが余計なことを口走りあっという間にウミのことが広まってしまったのだった。いつも寮母として身の回りのお世話から話し相手まで何でもこなしいつの間にか104期生の母親代わりになっていた優しいウミがまさかそんなに強いなんて誰も思わなかったからなおさらその驚きは隠せない。

「まさかウミがウォールマリアの“天使”じゃないよな。」
「は? え? なぁに、それ?」

 ライナーに問いかけると、同じ訓練兵から聞いたそうだがウォールマリア陥落の際、それと王政が企てたウォールマリア奪還作戦においてローブで顔を隠した小柄な女性らしき人がまるで羽が生えたかのように一瞬にして襲い来る巨人を掃討したらしく、立体機動装置で自由自在に宙を舞う姿からその姿は惨劇に舞い降りた天使だと一部では有名になったらしい。そして門を破壊しようと迫りくる鎧の巨人に一撃を与えたとライナーから話を聞きウミは慌てて否定した。
 自分は天使どころか調査兵団に死を呼ぶ死神だと比喩されているのにまさか天使だなんておこがましい。
 それに自分が元・調査兵団の分隊長です。などと、絶対に言えない、結局ウォール・マリアを守れずエレンの母も自分の母も死なせた、いや、調査兵団にいたときから何もできなかった自分がそう呼ばれていることに違和感を抱いた。それにもう二年も立体機動装置を自分は扱っていないのだ。兵士として退いた者が今更対人格闘術など体が覚えているはずがない…。

「あっ、ウミ!」

 しかし、いざ広場に向かってみれば早速噂を聞き付けたギャラリーが集まっていて否が応でもアニと対戦するのは避けられなさそうだ。

「も〜エレンったら余計なことを…」

 ごめん、と小さく口にしたエレン。どうやらジャンとまた取っ組み合いの喧嘩になりかけたらしくつい、ウミの方が強いと言ってしまったそうだ。同じ背丈の対峙した二人に対し周りも思いがけない人物の登場にどよめいている。

「ねぇ……アニ、ここはうまく痛み分けってことにしてくれないかな?」
「悪いけど……周りはそれを望んでいないみたいだよ」

 どう切り抜けようか。本気で挑めばきっと自分が普通の人間じゃない訓練された兵士だとばれてしまうかもしれない。しかしここで地面に伏して恥もさらしたくない、なんとか出来ないかとアニならクールに流してくれそうだと期待したウミがバカだった。アニは無表情の下で嬉々とした表情で独特のフォームで身構えている。しかし今ウミが身に着けているのは軽装だが膝下のワンピース。まさかこの格好で戦えと無謀なことをいうものだ。せめて訓練兵の服だけでも着せてもらえないだろうか。

「(仕方ない、本気、出したくなかったけど負けるのも嫌だ)」

 周りの好機の眼差しを受けてアニと真正面から戦う事にした。しかし、ウミは訓練兵の過程を通り越して調査兵団に入団していたため対人格闘術の訓練は無知であり、力も大してないので自信がない。

「えいっ、」

 案の定ウミが繰り出した貧弱パンチは虫も殺せない。簡単にアニに受け止められそのままウミは派手に投げ飛ばされ盛大に尻もちをついたのだった。

「あ、いたたたた……」
「ねぇ、あんたさ、本当に強いの?」
「喧嘩と実戦は違うでしょ? 若い子にはかなわないよ」

 アニに飽きられてしまう程今の自分はどうやら現役から退いてから相当腕が鈍ってしまっているようだ。痛む尻をさすりながらウミはアニの手を借りて立ち上がろうとすると、いつの間にかアニの前に立ちはだかる黒髪のショートボブにしたミカサ。
 エレンもライナーもダメで頼みの綱のウミもあっさりやられてしまったが、そう、まだ一人強い人が残っていた。

「ねぇ……アニ。その技術、私にも教えて。」
「どうかな、この技は人間用なんだ。あんたに必要があるとは思えないけど。ただ、猛獣に通用するかどうか興味はある」

 尻もちから立ち上がったウミは対峙した二人の姿が獣に見えて戦慄した。二人は今まで対峙したことがなかったが、エレンとそしてウミがやられてミカサがついに立ち上がったのだ。

「ま、まじかよ……ついに……」
「オイオイオイ……あいつらがやんのか?」
「夢のカードが!」

 ミカサとアニ。女性の中で優秀な成績を修めているタイプの違う二人がいよいよ対決をするということでその機会を望んでいたギャラリーが集まってきた。体格差はあるが二人の対人格闘術は誰もかなわなかったからだ。力で相手を押し倒すミカサと相手の力を利用するタイプのアニ。その二人が対決するとなればどちらが勝つのか見ものである。

「ど、どっちが勝つんだ!?」
「やっぱりアニかな?」
「はぁ!? バカか! オレはミカサに晩飯全部だ!」

 エレンにぞっこんのそんなミカサにぞっこんのジャンは夕飯をすべてミカサに賭けるもその思いはこの先も決して届かないだろう。ミカサの目線はまっすぐアニに注がれている。それぞれがどっちに賭けるか話をしている中でウミもエレンと考える。あんなに小さかったエレンも今は見上げるほどすっかり大きくなってしまった。

「エレンは? どっちにする?」
「オレは……」

 しかしその対決はいつの間にか戻ってきたキースによって打ち切られてしまうのだった。

「元でも調査兵団が訓練兵相手に敗れるとは、なんとも情けない話だ」
「す、すみません……」
「お前も鍛え直した方がよさそうだな」
「それだけは、ご勘弁を」

 衣服が汚れているウミを見てため息をついたキースにウミは恥ずかしく今すぐその場を逃げ出したくなった。自分が調査兵団にいた現役時代からすっかり遠ざかったことを今度は身をもって理解するのだった。
 しかし、不思議と悲しくはなかった。ここで一般人として自分は戦う術を忘れて三人を見守るのだろう。穏やかに残りの日々を過ごそう。

「ウミ、一つ頼まれてくれるか」
「は、何でしょうか団ちょ…キース教官」

 正体が見つかってしまったからこそウミは姿を隠すのをやめた。
 元上官と普通に会話するようになり、夜になれば教官室に夜の安眠のお茶を持っていくついでに少し話したりするのが日常となっている中でキースはもうすぐ間近に迫っていた訓練兵団の卒業模擬試験の話を始めた。そう、故郷を巨人に奪われあれからもうすぐ5年になる。ここに来たエレンたちがいよいよ調査兵団になるべく3年間の総仕上げが目前と迫る中でキースは懐かしい名前を口にする。唯一自分の背中を信じてついてきてくれた大切なウミの仲間を。

「……試験官にクライスを呼んだ」
「は? え……ク、クライスですか……?」
「入れ」
「え!? ち、ちょっとキース教官、私は……」

 クライス・アルフォード。かつて自分が分隊長を務め、壁外調査中に幾度も部下を失ってきた中でいつどんな困難な状況でも決して死なないと約束してくれて、死が常に纏うような自分にずっとついてきてくれた部下がまさか、こんなところに…しかし、今更なんと話せばいいのかわからない。慌ててキースに背中を向けて逃げようとしたウミだったが、もう手遅れで。そのまま入ってきた人物に抱き留められる形でぶつかってしまった。

「ク、ライス…」
「久しぶりだな。ウミ…分隊長」

 逃げようとする前に、いつの間にかドアの前に通せんぼして立っていたのは。さらりと流れるうなじまで伸ばしたワインレッドの髪、細身の長身だが筋肉質の身体に屈託のない笑みを浮かべてクライスと呼ばれた男は嬉しそうにかつての上司に敬礼をした。
 よくみれば松葉杖に調査兵団の服ではなく訓練兵団のロングコートを身に纏っている。
 調査兵団でも実力者として父親がまだ生きてた頃から調査兵団に長く生き残っている彼は自分と共に過酷な任務や壁外調査を乗り越えてきた大切な部下。自分より年上で経験豊富だが昇進には興味がなく、自分が調査兵団を抜けてからも変わらず忠実に調査兵団のベテラン組として戦い続けてきた猛者としての貫禄がありありと浮かぶようだった。

「今回の104期生の卒業模擬戦闘試験、各兵団から派遣した精鋭を試験官としてそれぞれの試験を採点して貰うことになったらしくてな。それで今回たまたま俺が担当になっちまったんだよ、他のメンバーは壁外調査で忙しいからな」
「そう、だよね。でも試験官がクライスでよかった。そうだ、松葉杖なんかついてどうしたの?ケガしたの?」
「ああ、これくらいなんともねぇよ、あいっ変わらず巨人に会いに行くよ――! って張り切って飛び出したハンジ追っかけて馬から落ちて軽く足の骨にヒビ入っただけだからな。それよりも…よかった、元気そうで」
「クライス。ごめんね…黙っていなくなって」
「まったくだ。おかげでお前の班は完全に解体されて俺は残された俺はどっこにも居場所が無くて、誰も俺を班に入れてくれない」

 クライスは松葉杖をついていた手を止めおどけて見せる。そう、クライスは馬術訓練が大の苦手でいつも自分の愛馬に乗せていたことを思い出した。そういえば自分の愛馬は元気だろうか。
 自分の班は自分が居なくなったことでほとんど解散状態とのこと。明るいランプに照らされたクライスはこの数年で少し老けたような気がして…ウォールマリア陥落以降調査兵団も急激に忙しくなり状況が変わったことでいろいろ大変だったと男は遠くを見つめていろんな話を聞かせてくれた。しかし、ここに彼を呼んだのは決してただの偶然ではないだろう。これはキース団長がエルヴィンに頼んだのかもしれない。

「でも、怪我はさておき、変わらず元気そうでよかった、今度こそクライスは分隊長かな?」
「まさか、俺はそんな責任重いポジションなんかごめんだね、気楽が一番、めんどくせぇのはみんな新人に…」

 廊下を歩きながらお互いの近況を話しながらクライスの言葉にウミは一気に過去に引き戻されるのだ。

「ああ、心配すんなよ、ウミの事は誰にも言わねぇからよ、安心しな」
「クライス…」
「まぁ、この数年お前が居なくなって調査兵団は静かになった」
「ちょっと、それどういう意味!?」
「ははははは、嘘、嘘、ただ……」
「どうしたの?」
「キース団長には言えねぇけどよ、エルヴィンが団長に就任してからは調査兵団の生存率は飛躍的に向上したって聞いたか? それと…大幅な班編成をしてこの度ずっとお前の母親が兵団辞めてからずっと空席だった兵士長に――……」

 名を口にしなくても…ウミは彼の名前を口にするクライスの声が一瞬にして聞こえなくなった。そう、彼は調査兵団になるべくしてなる男だったということだ。彼の知名度が上がっていること、名を馳せている彼の活躍はずっと耳にして、知っていた。調査兵団本部に何度か訓練兵達も行ってるし、その存在を目の当たりにして興奮しているエレンからさんざん話も聞いた。

 彼が人類最強と呼ばれていることも、彼の戦闘力は衰えるどころかその刃は鋭さを増して。彼の存在が調査兵団に大きく貢献していること。調査兵団の生存率の向上に一役買っていることも。

 ウミは安堵した。そう、これでよかったのだと。彼なしにはきっとこの先の調査兵団は成り立たないのだ。自分が消えたことで全てがいい方向に向かいつつあるとウミは言い聞かせるようにもう会うこともなかった男の活躍ぶりにただ思いをはせた。

「なぁ、これだけは聞くけどよ。どうしても会う気にはならないか?」
「……うん。あの人とは、もう2度と会わない」
「そうか……」
「だから……もうこの話はしないでね。名前さえ、口に出したくないの。私にはその資格がないから」
「ウミ。俺はな……「あ、試験官さん、お願いがあるの。どうしても合格させてほしい3人がいるんだけど」
「……はいはい、お姫さま」

 逃げるようにその話には耳を塞ぎ早足でウミは部屋へ戻った。もう二度と彼の名は呼ばない、口にしないと一人誓いさよならをした。あの日の約束を破り繋いだ手を離した自分は裏切り者なのだ。

「(よかった……あなたが元気そうで。昇進して周りから慕われるようになって、そして居場所もちゃんとあるのなら。本当に、“    ”)」

 そう、自分は裏切り者。彼の名を口にすることは許されないのだ。それでも本心で憎んだわけでもなければ今も、この気持ちは永遠に何も変わらないと。誓いは胸の中で今も輝きは褪せる事が無い。いつまでもいつまでも、何年の時が過ぎたとしても。自分は彼をこの先も一人、永遠に思い続けるのだろう。

To be continue…

2019.06.26
2021.01.10加筆修正
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