THE LAST BALLAD | ナノ

Epilogue〜Sasha Blouse〜

 もう二度と思い出すことの無い彼女をそれでも消えてしまわないように。
この世界の青の中で美しく微笑みながらどこにも存在しない、姿を消した彼女、きっと、その前に、この先に旅立っていった彼女たちが消えてしまった「彼女」の存在を、覚えてくれているから。
 彼女とやり取りをしたのが記憶に新しい。こんなにも容易く思い出せる。濃厚な程に自分は彼女とたくさんの話を重ねてきた。
 兵士の中で唯一気を許せた同性であったミカサもそうだったように、自分もそうだった。

 どんな人間にも、誰に対しても等しく向けられる慈愛溢れたかけがえのない笑顔は絶えずいつも傍にあった。
 不安な時も心細い時もその笑顔が常に存在していた事を覚えている。
 そんな彼女は、自分の笑顔を見て、誰よりも綺麗に微笑む人だと、そう認識してくれていたそうだ。
 だが、その笑顔にも出会いたての頃には笑っているのにどこか泣いている、隠し切れない悲しみが含まれていた。
 きっと想像すらつかない程の深い悲しみの中で彼女は歩んできた道のりがあったのだろう。
 ウミは自分達よりも少し年の離れた、大人の女性とは形容しがたい、だけど、れっきとした「女性」であった。

 より過酷に迫る現実。兵士になってからは別れの日々で。犠牲が増えていく兵士達、それによってまた一人と捧げられていく心臓。
 突然重要な自分達新兵にとっては責任の重い役割を与えられ、調査兵団でも間違いなく一番の実力者でもある変革の一翼の率いる班に選抜されて、不安な中でそれでも耐え抜いて来られたのは、こうして一緒に戦ってくれた彼女の存在があったから。

 自分達にとってなじみのない、訓練兵団でも演習で訪れた彼の桁違いの身体能力、圧倒的で揺らぎのない強さ、間違いなく調査兵団の最前線を突き進む彼は孤高で一番遠い存在だと思っていた。

 そんな遠巻きに眺めるだけだった「人類最強」の自分達への選抜には大層驚いたものだ、自分達は突然の異例の出世だと。精鋭班へ招かれたのだと始めは喜んだが次第にそれは暗雲立ち込めることになる。

 彼の見せた非情なまでの徹底ぶりに最初はどんな人物かと思えば掃除に厳しく自分達の同期を脅したり凄惨な拷問をしたりと容赦なく、地下街を生きて来た男の本性がありありと分って畏怖の念を抱いた。

 しかし、自分達は見てしまったのだ。
 彼の非業に嫌悪して遠巻きに眺めていた「人類最強」が、自分達を見守り照らし続けていたウミを愛していた事実に。
 皆の前で私情を出しはしなかったが、皆の居ぬ二人きりの場で彼は間違いなく誰よりもウミを愛していることが分かった。

 初めは半信半疑で、まったく接点のない二人がどうして愛を通わせるに至ったのかと思った、だが、実際目の当たりにしてひしひしと痛感したのだ。
 こんなにも痛ましい愛があるのかと、切実に焦がれる程に求める愛が確かに存在して、愛とはこんなにも痛く涙が出る者なのかと痛感させられて。

 奪還作戦でのエルヴィンとアルミンを生き返らせる際の押し問答の末にリヴァイへ刃を向けたこと、上官の決定に歯向かい争ったその兵規違反のエレンとミカサを懲罰へ、そして自分が責任を取る形でどうか二人を許して欲しい、その言葉を最後に壊滅状態の調査兵団に欠かせない人物でありながらこれからが過酷な道である残された自分達の兵団を辞めてしまったと知り、そしてそれがきっかけであんなにも愛し合い、クーデター後にヒストリアの戴冠式の後に結ばれ結婚を宣言していたリヴァイと別れたことを知った104期のメンバー達は急ぎウミの背中を追いかけたのだった。

 長い冬を越えて、そして馬車と船を乗り継ぎ、春の風も吹くまだ復興道半ばの、ようやく期間を許されたその地区にウミは居た。

 未だに人の戻りの少ない、エレン・ミカサ・アルミンと同じ彼女の生家のあるシガンシナ区、そこで一人まだ治安も悪い中でお店を開こうとウミがひっそり過ごしている事には大層驚いたが、もっと驚いたのは、彼女のお腹にはいつ、授かったのか。
 待ち望んでいたが、彼女は彼との間に授かった命を喪った。しかし、その命は奇跡と言える形で別の場所で今も息をしており、しかし、傷ついた身体にはもう二度と命は授からないと一度は諦めて、それでも宿ることが出来た奇跡だった。
 ウミのお腹は彼との愛の結晶をずっと待ち望んだ通りそれは明らかに肥満ではなくて。隠し切れない位に大きく膨らんでいた。

 初めは、そんなウミが妊娠したことを理解出来ずに、ただ見た目は何ら変化が無いと言うのに、お腹の大きなウミに対しサシャはとっさに口にした、「食べすぎですか?」と。
 そうウミへ訪ねた事で一斉に皆の突っ込みが炸裂したのは言わずもがなである。
 そして、非番を利用して今度は自分の番だと、会いに来れたすっかりなじみとなった街並みの中でサシャは絶えず客が訪れるその店兼彼女の自宅へ向かった。

「いらっしゃいませ、……あら?」
「お久しぶりです! ウミ!!」
「サシャ! 久しぶり!! 来てくれたのね!! ありがとう……!」

 嬉しそうに。まるで遥か昔からの旧友との数年ぶりに感じられる再会でもしたかのような和やかな空気の中、きゃあきゃあと微笑んで抱き合う2人を店で食事をしていた客人たちが不思議そうな顔で見つめていた。

「もちろんじゃないですか! そりゃあウミの為ならね、私は喜んで店番でも子守でもしますよ、うふふふふ……。いやあ、正直なところこげな一番端ん壁まで来るんな大変よだきいわあ、でもね、うめえ料理が食べらるるんなら喜んじやわあ(いやあ、正直なところこんな一番端の壁まで来るのは大変面倒くさいですよ、でもね、おいしい料理が食べられるのなら喜んでですよ……!)」
「もぅ……まだ生まれても無いのに、でも、とにかくサシャがここに来たかった理由が何となくわかった」
「えへへへ、だって本当にウミのお料理がおいしいからいけないんですよっ、すっかり胃袋掴まれてしまってますよ私、」

 訓練兵団時代に初めて出会ったあの時から、笑顔で迎えてくれたのは変わらず店に立ち今日もお客さんを迎えるウミ。

「サシャ、また一段と背が伸びたね」
「そうですかね?」
「うん、出会った頃から背は大きかったけどもまた更に伸びて大人っぽくなったし、スタイルもいいし、うらやましいなぁ……どうしたらそんなにスタイルが良くなるの?」
「え?」

 成長期真っ只中でどんどん身長が伸びるサシャに対し、出会った時と見た目も背丈も何ら変わりないそんなウミの元を訪ねたのはサシャで。
 今日は非番の日だからと、彼女は彼女の料理を楽しみに、いや、彼女に会いに、船に乗り足を伸ばしたのだ。
 正直ウミは見た目も出会ってからずいぶん経つのに何も変わらなくて。でも変わったと言えばその体型は確かに変わった、背中や肩幅はそのままだが。その体系にはあまりにも目立つすっかり大きお腹を抱えて。
 ゆっくりと足元が腹で覆われて見えない、ほぼ、ほぼ、臨月に近づいたウミを、この事実を知らないリヴァイに伏せたままにして欲しいと望み一人で子供を産もうとしている彼女を、みんなで支えようと決めたのだ。

 非番の度にトロスト区兵舎から順番にいなくなる自分達がどこに行ったか、そしてウミの行方も、上官であるリヴァイやハンジ達は薄々勘付いてはいるだろうし、
 いずれは彼に知られる事だが、それでもウミが知られないようにと望むのなら自分達は彼女にそれ以上の恩義がある、104期生ではないが共に培ってきた絆が確かに存在している。

 ▼

「サシャ、本当にたくさんありがとうね。片付けられなかった重たい荷物を運んでくれたり、まさかのお掃除まで! どうしちゃったの!? 熱でもあるの!?」
「あぁ……それはきっとお掃除に厳しい上司のお陰ですよぉ……」
「あぁ、なるほど。そうだったよね、あなたもあの人の指導を受けてたんだった。本当にありがとうねサシャ。みんなのお陰でこの子も、いつ生まれても大丈夫そうだねっ。サシャとはね、色々とお話したいことがあるなぁ……」
「ほんとウミにも色々相談に乗って欲しいくらいですよ……とにかくですね。今色々動いていて、でもこの事は兵団内部だけの秘密で後は他言無用と言われちゃって……」
「サシャ、だめだめ、機密事項でしょ? その言い方だとニュアンスでだいたい今この島がどうなっているのか察しちゃいそうになるから……、いいの。もう私は兵士じゃない、ただの一般人なんだから。内部事情を聞いたとしても、これからも何も出来ないだろうし……壁の外へ行くには必ずこのシガンシナの街をみんな通るでしょう? 最近馬や荷馬車を連れて壁の外へ行く人達の数も増え始めて、だんだんここ(シガンシナ区)も人の栄える場所へまた変わってきて、その人の流れで何となく見えて来たから……壁の外に何があるのか、どんなものがあるのか、……あ、そうだ。訓練はどう? 順調?」
「はい、結構大変ですけどもね、新しい兵器の開発にどんどん費用が当てられていますし、島の防衛やらマーレから亡命してきた人たちと交流したり、今は大忙しですよ」

 本当に、あの時の事が原因でリヴァイと別れたのだろうか、事実は二人のみこそ知るが、現実。今彼女はどうしようもないくらいに一人だ。
 愛する彼と別れた後に、それとも、別れるからこそ、その身に宿ったのだろうか、この命は。二人が確かに愛し愛されていた証として。
 その後に発覚した妊娠・出産を経てウミはここで子供を育てながら店を切り盛りして穏やかに、かつての亡き両親やリヴァイの望みの通りに平民として、兵団服や立体機動のベルトの痕もうっすらと消えかかってしまう程の年数を暮らしている。

「そうだ、それで、ウミがもし困ったら私の両親を頼ってください。最近はヒストリアのいえ、女王の方針で身寄りのない子供達を集めてうちの両親も幼い子供達の面倒を見ているんですよ、」
「そうなのね、」
「そうだ、そういえばあの、リヴァイ兵長との息子君は?」
「うん、まだ少しずつだけど……ヒストリアに地下街で拾われてから地上に上がってね、そして私たち両親が捨てたわけじゃ無かったと誤解が少しずつ解けてから、たまに家に来てくれるようになったのよ」
「まさか、もうそんなに大きい子供がいるなんて驚きですよね」
「うん、本当に、……そう。死産ですと言われた時からつい、あの子が生きていたらこのくらいの年代かな、って苦しい時期もあったから、まさか取り上げられて別の場所で生きていたと知った時は驚いたわ……リヴァイ兵長も定期的にあの子に会いに行っているみたいだと、あの子からはよく聞くの……」

 リヴァイと本心はまだ、それはお互い見ても分かる。
 憎しみ合って別れてしまったのではないのだと。
 自分達兵団を壊滅へ追いやり、盟友を殺した直接的な因果でもある忌むべき「獣の巨人」を倒す為に、孤独を抱え前よりも近寄りがたい雰囲気になったリヴァイだが、それでも、彼はクーデター時のような非情さや冷酷さはもう感じられなかった。
 彼の纏う時折見せる闇を取り払ったウミの存在を今も胸に抱き生き続けるリヴァイも、彼女とこれまで築いてきた愛の中で生きているのだろうから。

「リヴァイ兵長がね、何だかたまに、寂しそうに笑う? 微笑むんです。私、知らなかったですよ。リヴァイ兵長って、ちゃんと笑う人なんだって。きっと、ウミがここにいると知っているなら、知っているかもしれませんがね、その目にはきっと今もウミがいるんじゃないかなと、思うんですよ」
「そう……」

 片っ端から自分の料理を口に運ぶサシャに水を差し出しながら、ウミはサシャが会話の中で当たり前のように口にし、そして自分の中でも、例え、別れたとしても。お互い愛していることに変わりはない。自分には当たり前のような存在のリヴァイを今も自分は求め続けていることに涙した。
 そして、サシャが料理に夢中なタイミングで、ウミは呟いた。

「私も、会いたい……」
「え……ウミ、」
「あ! そうだ、サシャは? 私、サシャから聞いてないんだけどなぁ……ニコロさん、いい人だよね、本当に、」
「え!? あ、あの……ウミ……」
「どうしたの?」
「ニコロさんとは……、その、よく会うんですか?」
「えぇ、たまにお店に呼ばれたり、私がお店に呼んだり……お互いの国の料理を教え合うだけなんだけど、イェレナさんに、勧められて。ぜひ、にと」
「えぇ!!」

 切り替えるようにウミがニコロの名前を口にした途端、サシャの顔が見るからにどんどん青ざめていくのが見えて、ウミは内心サシャに申し訳ないと思いつつもそんなあからさまでわかりやすい彼女に笑みを浮かべていた。

「だって、ウミがニコロさんと……あああ!!」
「サシャ、サシャ、しっかりして、私の顔をよく見て」
「はひぃ……」
「ふふふ、ないない、それは無いよ。それはない。サシャ。大丈夫。あのね、聞いて。サシャがニコロさんの事をそんな風に思うように、――あの人だけなの、私の好きな人、サシャの運命の人がニコロさんなら、私の運命の人は……あの人、ただそれだけ」

 サシャは素敵な子だから。いつかきっとそんな彼女を受け入れてくれる人と、素敵な恋をするだろう、そう確信していた。
 そしてその相手は自分達と海を挟んで敵対していた民の血を引く外国の男だった。そして、その男はサシャの心よりもまず、誰もがサシャの性格、性質を理解しているように彼女にとって一番大事な物を掴んでいたのだ。
――それは彼女の胃袋。だ。
 手始めにニコロ本人は全くそのつもりじゃなくイェレナに頼まれて振舞っただけの手料理でサシャの胃袋を掴んだのだった。
 それは満面の笑みで。おいしそうに料理を食べてくれる姿にニコロもいつの間にか目が離せなくなっていたのだろう、レストランでマーレ料理を教わりながら自分もニコロにパラディ島と世界中ではそう呼ばれ、全ての因果であり憎悪であり滅ぶべき島と忌み嫌うこの島で違う血を持つ民族同士が同じ料理を口にする事で心を通わせ始めたのだ。

「あの、ウミ……その、そのお腹の事、兵長に本当に、言わないんですか……?」
「……うん、」
「兵長の子供じゃない……わけじゃ……ない、ですよね!? まさか!!」
「そんなまさか! 私が? あの人以外の人と子供を!? サシャは本当にそう思う!?」
「で、ですよね、そう、です……よね、はぁああすみません、分かっていたんですがもしかしたらこの離れている間にまさか別の人と、だなんて、でも、兵長はきっとそれでも、憎んだりしないでしょうし、あなたの幸せを、見守っていると思いますけどね、」
「……リヴァイは、あの人には、未来がある、ウォール・マリアを取り戻したという輝かしい栄光が……。島の英雄として、あの人は人類のこの島の希望、象徴。きっとあの人の存在は今回の奪還作戦で敗走したマーレにも巨人以上の脅威だと知れ渡ったでしょう。……私は、女ひとりでも、大丈夫、元々シガンシナ区が陥落してから頼れる親も無く生きて来た、もし何かあれば、並の人間相手なら息の根ひとつ止められる手段ならこれまでたくさん学んできたじゃない、シガンシナは今もまだ治安が悪いから……骨折る程度に……」
「ひいいい!!」
「冗談だよ?」
「いや、あなたなら本気でやりかねないですよ!」
「ふふ、ねぇ……じゃあ、本当の気持ちを教えてくれたサシャに……私も本当の気持ちを伝える。ね、」
「んん?」

 そしてウミがサシャに打ち明けたのは、にこりと、その笑顔があまりにも儚く消えてしまいそうな錯覚を抱くほどに彼女は綺麗に、微笑むから。

「私、今でも、リヴァイの事が忘れられないの……」
「ウミ……」
「おかしいでしょ? もう、別れたはずなのに、お互いがお互いの為に、別れる選択をしたのに、後悔はないと毎日言い聞かせるの、一度は虹の橋を渡ってしまった私たちの大切な、そんなお腹の子をあの人の子供を最後にまた授かることが出来ただけで、もう、……それだけで、十分幸せなことなのに……」

 サシャはそんな彼女の笑顔を見て幸せそうなはずなのに、俯き堪え切れずに気付けば先程までの明るい笑顔から一転して大粒の涙を流していたのだ。どんなに辛いことがあっても人前では決して涙を見せなかったウミが、愛する人を想い深く涙を流して、その辛さを隠しきれていない彼女の表情からサシャは目が離せない。これまで長い時間をウミと過ごしたが、そんなサシャでも見た事がないウミの涙にこれ以上ない程に胸を激しく締め付けられたのだった。

「リヴァイ兵長も、きっと、まだウミのこと、愛していると思いますよ」
「……そう、かなぁ、」
「そう、ですよ……もし、私は部外者ですから余計なことは言えませんけど……でも、兵長、と、ウミがいつかまたどこかで再会したら、そう願ってやみませんよ、私は、やっぱりいつも言葉にしなくても一緒にいた二人が別々の道を選んだなんて、まだ信じられませんもん、もし本当に運命があるなら、二人はきっとそうなんだろうなぁと思っていましたから……」

 そして、恋する2人の話題は意中の相手の話になるのだった。サシャは今までに感じた事の無いときめきにこれからどう彼と接したらいいのか、戸惑っているようだった。
 テーブルに突っ伏しながらどうしたら自分より大人で年上の男性である彼に微笑んでもらえるだろうか、せめて食い意地の張った部分は変えられなくても見た目だけでも彼のレストランの雰囲気に相応しい姿になりたいそう願う。

「ニコロさんにもっと釣り合うような女の子になりたいんだったら……そうだね、すぐにでも大人っぽくしたいなら、見た目、ほら、髪型を変えてみたり……とか? ヒストリアみたいに、前髪、おでこよ! おでこ、出してみない?」
「あぁ!! 確かに、ヒストリア、最近急に大人っぽくなりましたもんね、前までは未だ女王様になりたてでどこか危なっかしい部分があったのに、ミカサも、髪を伸ばしてだーいぶ、雰囲気も変わりましたもんね……それは、名案です、いいかもしれません!」
「でしょでしょ? ヒストリアも女王様に相応しいもっと荘厳な雰囲気を出したいって話してて……そうと決まったら、」
「ぜひ、お願いします!!」

 そしてサシャの頼み通りに、彼女の手によってサシャは普段の自分とは違う部分を彼に見せたくて、前髪を分ける事にし、普段隠していた額を思い切って出してみたのだった。
 それからは順調に二人の関係は進展し、誰が見ても二人は付き合っているように二人が周りに言わずとも、二人がお互いの好意を打ち明けていなくても、誰が見てもお似合いの2人、そんな二人がいつか幸せになってこの島の存在が他の国に認められ、そして繁栄し続ける事を誰もが信じていた。

 マーレ人のニコロとこの島で育ったサシャの2人の寄り添い密やかに紡がれる愛は小さな希望だったのだ。
 そう、あの日までは。

 ▼

――「サシャ、ああ、そうだな。本当に、お前を部下にしたあの日からお前には随分手を焼かされたものだ。掃除はろくに出来ない。勝手につまみ食いはする、俺の飯にまで手を出していたな、とにかく、お前のような人間には驚かされてばかりだった。だが……最後まで、お前は立派な兵士だった」

 彼女をこんな形で失うとは、思わなかった、男は静かにその墓前に哀悼の意を捧げていた。

「お前はマーレとパラディ島を繋いだ希望だった。和平の道は必ずある、俺達は戦わなくても話し合える、それをニコロと恋仲になったお前は示してくれた。あの島の、未来が確かに見えた気がした。だから俺達は対話の道を選んだはずだった。だが、俺達はエレンの行動に従い、レベリオの街を襲った以上報復を避ける事も和平の道など、到底無理だろう。この先どうなるかわかりやしねぇ、だが、お前の犠牲を無駄にすることは無いと、どうか見届けてくれ、――サシャ」

 それは彼女によく似合う鮮やかなオレンジの花、ここにいた筈の女ならきっと望んだ花、だが、女はもう自分の隣には居ない。
 何処で、間違えてしまったのだろうか、だが、それでも自分は歩み続ける事を止めるわけにはいかない、自分が歩みを止めてしまえばこれまで犠牲になった仲間達に報いることが出来なくなる、犠牲になり捧げられた心臓たちを自分は最後まで見届ける責務を担っている。

 そして「天と地の戦い」が終わりを迎えた。もう、自分達だけしか、捧げられてきた心臓の行く末を、結末を知ることは無いのだ。

「サシャ、俺の代わりにあいつらが島に帰ることになった。あの島では俺が一番。この島の中で顔が割れちまっているだろうからな、きっと、島には、俺はもう二度と戻れることは出来ねぇだろうな。上陸した瞬間に、俺は囲まれるだろう。今の俺はアッカーマンですらねぇからな……。それに力を使い果たした代償か知らねぇがもう昔のようにマトモに動けやしねぇ。島の連中からすれば俺は、――大罪人だろう。どんな理由があれ。この島の人間以外を滅ぼす選択をし、この島の為に「地鳴らし」を引き起こした奴らの思いを俺達は拒み、断ち切って世界を生かす選択をした、この島に報復がいずれ訪れる事も承知の上で、だが、もし、またこの島に足を踏み入れることが出来た時には、お前の墓に、いつかまた花を添えたい、今度は、ウミも一緒に連れて」

 ぼそり、そう呟いたリヴァイの声は誰にも聞かれる事無く風に流されていく。
 雷槍で吹っ飛んだ衝撃で負傷したはずの傷は全て癒えたと言うのに、胸の痛みだけが消えてくれない、あの日、全ての戦いを終え、犠牲になって翼を散らしていった仲間達の残像に別れを告げた。そして、ウミもまるで幻のように姿を消した。

「もう、あいつらは誰一人として、ウミの名を、あいつの存在を覚えちゃいねぇんだ……だから、せめて、ミカサと、もう一人、お前だけは、ウミの事を、忘れないで居てやってくれ、……俺の記憶も、限界を越えそうだ、」

 毎日の日課、彼女の名前を書き、そして彼女は確かに存在したことを噛み締めるように、そっと、その名を呟いた。世界で一番美しいその名を、刻み込むように。
 彼女との間に育った子供達もすっかり大きくなり、どんどん手がかからなくなるのだろう、それがたまらなく寂しいと思うようになるほどに自分は今どうしようもないくらいの切なさを抱いていた。
 愛した女はもう何処にも居ない、不思議なことに、彼女の存在がまるでなかったかのようなこの世界で生きていく、これからも、残された生を全うして。
 いずれ消えてしまう、戻らない記憶の中で、ウミが消える前に先立った大人に慣れないまま終えた少女にリヴァイは願いを託した。

「俺の分まで、ウミを、あの子を、どうか忘れないでいてくれ」

 そしてありがとう、
 見えない場所で、サシャは微笑んだのだった。
 まるで自分はこの世界から存在事消えてしまったウミを覚えていますよと、伝えに来たかのように。
 一人残されたリヴァイだけ、だが自分は一人ではない、彼女の愛に包まれ、そして彼女が遺してくれた愛をこれからも自分は持ち続けていくのだろう。
 いつかまた、どこかで、全ての業から解き放たれた彼女が広い世界の果てで自分を呼んでいる気がするから。

 例え世界中の誰からも彼女の存在や記憶が消えても自分は、自分だけは、それでも覚えていようと誓う。

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