THE LAST BALLAD | ナノ

#99 それでも、今を生きる

 いつか終わる世界の中で、果たして自分は、悔いのない選択が出来たのだろうか。しかし、答えはいつも自分の中にある、それを見出すのは己の眼だ。
 追いかけた日々は見返りを求めずに駆け抜けた先に待っていた世界が広がって居た。いつか、必ず辿り着く道だ、そこにはこれまで共に過ごした同じ志を共にした仲間であり、同胞たちが彼の帰還を待ちわびていた。

「お帰りなさい、エルヴィン」
「ここは……俺は?」
「大丈夫よ。貴方は、これまでの私たちのように、ここで役目を果たしたのよ」

 靡く髪は彼女によく似ている、だが、意志の強い凛とした眼差し。お帰りなさい、そう、自分を呼んだのはかつて淡い思いを抱いた女性の姿、ウミの母だった。やはり、彼女はこちら側にいたのか。当たり前のように指し伸ばされたその手の先に居たのは、これまで共に歩んで来た友。ウミの両親もそこに居た。

「エルヴィン団長、お疲れ様です。待ちきれなくて、先に行って待ってましたよ」
「そうか、待たせてすまない」
「お前なぁ、ここ、来るの早いんじゃねぇのか」
「そうかもしれないな……だが、俺は今で十分でこれで、構わない」
「そうかい」

 駆け寄って来たのはモブリット・バーナーの姿、だった。相も変わらず人を馬鹿にしたような態度のクライスも大好きなタバコをふかして笑って居る。ウミの父親も嬉しそうに娘によく似た愛くるしい花が綻ぶような屈託のない笑顔でエルヴィンを迎えてくれた。エルヴィンとの久しぶりの再会にミケもナナバも。みんなが笑顔を浮かべて彼を待っていた。志半ばで死んだ友、エルヴィンは共に調査兵団の証である自由の翼を背負った仲間達との懐かしい会話、やり取りの中で、その先に居た父親を見つけるのだった。
 調査兵団の意志は死ぬことなく次の世代へと受け継がれていく。決して途切れることは無い、次の生者へと自分達の生、意味は託される。そのエルヴィンが見た光景は、とても美しくすがすがしい程の蒼天が広がって居た。

「ただいま」

 父親が笑顔を浮かべて自分を迎える。あの日の約束、あの日のエルヴィン少年の思いの答えはここで出たのだ。柔らかな光の尾根に抱き上げられ、安らかに楽園への扉を開いたのだった。夢半ばにして、だが、自分はあの時リヴァイの言葉に背中を押され、自ら選んだこの道を悔やむことは無い、今、彼は夢、亡霊から解き放たれ本来のあるがままの自分として、最期を迎えたのだ。心残りはある、だが、それでも、選んだ道に悔いはない。



「ここでいい、ここなら、こいつもゆっくり眠れるだろう」
「あぁ……」

 ウォール・マリア東突出区であるシガンシナの街は3体の巨人が暴れた事によりあちこちの家屋は崩れ落ち、確かにあった人の営みの残る民家や家屋は五年という長い歳月で等に朽ち果てていた。
 無惨にも街並みは粉々に破壊され、壊れた建物のあちこちから立ち昇る黒煙、その煙を避けるようにエルヴィンを眠らせる棺など見つけられないし、だからと言って壁内へ彼の遺体を連れて行くことは今は未だ、彼を弔う時間も余裕もない、あの忌まわしき日に侵入してきた巨人たち。未だ壁内を蔓延る巨人は居る中、日が暮れる前に帰還しなければならない。
 魂が抜け、後は土に還るのみとなった肉体をまだ被害が及んでいない地域のはずれの民家の簡素なベッドにそっとその役目を終えた肉体を横たえた。
 彼の遺体をこのまま物資も馬も不足している中で連れて行くのは不可能と判断し、その場で14代目団長としてエルヴィンの遺志を継いで団長となったハンジにより団長である英雄でもある彼には少し似つかわしくないが、まだここなら雨風に晒される事もなく、静かに彼の肉体は腐敗して、そして、時が過ぎ去り、朽ちていくのだろう。
 今はこの戦況の事後処理に追われながらも真実を見つけなければならない。自分達がいつ彼を迎えにここにまた戻って来れるのかはわからない、だが、今は。

「しばらく、ここで休んでいてくれ、エルヴィン。落ち着いたら、君の事は必ずまた、迎えに行くから」

 ハンジがの手がそっと、もう二度と開くことのない彼の瞼に触れ、頬を撫で、元々青白い顔立ちのエルヴィンの安らかに眠るその死に顔へと別れの言葉を告げた。その様子と見つめながらウミが無言で傍らのチェストのへシガンシナに咲いていた花を花瓶へそっと挿した。
 しかし、その空間で彼女と口を利くものは誰も居ない。ハンジも、リヴァイも、重たい口を閉ざし、まるでウミはそこに居ない者として、彼を弔う。ウミも自分が先ほどしでかした事の顛末を理解しているからこそ、余計な言葉を口にしない。
 ハンジは二度と、自分を許さないだろう、そしてその注射器の最終的にどちらに使うか、その分岐点に立たされ究極の「悔いなき選択」を迫られたリヴァイにも。
 今は、彼を笑って送り出せるような明るい雰囲気ではない、エルヴィンを弔う中でそれぞれが生存者を探しながらマリア内を飛び、そして、負傷したサシャと共にかつての仲間、友であるベルトルトの持つ「超大型」の巨人化能力を引き継ぎ生還したアルミンの目覚めを待って、向かうべき場所へととうとう足を踏み入れる事になる。
 自分達がその歴史的瞬間に、立ち会う緊張も含まれていた。
 果たして、エレンの父親、壁外から来たグリシャ・イェーガーが遺した秘密とは、いったい何なのだろう。

「エルヴィン……またな」

 共に過ごした調査兵団団長でもあり、旧知の友でもあるエルヴィンを弔いそして彼の大きなブルーの温かな時には冷酷なその瞳を伏せたその静かな死に顔を忘れぬようしっかりと網膜へ焼き付け、リヴァイはそっと彼へ別れではない、再会の言葉を口にした。
 ウミは先ほどのアルミン、エルヴィンとの選択の中でアルミンを選んだ自分はエルヴィンに別れの言葉を口にしてはいけないと、リヴァイに伸しかかられて今も痛む肺を押さえながら、無言でエルヴィンの顔を隠す面布の代わりに調査兵団のマントを覆い、そして静かに調査兵団、団長は横たえられ沈黙した。
 エルヴィンが自分達へ微笑みかける事は、もうない。彼が楽しみにしていた自分の結婚式も、もう、この状況下でそんな夢など抱くはずもない。
 ウミは密かに感じていた。リヴァイの決意を、彼はエルヴィンとの約束の為にここまで足掻いて必死に追ってきたのだ。
 そして、自分は……ここではない壁外を見つめている。
 獣の巨人をこの手で殺したいリヴァイ、そして、獣の巨人が持つ自分の出生に隠された秘密が彼の国ではどうしても必要だと。
 エレンの父親と違いすべてを隠したまま亡くなった父の事を知りたいウミ。
 もうお互い手を取り合いこれから共に歩んでいく、そう、誓った筈、だったのに。お互いに、迫る「別れの決断」それをどこか心の片隅でうすうすは感じながらも、彼の事をそれでも、ウミは愛しているのだと、思い知らされるだけだった。
 愛しているから彼の今持つ信念を思いたい。彼は獣の巨人を討ち取るその瞬間を夢見ている。彼の夢に自分は負担にはなりたくない。
 そんな最愛の彼から注射器を奪うために向けた刃、お互い鍛え抜かれた兵士として、本気で彼を、自分は押さえつけようとしたのだ。
 リヴァイとのもみ合いで負傷し、まだ痛む傷に顔を苦悶に歪めるウミ。気を抜けばここでこのまま横になり眠ってしまいたくなるくらい疲れている。だが、そんな自分を今背負えるような人間は、どこにも居ない。まして、誰もがこの戦局で多くの激選を潜り抜け今生き延びている。
 無傷な人間は居ない。リヴァイでさえも。自由の翼を背負った兵士たちは誰もが疲弊し、疲れ切り、そしてボロボロに肉体も精神も痛めつけられている。これが戦局の結果、自分達は確かに壁外人類に勝利はした、だが、失ったものの大きさは計り知れない。

「行くぞ」

 リヴァイの言葉を受け、そっと飛び立つ。ウミはエルヴィンへの思いをもうこれ以上口にする事は先ほど自分の犯した軍規違反を省みれば、口にすることは出来ない。

「(エルヴィン……もう、私はあなたの墓前に花を添える資格なんてない。そして、私は暢気にこうして幸せに浸る、時代は終わったの……多分、これからはもっと過酷な道が、待ってるんだろうね)」

 先程の花瓶へ挿した彼によく似合う清廉な花の美しさだけが、彼を彩っていた。ウミは目と鼻の先のリヴァイとの別れをひしひしと感じていた。ここまで共に歩んできた彼とこんな風に互いに思いを違えるために、自分は愛馬を犠牲にしてまで生き延びたのだろうか、自分もあの場で、朽ちてしまいたい、そう思ったのに、何故か、自分はまたしても生き延びた。
 多くの命が散った二度の奪還作戦でも自分は生き延びた、父親の面影を未だ自分は探している、自分は未だ、何も知らない。自分の家の事だと言うのに、「ジオラルド家」に対してあまりにも自分は無知だ。もう二度と、彼と抱き合うことは無いのだろう。
 もうこの手で彼を抱き締める資格は自分にはない。
 だが、不思議と寂しくは無くて、もうこの先彼と交わる道は無いのだと、自分は何となく察してしまった。たとえどんなに愛し合っていても、人は自分の為に生きてその命を全うしている、所詮、人間はわが身が一番かわいいのだ。分かる、自分は他人の為には、命を投げ出せない、どうしても最後の勝つのは、生きたいと願う。ただひとつの、生の証。



――「アルミン!! 伏せて――!!」

 アルミンは深い眠りの底に居た。走馬灯のように、ぐるぐると回る光景、最後に見たのは、ベルトルトが巨人化した際に生じたあの猛烈な爆風から自分を守るように、危機を察知した普段はいつも冷静でおとなしいミカサが叫んだ声だった。
 これまで過ごしてきた情景がふつふつと、静かに浮上していくように。そのオレンジ色の閃光を焼き付け目を閉じた。次に遠くから聞こえたすすり泣くような誰かの声に耳を澄ませる。
 何事かと、慌てて身を起こすアルミン。そして、振り返る彼の目の前には、半面は骸骨と化した超大型巨人の本体であるベルトルトの首から上が鎮座している。白骨化していない右目から止めどなく、溢れる雫。
 ゆっくりと半身を起こした自分を超大型巨人のベルトルトが見つめている。その大きな瞳からは涙が止めどなく流れて頬を伝い、まるで子供のような声で泣いていた。

「痛い、痛いよぉ……」と。痛みに震え涙するその黒目がちの潤んだ瞳が印象的だった。まるで子供のように。次から次へ、溢れる涙にアルミンは酷く胸を締め付けられた。
 かつての仲間で104期生の同期である心優しいベルトルトの痛みに、寄り添う様にアルミンはその目を見つめていた。何故か痛みを抱き訴えてくるベルトルトの心情が自分には良く分かった。それは何とも不思議な夢、だった。

「ベルトルト?」

 アルミンは袂を分かつことになってしまった彼の名前をそっと呼びかける、しかし、ベルトルトは何も答えないまま、アルミンをただ、いつまでも。見つめているのだった。
 暗転する世界、次に見た景色は青空と晴れ渡り朝を迎えた壁上。

「痛い……」

 ベルトルトの幻影にしばし呆然とするアルミンだったが、その声は隣で包帯を巻き涙を流す負傷したサシャの声に変わっていた。

「うぅ……痛いよぉ……」

 鎧の巨人との死闘で負傷し、今もその痛みに涙を流して苦し気なサシャの呻き声で我に返るアルミンは上半身裸に誰かのジャケットを掛けられ、そして、自分がシガンシナ区の壁上にいることに気付くのだった。

「サシャ!? ひどい怪我だ!! 何でこんな……」

 頭に包帯を巻き、呻くサシャの痛々しいその姿にアルミンは驚愕に急いで彼女の身体に触れて安否を確かめる。異性でもある彼女に失礼して、彼女の上半身を覆っている簡易寝具の布をめくると、彼女の胸を屋根の破片が貫通し、応急処置で巻いた包帯からは血が滲んでおり、彼女が追ったその傷の重症度から自分は記憶が無いのだがライナー達との死闘がどれほどすさまじかったかを思い知らされた。
 一体自分が眠っていた間に、何が起きたのか、勝敗の行方も分からない、だが敵勢力はおらず自分とサシャだけが壁上で眠っている事に対して記憶が朧気で混乱するアルミン。その目覚めに気付いたアルミンにはジャケットが掛けられており、ジャケットからは確かにお刺さ馴染のエレンの香りがして。

「アルミン!!」
「エレン……!! あの、これは――」

 戸惑うアルミン。アルミンの目覚めに気付いたエレンが壁所から駆け寄りこちらに向かってやって来た。
 リヴァイが最後の最後までエルヴィンに注射薬を打つ。と高らかに宣言したのに、何を思ったのか、最後に彼が選択したのは、救う事を選んだのは、アルミンだった。
 全身黒焦げの危篤状態から脱し、ベルトルトの巨人化能力を引き継ぐことで命を救われ元の姿へと戻ったアルミンに抱き着いたエレン。
 幼馴染で歳も同じだけど、兄弟のように育った彼の背骨が軋むほどの力で、強く、強く、生還した彼の存在ごと噛み締めるように抱き締めるのだった。
 アルミンが無事に生還し、生きていることを噛み締めるエレンの声はこちらからでもわかるほど震えていた。

「よく……戻ってきた……」
「え?」

 じわじわと、大きなその気の強い目に涙を浮かべながら。噛み締めるように呟いたエレンに対し、状況がのみ込めないアルミンは抱き着いてきたエレンが話してくれないし、裸にジャケット一枚では心もとない。戸惑いを隠せずにいるたその時、風を切る音と共に、リヴァイが壁下から軽やかに駆けつけた。

「起きたか」
「兵長。これは? どうなってるんですか? 確か、ベルトルトが巨人に……。他のみんなは……大丈夫なんですか!?」
「覚えているのはそこまでという事か」
「え?」
「エレン。ありのままを話せ」

 リヴァイはアルミンの無事を確かめる前に緑の信煙弾を上に向かって撃ち上げると、生存者や負傷者を手分けして探している生き残りの兵士達を一斉に壁上へと呼び寄せた。
 上空の朝焼けからすっかり日が昇った空は自分達の置かれた空気とは裏腹にどこまでも青く澄み渡っていて。撃ち上げられた緑の軌跡を確認し、コニーたちもアルミンの元へ駆けつけ無事を確かめたが、手を取り合い喜べるような空気ではない。我々は、導きを失ったのだから。
 アルミンが、生きていること。それは望んだこと、自分達が上官に逆らってまで。そして、その事実を重たい口を開き、ぽつりぽつりと話し始めたエレンから下された思いがけぬ言葉達に聡明なアルミンがどれだけの損害を出して、そしておめおめと自分が13代目団長であるエルヴィン・スミスと命を天秤にかけられて、そして自分が畏怖の対象だった巨人化能力者を持つ人間として蘇ったと言うあまりにも重すぎる、死よりも過酷な現実を、噛み締めるのだった。

「どうだ? わかったかアルミン」
「あ……、なぜ……、調査兵団は……ここにいる10人で全員……なんですか?」
「…今の所はな。戦闘が終わってから4時間……ずっと生存者を探しているんだが……未だ」

 水を配り、そのジャンの隣では涙を浮かべるサシャにゆっくりと水を飲ませるコニーの姿を横目にアルミンの顔はドンドン青ざめていく。無理もない、新兵である自分が団長でありこれからの未来を担うべき大事な人材を死なせて引き換えに、自分は生き返ってしまったのだから。

「そ、それで、シガンシナ区の壁の封鎖に成功して、ライナーと獣ともう一人は……逃亡、「超大型巨人(ベルトルト)」は捕獲。そして……瀕死の僕と、瀕死のエルヴィン団長。どちらに注射を使うか……揉めた後、僕が……巨人になって……ベルトルトを食った……」

 先ほど見た夢は、ただの夢ではなかったのだ、あれは「超大型巨人」の知性巨人の能力を引き継いだ自分がベルトルトを取り込んだことで彼の意識を垣間見たのだと言う事、あの注射器がまさか、自分に使われるとは、そして自分は同期でもあるベルトルトを喰ったのだ、巨人になる事によって。
 重すぎる現実がずっしりとのしかかり、生の実感よりもアルミンは罪悪感に押しつぶされてしまいそうになる。口元を手で覆い、吐き気を催すと、ジャンに促されそのままの勢いでゴクゴクとこみ上げる罪悪感を押し込むように飲み水を一気に飲み込んだ。

「ほら」
「どうして……僕なんですか? 誰がどう考えたって……エルヴィン団長を生き返らせるべきじゃないですか……!? 兵長!? どうして、僕に打ったんですか!?」
「チッ、ありのまま話せと言っただろうに」

 アルミンはエレンから聞かされたこれまでの経緯について驚愕し、自分がエルヴィンと命の天秤にかけられて選ばれた事実が全身を貫いた。打ちひしがれ、縋りつくようにリヴァイに尋ねた。何故自分に打ったのか、と。自分達がしでかした肝心の事実をエレンがアルミンに話す過程で話していないことに対して子供を叱りつけるように、軽くエレンを蹴ったリヴァイが静かにアルミンへと己の負傷の原因を話す。誰もが傷つき、ぼろぼろだ、ウミも黙り込みリヴァイの話に耳を傾けた。

「少なくとも……お前の仲良し二人と俺の妻は、そうは思わなかったようだぞ? 俺に抵抗し、刃傷沙汰に及ぶほどな」
「え?」
「オレ達は……どんな処分も受けます」

 エレン達が自分がリヴァイにした事が軍規違反としてどれだけ重い物か、理解している。自分達が今回起こした騒動は懲罰の対象になるだろう。最悪、自分達は死刑かもしれない。上官の命令は絶対だ逆らうものは死罪。それを理解しながらもアルミンを助ける為に自分達は行動を起こして上官のリヴァイの判断に食って掛かり、押し問答の末に一度はエルヴィンに打とうとした注射を、突然変更し、アルミンを生き返らせた。
 エレンの言葉にウミはまた彼らを庇おうと自らの罰を願い出た。やはり。ハンジは私情を捨て兵士である前にそれでもエレンとミカサとアルミンの親代わりを捨てられないウミに対して厳しい目を投げかけた。
 彼女は生きる意味を無くしたことでまるでこの三人に自分の存在意義を、生きる糧を擦り付けているようにしか感じられない。前々から過剰とも思えるウミの言動を知りながらハンジは沈黙した。

「待って、この子たちは関係ない。私が全部受けるから、お願いハンジ、罰するなら私だけにして」
「ウミ……。言うけど、この子たちは君が産んだ子供じゃない。何時まで君はこの子たちに執着するの?? この子たちはもうとっくに立派な兵士だ。親の庇護の元で生かされている聞き分けの出来ていない、子供ではない。筈、だったね。今回まではね」
「っ……なら、尚更この子たちの親代わりに見て来た私に、責任は尚更、あるよ」
「兵規違反の罰は三人にはしっかり受けてもらう……たった10人の兵士でも我々は仲良しごっこでこの戦争を勝ち抜いたわけじゃ無い。そうじゃないと示しがつかないからね。だが。その罰さえ受ければ何をしてもいいのかい?」
「…いいえ」

 優しく語り掛けるようにハンジは罪を庇うウミへ窘めた。ハンジの抑えきれない怒りをウミは肌にヒリヒリと、感じる。付き合いが長い大親友で大切な友人でもあり死地を駆け抜けた仲間でもあるハンジ。だが、今はもう自分を優しくいつも支えてくれたその眼差しは二度と自分に向くことは無いのだ。
 もうこれ以上の言及を許されない。どんな理由があれど、自分はリヴァイを手に掛けてまでアルミンを救おうともう無我夢中で同じ仲間でそして、「人類最強」と謳われる彼と本気の取っ組み合いをしたのだから。
 夫婦喧嘩なんて可愛いものじゃない、本気の殺し合いだ。黙り込んで涙を堪えて。エレンとミカサも同じように俯いた。
 ハンジは感情的に相手を責めたり取り乱したりするような人ではない、だが、ハンジはそれでも、どうしてもここに来てこれまで幼い頃から駆け抜けた初恋でもあるエルヴィンよりも血のつながらない孤児となったアルミンを選んだのか。
 そして、愛を誓い合い夫婦となったばかりのリヴァイを取り押さえてまで、注射器を本気で奪おうとした。
 5年間、彼女がどれだけの思いをして過ごしてきたかはわからない、だが、彼女は元兵団の人間でありながら彼らの親を救えなかったことを後悔しているのがわかるし、お腹を痛めて産んだ我が子が生きていると知るまでは死産と思い込み、落ち込んでいた。
 面倒を見て来た中で我が子を抱けなかったその苦しみを彼らに向けた事ですっかり兵団組織当時のメンバーとの思い出をウミがぶち壊したとしか思えずに居るからこそ、ハンジは二度とそのウミの口からはどんな謝罪を受けても、許せないと、純粋に思ったし、大好きなウミをこんな風に失望するとは思わなかった。
 ハンジの怒りの矛先はリヴァイにも向けられている。
 リヴァイは脅威を退き奪還作戦には勝利したが、この選択で今も黙り込み、この重苦しい現状を。

「だがな……。最終的にお前を選んだのは紛れもなく俺だ。いや、俺の私情でエルヴィンの死に場所をここに決めちまったんだ」

 愕然とした表情のアルミン。まさか、そんな事実があったなんて、あれだけエルヴィンが説明していた筈だ、世の中には優先順位ってものがある、間違いなく自分はそこで優先されるべき命ではないと、頭に入れていた。自分はあの場で超大型巨人を仕留め、本当は死ぬはずだったのに。
 しかし、エレンとミカサと彼女は、浮かない表情のまま俯き、自分達がどれほど取り乱し取り返しのつかないことをやらかしたのかを痛感し言葉を発することも出来ない。
 自分に注射器を使ってほしいと、兵士として上官に逆らうものは厳罰、最悪死刑でも間違いない位の罪を犯してまで、ウミとエレンとミカサは、必死に自分を助けてくれとリヴァイを襲った。まさか、ウミまでも自分を助けようとしてくれたなんて。
 しかし、だからと言ってそれで自分が生き残っていい筈が無い、アルミンは何で自分なんだと、どうしようもない自責の念に駆られていた。

「……それじゃあ、わかりません。エルヴィン団長が死んでいいわけがない。団長がもういないなんて……僕達は……この先どうすれば」
「正直に言えばね。いや、何よりそんな状況を防げなかったことが……」

 自らはベルトルトの巨人化の爆発に巻き込まれて部下であるモブリットは自分の命を犠牲にして自分を助けてくれた。自分は気を失っていた間に戦闘は激化の一途を辿り、そしてハンジの悔し気な目線は紛れもなくリヴァイとウミに注がれていた。
 誰もが、あの絶望的な状況下で、どうすることも出来なかった、犠牲を覚悟で捨て身で挑まなければどちらの戦局も、制することは、不可能だった。
 しかし、ここでもう過ぎた事を蒸し返す意味はない。のんびり過去の選択について悔やんでいる暇など無いのだから。エルヴィンはもう生き返らないし、アルミンが生き延びた。こうしている時間はない。
 エルヴィンが死んだことはもう覆せない事実である。そしてその石は自分達に受け継がれた、14代目団長としての務めを果たすべく、自分にはあまりにも重すぎるその荷を下ろすことなく。投石攻撃を受けてすべてが無に帰した街を遠く見渡しながらハンジは切り出した。

「とにかく。エルヴィンが注射を託したのはリヴァイであり、そのリヴァイは君を選んだ。もう何も言うまい。アルミン、君にはエルヴィンの命と巨人の力が託された。誰に何と言われようと、君はもうそういう存在なんだ。アルミン」

 ハンジがハッキリと述べた言葉、与えられた「生かされた者」としての容赦ないプレッシャーに、その表情は青ざめ、背中がゾワゾワと栗立ち嫌な汗が流れ冷や汗が滲み出るアルミン。

「……ぼ、っ、僕が……エルヴィン団長の……代わりをですか?? ……そんな……バカな事が……」
「オイ、勘違いするな。お前じゃエルヴィンの代わりにはなれねぇ。だが……。お前はお前で、人には無い力を持っていることも確かだ。俺はこの選択を後悔するつもりはない、ただ、こいつらを後悔させるな。他の誰も、お前自身も、後悔させるな。それが生き延びたお前の使命だ」

 アルミンの動揺する姿に自責の念に駆られるエレンとミカサの頭をまるで彼なりに、励ますかのように。ガシッと掴んだリヴァイの言葉を受けアルミンが黙り込む中、突如呻いたサシャが身じろぐ。うなされているのだろうか、気付いたアルミンが心配そうに目線を向けたその時、サシャは夢でうなされているのかそれとも、分からないが、突然――。

「うぅ……うるさい……」

 エルヴィンを犠牲に自分が生き残ったその重さに彼の代わりにはならないが、だが、この選択を真に受け生きていくしかない、ハンジの優しい声にアルミンは動揺を落ち着かせる中、今このすがすがしい青空の下で取り巻く空気が重苦しい中、サシャが人類最強の言葉を遮るようにそう口にしたのだ。これには誰もがぎょっとし、黙り込む。しかし、この状況を知らないサシャの寝言があまりにもこの空気に似つかわしくなくて、ハンジは力なく笑った。

「ははは……サシャには敵わないなぁ。本当に、まぁ……私もエルヴィン後任の調査兵団長としては君と似たような立場だ……。こうなればお互い、腹を括るしかない」
「……はい」
「さて……アルミンも問題ないなら、そろそろ行こうか」

 いつまでもいつまでも、ここで座って悔やんでも始まらない、もうエルヴィンは弔われ、そして託された聖者である自分達はこの戦いで多くの死傷者を出しながらもそれでも進まねばならないのだ、多くの犠牲の果てに屍の道を踏みしめて自分達はここまで辿り着いた本来の目的を、成さねばならないと立ち上がるハンジ。

「私とリヴァイ、エレンとミカサで調査に向かう。他の5人はシガンシナ区壁上で四方から見張ってくれ」
「はい」
「エレン、鍵はなくしてないかい?」

 ハンジからの問いかけにエレンは肌身離さずにこれまでずっと胸元に括り付け身に着けていた亡き父親から託された鍵の冷たい感触を確かめるようにと、握りしめた。

「はい……。ここに……!」
――「エレン、帰ったらずっと秘密にしていた地下室を見せてやろう」

 エレンの脳裏で、最後の平和な朝、交わした亡き父の声が脳内でハウリングしたのだった。壁上からガスを蒸かして飛び降り、蒸気を抜け懐かしい故郷へ向かう。少数精鋭との事で、旅立つ背中を黙ったままで見守る。
 ウミはこの状況下で生き埋めになった母親に会いたい、という願いが果たされることは無いと噛み締めた。
 去り行くその四人の自由の翼を見届け、自分は壁上へ残った。

「(おかあさん……)」
 どちらにせよ、自分は立体機動装置も、そして、死ぬ覚悟で挑んだ特攻作戦で醜い肉片となった自分の遺体が判別できなくなればいいと、そう思い、リヴァイとの婚約指輪が無い左手の薬指を捨て、そして彼の愛を永遠に失ったのだ。
 そう、ゆっくりと言い聞かせるように噛み締め、そして自分が起こした取り返しのつかない事実にただ打ちひしがれて思い知らされるのだった。
 アルミンを助ける為に愛するリヴァイを本気で襲った自分、そうだ、あんなことをしてまで、それでも自分はアルミンを選んだのだ。リヴァイでもエルヴィンでもない、紛れもなく、本心が叫ぶように動いたのだ。
 アルミンの祖父から、託された命、その命が潰えようとしていた、あまりにも変わり果てている真っ黒焦げに焼けたアルミンの遺体を見て、動揺するなと言う方が無理だった。
 立ち止まり一人壁上を歩くウミにアルミンの声が響いた。

「ウミ……僕のせいでリヴァイ兵長やハンジさんと……今ならまだ、!」
 言えば……お母さんの遺体も探しに行ける!」
「アルミン……。ううん、いいの。それに、謝らないで。ね? だって、今回の事はあなたのせいじゃないんだから。もう私の事は気にしなくていい、これは私の本心が望んだこと、だから、アルミンはもうこれ以上気に病むことは無いの。私たちが、ううん、私が、勝手にした事なのよ」

 気にしないでと、微笑みながら、ウミはアルミンの身体をそっと、抱き締めたのだった。幼い頃の彼らをいつも抱き締める立場だったのに、流れると気の早さに眩暈さえ覚える。今触れる彼の身体は兵士として鍛えられ、いつの間にか自分が、彼に抱き締められる形へと変わっていて。
 もう無邪気なあの頃の彼らではないのだと、自分が見ていなくても彼らはもう迷子の子供じゃない、それぞれの夢に向かって、歩いて行けるのだ。
 いい加減離れなければと思う、生き残った罪から逃れたくて、無知で非力な三人を守る事で生きてもいいんだと、そう言い聞かせて、三人に誰よりも依存しているのは自分だった。

 激しい戦闘で投石攻撃を掻い潜った後にリヴァイとの揉み合い。彼の腕力と重みを受け、全身をじわじわと痛みが駆け抜け正直今にも倒れてしまいそう。
 しかし、成長したアルミンに支えられながら、ウミはアルミンの手をそっと握る。いつの間にか包むよりも包み込まれているその手。今こそ、彼に打ち明けてもいいのだろうか。
 忌まわしきあの5年前の846年、多くの死者を輩出する代わりに食糧難から逃れた旧王政府により実行され、歴史の波間に抹消された忌まわしき出来事を。

「あの日、ウォール・マリアが壁外から来たライナーとベルトルトによって破られた事で私たちは、帰る家も家族も亡くした。その日のうちにウォール・マリアは陥落して、壁内の活動領域はウォール・ローゼまで後退したことで各地にはマリアから逃げてきた避難民であっというまに溢れた。働き手を失って、そして壁内は食糧難を招くことになった。窮地に陥った壁内人類の為に、旧王政府はウォール・マリアから避難民を徴兵して、ウォール・マリア奪還作戦を実行したの。開拓地に残されたのは子供とお年寄りだけ、アルミンのおじいさんは徴兵を免れた筈なのに……アルミンが心配だったのね。立候補した私に申し訳ないと、彼は武器を手にした。最初のウォール・マリア奪還作戦はね、それは、酷い有様だった……。ウォール・マリアの門をくぐり抜けて、手渡された武器は正直人間さえも殺せないようなお粗末な物ばかり。そしてようやく気付いた時には私たちは食い扶持を減らす為に、巨人のエサとして追放されたのだと、理解したの。兵士も幾人かいたけれど、兵士たちは武器も装備もない私たち一般市民を見捨ててあっさり逃げた。残されたのは、地獄なんてものじゃない、私はとてもじゃないけれど、装備を奪う事でしか逃げることしか出来なかった……。傷ついたアルミンのおじいさんを見つけたのはそれからすぐの事」

 巨人から逃れたが、元々足の悪いアルミンの祖父を引きずりながら必死に壁内を目指したウミ。だが、もうガスも残されていなくて、兵士たちも近くに居ない中で、巨人がもうすぐそこまで迫っていた。逃げなければ、走り出したウミだが、小柄で非力な兵士から一般市民へ戻った自分はアルミンの祖父を抱えて走れる体力も気力もなくしており、アルミンの祖父は、子供に呼びかけるように、ウミに言った。「このまま自分は置いて逃げろ」と、「アルミンをよろしく頼む」

「その時には、アルミンのおじいさんは巨人に捕まれてそのまま、……私はあなたのおじいさんの返り血を浴びながら、壁内に、逃げたの……そう、死にたいと思っていたのに、いざ死ぬと感じた時、抱いたのは恐怖だった。私は、わが身可愛さの為に……っ、本当はいつ死んでもいいなんて、嘘なのに。自分がいざ死ぬと思うと、震えて、恐ろしくて怖くてたまらない……逃げ出してしまいたくなる。こんな話を今更蒸し返して何を、って思うよね……余計にアルミンを悲しませる……だけで、でも。私は自分の幸せよりも、あの人との未来よりも、エルヴィンよりも、一番に浮かんだのは、アルミンのおじいさんの言葉と最後まで私を気遣う優しい笑顔、だった」

 その笑顔が浮かんだ時、黒焦げのアルミンの姿に、あの時の自分の罪を償い、楽になろうとしたのだ。

「私は、逃げた。今までたくさんの人の死を踏み台にして生き延びてきた。私はずるくて、臆病で……醜い……自分が犯した罪の重さから、解放されたくて、楽になりたくて。そんな私が幸せになるなんて、リヴァイを幸せにするなんて、あまりにもおこがましい」
「そんなこと、何で、どうして……ウミ……は、女の幸せを捨てて、必死に、僕たちの為に今まですべて投げ出して傍に居て、助けてくれたじゃないか……!! 僕らは、結局ウミがやっと幸せになろうとしているのに、いつも邪魔して、負担にしかならないのに」
「っ、違う、アルミン!! そんなこと言わないで!! あなた達のお陰で私は生きる意味を見出すことができたの。そして、今も、こうして生きているんだから」
「ウミ……なら、なおさら、どうして、リヴァイ兵長を敵に回してまで、僕を生かしたの……?? エルヴィン団長を死なせてそして僕が生き延びるだなんてそんなことが許される筈は無いんだ。ねぇ、ウミは生かされた自分が幸せになることがおこがましいと思うなら、僕の気持ち、わかるでしょ? どうして僕を生かしたの?? それで生き延びた[FN:ウミ]は今は生かされた意味を見つけられたの??」

 アルミンの的を得たその問い掛けにウミは静かにアルミンを抱き締め返すことで示そうとした。まださ迷う深い深い、闇の中、自分は生の意味を求めていた。
 生かされた側の立場となったアルミンの押しつぶされそうな生の罪悪感から少しでも彼が救われるように。
 その意味を探し、その果てに、どんな因果があったのだろう、再び再会した彼に愛されるために生まれてきたのだと、そんな淡い感情を抱いた夜、彼に抱かれこの瞬間の為に生まれた、だから、彼の為にこれからは生きようとした。そう、彼に打ち明けた夜が遠ざかる。
 自分が彼のものに永遠になれないように、リヴァイも自分のものではない。どんなに愛し合っても、届く手はもう遠ざかる、追いかけてもあの人の背中ばかりだ。

「うん、見つけたよ」

 それは嘘だ。
聡明でウミと長い付き合いのあるアルミンにはすぐに彼女が嘘をついたのだとわかった。ウミは本当に不器用で誰よりも人一倍、嘘が下手糞で、年相応の女性なのに柔軟ではなくて、不器用で、だけど、一途で。
 まだ彼女は嘘をついている。これまで生かされてきて、今も生きててよかったと思える瞬間を心の底から感じる事は無いのだと。
 生かされた者は死んだ者達の重みを背負いながら天命を全うする時まで生き続けるのだ。
 だけど、ウミがここまで生き長らえた意味は、あった。と彼女はそれを信じたいと望む。

「それでも、生きている事は、本当に、大きな財産なの、死んだ人たちの為にも、生かされたのなら、生かされた命を抱え、生きていかなければいけない、いつか楽園でまた再会する時に、同じ質問に、ちゃんと答えられるように。ね、アルミン。エルヴィン団長の代わりに生かされたと、あまり、考えたり思い悩んだりしないで欲しい。そして、いつか自分ではなくエルヴィン団長が生き返ればよかったと、思う日が、来ても。約束して欲しい。自分が死ねばいい、その極論だけは実行したり、口に、出さないで欲しい。リヴァイは話していた、夢を見たまま、エルヴィンは死なせてやりたい。と、だからアルミンに注射を打ってエルヴィンは夢を見たまま、この世界を知る事無く死んだの。エレンがね、アルミンの夢をリヴァイに打ち明けたの、「アルミンはその先の未来「海」を見てる」って。エルヴィンは自分の夢がお父さんが死んだことでそれが何としても突き止めなければならない使命に代わって、彼は私たちを導いていたけれどその本心で彼は亡くなったお父さんの謎を追い求めていたの。リヴァイを調査兵団に導いたのも、全てその裏で彼は夢を見て、その夢に多くの兵士たちが死んだ。彼は夢の亡霊に、取り付かれていた。うなされる程に。真実を知る夢を見ていた。だけど、エルヴィンはきっとこの先の夢を描けない。彼の夢はきっと地下室で終わってしまう、この世界はここだけじゃない、壁外にも人がいる事を知ったエルヴィンのその先の人生を思ったんだ。彼は心の拠り所を失ってそれでも未来に向かって兵士として歩んでいけるのか。思い悩んだリヴァイだけど、彼は選んだ、注射器をアルミンに使ったの。この事実はもう変えられない。エルヴィンは……幼少の頃の父親との約束を果たす為に、夢ではなく使命としてこれまで生きていて、この地獄から彼をもう開放してやりたいと、彼を覚める事のない夢の中に。辛いかもしれない、後悔してもいい、だけど、どうか、その命を繋いだことに対して、生かされたその命をどうか、この先、無駄にするようなことはしないで、生かされた事への罪に押しつぶされて、どうかその答えは自分で、出さないで、自らの命を……いつか、捨てたくなる時が来ても、それで生きて、アルミン」
「ウミ……」
「私も、生きるから、一緒にあなたと、自分が生かされた、その答えを探したい」
「ウミは……僕とは、違うじゃないか……君には、リヴァイ兵長が、居る、じゃないか」

 アルミンに注射薬を使って、その願いを実力行使してリヴァイに襲いかかった自分はもうこの先彼と生きていくことは出来ないだろう。事実、彼はもう自分の目を見ることは無い。死ぬつもりで自分は彼の愛の証の指輪も捨てた。それを覚悟してアルミンを自分は選択した。
 リヴァイを取り押さえるどころか自分が抑えられたが、それでも抗った。

 縋り付くような眼でウミは懇願した。どうかアルミンがこの先自らの助けられた命の重さに押し潰され、自ら悲しい選択をしないことを。
 だけど、彼の愛が無くても自分は彼の愛を抱いて、生きていける。もう肌を重ねることは無くとも、それでも。思う事の自由は奪われない。

「私の事は、気にしないで。アルミンはまだまだ人生これからでしょう? アニには自分の気持ち、伝えたの??」
「な、ッ、何で、アニを!?」
「ふふ、クーデター落ち着いた時、真っ先にアニに会いに行ってたってエレンから聞いたの。定期的に通っている事も、いろんな報告をしてることもね、アルミンを見てれば分るよ」

 アルミンは一人ではない、芽吹く淡い感情を自分は知っている、それは自分もかつては抱いた経験がある。共に歩む同期の仲間達がいる。叶えたい未来の夢がある。アルミンはウミの縋る様な眼差しに見つめられ、これ以上自分を責める事はしないと、決めた。
 そう遠くはないその先の未来の中で、ウミの導きを失い、後に、アルミンを暗く、深い自責の海へ落とす事になっても。アニを思う気持ちがより深まるのは自分がベルトルトを食べたから??

「生きていることを止めたら、楽になれる。何も感じくなる。だけど、死んでしまったら、無。しかない。私たちは私たちじゃなくなる。この肉体だけがここにとどまって、魂だけが楽園に向かうの。もうこうして、誰かの温もりを、感じ合うことも出来なくなる」

 ウミは懸命に生きて意味はあった。と嘘でもそれでも自分の生を誰かに肯定して欲しかった。生きている意味はある、まだ、自分は何も知らない。投石攻撃を受けた時、とっさに自分は愛馬に隠れたのだ。
 愛馬もまるで自分を守るように、命を賭けてくれたのだ。猛烈な投石の雨を潜り抜けて、駆け抜けた彼女は今楽園へ向かったのだろうか、ハンジの腹心の部下のモブリット、彼も恐らくは帰らぬ人となって。

「たまに死にたいと、楽になりたい、と、そう、思う事もある。けれど、私も……生き延びた、それでもまだ生きていたい。これまで生き延びた所で、もう一度叶わなかった夢を叶えることが出来た」

 愛する人と結ばれて、そしてこの手に抱くことが叶わなかった我が子が生きていると知れば会いたいと思うのは自然なことである。きっと、この生かされた意味をようやく、誇れることが出来るのかもしれない。薄暗い地下からヒストリアの孤児院で今も生きている、と知り、会いたい、今すぐに我が子を抱き締めて、これから始めればいいと思う。
 だが、子供は親に捨てられたかもしれないと思って生きている中で自分は会うことが許されるのだろうか。

「アルミンが生かされた意味が必ず分かる時が、必ず、訪れるから……今は分からなくても、近い未来あなたが託された命を、また誰かに託す時が」

 アルミンも希望を捨てずに生きて、ウミは必死にアルミンを抱き締めながら、リヴァイへ思い馳せた。
 この先の未来へ大きな決断をした彼が、エルヴィンと言う半身を失ったことで獣の巨人への憎しみとエルヴィンとの誓いをこれから糧に生きていく孤独の道を行く彼にせめて、安らかであれ、と。
 彼が地上に上がって来たのは、エルヴィンの存在で会って、自分ではないし、この先の未来を生きていく彼の魂の伴侶は、自分ではない。
 ただ一人だけ、その存在を自らの手で眠らせた彼の痛みに自分はもうこの先、彼を屈服させようとした自分では到底、受け止めきれないのだろう。だが、それでも生きて、切実に願う彼は、自分とは違う、後にアルミンは調査兵団にとって大きな存在となるべき偉大なる未来へ向かうのだ。



――「こら、エレン!! 地下室に入っちゃ駄目って何度言ったら分かるの??」
「何で地下室に入っちゃダメなんだよ!?」
「お父さんの大事な仕事道具があるの。薬もあるし、子供には危ないんだよ」
「ちぇっ……」

――「君の意志がカギだ。この絶望から人類を救い出す、鍵なんだ」
「彼の生家があるシガンシナ区の地下室には……彼も知らない巨人の謎があるとされている。その地下室に辿り着きさえすれば、我々はこの100年に渡る巨人の支配から、脱却できる手掛かりを掴めるだろう!」

 壁上から飛び立った代表してエレン・イェーガーの生家へ向かうハンジ、リヴァイ、そしてミカサとエレン。四人が自分達の生まれ故郷へ踏み出したのを見届けるため再び彼らは眠るサシャを囲んでそれぞれが、沈黙していた。

「アルミン、裸にジャケットじゃ冷えるよね……、その、恥ずかしい、と思って……」
「あ、ありがとう……ウミ」

 掛け布を肩に羽織り見つめるアルミンと、ウミ。うなだれたままの同期達は誰も言葉を発することなく、あの時の注射器の答えの先を見つめていた。アルミンとウミの向けた目線の先は今も情景が浮かぶ、変わり果てた亡霊の街。その光景を、ただ、静かに見つめていた。乾いた風が吹き抜けて、半分に折れ曲がった看板がカラカラと音を立てて、そしてすり抜けていく。灰色に見えた街が、今は五年前のあの日と同じ景色をしていた。

「おい、家は何処だ」
「あ……はい」

 リヴァイに問われ、エレンを先頭に歩き出す四人。すっかり廃墟と化したシガンシナ区には冷たい風さえ感じられた。ゆっくり故郷を懐かしむように歩きながらも交わす会話は無く、誰も言葉を発しない。歩きながら、エレンとミカサを追い越していくのはかつての幼く無邪気だった自分達、嬉しそうに住み慣れた日常街を駆け抜けていた。
 何時までも、こんな平和な日常が過ごせると、そう信じていた、疑う余地も無かった。巨人は壁の仲間では来れない、届かないのだと、100年前に築かれた三重の壁によりこの壁内人類たちの安寧は守られている、そう、言い伝えられていた。
 出店が並んだメインストリート。色とりどりの果物や野菜が売られていた。露店商の女性は生まれたばかりの我が子を背に抱き商売をしていた。
 広場に行けば、ハンネスがいつも酒瓶片手にうろうろと歩き回り、同じ駐屯兵団の仲間達と酒を酌み交わして時には自分達をからかい、楽しんでいた。
 アルミンを虐めていた悪ガキたちとよく露店を破壊しながら取っ組み合いの喧嘩をし、ミカサがいつも自分を助けてくれた。
 買い物かごに色んな食材をいつも抱えて、母親は買い物をしていた。その後姿が夕日に霞んで見えなくなりそうだ。
 思い出を辿るように一つ一つを踏みしめて街並みを歩く、目線の先には母親が先を歩き、やがて自分達の家がある曲がり角の建物を曲がり姿が見えなくなる。
 超大型巨人の出現により地獄絵図と化した平和な日常の崩落から母を探しに急いで帰路に向かって駆け抜けた幼く無力だった自分達。飛んできた壁の破片の下敷きになり変わり果てた姿になった近所の住人を横目にどんどん当時の悪夢を思い出しては顔を青ざめさせていくミカサとエレン。
 この角の先で、大丈夫だと信じていたが、待っていたのは……母親が超大型巨人の破壊した壁の破片が命中し崩れた家の下敷きにされて動けずに居ると言う想像したくなかったが紛れもなく現実。目を覆いたくなるような地獄絵図だった。

「この家かい?」

 壁の破片により押しつぶされた自宅、石段を登った先で見つけた光景を思い出し硬直するエレンとミカサにハンジが静かに問う。
 巨大な壁の破片には長い年月雨風に晒されて、朽ちており雑草が生えており一羽の鳥が飛び立っていった。
 古びた片方の靴が落ちていて。エレンはその靴を見つけると父親にいつも地下室はいつ見せてもらえるの?と問いかけていたことを思い出していた。

――「ねぇ、父さん!! いつになったら地下室見せてくれる?」
「さぁ……お前が一番大事な物に気付いた時かな?」

 破壊されたエレンの家に近づきながらハンジは地下室に繋がる扉を見つて周囲を見渡す。あの激闘の中でもエレン達が住んでいた区域は超大型巨人の炎の被害を免れることが出来ていた。

「幸い、こっちには火はこっちには来てなかったようだね」

 安堵するハンジにエレンの家の周囲の瓦礫や割れた食器などを避けるエレンとミカサとリヴァイ。
 リヴァイは足で全ての瓦礫をどかしつつも同じようにその隣の破壊の限りを尽くされぺしゃんこに押しつぶされていたウミの家を見ていた、何度か彼女と共に通ったウミの家。叔父のケニーも何度か通った家。ウミの全てを形作る、確かに幸せがあった空間。
 自分とは違い、両親に大切に愛されて家もあり、可愛い洋服もあり、何の不自由もなく暮らしていたウミが調査兵団を決めて飛び出した家、地下に売られて帰りたいと描いていた家の景色。

「リヴァイ。ウミの家に用はないよ」

 ハンジは普段以上に言葉を発しないリヴァイの目線がウミの家を見つめていることをすぐに気付き釘を打とうとする、ここで私情を優先している場合ではない。だが、リヴァイはそれでもウミの求める物が少しでも無いか、その双眼は探していた。
 散乱している自分達が使っていた食器をどかしながらエレンとミカサはようやく瓦礫に入り口をふさがれた地下室の入り口に繋がる床下のドアを発見し、ハンジとリヴァイへここが入り口だと指し示した。

「ここです。この下に、地下室への階段が」

 全員で近くにあった柱を使い、てこの原理で巨大な重みのある岩を転がすと、銀色のドアノブを掴んでエレンがその地下に続く扉を開く。開かれた先に続く地下への階段。明かりを頼りに下へ降りていく。家を破壊され、扉は長い間雨風に晒されていた割に浸食はされずに居たのか、地下に水は溜まっては居なさそうだ。

「よかった……水は溜まってないみたいだ」

 一つ一つ、安心しながら地下室への階段を降りていく。地下に閉ざされ暗闇の足元が悪い中をランプで照らしながら。確かめるように。いざ、開かれた扉を前に緊張の面持ちで固まるエレンに対し、ミカサはエレンへ行こうとポン、と肩を叩き先の見えない暗闇の道を促した。

「行こう」

 ゆっくりと、踏みしめるようにようやくたどり着いた真実。多くの犠牲の果てに自分達はようやくグリシャの遺した遺産を、エルヴィンが見ることの敵わなかったこの夢の果てを今から見る、誰にも知られずに時を刻み続けていた真実の歴史の先駆者となる。
 薄暗い階段を下りた先にある地下室への入り口。ドアには侵入を拒むかのように南京錠が掛けられている。恐らくは、この鍵がこの木製の扉を開けるのだ。

「エレン、開けろ」
「はい、」

 リヴァイに促され、エレンは胸元に下げていたどんな時も手放さなかった鍵を取り出し、ようやくこの真実への旅の終わり、この鍵を使う時が来たのだと、緊張の面持ちで地下室の鍵を使用する瞬間を噛み締め、そっとその細い鍵先を鍵穴へと挿入した、その時。

「うっ!!」
「どうした?」
「エレン?」
「早くしろ」
「……これ……この鍵……この扉の鍵じゃない……」
「え!?」
「そんな……イェーガー先生が持ってたのは、その鍵のはず……」

 ここに来てまさか鍵が違うなんて、驚き、戸惑いを隠しきれないグリシャの事を知るミカサとエレン。そんな二人にリヴァイが冷静にその扉を見つめ、割り込んで来た。

「……どけ。俺が開ける」
「え!? ちょっとリヴァイ!?」

 マズイ、ドアの前に立ったリヴァイの背中に激しく嫌な予感がするがハンジの制止の声も構わずにリヴァイは低い掛け声とともに、審議所でエレンを蹴り飛ばしたあの時を彷彿とさせるような蹴り技を見舞ったのだ。鍵が使えないのなら、力づくでと、リヴァイの鋭い蹴りが勢いよくその木製のドアを粉々に破壊したのだ!!バキッ!!と音を立ててリヴァイの鉄より重い蹴りによって地下室の扉が蹴り開けられたのだった。

「あ、あっ…待ってよ」

 ギィイイィイィと重々しい音を立てグリシャが長年ずっと秘め続けていた禁断のイェーガー邸の地下室の扉だった木片がそのまま床に打ち捨てられその開かれたドアの隙間から侵入した。
 暗闇に閉ざされた地下室に灯るランプの温かなオレンジの光が広がってどんどん周囲を浮かび上がらせていく。もちろん五年間誰も手付かずのままの部屋。ところどころには蜘蛛の巣が張り、薬品の瓶が詰められた本棚や積み重なった木箱には大きなサイズの巻物が射しこまれ、何処からどう見ても医者だったグリシャの仕事部屋で。ざっと周囲を照らしても怪しい物は何もない。

「なんだか、研究室みたいだねぇ」
「父は医者だったので、良くここにこもって薬の調合をしていました」
「なるほどね。確かに、この薬品も明示されている通りなら、一般に流通してるものだし。どの本も医学に関するもの。一見して医者であるイェーガー氏の仕事部屋だ。「何も怪しいものはありません」私にはそう主張しているように見える」
「まぁ…中央憲兵に見られて困るようなもんは一見しただけじゃわかんねぇだろうな」

 調査を進めるハンジとリヴァイ。ハンジは本棚の本に手を伸ばし、リヴァイは薬の瓶を調べている。その2人に反し、エレンとミカサはこの鍵穴をはめる様な穴が無いと、手持ち無沙汰の鍵の行方がこれまで守り続けてきた鍵が意味が無いことに対してショックを受け、茫然と立ち竦んでいるのを見かねてリヴァイが声を掛ける、思い出に浸るのもいいが、今はその鍵の穴を探せと。必ずここのどこかにはある筈なのだと。

「……オイ、突っ立ってんじゃねぇぞ、ガキ共。エルヴィンの勘はそう外れねえよ」
「「はい」」

 リヴァイに促され、同じようにグリシャの使っていた机の近辺を調査し始めるエレンとミカサ。エレンは本棚の本を一冊一冊確かめながら中身に何か挟まっていないかを探しつつ、ミカサは机周りを調べていた。引き出しを開け示し、置いてあった本を取ったその時、その本に引っかかるように木製のカップが空の音を立ててそのまま床に落ち、ミカサは、そのカップに見覚えがあった。五年前の記憶がふつふつと、蘇る。
 両親を強盗に殺され、行き場所の無かった自分を引き取り、まるで我が子のように育ててくれたイェーガー家。そしてグリシャ。

――「ありがとう、ミカサ。今夜は徹夜だ」

 そのカップは地下室にこもるグリシャにいつも盆にのせて渡していた紅茶の入ったカップだった。懐かしくなり表情を緩ませるミカサ。そのカップを拾い上げ少し目線がずれた時だった。

「! ……エレン」

 ミカサは調べていた机の正面ではなく横側に肉眼ではよく見ないと認識できない場所に鍵穴があることに気付いたのだ。ミカサの声に作業を止めて。慌てて駆け寄るエレン達。

「ここに、……鍵穴がある」

 机の正面ではない左側。上に置かれた天板の下に鍵穴があり、エレンが胸に肌身離さずこれまでぶら下げていた「地下室の鍵」を差し込むと、カチャリ。と、錠の外れる音が静寂の中で響く。エレンの持つ地下室の鍵が、ここでピタリとはまったのだ。

「……開いた……」

 ゆっくりとその引き出しを開けると、なんと、そこは何も入っていない。空だったのだ。

「空(カラ)――!?」
「よく見ろ。二重底だ」

 こういう構造は地下のゴロツキ時代の頃から飽きるほど見てきたし、知っている。ショックを受け動揺するエレンをなだめ、リヴァイは冷静に引き出しの底板を外すと、そこには3冊の本が厳重な防虫処理を施されて、並んでいたのだった。

「この匂いはハッカ油に木炭、防湿防虫用に加工されてるのか」

 本の間にぎっしりと挟まれた柔らかな布の匂いを嗅ぐハンジはその本がどれだけ重要で厳重に管理されていたかを、かみ締めるのだった。

「本が3冊……」
「俺達の探し物は、これらしい」
「親父は……オレに……何を見せたかったんでしょうか?」

 グリシャの手記へ手を伸ばすエレン。一体何が記されているのか、それを知った時、自分達は何を知るのだろうか。得体の知れない未知への恐怖にカタカタと震えるエレンの手を安心させるように、同じようにその手を重ねるミカサ。
 ハンジ、リヴァイが、固唾を飲んで見守る中、その表紙がゆっくりと開かれるのだった。

「その時、エルヴィンは。こう質問しました。「壁の外に人類がいないって、どうやって調べたんですか?」…と。彼いわく、人類が壁の外をロクに出歩けない以上は、人類が巨人に食い尽くされたことを確認できないはずだと……。

――「それなのに、歴史書は「食い尽くされた」と断言している」
「んん??」
「本来、歴史書というものは客観的であるべきで、「食い尽くされたと思われる」と表記が正しいはずだ」
「そんなもの、言葉の揚げ足取りじゃないか」
「違う、主観的な意図があるんだ。例えば、「壁外に人類は存在しないと思い込ませたい」とか。それはつまり……歴史書を発行する王政側の意図だ」
「考えすぎたよエルヴィン。そう言うの屁理屈と言うんだ」

 ナイルの思い出話に耳を傾けるザックレーとピクシス。ナイルはエルヴィンが死に際にうわ言のように呟いた言葉を口にし、そして今となっては同期で友であるエルヴィンの思いをどうしてもっと本気で受け止めなければならなかったと、悔やむ。

「あの時茶化した自分が、今となっては……」
「本人に直接詫びるほかあるまい」
「もう夜が明ける頃か…英雄の凱旋となるならもうじき…」

 走り寄る誰かの足音に気づくピクシス。飛び込む勢いで駆け込んできたのは、腹心の部下である。アンカだった。アンカは息を切らしながら急いで今起きた出来事を伝える。帰ってきたのだ、兵士たちが、壁内人類の脅威を跳ね除けて。

「只今、調査兵団が……帰還致しました!! ウォール・マリア奪還!! 成功です!!」

帰還した自分たちを温かく迎える住人たちの割れんばかりの拍手と栄光の喝采。しかし、その自由の翼には多くの兵士を犠牲にそれでも生きる意味を託された生者たちの証として、揺れていた。



「これは…肖像画?」
「ちょっと見せて。イヤ……人が描いたとはものとは思えないほどの精巧さだ」
「それ、おじさんの字」
「確かだな?」
「はい、間違いありません」

恐る恐る震えるエレンの手に重ねられたミカサの手。ゆっくりと開かれたページに挟まれていた一枚の写真と呼ばれるグリシャの若き頃の、カルラでも自分でもない赤子を抱いたグリシャが。開かれた書物、グリシャの写真の裏には、こう、文字が綴られていた。

――「これは絵ではない。これは被写体の光の反射を特殊な紙に焼き付けたもの。「写真」という。私は人類が優雅に暮らす、壁の外から来た。人類は、滅んでなどいない。この本を最初に手にする者が、同胞であることを願う――……」

グリシャは語る。

――「私は、まず何から語るべきか考え、あの日を思い浮かべた。この世の真実と向かい合った、あの幼き日を」

今100年間の沈黙を経て壁の中で隠蔽されてきた本当の、真実が明かされる。

To be continue…

2020.08.20
2021.03.17加筆修正
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