SHORT | ナノ



「Frozen」
SHORTSTORY

真っ白な雪が静かに降り積もる2月、節分を過ぎても相変わらず肌寒くて凍えそうな日々は続いている。
そして、彼が海の家で暮らし始めてからもうすぐ初めてのバレンタインの季節がやってくる。

甘いときめきの季節、聖バレンタイン。
元は殉教した聖職者に由来する記念日なのだがいつのまにやらこの国では女の子がこぞって義理や本命や友チョコと色んな名前を付けチョコを選んだり作ったり、そして愛を打ち明ける日になった。
彼女もそうだ、しかし、ときめきは無くこんな寒い寂しい季節に憂鬱な気持ちになるのは何故だろう。
友達でも恋人でもない、2人の曖昧な関係はお互い歩み寄る努力をしなければいつまでたっても平行線をたどるばかり。
真夜中、海は何度も何度もうとうと微睡みながら寝返りを打つと壁際を向いて眠る彼が視界に飛び込んできた。
寝ようと瞳をぎゅっと閉じてから10分、20分経ったかもしれないし、もしかすると60分が過ぎたのかもしれない、充電器に繋いでいた携帯を見ればディスプレイは午前の3時前を指していた。
小さな彼の寝息が聞こえる、毛布にすっぽり身を包んだ膨らみが静かに上下する、彼が確かに生きている何よりの証に微笑する、よかった、彼はすっかり安心して寝っている様子だから。
出会ったばかりの警戒心剥き出しの肉食獣だった時とは違う穏やかな彼の寝息に海はふわりと安堵の笑みを浮かべると眠れないからと近くにあったセットアップを取りゆっくりと素肌に纏うと立ち上がり寝室となった深々に冷え切った自分の部屋を後にした。
几帳面で神経質な彼により部屋はいつも綺麗に保たれている。中途半端に読み開かれた雑誌、脱ぎ散らかした服も下着も綺麗に折り畳まれて…下着まで当たり前のように洗濯してくれる彼への感謝の前にこみ上げた羞恥に顔を赤らめる。

・・・あれはとっさのアクシデントだと分かっているのに、
棚から脚を滑らせ落ちた自分をとっさに抱き留めてくれた彼に・・・またアクシデントを装って抱き締められたいなどと心の底は彼の温もりを欲し、叫んでいた。

しかし、それは許されないのだ。
海は唇を噛みしめ切なさに胸を甘く痛めた。
この切なさを何に形容するのか理解している。
幾度も味わってきた片思いの切なさ。
分かっている、リオンは遅かれ早かれいつか帰ってしまう・・・行く宛がない彼をただここに留まって貰って居るだけで。
それに、彼には好きな人が居るのだ。

力強いクールな腕の中に抱き締められたあの陶酔感を、甘い香り、求めている、乾いたキスを交わして溺れてみたいだなんて・・・。

寝室を抜けリビングを抜けて暗がりを突き進み冷蔵庫に付くと静観なキッチンが温かな温度を纏う海を受け入れるのを拒むかの様に冷気が張り巡らされる。

当たり前の様に冷蔵庫を開けて飲み物に手を伸ばしたが、ふと開けた冷蔵庫の中、上の隅の方に無機質なボウルを見つけた。

「何かしら?」

何とはなしにそっと綺麗に整えられた仕事用に整えた薄く桜色に塗られた指先を伸ばすと冷たいボウルの中には仄かなチーズ、マスカルポーネの香りがした。

何かの作り途中なのか…分からないが海はマスカルポーネならばその果てに彼が作るのはティラミスだと言う事は分かった。

しかし、なぜそれが冷蔵庫に入っているのか、その用途が分からない。

綺麗に片づけられたキッチンで、世話になっているからと最近は自ら進んで料理をしているエプロン姿も男らしい育ちの良いお坊ちゃんの彼がまさかお菓子、しかもその中でも上級レベルのティラミスを作っているだなんて。
はて、バレンタインに誰かに渡すのだろうか、それとも彼の住んでいた世界では自分で作ったチョコを食べる風習なのだろうか。

自分に渡すと言う選択肢はない。
確かめる勇気なんて本当はいつも無い、彼の語らない背中を黙って見つめているのだ。
そう、期待して傷つくのが怖いだけ。
バレンタインは次の日曜日、今年は休日にバレンタインの為に今から職場の方への義理チョコにまで思考を張り巡らせなければならない海はため息を付くとペットボトルの中のスポーツドリンクをごくりと一口飲みまた部屋へと踵を返した。

素足でひたひたと歩く、北の海沿いの冬は雪は積もらないが寒い、ひやりとした冷たい空気がふわりと肌に触れて体温や思考すら奪ってゆく・・・

しかし本心は複雑だった。
義理でも好きな人以外にあげたくはない、それが彼女の本音で、でも、社会人として身を置く以上世話になっている上司にも対してそんなわけにはいかないのだ。
好きな人に溺れて夢中になるくらい、今の自分はこんなにも彼が好き。
眠れないのはきっと彼が隣にいるから、意識してしまっているから。

ひやりとした空間に睫毛をしばたかせするりと潜り込む毛布は柔らかくて温かい、身じろぎをすると不意に壁際をずっと見て眠っていた彼が寝返りを打ちまっすぐに互いの視線が交わった。

寝付けずに何度も寝返りを打つと、同じく寝返りを打ったリオンと視線が暗闇の中で交わった。
暗闇に慣れた視界、ベッドの隣に敷いた布団から覗く暗闇でも分かる鋭い彼の瞳に心臓をぎゅっと握り締められたかの様な錯覚に陥る。
不思議そうにこちらを見つめるリオンに高鳴る鼓動を隠しきれない。

「っ・・・リオンくん、起きてたの?」
「お前が目を覚まして冷蔵庫に行く前から、」
「・・・ごめん、なさい」
「何故謝る。」
「だってて私、」

どうやら寝ていたと思っていたら彼ははっきりと起きていたらしい。
ただでさえ低い声は夜だと更に掠れて聞こえる、誤って聞き逃してしまわない様に何度も海は身を乗り出し耳を傾けた。

「冷蔵庫の中を覗いたのか」
「え?」
「いや、」

今、自分は何を?
リオンは悟られぬ様に口を噤んだ。

2人は、本当はお互いを誰よりも大切にしている、仕事が終われば頼まれなくてもリオンが夜道は危険だからと傘を手に仕事の帰りを待ってくれている。
彼のためにと定期貯金を解約し、服やアクセサリーや下着まで、何でも買って彼の私生活には不足はない。
おまけに県立の新しくできたばかりの図書館が彼のお気に入りスポットで更に満足している。

お互いがお互いを尊重して、きっと、両思いなのは誰から見ても明らかなのに・・・
しかし、異なる世界で巡り会えた必然なる運命の悪戯に翻弄されて、そして2人は大きな誤解をしたまま近寄るのを躊躇っている。
愛に傷ついた2人だから、離れることを踏まえたこの曖昧な関係から踏み出せずにいるのだ。
たとえ実ったとしてもこの恋には遅かれ早かれ別れがやってくる。

無意識にとんでもない寝言などを呟いたりしていないだろうか・・・。
海は起こりもしない不安に駆られたが読みかけの雑誌がテーブルにきちんと置かれるくらい、彼が夜な夜な目を覚ましては暗闇を徘徊する海がうっかり躓かないように考慮して片づけてくれていることにも幸せな海は気付かない。

やはり生まれながら培った警戒心はいつまでも消えないのだろう。
彼は本当に夜もろくに眠れないくらい夜の闇以上の深淵を身を持って経験して、そしてクールに突っぱねながら本当は誰よりも傷つくのを恐れているのかもしれない。
彼は優しいのにうまくそれを他人に見せることができないのだ、その不器用さが逆に愛しくさせるのに。

「おい、」

微かに紡いだ愛しい存在の名前は喉につっかえた。

「どうし、たの?」
「・・・あの紙包みの山は何だ?」
「あ、チョコレート、だよ。
バレンタインでお世話になってる会社の人に義理で配るんだ。」
「義理・・・」

義理、その言葉に確かに海の純粋な気持ちはないと感じ内心安心した。
間違いない、海はまだあの男が、好きなのだから。

「あ、あのね。」
「何だ、」

リオンの声は今の張りつめた空気を更に感じさせるほど寒い大気に何よりの優しい雪を思わせた。
雪が静かに降り積もる、明日も寒くなるだろう。静かな外は車の走る音すら雪に吸収されグレイな空は白に覆われ純白に塗り替えられた都会は何処か美しかった。

「なんでもないの。ごめんね」

謝らないで欲しかった。
そんな悲しい声で悲しい笑みで呼ばないでくれ。
リオンは暗闇の中で悲しみしか引き出せない自分の存在に絶望した。

伝えたかった、冷蔵庫の中のあのボウルの中にあるティラミスは誰のために…
互いに問う勇気なんか自分には無いと。真夜中の会話は遮断されてしまった…

リオンは微睡み掛けた海がすやすやと小さな寝息を立てる前に確かめたい事実を事実だと気付かれぬ様に身を乗り出し、2人の間に出来た蟠りもまだぎこちない中、2人は寒さに身を震わせた。

ベッドの傍らにフローリングの床の上に敷かれた布団に横たわり慣れない雑魚寝にリオンは寝入るまで少し毛布にくるまった海の上下する膨らみとちょこんと覗く緩やかな髪に触れたがっている自分の浅ましさに苦笑すら浮かばなかった。

翌朝、海よりも早く起きていつもの様に朝食の支度をしてコテを温める。
仕事に向かう海を起こしに部屋へ向かうと海もちょうど起きたところだった。

「おい、さっさと起きろ。」
「ふわぁ〜おはよう」
「・・・あぁ、ほら、起きろ。」

海はむくりと身体を起こすと髪の毛が伏せられた睫毛がフワリと揺れた、瞼をごしごしとこすり眠たそうにあくびを小さな手で隠す無防備な寝起きの仕草にリオンは背を向ける。

「あったかい」
「おい、そのままこたつで寝ようとするな」
「いや・・・。生理前だから眠いの・・・っ」
「駄々をこねるな、」

涙で潤んだ瞳が揺らいで、柔らかな唇が自分の名を呼ぶだけで頑丈な理性で凍てついた獣じみた本能が叫びだし狂いそうになるのだ。

ゆっくりゆっくり身支度を始める彼女を暫し見守る中、流石に海の着替えには目を背けたが、彼女のチョコを義理でもいいから欲しいと浅ましく願う利己に蓋をした。

「じゃあ、いってきます。
部屋の鍵とお金と携帯はあるから、好きに外に出ていいからね、綺麗なお姉さんに話しかけられてもついてったら駄目だから、ね?」
「・・・分かっている、何度もくどい。」
「ごめん、なさい・・・」

些細な彼の言葉は時として鋭い刃となって海の心を無意識に傷つけている時もある、しかし、出会ったばかりの頃よりはかなり物言いも優しくなったのだ。

「お前も、気を付けろ」
「え・・・」

嘘のない紫紺の瞳が海見つめている…背中越しに届いた声が低くて聞き取れなくとも海には伝わっていた。

「うん・・・ありがとう、リオン君。」

玄関の扉を閉め、かつかつとブーティの踵を鳴らして歩き出した海の後ろ姿が見えなくなるまでリオンは食い入る様に見つめていた。

悲しい。こんなに見つめているのに。マリアンを見つめれば彼女はいつも優しく微笑み返してくれたのに、そうじゃない、母親と父親の愛さえろくに受けず、マリアンには憐憫の眼差しでしか見られなかった愛を知らないこんな血に汚れた自分に触れて優しく笑って愛を示してくれたのは、唯一、海だった。

海にもっと愛されたい。
抱いた気持ちよりも辛く身を引き裂かれそうなくらいに海を、好きになっていたなんて…―!
思いを打ち明けられないだけじゃない、海の声で父親に奪われた自分の本当の名前、エミリオと呼んでくれ。

リオンはもう終わりと決別を見据えていた。
このまま隣で優しい愛しい海と笑いあえる日々なんて無理だ、何度眠る彼女に触れようとしたか。

欲望のままに海をこの血にまみれた手で汚したくなんかない。ならば、その前に消えてしまいたい。
好きだから消えてしまいたい。温かくて柔らかいその小さな温もりに満たされたくなった。

聖バレンタインデーはローマ帝国の迫害下で殉教した聖職者バレンタイン司祭に由来する記念日、つまりセインガルドにはバレンタインという風習がない。
そんな中でこの世界で目を覚ましたリオンがバレンタインを知ったのはほぼ最近だ。
欧米では男が女にプロポーズをしたり、2月14日は愛の日となっている。
海の仕事中の合間にと出来た図書館に入り浸りほとんどの本は読破していた。
最近はイタリアの洋書が個人的に好きでありそこでバレンタインの存在を知ったのだった。
そしてティラミスのレシピを頼りにリオンは甘いものが苦手な彼女にチョコを贈ることにしたのだった。

海を見送った後、携帯の電源を切る、玄関の鍵も閉めて濃く深いセルリアンブルーのエプロンを纏うとキッチンに立ち昨夜のうちに準備したボウルの中からマスカルポーネチーズを取り出した。

彼女が帰ってくる前に。
リオンはシャルティエの代わりにも到底成らない泡立て器を持った。

海も職場の女性たちで買ったチョコレートを男性社員たちに配り終えるとすっかり空になった紙袋を折り畳みゴミ箱に捨てた。
そんな中で、海はぼんやりと書類を書く手も進まない状態で下腹部をさすりながらリオンに送ったメールの返事が来ないことにただならぬ不安を抱いていた。
生理前ということもあり普段の自分ならば気にしない小さな不安が今は大きな波として自分を引きずり込もうとしてくる

「海ちゃんは本命には何かあげたのかな?」
「えっ・・・!?」
「冗談だよ、でもその反応は!あのかっこいい彼氏か?」
「そんな!っち、違います・・・!!」
「ははははは!いいねぇ〜!青春だねぇ〜!」

不意に冗談混じりでそう囁かれて真っ赤な顔で海は否定するが徐々ににまた悲しい笑みに姿を変えてしまった。

本当はとっくに準備してあるのだ。
彼が図書館にいる隙を狙い作り職場の冷蔵庫の中で冷やされたままのチョコレートババロア。
ラッピングをしてただ渡せばいい、さっきの職場の人みたいに、そんな簡単なことが出来なくなるくらい自分は彼を意識してしまっている、男性として、年下だと思っていた彼を好きになってしまった。

本音を言うのであれば今すぐにでも彼にだけ、そう、彼にだけ。

渡したくて渡したくて、本音はリオンに渡したくてたまらないのに、渡すことは許されない。思いを告げても彼との別れは見えている、また好きなのに、離れなければならないあんな悲しくて身を引き裂かれるよりも辛い思いなんてしたくない。

確かに自分には大好きだった人が居た。永遠すら感じていた恋は馴れ合いの果てに呆気なく終わりを迎えて別れた彼の面影に縋り付いて泣いていた海に冷たくも本当は誰よりも暖かな手を持つ優しい彼が現れて。
孤独を持ちながらも強く生き抜いた心惹かれた…好きだと、指摘されて好きだと、自覚するのにそんなに時間はかからなかった。

「海。あのさ、リオンにせっかく作ったのにチョコレート、渡さなくていいの?」
「友理ちゃん。」

落ち込む海の元にやってきた同じ職場で働く友里が心配そうに海の顔をのぞき込んだ。
唯一リオンと海の関係を知り、そして2人の大事な仲介役だ。

「渡したいよ、でもね、」
「なに?渡したくないの?」
「やっぱり・・・怖いのっ!リオン君には好きな人が居るのに渡したら迷惑だって・・・気持ちに答えられないって押し返されるのが怖くて」
「もぅ、ほらほら、泣かないの。海もさ、中途半端なままで居たって辛いのは変わらないのよ?振られるのは確かに怖いよ、でもさ、あいつが一生懸命作った海のあのババロアを要らないなんて言う奴だった?」

友里は加虐心たっぷりにこれまで海を悩ませたリオンに対して容赦なく遠回しに海に告げる、彼は必死に隠してはいるが大の甘党なのだ。
友里はそれをあっさり彼から聞き出した。

「さ〜仕事しなくちゃ!
日本くらいよね、女の子から一生懸命作ったチョコをあげるのって、義理チョコをあげたくなくて落ち込んでたのはもう平気かな?」
「しっ、友里ちゃん〜、」
「ふふふ、大丈夫、いつもみたいに渡しなさい。
リオンはね、ああ見えて優しいのは知ってるでしょ?」
「うん」
「なら、なんにも心配いらないわよ!」

友里は意味深に笑みを残すとため息をついていた海に背を向けトイレの個室に飛び込む。

「リオン、まだ出来ないの?
いい、渡さなきゃ海に夜な夜な海をおかずにシテることばらすからね?」

携帯を閉じ友里だけが幸せそうに笑った。
腕時間は刻々と時を刻み外は次第に昼間から夕闇に染まる。
最悪なことは重なる、いつもなら残業な筈が今日は今日は幸か不幸か、定時に上がれてしまった。

仕事が終わった以上職場に留まる理由なんか無い、仕方なく海は半ばやけくそに押しつけられたババロアにしっかりラッピングを施し、不安でたまらないのにそれでもいざ渡すとなると、彼の喜んだ顔を思い浮かべたらただ嬉しくて。
口元に優しく淡い笑みを浮かべた海の姿は本当に恋をしている女の子の優しい眼差しだった。

一方、リオンもリオンで無事にティラミスを作り終えることが出来たらしく安堵の表情を浮かべていた。
さっそくラッピングをしようとした瞬間、ついさっき起動した携帯からメールの着信音が流れたのだ。

しかし、それはもう30分前に送信されてセンターに引っかかっていたもの。
つまり、もう手遅れなのだ。

「リオン君、ただいま」
「!!」

隠そうにも、もう遅い、海の視界に飛び込んできたのはココアパウダーがたっぷり上から霧が掛かるように掛けられたティラミスだった。
不意に過ぎるのは。

「見るな!」
「ご、ごめんなさい!リオン君、それ好きな人のために一生懸命作っていたんだね、」
「っ、違う・・・!」

違う、違うと、心は叫ぶのに・・・しかし、海の笑顔は悲しいくらいに綺麗だった・・・

「いいの、良かったね、うまくできて、きっとリオン君の好きな人も喜ぶね」

違うのに、本当は海の為に作ったティラミスだったのに。
伝えればいいのに、伝えきれない、許されない。
海もそうだった。
傷つくのを恐れ離れるのを怖がり言いたいことを言うことが出来ず黙り込むことを人は無意識に覚えた。

だから、身体は無意識に動くのか。

「違う、僕が作ったのは。」

100年の沈黙の後だった。

「お前に食べて、欲しい」
「えっ」

海に好きだとはこの気持ちを言えずに。
I LOVE YOUの代わりになる言葉があるなら誰か代わりに教えて欲しい。
伝えたいのに、好きで好きでたまらないのに。

ただ、願うだけ。
今だけは誰のものにもならないでくれと
今だけは、最後に、この身体が消える前に好きだと打ち明けるから。
どうか、食べて欲しい。

「あのね、」
「バレンタインには少し早いが分かっている、義理で、作ったんだ。」

義理、弱虫が、情けない男だな。自嘲を浮かべそう告げた形のいい唇が震えているくせに本当は傷つくのが、怖いんだ。
怖いだけで、自分の本能・煩悩をコントロールが出来ない。

「リオン君。私も、食べて貰いたいものが、あるんだ。」

背中を向けたまま、切り分けたティラミスを差し出し顔を上げるとリオンの視界に飛び込んできたのは、海がリオンに差し出したのはクールなブラックの包装紙に包まれた中がフィルムで透けて見えるスタイリッシュでクールな雰囲気のリオンを模したラッピングの。

「リオン君、甘いもの嫌いだって、言っていたから…ババロアなら食べられるかなって、」

もう、お互いに歯がゆさに織り混ざる切なさは限界点に達していた。

「海」
「っ・・・」

低い声で彼に名前を呼ばれるだけで、こんなにも幸せだ。熱く胸が震えて涙が出た。

いつも自分を見つめるリオンの視線は甘く、優しくて絡め取られたかの様に海は呼吸を忘れた。
耳元でまた低く名前を囁かれ海はくらくらと酔いしれる、ティラミスから香るリキュールではなく、リオンに。

「リオン・・・くん」
「ありがとう、海」
「うぅん、ありがとうを言うのは、私だよ」

「海」

世界に1人だけの愛しい人を悲しみと絶望の向こう側で見つけた…

もう、必然だった。
リオンは必然的に海を抱き寄せていた。
腕まくりをした大きくて繊細な手が海の頭を包み込み腰を引き寄せる。

「すまない。
嫌なら、突き放してくれて構わない・・・」
「いいの、謝らないで、私は、嫌じゃないよ。だって、私は、」

顔を見て、その瞳に吸い込まれそうで上手く言えずに口唇から零れる言葉を濁すと今度はリオンからまた更に強く海を抱き締める。

「それ以上・・・何も言わなくていい。僕が言う。お前が好きだ。お前はマリアンのことで誤解しているが、僕が好きなのはお前だ。」

「リオン君、」

海は思わず細身の割に広い背に腕を迷わず回した。
不意に近づくリオンの声が押し殺した様な声がセクシーで海はこれ以上の心臓の高鳴りを押さえることが出来なかった。

fine…
prevnext
[back to top]