「本日運命予定日」
「くそっ……!」
三月三日、早朝。天気は嫌みなほどに晴れ。場所は、通り過ぎる車やバイク、自転車にまだ眠気がついて回っている大通り。細かく言えば、俺は今海のバイクの上にいる。
「両親は“ああ”なのに娘は“ああ”なのかよ、くそッ!」
更に速度を高めつつ俺は目を細め、前方を確認する。遠くに見える黒い点との距離は、先程よりは埋まってきたがそれでもかなり開いている。俺は内心舌打ちをし、警察が俺を呼び止めるのも無視して距離を埋めることに専念する。警察が刑事の女王に連絡しようが、このままアイツを見逃そうが結果は同じだ。それならまだ、諦めずにアイツを追い解決させ、アドバンテージを持っていた方がマシというものである。
俺が更にバイクの速度を早めようとした、その時だった。
「!?」
突然、俺の高まる焦燥に反しバイクの速度が急速に落ち始めたのだ。嫌な予感を覚えつつもバイクに鞭を打つが、速度は落ちるばかりでやがて妙な音を立ててから止まってしまった。
思わず前方を見やれば、先程まで見えていた点の姿はもう無い。俺はバイクを脇によけ乗り捨ててから、そのまま走り出す。
やはり持ち主が持ち主というだけあるのだろう、何と体力のないバイクだろうか。それを本人に言えば偶々だと一喝されそうだし、彼女のご両親にもバイク放置の“罪”で優しい罰を戴けそうだ。ああ、怖い。
だが、そんなことは後からするべき心配だ、と俺は自分に言い聞かせる。人間が走ったってバイクのスピードには太刀打ち出来ないと分かっていながらも懸命に走った。出来ることを全てやっていれば、そのうち可哀想に思った神サマが助けて下さるだろうから。
前方を見やれば、続く道は一つであるし、その先には山しかない。あの山には一つの登山道しかないだろうし、何とかすれば間に合うかもしれない。走っても間に合わないと本当は分かっていたが、俺はいい方にいい方に考え自分を安心させる。ただでさえ教え子が危機に瀕し死ぬのは耐えられないことだというのに、それがよりによって俺の誕生日だなんて最悪だ。一生後悔し続けるだろうし、自分の誕生日を嫌う理由を更に一つ増やすことになる。誕生日のことはまだしも、教え子が帰らぬ人となるのは御免だ。
──何とかして追い付かねェと。
石に足をとられ転倒しかけるが、すんでのところでバランスをとり、再び走り出す。そんな俺の姿を漸く哀れに思ってくださったのだろう、神サマは俺に救いの手を差し伸べてくれる。
「クライス!」
俺を一つのバイクが追い抜き、急ブレーキで止まる。ヘルメットを被ってはいたが何せ“長い付き合い”なのだ。彼が誰だか分からないわけもない俺は、そのままバイクに飛び乗る。
「どっから持ってきたんだよ、このバイクは!」
「適当に盗んできた。ただ事ではないのだろう?」
「……残念ながらな」
「つかまってろ、クライス。飛ばすぞ」
十九歳にして教師となったのも驚いたが、こいつが免許なしで運転しているのも例外ではない。だが、それもどうでもいい。俺は短く返事をし、彼に──リオンに、一刻も早く追い付くよう告げた。
どうやらリオンの盗んできたバイクは体力があるらしい。見たこともないようなスピードで走り続けているが何ともない。盗まれた人には申し訳ないが、後でこっそり返し知らぬふりをしておけばいいだろう。
俺がバイクに感心する一方で、リオンは鼓膜を震わせる風の音に負けないような大きな声で俺に問う。
「一体何があった!?何故教室にフィーデスしかいない!?」
「春になれば不審者も増えんだろ!?バイクを置こうとしてた海とフィーデスを見かけたから話してたんだが、不審者が海を人質にとってな!」
「何の為だ!?」
「俺が知るかよ!本人に聞け!」
「金目当てだとしても極端だ……それなら逃走する必要もない」
「ぶつぶつ言ってんじゃねえよリオン!アイツだアイツ!」
俺が苛立ち混じりの声を上げれば、漸くリオンは前を確認する。俺が追ってこないことをいいことにとろとろと走っていたのか知らないが、山に続く道など走るバイクなど数えるほどだろう。リオンは更に加速しながら話を継ぐ。
「山に入られると厄介だ!クライス、お前が先に行け!」
「はあ?何言ってんだよお前!俺にまた走って汗だくつゆだくになれって言うのか!?」
「つゆだくになる必要はないだろう!」
「真面目に返すんじゃねえよ!惨めになるだろうが!」
「緊迫している状況で僕を笑わせようとした貴様が悪い!」
「ハイハイハイハイ分かりましたよリオンイルヴェさん!」
全く、こいつは長い付き合いといっても俺のユーモアを相変わらず真面目に解釈するらしい。それならまだ海やフィーデスの方が話が通じるというものだ。通じないといえば、隊長やら帝王、帝王の旦那、卑屈少佐……結局、俺のオアシスは海とフィーデスしか造り上げられないわけだ。
「……へへ」
「変な妄想をしないで聞け!僕があのバイクを駄目にする。そうすればそいつは海を連れ足で逃げようとするだろう。だから、お前が海を取り返してこい」
「何だかよく分からねえしお前の作戦に乗るのは癪だが、仕方ねえな!教え子の為にも一肌脱いでやる!」
「服は脱がなくていい!」
「おい、そんなこと一言も言ってねえだろ!」
「予想したまでだ!」
真面目なんだか本当はそうでないのか掴めない彼は、前方のバイクとの距離をぐっと縮めると不意に左手を放す。
「クライス、運転を頼む!」
「ハイハイハイ!」
「誤るなよ!」
「どうやって間違えろってんだ!?さっさとしろや、十九歳!」
左手を伸ばし何とか操作しながら叫べば、リオンはむっとした顔で何かを言いかけた。だが、そのまま言葉を声に載せることはせず、彼は左手にナイフを握る。
「お、おいまさか!」
「海を取り戻したら──」
「?」
「……二人で楢崎家に謝りに行くぞ」
「……ったりめえだろ!?抜け駆けさせねえからな!」
「こちらの台詞だ」
前方のバイクの後輪にリオンの投げたナイフが刺さり、逃走道具はあっという間に駄目になる。転倒したバイクの下から海を引きずり出した男は、彼女の手を引き走って山の方へ向かうものだから、俺は思わず口角を上げた。
速度の落ちたバイクから降り、俺は二人の後を追う。接近戦となればこっちのものだ。
山の入口で、上手いこと海が転んでくれた。足を止めざるを得ない男に俺が近付けば、どうしたのだろうか、驚愕を浮かべると海を立たせる。
「だ、誰だ貴様は!?」
「名前を聞く前に名乗れ、とゲームでよく聞かねえか?おっさんよォ」
「……」
「何の為にそうしたか知らねえが、海を返してもらうぜ。じゃねえと俺」
海や男の様子から察するに、恐らく懐柔策をとっている暇はない。俺は隠し持っていた黒き剣をそっと鞘から抜くと、首を傾げ挑発する。
「てめえを天国に送るかもしれねえぜ」
「剣だと──!?」
「悪ィな、うちの教師、何人かは帯刀してんだぜ。お前みてえな奴が現れちゃ困るからな」
「……」
「そして今日は何の日だ?」
ソーディアンを突き付け、わざと甘い声で尋ねる。男は海の首に果物ナイフを突きつけたまま、何の躊躇いも無しに答えた。
「ひ、雛祭り──」
「はァい来た!」
「な、何を言って──」
「一刻も早く海を離せ。じゃねえと俺、“本気で”貴様に何するか分かんねえや。海を人質にとった挙げ句、雛祭りなんて言うンだからな!」
「雛祭りだか何だか知らねえが黙れ!」
刹那、男の叫び声と共に銃声が段階を追って耳に入ってくる。それから海の悲鳴。それから、頬を伝う温かいもの。
顔の際を伝った赤は行き場を失い、地に散る。
「……俺は、こいつの母親に、古雅刑事に人生を狂わされたんだ!」
「──!」
「後少しだった……後少しで俺の計画は完遂されるはずだった!今頃高笑いしているはずだったんだ!それがどうだ!?あいつのせいで俺は刑務所送り!色んな奴に逃げられ今じゃ俺は一人だ!」
「……」
「だから復讐してやろうと思ったんだ!あいつの愛娘を殺せばあいつは一生苦しむ!俺と同じ痛みを味わい続ける!」
「……」
「こいつの担任が追ってきた挙げ句剣まで持っていたのは予想外だったが、もうどうだっていい!頼む、見逃してくれ。こいつを殺せば終わる、俺はもう悪いことなんかしねえ、頼む!」
気が動転しているのだろう。男は腕を震わせながらも海にナイフを突きつけ、此方に銃口を向ける。一歩たりとも動けない状況ではあるし、俺さえも動けば頬の傷だけでは済まなくなるだろうが、俺はそれでも口を開いていた。
「お前、バカか?」
「何だと!?」
「海を殺して美波さんを苦しませれば全てが片付くだと?お前はそうだろうな。だが、全体的に見れば何も片付いちゃいねえぜ。もしかすると美波さんはお前を殺しに来るかもしれねえ。“そういう人じゃない”けどな」
「……」
「それに、海が死んだらシャルティエ兄妹も、冗談も通じねえ生意気教師も、海の父親もみんな悲しむ。俺だってそうだ。海が死ぬことも確かに悲しいが、海が殺された理由が“あまりにも理不尽で”立ち直れなくなるだろうな」
「クライス……」
今まで恐怖のせいで口さえ開けなかった海から小さな呟きが洩れる。
先日行ったパーティのことを、初詣のことを、様々なことを思い出す。輝かしき思い出の中の登場人物が一人欠けてしまうなど俺は許せない。教師としてじゃない、大人としてじゃない。一人の人間としてだ。
俺は海に目をやってから再び口を開く。念のため、剣先は下げたまま。
「それにな、殺人を黙って見逃せって言われて見逃すほど俺は馬鹿じゃねえぜ。これでも教師なんだ、刑法だとか民法だとかはみっちり勉強してんだからな」
「……」
「早く海を解放しろ。お前が不利になるだけだぜ?立ってるのも体力使うだろ?ん?」
「貴様……黙れ!」
狙い通り、再び銃声が響き渡る。咄嗟によけたために銃口が俺から逸れたのを確認すると、俺は無防備な男の腕に剣で衝撃波を放った。あっという間にピストルが手から離れ、地で回るのを俺が足で止め後ろに蹴る。そして、そのままおぞましい形状の剣先を男の首もとに突きつけた。
「言っただろ?不利になるってな」
「……!」
「どちらにしてもお前は罪を犯した。警察は来るし俺も見逃せねえや。さあ、覚悟決めろ。海を殺して俺に完膚無きまでに滅ぼされるのと、海を解放して刑務所に送られるの、どっちがいいなんてお前も分かってんだろ?」
「……ふふふ」
「何がおかしい?」
完璧に不利な状況であるというのに笑い出すとは、状況が分かっていないのか或いは狂いの域に入ってしまったのか。俺が目を細める一方で、男は海を羽交い締めにすると狂ったように笑いながら言う。
「こいつを殺してすっきりしてあの世に逝くってのもいいかもしれないな!」
「馬鹿なこと言うんじゃねえよ!」
「馬鹿なこと?お前もこの娘も恵まれているから馬鹿なことに思えるんだ!いいさ、何もかも終わったら俺を消せよ、“クライス先生”!」
「……ッ!」
男の言葉に一瞬気持ちが乱され歯軋りをした、一瞬のことだった。
短い銃声と共に、ナイフを握っている手から凶器がこぼれ落ちたのだ。予想外の出来事に後ろを振り返れば、予想通りに黒髪の男が肩を上下させながら、俺の蹴り下げたピストルを握っている。
ナイフが無ければこちらのものだ。俺はリオンに目配せして彼に海を頼むと、一瞬のうちに詠唱する。
「少しは反省しろ!生きてな!」
「──!」
「ランスオブツェペシュ!」
海とリオンが離れたのを確認してから、ソーディアンを地に突き刺せば光の陣が男を中心に広がる。慈悲で加減をし、陣から吹く風で男を倒すと槍を肩や足のすぐ隣を刺すことで動きを封じる。
何せソーディアンや晶術はこの世界に存在しないのだ。俺の晶術に驚いたらしい男は、怪我は撃たれた手だけだというのに目を回し意識を失っていた。海を保護し警察に電話をかけるリオンを余所に、俺は男を見下ろす。
「……」
幸せだから分かるわけがない、だと。自ら幸せになろうともせず、苦しみの泥を他人に押し付けようとしている人間の言う台詞ではないだろうに。これから更生してもらって少しはましな人間になればいいが。
「俺の誕生日にわざわざどうも、おっさん」
今日は雛祭りだと言ったお前が、悪い。
怪我の手当てをしてもらい警察と話をしてから海と学校に戻れば、予想通り目に涙を溜めた茶髪学生が此方に駆けてきた。そしてそのまま抱き締めあう二人を俺も抱き締めたいが、何せ背後に監視役がいるので我慢する。
「海ちゃん!良かった……怪我はない?変なこと言われなかった?大丈夫?」
「うん、怖かったけどもう平気」
「良かった……海ちゃんがいなくなっちゃったら、私……」
「フィーちゃん……!」
「海ちゃん……!」
一度顔を見合わせてから再び抱き締めあう二人。この二人は可愛らしいのに保護者の何と怖いことか。迂闊に手を出せないのは一種の拷問だ。
ふと、リオンが携帯を閉じると俺に声をかけてくる。
「美波さんから連絡があった」
「……」
「“お礼をしたいから来やがれ”、だそうだ」
「……だろうな!仕方ねえからお礼されに行くか」
「あ、あの」
不意に、海が遠慮がちな声を俺たちにかけてくる。
「ごめんなさい。私のせいで……」
「お前のせいじゃねえだろ?悪いのはあいつだ」
「でも……」
「お前は被害者なんだ、海。被害者は被害者らしくしてろ」
「クラフォードのバカ!そんな言い方しなくていいじゃんか!」
「何だとォ!?」
どうやらフィーデスの中で俺は最早教師でも何でもないらしい。今にも飛びかかりそうなフィーデスを受け止め、あわよくばセクハラというご褒美を戴こうとしたが、リオンに後ろから膝を折られ刹那のうちに計画は散る。バランスを保てず倒れた俺の上に飛びかかるフィーデスだが、構いもせずにリオンは海に声をかけた。
「海。今日は帰ったらどうだ。気も動転しているだろう」
「ううん、大丈夫です!私、フィーちゃんと授業受けて帰りたい」
「そうか」
「……どうしたんですか?」
「海、今日は何の日か知っているか?」
海を気遣うだけかと思えば、あいつ。
俺が思わず固まれば、海と、俺の上に座り足まで組んでいるフィーデスは目を見合わせる。二人は暫く丸い双眸に疑問を浮かべていたが、思い立ったらしい。二人同時に口角を上げ答えを口にする。
「クライス・アルフォードの誕生日!」
二人の答えにリオンが目を見張り、俺の視界があっという間に滲んだのは言うまでもない。本日運命予定日
03/MAR/10
クライスー!ひなまつりねたにキレる姿も猥談ジョークももうあまりにもおもしろくて…一人で笑ってました!
まさにあの喧嘩しながらも息がぴったりな東京犬達を彷彿させる素敵な素敵なお話に感動です…!
クライスの為に素敵な誕生日プレゼントをありがとうエレちゃん…!
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