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「あーあ、ったく…やってくれたなァ」
地を這うような低い声が分厚い扉のある入口付近から発せられ、視線を向ければ俺の叔父である秋田司と目が合う。
「随分と遅かったね」
「様子見て来いってお前の所に遣わせれば全員戻ってこねえし仕方ないから俺が来ればこのザマかよ」
優雅にベッドに腰掛けている俺の足元には伸びた男達がただ転がっているが、返り血でパッと見俺の方が重症だ。この男がそんなことに騙されるとは思わないけれど。
「おとなしくしてりゃあ可愛がってやろうと思ってたんだけどなあ」
「ねえ、そういうのいらない。俺が欲しいなら力ずくでいいよ、アンタ極道なんだから」
敬語すらまともに使わず、その上喧嘩腰な俺に何を思ったのか司さんはため息をつくと真っ直ぐ俺へ向かって歩いてくる。それに一瞬息を詰めてしまい慌ててそれを吐き出した。まだダメだ。逃げるのにはまだ早い。
「なあ、晴。お前俺に隠れて何やってた?」
「…はあ?」
「今まで大した抵抗もせず逃げてたのは何でだって聞いてんだ」
何を今更そんな質問。俺が何しようがお前なんかに関係ないというのに。それでも答えなければこの男だって力ずくになるだろうから仕方なく答えてやる。
「あのね、昔からアンタらみたいな危険人物に関わってきたら、それこそ慣れるでしょ。それに、逃げるが勝ちって言葉知ってる?逃げなきゃやってらんないよ。それから俺、頭いいから一回見たらだいたい次どこ狙うかとかどこが弱いとかそういうパターン分かるよ。そいつら重心ぐちゃぐちゃだし、攻撃単調過ぎて相手にもならない」
「…ほお?だからって極道に喧嘩売れる人間はそういねえぞ?しかも今までいたぶられてきたヤツなら尚更だ。お前何者だよ?」
司さんの言葉は何一つ間違っちゃいない。だからこそ、コイツは俺が本性を現して抵抗し出したことが疑問にしかならないのだろう。まあ、どちらにせよ残り数日で終わるならもう、隠す必要なんてないだろう?
「ねえ、俺がどうしてアンタらの追跡から散々逃げれたか考えないの?何で探しても見つけられなかったか分からない?情報が無かったんだよね。なんでだろうね?」
「…お前自分で操作してんのか」
その表情を驚愕に染めながらこちらを見る男に俺は笑みを向ける。
「情報操作ができる高校生、なんて普通はいないよね。でもそんな事実に気付きもしなかったアンタ達に教えてあげる。…俺は情報屋ヴェリテさんですよ」
時が止まったような錯覚がした。
男が固まっていたのはどのくらいだっただろうか。落ち着いたように真面目な顔つきになった男は、やがて下卑た笑みが浮かべる。
「…お前が、ねえ。それが信じられると思うのか?依頼した可能性も捨てられねえだろうが」
「ならガニアンに聞いてみなよ。"藤宮晴の正体がヴェリテなのは間違いないのか?"ってね。きっとすぐに返ってくるよ?"間違いない。それを知ったところでお前らの命はないけどな"って」
秋人なら十中八九そう返すだろう。なんて言ったって俺の兄であり弟子で、更にはバックには強大な見方がいる。秋人がそこで出し惜しみするなんてこと有り得ないし、アイツは俺が弱っている姿をずっと見ているのだ。内心でそれはもうこちらが申し訳なく思うほどキレていたのを知っている。
「嘘ではないな、お前がそこまで巧妙な嘘をつくとは思わねえ…ヴェリテ、ねえ」
何かを考えるように黙り始めた男の後ろ、倒れていたの男のひとりが目を覚ましたのか小さく呻いて体を起こす。
「やっとお目覚めか、てめえらは全員躾直しだなァ?」
「っ、組長!これは、その、」
「まあそれは後だ、全員叩き起こせ」
下っ端らしい男は慌てたように頭を下げてから周りにいる男達を起こしにかかる。起こし方が荒いのはまあご愛嬌ということにしておこう。
「あーあと、和也呼んでこい。コイツも躾直す」
「ッっ!」
完全に気を抜いていた俺の頬を容赦なく殴ってきたものだから抵抗も出来ずに後ろに倒れ込む。一瞬の間を置いてじわじわと熱を持っていくそこに舌打ちをしたい気持ちになりながら口内に広がる鉄の味に顔を歪めてしまった。体勢を立て直して迷わず口の中のそれを吐き出してから目の前の男を睨みつける。
「…あ?文句あんのか」
「死ね」
実に簡潔なお願いである。心底消えて欲しいと思うし、むしろこれまでこの殺意を本人に直接向けなかった方が驚きだ。俺はよく耐えた方だと思う。
「調子乗ってんじゃねえよクソガキが」
話をしていた時とは違う鋭い目線にどうしようもなく身体が震えた。それはただ見ている男にも伝わったのだろう、その口元に嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「…せいぜい楽しませろよ、晴」
散々俺をいたぶってきた和成よりも低いその声に、肌が粟立つほどの恐怖を感じた。