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「ずいぶんと呑気な夢を見ていたようで」
「す、すみません」


上司から冷ややかな視線をもらった私を、隣の先輩は優しく慰めてくれるわけもなく。

「ちびすけ、お前ないな。20代の男、しかも上司に向かって『おかあさん』はない」

いつも通り、追い討ちをかけられた。

「い、いやー、寝ぼけていて」
「シノさん、ジャーファル様によく面倒見てもらってますもんね」

正面の先輩からは、フォローのような追撃のような、そんな言葉をもらった。

「ほ、ほら、家族の夢を見ていたんですよ!」
「いや、仕事の夢でしょ。シノちゃん、もっともっとってうなされてたよ」
「うぅ…」

どんなに言葉を重ねようとも、私の席の後ろを通りすがったジャーファル様に起こされた私が『おかあさん』と呟いた事実は変わらない。

斜め向かいの先輩は机に突っ伏して爆笑しているし、普段柔らかな表情を崩すことのない正面の先輩は顔をそらして肩を震わせている。隣のヴィゴさんは鼻くそを見るような目だ。ちなみに、部屋の奥の席に座るジャーファル様は、騒がしいこちらなんて気にせず黙々と書類を捌いている。

凹む私の机の上には先ほど追加された書類と資料が山になっている。期限は今日中。

検討会議で悩んでいたときはすごく優しかったのに、あれ以降、厳しくないだろうか。明らかに増えている業務量に、つい恨みがましくジャーファル様を見てしまう。

すると、部屋の出口近くと最奥と、かなり席が離れているにも関わらず、ジャーファル様は私の視線に気づき顔をあげた。

『終わりましたか?』

読心術なんてものは身に付けてないが、動く唇が何を言ったか分かってしまった。にっこり笑っているが、あれは『余所見や無駄口叩く暇があるなら、書類追加しますよ』って言いたいんだ。

「します!今すぐします!」

私の声が届いたようで、ジャーファル様は何事もなかったかのように視線を書類に戻した。

ったく、どんだけ視線に敏感なんですか。

再び笑い転げる先輩を『うるさいですよ』と黙らせ、大人しく仕事にとりかかかることにした。この前、修羅場を終えたばかりなのに、また徹夜とか勘弁だ。


「お、終わりました」

ようやく『おかあさん』からもらった今日の分の仕事を終わらせたのは夜遅くで。すでに一部の先輩は飲み屋に繰り出し、一部の先輩は家族の元に戻り、財務担当部屋に残っているのは僅か。

部屋には明かりがともされている。疲れ切った私の顔はその明かりに照らされ、普段の二割増しで残念なことになっているに違いない。

「では、報告を聞きましょうか?」

げっそりしている部下なんて、いつものこと過ぎてジャーファル様は気にもかけていない。むしろ、『腑抜けた報告ならやり直しですよ』と、目が笑っておらず非常に怖い。が、誰がそんな報告するものか。

私は気合を入れなおすため、先ほど書きあげたばかりのシンドリアの経済状態に関する報告書を持ち直した。

「現在、シンドリアの経済成長は減速傾向にあります」

シンドリアの経済は観光と貿易によって成り立っている。観光に関しては、ありがたいことに去年度は黒字だった。しかし、観光業は情勢に大きく左右される。そのため、その収入は毎年かなり変動し、なかなか安心できない。そして、シンドリアのもう一つの財政基盤、貿易の方は。

「主要な中継貿易に関しては、様々な懸念材料はありますが、今のところ黒字で問題ありません。しかし、生活必需品のほとんどを輸入していますので、慢性的な貿易赤字が続いています」

他国に生活必需品を握られているというのは国の危機管理問題はもちろん、単純に財政圧迫にもなっている。

「とにかくお金がないです」

前世の故郷も、財政赤字で苦労していたことが思い出された。『お金ってそんなにないものなのかー』と当時ニュースを見ていた。

あの国では足りない予算を補うため国債を発行していたが、この世界では、私の知る限り国債なんてものは存在しない。紙幣すらないシンドリアは、本当に驚くくらいお金がない。

私のストレートな台詞に、ジャーファル様は『そうですね』と頷いた。

「昨年は特に、七海連合の盟主として、加盟国へ経済支援をしましたからね」

私が出した報告書の収支表を見るジャーファル様は非常に難しい顔をしている。

去年の足りない部分は王の迷宮財宝で賄った。自由に使えるようにしてくださっているとはいえ、国の赤字を個人の資産で賄うのはかなり問題である。建国当初ならまだしも、すでにこの国は建国して10年を越すのだ。いつまでもそれに頼っていられない。

「加工貿易でも三角貿易でもなんでもよいので、もっと稼がないと国が回らなくなってしまいます」

財務に移り数ヵ月の私に言われるまでもなく、常に頭を悩ませている問題だろう。ジャーファル様は深くため息をついた。

上司の傷口に塩を塗り込むようで気が引けるが、私はもう一つの課題もあげた。

「あと、雇用問題も…」

近年の難民受け入れにより、シンドリアの人口は爆発的に増加している。まだ目立ってはいないが、人口の増加に国内の雇用が追い付いていない。

難民を受け入れるのであれば、前年の増加した人口を補えるほどの経済成長をしなければいけない。そうしなければ、国民の賃金は減少してしまう。国民の賃金が減少すれば、個人の消費が冷え込む。個人の消費が冷え込むと、商店の売り上げが減り、それに伴い、雀の涙の税収がさらに減ってしまう。

こちらも早急に手をうたねばいけない問題だ。『困りましたね』と呟くと、ジャーファル様が私をじろりと睨んだ。

「『困りましたね』じゃありません。もちろん解決案を考えているんでしょうね?」

『へっ?』と間抜けな声が漏れた。文官とは言え、私は下っ端文官。国の財政を良くする解決案なんて、本気で考えたことなんかなかった。

が、そんなことは言えない。目が怖い。お金は人を変えるって言うもんね。

『考えていなかったのなら、今すぐこの場で考えなさい』と言われ、私はない頭を回転させた。

「そうですね、いくら人口が増えているとはいえ、それでもシンドリアは小国です。資源も限られていますし、お金はやはり外に求める方が効率がよいかと。何か、がつんと価値のあるものなり技術なりを作って、海外に輸出できたら幸せですよね」

いきなりいい案を言えるわけもなく、『使える資源少ないし、たいした技術もないので、そう簡単にいかないですよね』と自分で、自分が言った夢物語を壊した。しかし、ジャーファル様は、そんな私を怒りはせず、逆に、深く頷いた。

「では、その価値あるものなり、技術なりを考えておいてくださいね、シノ」

上司の言葉に私は再びぽかんとした。国の財をなす一大事業を『考えておいてね』と軽く言われるとは思わなかった。

「君は文官なんですよ。『誰かが考えてくれる』ではなく、自分で考えなさい。よい案なら立ち場に関わらず採用することは、シノもよく知っているでしょう」

そう言うジャーファル様は笑っていた。

そうだった。『私は下っ端』とか思っていたけど、この国はそんなの関係なかった。私の寺子屋設立も通ったのだ。使える案なら、反対する人がいても、王がまた『やってみるといいさ』と判を押してくれるだろう。

「君は『将来のことなんか考えられない』と言うけれど、自分が過ごしやすくなるような案を考えればよいんです。それが使えそうならば採用しますし、君の独りよがりなら私や他の人が止めます。せっかく文官なんて職業についているんですから、フル活用してください。『困った』で考えるのを止めないでください」

諭すようにジャーファル様がこちらに語りかけてくる。

「君もこのシンドリアの民なのですから」

ジャーファル様のその言葉に、はっとした。私は、前世の記憶がある上、生まれ育った国から亡命をしている。そのため、『故郷』や『自国』という意識が希薄だった。自覚はなかったが、形式的にはシンドリアの民でも、心はどこか違う場所にあり、勝手に疎外感を感じていたのかもしれない。

だから、ジャーファル様の言葉にすごくほっとした。そして、ほっとしている自分に少しだけ驚いた。

「シノ?」

返事をしない私を不思議そうに見てくるジャーファル様に、私は緩みそうになる口元を隠して、『頑張ります』と答えた。

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