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長かった。シノにとってはもっとずっと長かっただろう。第1回紙幣導入検討会議が終わり、私はシンの部屋にて先ほどの事案について話し合っていた。

「問題は国民に受け入れられるかどうかだな」
「そうですね。それ以外は今後の調整次第ですが、今のところ目立った問題はないかと思います」
「お前にしては随分楽観視しているな」

シンのその言葉に少し苛立ってしまった。

「楽観視などしておりません。1回目でこれだけ詰めてきたのです。この案件はこれからなのですよ。1回目の今、これ以上何を望むと?」
「いや、やけに肩を持つと思ってな」

私の苛立ちに気づいたにも関わらずシンは気にせず言葉を重ねてくる。『肩を持つ』か。確かにそうかもしれない。

造幣局局長との質疑応答で言われたい放題だったシノ。彼との応答が終わった後、水を得た魚のように質問をたたみかける会議の参加者に彼女はしっかりと答えていた。人の心の問題以外は、全て彼女の中で事前に考え尽くし、答えを出していた。

「難しい案件をしっかりと会議で提案し、一点を除き全ての質問に納得のできる回答を提示した部下の肩を持つのは当たり前でしょう」
「そうだな、悪かった」

そう謝るシンに感情的になり過ぎたとこちらも謝り、話を進めることにした。



「では、私は財務の方に戻ります」
「あぁ、早く戻ってやれ」
「私がいないからって仕事さぼらないでくださいよ」

シンにしっかりとくぎを刺し、私は執務室をあとにした。普段ならもう少しシンの部屋で仕事をするのだが、今回は早目に切り上げた。

財務担当部屋に戻る道すがら、私は先ほどの会議を思い出した。

シノが唯一しっかりとした答えを提示できなかった人の心。

彼女には何度か『流通も考えておきなさい』とアドバイスをしたが、人の心までは思いつかなかったのだろう。偽造防止も大事だが、それよりも重要になってくるのは使う側の問題だ。

確かに彼女が考えている政策は素晴らしいものだ。

しかし、人は未知のものに対して敏感に避けようとする習性がある。

シノには最初から指摘することもできた。だが、それではダメだ。彼女が自分で気づく必要がある。だからアドバイスにとどめた。彼女はこれから発案者として様々な問題を抱えるだろう。それは別に今回のことに限らない。今後も文官を続けていくなら、常にだ。

彼女の考えは人より進んでいる。進み過ぎている。シノはそれを自覚して行動しなければいけない。個人同士の付き合いなら彼女のそれは個性として終わるし、私はその点を評価もしている。ただ、大勢の中に立つ場合は、少し生き辛いかもしれない。

会議中、一切目が合うことのなかったシノが心配だ。


部屋に戻ると、『シノさんなら食事に行きましたけど』と他の財務官に言われた。あの状態で食事をするとは到底思えない。

探し出してみると、彼女は中庭の死角になるところでぼぉーっと地面を見ていた。その表情に私は眉をしかめてしまった。普段は笑った顔やだるそうな顔、困った顔、と表情の多いシノだが、今の彼女からは表情が抜け落ちている。シンと出会う前の幼き頃、あの場所でよく見た顔だった。全てを諦めたようなそんな表情。まさか彼女がこんな顔をするなんて思いもしなかった。

私は彼女のことを何も知らない。財務に異動をさせる際に簡単な経歴を総務の人事係から聞いてはいたが、なんと上辺だけだったのだろう。

動揺を隠して話しかけると、シノから返事は思いの外しっかりと返ってくる。が、やはり視線は合うことなく地面を彷徨っていた。私は思いつく限りのフォローをするが、彼女の表情に感情が戻ることはなかった。

彼女には私の言葉は届かない。

ならばと、私は無理やりシノの顔を手で挟み視線を合うようにした。初めて触った彼女の頬は思った以上に滑らかだった。しかしそんな感触に気を取られ余裕もなかった。シノの色のない瞳が私を見ている。

彼女の中に巣くう問題。おそらく根深い何かがあの会議で刺激されたのだろう。普段はあまり過去を見せることのないシノだが、彼女とてシンドリアに助けを求めてやってきた身。抱えている問題がないわけがない。

私はそれをどうにかしてやる術など持っていない。今の私ができるのはせいぜいあの会議をしっかり耐えた部下をねぎらうくらいで。

「よく頑張りましたね」

そう言って、シノの頭を撫でた。最初は反応がなかった彼女だが、しばらく撫でていると一筋の涙がこぼれた。

よかった。私の行動は間違っていなかったらしい。

『えっ』と焦った声が漏れ聞こえた。彼女は泣くつもりなんてなかったのだろう。

しかし、瞳に感情が戻った彼女に私は心底ほっとした。焦る彼女をとどめ、『泣いてよい』と言うと、涙にうろたえていたシノは動きを止めた。

そして再び顔をうつむけ、先ほどとはちがいなすがままに静かに涙を流した。

声も出さず静かに泣く彼女が印象的だった。

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