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私の初恋は近所の一つ上の男の子。

スケートを習いにいっているお姉ちゃんをリンクに見に行ったのが始まりだった。お姉ちゃんと豪君と彼の三人がキラキラ輝くリンクで楽しそうに滑るのが羨ましくて私もスケートを習い始めた。

滑るのは楽しかったけれど、遅くから始めた私はみんなに追いつくことができなくてすごく悔しく、毎日遅くまで練習をした。そんな私と同じように遅くまで練習をしていたのが彼、勝生勇利君。

自然に会話することが多くなった。ジャンプを失敗し盛大に転ぶ私を心配してくれたり、フィギュアの話題についていけない私に解説をしてくれたり。気がついたら大好きになっていた。
 
でも、勇利君はお姉ちゃんに憧れの思いをもっていた。それ以上の気持ちを持っていたのかどうか私に知るすべはなかった。

お姉ちゃんと勇利君がくっついて勇利君が私の義理の兄になるのは捨てがたいが、やはりここは彼女の座を狙いたい。そう考えた私は裏でこそこそと勇利君にバレないように、しかし、全力で豪くんとお姉ちゃんの恋を応援した。そのかいあったのか、元から惹かれあっていたのか、お姉ちゃんと豪くんは見事にくっついた。
 
そして、私も勇利君と見事にくっつく…はずもなく、私の初恋は空回りで終わった。告白まがいのことを何度もしたけれど勇利君は豪快にスルー。その他もろもろのアプローチが彼に響くことはかけらもなかった。彼にとって私はあくまで『優ちゃんの妹』だったし、それに何より彼の心を占めていたのは大好きなスケートと憧れのロシアン人スケーター、ヴィクトル・ニキフォロフ。正直なことを言うとお姉ちゃんよりも、この会ったこともないロシア人スケーターに何度も嫉妬した。
 
お姉ちゃんと豪君のキューピッド役をはじめ、頑張り過ぎた初恋時代の思い出は私には苦々しいものでしかない。バレンタインに嬉々として作った特大のハート型のチョコレートとか、部屋の中に貼りまくった勇利君ポスターとか、思い出すたびに叫んで走り出したくなる。
 
そんなこんなで時が経った今でも私にとって初恋の勇利君は黒歴史である。

が、ありがたいことにその黒歴史はデトロイトにいったきりここ五年ほど長谷津に帰ってきていない。

冬の時期にテレビに映る彼や町に貼られた応援ポスターを見て、たまに悶絶したくなるほどの恥ずかしさに身を捩るくらいだ。

町役場の観光課に勤める私と、最近スランプ気味だけれど日本トップのフィギュアスケーター。
 
もう会うことってないんじゃないかな。いや、さすがに長谷津は勇利君の地元だし、おじいちゃんくらいの年になったら戻ってきたりしてねー。

そのころには黒歴史も浄化され若かりし日の思い出になっている…
……なっている…はず…だったんだけどなぁ…。
 
『わぁお、何これ。勇利、かわいいね』
『ちょっと、ヴィクトル、ふらついてるから!』

私の切なる願いは今目の前で崩れ去った。
 
……何でいるの、勇利君。

老後まで会う予定がなかった黒歴史こと勝生勇利君が私の目の前にいた。

気まずい、非常に気まずい。勇利君を追っかけていたころの痛々しい私が走馬灯のように蘇る。

腕を半ば無理やりからめる私と若干引き気味の勇利くん。手作りお弁当の卵焼きを差し出す私と顔をそらす勇利くん。いや、当時は真面目にこれで勇利くんのハートをゲットって思っていたんだよ…。ちなみに彼女でもないのにお弁当はやりすぎと思って一週間でやめた。

あぁ、穴があったら入りたい。
 
意識を遠くに飛ばしたくなるが、それ以上に横から抱き着いてくる成人男性一人分の重みに負けるまいと必死に踏ん張らなくてはいけなかった。

『イカだよ、勇利!』
『ヴィクトル!はせっつーくん倒れそうだから!すごく踏ん張ってるからはなしてあげて』
 
今まさに私に飛びついて英語をしゃべっている外国人。彼には思い当たりがあった。

幼いころ押しかけた勇利君の部屋に大量のポスターが貼られてあった。十年来勇利君の心を占め、私の嫉妬の対象だったロシアのリビングレジェンド、ヴィクトル・ニキフォロフ。金に輝くメダルを胸にかけて微笑む冬のお決まりをもちろんこの冬も見た。

抱き着かれたせいで一瞬しか顔が見えなかったが見間違うはずもない。
 
周囲から『もしかしてヴィクトルじゃない、あれ』なんて声が聞こえる。長谷津の中ではそこそこ人通りの多い駅前。道ゆく人がちらちらとこちらを見ているのだろう。私は視界が悪くてあまり見えないのだけど、『ヴィクトル、すっごく目立ってます!』なんて焦る勇利君の声も聞こえる。ヴィクトル・ニキフォロフで確定だ。
 
『写真はOKかい?』
 
その声に我に返った。そう言えば、現実逃避に忙しかったが、私は仕事中だ。

三角頭に十本の足。胴体には大きな二つのつぶらな目。だれがどう見てもイカである。長谷津の名物であるイカのマスコットキャラクター『はせっつーくん』に扮して、私は駅前で観光パンフレットを配ったり、突撃してくる子供を相手にしたりしていた。

平日のお昼にパンフレットを必要とする人なんてほとんどいるはずもないが、課長いはく、『別にパンフレットがもらわれなくても地元の人にはせっつーくんを知って応援してもらうことが大事なんだから、愛想ふりまいてこい』とのこと。ちなみに相棒の後輩君は『どうせ観光客なんていないですよー』とか言って、現在マクドナルドでお昼中だ。

今日も全く減ることのないパンフレットの在庫を抱えて仕事場に戻ることになると思っていたが、まさかこんなことになるとは。
 
「写真いっしょに撮ってもらえますか?」
 
簡単な英会話ならできるのだけど、勇利君が日本語で丁寧に尋ねてくれる。

すでに終わった初恋だけど、やはりこの笑顔は好きだなぁなんて思いながら、私は10本ある足のうち腕を通している二本で丸サインをだしうなずいた。
 
『ほら、イカくん笑ってー』
『ヴィクトル、それ着ぐるみです』
 
私の顔が見えているわけではないのに笑顔を要求するヴィクトル・ニキフォロフの言葉に『全然笑えない…』と心の中で返した。

その後、長谷津の観光パンフレット英語版を渡すと、彼らはしゃべりながら去っていった。
 
黒歴史との再会はイカの着ぐるみ越し。
私と認識されずにすんで何よりだ。
無駄に分厚く、無駄に重く、若干汗臭いはせっつーくんに初めて感謝をした。
 
…まさか長期滞在しないよね。勇利君は今まで長谷津に帰ってこなかったのだ、五年に一回くらい帰省くらいするよね、ヴィクトル・ニキフォロフは観光かな。そうだよね、そうに決まってる。私は願望八割の決めつけをし考えるのを放棄した。

その晩、ご飯中にやってきた姪っ子たちのラインで盛大にビールをふくこととなる。
 
『香織!勇利、ヴィクトルをコーチにして長谷津で練習するんだって!』
 
なんてこと。最悪の事態だ…。こういう時どうすればいいんだっけ。

『とりあえずお酒…』と手にしていたビールを飲むと、ピロンと携帯のからラインのメッセージを知らせる音がなった。
 
『勇利が初恋なんだよね!!』
『応援するよ!』
『がんばがんば!』
 
誰だ!あの三姉妹に私の初恋しゃべったの!!!豪君か!豪君だな!!
 
『もう終わったよ!その話題を本人の前で出したら君たちのお宝フィギュア雑誌、資源ゴミで出すからね!』
 
義理兄に殺意を抱きながらマッハで返信し、私は残りのビールを飲み切り、真新しい焼酎のキャップを開けた。

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