09


昨晩酒に呑まれた香織ちゃんは朝方母さんたちに全力で謝り去っていったらしい。その時間僕はまだ寝ていたが、起きていたヴィクトルによると首ふり人形みたいだったらしい。

夕方謝罪の品をもって再び家にやってきた香織ちゃんは遠慮する母さんに『なら差し入れです、もらってください』と押し付けていた。こういうところ昔から変に強引で丁寧だよなぁ。

中には駅前に新しくできたというケーキ屋の焼き菓子詰め合わせが入っていた。従業員用居間に置かれたそれはすでにみんなの胃の中に入り、残り数個を残すのみ。僕はダイエット中なので皆が美味しそうに食べているのを指をくわえて見ていた。そんな僕を見かねてか、香織ちゃんは『勇利君のダイエット終わったらまた買ってくるねー』なんて声をかけてくれる。昨晩僕からも言ったが、以前のようにまたうちに顔を出してくれるらしい。照れくさそうに視線を外して笑う香織ちゃんはちょっと可愛く見えた。

昨晩衝撃の事実を言われてから、僕たちはお互いの距離をはかっている。再会してから昨日までの他人行儀な感じでもなく、好意を全身で表していてくれたらしい学生の頃のような感じでもない、気のおけない幼馴染の距離はどこだろう。その探り合いが少しめんどくさくあるけれど楽しくもある。

ちなみに僕と香織ちゃんはそんな感じだが、もともと和やかな雰囲気でしゃべっていたヴィクトルとは昨晩のお酒を通して、さらに気安く話している気がする。今もテレビの時代劇にあーだこーだと講釈をする姿はすごく仲がよさそうだ。

「OK、香織。オーカエチゼンにしよう!」
「えっ、本気ですか…手配間に合うかなぁ。スーツの方が絶対良いと思いますけど」
「大丈夫、俺ならエチゼーンも着こなせるよ、ねぇ、勇利?」

昨晩からの怒涛の展開を一人振り返っていると急に話を振られた。聞いてなかった僕は耳に残る断片をつなぎ合わせ、服の話題とあたりをつけうなずいた。

「ヴィクトルなら何着てもカッコ良いと思うよ」
「あー……うんそうだねーかっこいーねー。勇利くん本当ヴィクトル好きだよねー」

棒読みにもほどがある。『…Sharp…Trendy』と適当にそれっぽい単語を並べる香織ちゃん。一瞬こちらを見た視線は、『このヴィクトルおたくが…』と言わんばかりだった。いや、確かにヴィクトルのコアなファンだけど、実際ヴィクトル何着ても似合うでしょ!そう力説したいのだけれど、さすがに本人が横にいる中でそれをするのは恥ずかしい。というか、今の発言でもけっこう恥ずかしい。僕はちらっと当の本人の顔を見ると、僕の発言なんて気にもとめず『見てて勇利!』と言わんばかりにウィンクをされた。年齢を思わせないいたずらっ子のような笑顔で何をするつもりなんだろう。僕たちのアイコンタクトに気づかない香織ちゃんは自分で煎れたお茶を飲みながらテレビを見ている。『お煎餅があるとよいなぁ』なんて呟いている彼女の昨日までの遠慮はどこにいったんだろう。そう思っていると、ヴィクトルはそんな彼女の顎にすっと指を伸ばし自分の方を向かせた。

突然の行動に僕は目が点だし、香織ちゃんも固まっている。こ、これはぼくもこの前やれた顎クイ!ヴィクトルが顔を寄せ二人の距離が一気に詰められた。香織ちゃんの持つ湯のみが二人の狭まった空間で所在なさげにゆれた。

「俺はかっこよくないかい、香織?」

鼓膜を震わす低音の声。吐息も感じられる距離。お互いの睫毛すら数えられそうで。僕が囁かれたわけでないのに頬に熱がカッと集まった。

「かっこいいですよー、でも、タイプじゃないんで」

『これ昨日ドラマで見た!キスする3秒前!!』なんて狼狽する僕に気づかず、香織ちゃんは焦らず躊躇わずヴィクトルの手を払い落とした。そして、お茶を一口口に含み、また視線を目の前のテレビに戻す。その顔に変化は見られない。

男の僕ですら心臓がうるさくなってしまうのに、平然としている香織ちゃん。今までどれだけのイケメンと接してきたんだろう。真利姉に言わせると相当リア充していたらしい。

いたずらが失敗に終わった挙句、普段女性にされたことのない対応をされヴィクトルは口を尖らしている。『香織冷たいよー』なんてボヤく世界一のモテ男に『自覚あるイケメンって本当いい性格多くて面倒だわ…』なんて日本語で呟いている。

でも、よく見れば香織ちゃんの耳は少し赤かった。だよね!やっぱりてれないわけないよね、ヴィクトルかっこいいよねと一人頷きつつ、普段女性の変化を逃さないヴィクトルすら見逃すそれに気づけた喜びと、理由の分からないモヤモヤがあることに気がついた。

しかし、『その点勇利君はよいわー』なんてセリフに不明瞭な思いは消えて無くなり、『あ、あれ、僕十数年レベルで好かれてたんじゃなかったっけ…』なんて口に出せないツッコミが喉のそこまででかかった。

そういや、幼馴染の僕に対する扱いは夕方うちに着てから小一時間くらいで一気に雑になっている気がする。距離感を探り合っていると思ったのは僕だけらしく、香織ちゃんはいい塩梅の距離をさっさと見つけたようだ。ちょっと納得いかないところもあるけど、気兼ねなく話せるに越したことはない、まぁ、いっか。

僕たちはそのあととりとめもない話を続けた。少し前まで憧れだったリビング・レジェンドと疎遠になっていた幼馴染。昔からの仲のようにしゃべっていて僕だけが少し挙動不審だった。これにユリオが入ると一気に賑やかになるのだろうけど今は温泉に入っていて、この場には穏やかな雰囲気が流れている。ヴィクトルがやってきたのは先週だし、香織ちゃんが僕と普通に喋るようになったのは今日うちにきてからだ。三人で同じテーブルに座るのなんて昨晩の宴会に続き二回目なのにすごく心地よい。

「そういや温泉onアイスまであと数日だけど、勇利君とユリオ君は間に合いそうなの?」

香織ちゃんの言葉に一人ぬるま湯につかったような穏やかさを感じていた僕はうっと息を詰まらせる。

「……いろいろと頑張っているところだよ」
「大丈夫だよ、香織。勇利もユリオもやるときはやる男だからね!素晴らしいショーを約束するよ」
「ちょ、ちょっと、ヴィクトル。ハードルあげないで!」

このコーチは人の気も知らずに…。いい笑顔で宣言するヴィクトルに僕は胃が痛くなってきた。

「そういや、香織の方は準備どうだい?」
「もちろん、私たちだって素晴らしいショーになるよう最高のサポートを提供しますよ」

負けじと自信満々に香織ちゃんが答える。か、かっこよかー。答えに詰まる僕とは大違いだ。

「香織ちゃん、大変だよね、ごめんね」
「仕事だからね、気にしないで。まぁ、それでも一週間で開催ってのはいやがらせの域だけど…」

そう言って香織ちゃんは肩をすくめた。発表する僕たちも一週間でプロを仕上げなければならず大変なのだが、アイスショーという発表の場を用意してくれる彼女達も相当てんてこ舞いだろう。

アイスキャッスルの人も美奈子先生も日々の仕事を傍らに置いて準備に取り組んでくれているらしい。香織ちゃんもあくまで後援として町役場から派遣されたのにいつの間にか普段の業務をさし置きメインで動いてくれているみたいだ。本人いはく『うちの担当少し人数が多いみたいだし気にしないで。私の仕事後輩が拾ってくれてるし』と言っているが、それでも『残業代稼げて幸せー』と言っているあたりかなり無理をさせているんだろう。

「はせっつーくんを休業してまで手伝ってくれてるって優ちゃんから聞いたよ、ありがとう」
「うーん、はせっつーくん休業なのは少し喜びたくなる…。久しぶりに痣ないよ、私!」

すごく嬉しそうな顔で言われた。人の仕事に口出しはしないけれど、女の子なのだから痣作るような仕事は少し心配になる。この前作っていたあざは未だ治っていないらしい。

「あと、勇利君、お礼を言うのはこっちだよー。温泉onアイスには観光課としても感謝してるんだー。長谷津って伝統芸能とか伝統工芸ないから人呼び込むの大変なんだよねー」

そのセリフに僕の顔は引きつった。たしかに長谷津には観光資源があまりない。それこそ、駅に貼られている街のおすすめスポットを紹介した観光ポスターと同じくらい僕の応援ポスターが幅を利かせている。それで誰も文句を言わないくらい何もない。そんな田舎だからこそ長谷津出身というだけで僕の応援してくれる人も少なくない。というかけっこういるらしい。応援はありがたいし嬉しいのだけどそれが時々重く感じたり、誰もが僕を知っているこの街が居心地悪く感じたりするときがあった。人に言ったことはないけれど。正直応援をありのまま素直に喜ぶことのできない自分がいた。

だからこそ、香織ちゃんの言葉に僕は肩を強張らせてしまった。経験上、後ろに続く言葉は僕への過大な期待や励まし。そんなことを言われても僕の何かが変わるわけではない。金メダルを目指して、どうしたら取れるか常に考え、やるべき練習をし続けている。それくらいやっていながらも表彰台にあがれないのは情けないけど。

もともとの性格なのか、結果を残せていない罪悪感からなのか、もう自分でも何かわからないけれど、僕は気持ちを隠し、苦笑いでごまかすことに慣れてしまった。

普段のように対応をすることもできたが、香織ちゃんには場を切り抜けるためだけの笑顔でごまかすことはしたくなかった。いつも全力で向かってくれた彼女には。応援を正面から受け止められないみじめさや不甲斐なさ、情け無さが僕を裸のまま宙に放り出す。このあとに続く言葉を聞きたくない。しかし、それをとめる勇気もなく僕は彼女が口を開くのを待った。まるで絞首台の上で執行を待つような気分で、僕はうつむき、力なく握られた自分の拳を眺めた。

しかし、彼女の口からは僕の予想だにしない言葉が紡がれた。

「いつもごめんねー。客寄せパンダにしてさ。勇利君に頼るのは情けないんだけれど、それでも人がやってきてくれるのってすごく嬉しい。やってきてくれた人に少しでも長谷津の良さを知ってまた来てもらえるよう頑張るね」

顔をあげると、僕の引きつった笑顔と違い裏表の無い純粋な香織ちゃんの笑顔が目に飛び込んだ。

「ちゃんと勇利君個人の魅力ではなく長谷津の魅力で人を呼べるようにならないとね。いっぱいよいところあるんだけど、なかなかそれを上手くアピールできないんだよね。勇利君はあんまりこうやって推されるの好きじゃないと思うけどさ、町役場一丸となって鋭意努力中なので今だけは頼りにさせてね」

神様仏様勝生勇利様と拝む香織ちゃんには僕の気持ちはお見通しらしい。応援に対する思いや、おそらく僕の言葉にしづらい長谷津への微妙な気持ちも。強張らせていた肩は緊張を解かれたように力が抜けた。

「長谷津って人が出て行くばかりだよね。私もその一人だったんだけど。でも都会で過ごしたからこそ長谷津のいいところがわかったんだよね」

たしかに僕も進学で長谷津をはなれ、果てはデトロイトにまで行った。だからこそ長谷津ののんびりとした空気の良さってものがわかる。黙って横で話を聞いていたヴィクトルからも同意の声がでる。

「そうだねー、俺も長谷津大好きだよー。食事は美味しいし、海もあって、人ものんびりしていて」
「本当?ヴィクトルの目からも長谷津魅力的に見える?ちょっと話聞かせてください!」

きらきらした目で体を乗り出す香織ちゃん。『長谷津田舎すぎ!刺激が少ない!』と怒っていた彼女がまさかこんなこと言うようになるとは。月日は人を変えるんだなーなんて見ていると、香織ちゃんがぐるっと振り返った。

「あっ、そうだ勇利君!本当に嫌だと思ったら言ってよ。私が守るから!」

そう笑う香織ちゃん。先日優ちゃんからも言われたセリフ。言葉は違うけど、『俺たちは勇利の味方だぜ』と言い切った西群も頭をよぎる。あの時はさらっと流してしまったけれど、僕は周りの人にかなり大切にされているんだなぁと今更ながら気づかされる。単純な恥ずかしさや、今まで気づけなかった申し訳なさがあるけれど、それ以上に心に温かいものが生まれる。

僕がたまにどうしようもなく逃げ出したくなる長谷津。でも、そこには僕を思ってくれる人達がいる。ずっと支えてくれている家族はもとより、優ちゃんや西郡や美奈子先生。

そして、町役場という町の中心で僕の味方と豪語してくれる香織ちゃんがいてくれることが心強かった。少しだけ肩にのっかる『長谷津』という荷を香織ちゃんが肩代わりしてくれた気がした。

ただ、『私役場にいるからいくらでもやりようがあるよ!』と妙にいい笑顔をしてくる香織ちゃんにお願いするのは本当に困ったときだけにしよう。

「そうだ、勇利君!全国からスケオタが来たり、テレビでオンエアーされたりするんだから、しっかり長谷津の宣伝してね。温泉入っていけーとか、イカ食べて行ってーとか」
「が、がんばるね」

少しでも幼馴染の力になりたいと思い僕はうなずいた。マスコミ対応が苦手なので少し頼りなさげなのは許してほしい。

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