「だから言ったでしょう?『後悔しないか?』と……」
リトがそう言うが、ショックが大き過ぎてオレもアルも答えられない。するとリトは溜め息をつき、俯いているオレの顔を両手で掴み前を向かせた。
「なっ!何すっ……!」
すぐ近くにリトの整った顔があり、恥ずかしくなる。しかし、オレを見つめるリト表情は真剣で、今まで恐怖しか抱かなかったこの紅い瞳を初めて綺麗だと思った。
「現世であなた達は物語の登場キャラクターです。でも、確かにこの世界は存在します。あなた達は空想の中の人物なんかじゃない……私が保証します」
「リト……ありがとう」
あー…わかった。
リトは無表情で淡々と喋るけど、それは決して心が冷たいからじゃない。ただちょっと、気持ちを伝えるのが苦手なんだ。
そう分かった途端、肩の力がスッと抜けた気がした。
「ねぇ、リト……そのお話の中で、ボク達は元の体に戻れてる?」
せめて、お話の中でくらい夢が叶っていてほしい。けれどリトは首を横に振った。
「まだ物語は終わっていません。それに、私は最初の巻しか読んでませんから…。」
「最初の巻って、1巻だよね?今のところ全部で何巻なの?」
「20……巻ぐらいだと思います」
「20巻!?すげー……って、何でお前は最初しか読んでないんだよ!普通読むだろ?」
少なからず自分に関わりがある世界なら気になるはずだ。リトが言うには、未来のことも書いてあるらしいし。
「残念ながら私には読めないんですよ。私はこの世界に来た日、『ハガレン』について知る権利を……持って行かれました」
「持って行かれた?……!真理にか!?」
奪われたとか、失ったとかじゃなく……持って行かれた。あの日のオレも無意識にそう言った。
きっと真理を経験した者だけがわかる共通の認識なんだろう。
「えぇ。私の先祖、タイアースはこの世界の人間ですが、私は門の向こう…現世の人間です。現世からこっちへ来るためには門を開ける必要がありましたから」
「その代価として……か?」
「いえ、代価は髪と瞳の色です。私の元の色はどちらも黒色です」
黒髪黒眼って、大佐みたいだな。なんてことを言ったら睨まれた。だから怖ぇよ。
「じっ…じゃあ、知る権利は何でだよ?それに、体温も…」
「知る権利は持って行かれて当然なんですよ。私がこの世界の未来を知りすぎたら、世界はめちゃくちゃになるでしょう?」
「あぁ、そっか。……でも、体温は?」
「これを得るためです」
そう言ってリトは時空の鍵を示した。
「これは200年前、現世へと行く際タイアースが代価として支払ったものです。私はそれを取り戻しました。」
「どうして?体温みたいな大事なもの支払ってまで……」
「…真理を通って世界を渡るのは何回も出来ることではありません。でも私には何度も世界を行き来する必要がありましたから」
体温よりも大事なこと。それが現世にはあるらしい。リトは立ち上がり、過去に起こった事件をまとめてあるファイルの一冊を持ってきてオレ達に見せた。
そこには『実験途中に大型キメラが消えた』と書かれた記事がファイリングされてあった。
「確かこれは、…研究の過程で錬成したはずのキメラが跡形もなく消えた……と言うやつですね?」
「あぁ。その後もキメラは発見されていない。最近、ごく僅かだが起こる現象だ」
大佐と中尉が説明してくれた。
キメラが消える?確かに不思議だが……。
「それがどうしたんだよ?」
「このキメラ達……どこへ行ったと思います?」
「…分解された……とか?」
わからないなりに考えて答えると呆れを含んだため息で返された。少しずつリトの感情表現のレパートリーが増えてきたように思う。ただし、ろくなものが増えてはいないが。
「じゃあ、どうなったんだよ?!」
「…現世に飛ばされたんですよ。」
「現世って、門の向こうの世界だろ?なんで…」
「二つの世界はとても不安定なんです。それによって生じる時空の歪み。時空が歪んだ瞬間とキメラが錬成される瞬間が重なったとき世界は繋がり、キメラは現世に飛ばされる……」
話しながらリトの目線は段々下がって行きスカートを掴む手が強くなる。
「本当に稀な現象ですが、それによって飛ばされたキメラは……現世の人間を襲う……この世界で、あなた達錬金術師が生み出したキメラがっ…、現世の人間を傷つけるんです!!」
リトが初めて強く感情を表に出して言った。その瞳に映る確かな怒り。オレ達が驚いているとリトはハッとして、小さく謝った。
「……すみません。あなた達の所為ではありませんね。忘れて下さい」
そうは言っても忘れるなんて出来るかよ。
もしそれが本当なら、リトはそのために……飛ばされたキメラ達から現世の人間を守るために代価を支払って、世界を渡る力を手にしたことになる。
「安心して下さい。その事と私があなたを嫌う理由は違いますから」
リトの口調は静かになったけど、新たな疑問が生まれた。
何でこいつはオレのことそんなに嫌っているんだ?オレは嫌われるようなこと……殴ったけど……そこまで嫌われるようなことした覚えはない。
「じゃあ、その理由は何なんだよ?」
少し強めに訊くとリトは瞳を閉じ、一息つくと瞳を開いた。それは出会った最初の頃と同じ、凍てつくような眼差し。
「教える気はありません」
やっぱりこの眼は苦手だ。その紅い瞳は何を映しているのかわからない。
「……お前はどうしてこの世界に来たんだ?キメラを倒すだけなら、現世にいても出来るだろう?」
「………らです」
「は?聞こえなかっ…」
「殺したい人がいるからです」
「っ!?」
痛いと感じる程の冷気からリトがどれだけそいつを憎んでいるのか伝わってくる。
「殺したいって……誰をだよ?」
「教える必要はありません。あまりしつこいと……殺しますよ?」
「……っ!」
これ以上言ってはいけない気がした。リトが何者で、どういう性格のやつかは少しわかったけど、その過去と心に抱える闇だけは知ることが出来なかった。
なぁ、リト……本当のお前は今、どんな表情をしているんだ?
和解……と言うわけではないが、若干リトとの雰囲気は良くなったので、オレたちは三人で旅を始めることになった。
「あ!そう言えばリトって、ボク達の旅の最初の方は知ってるんだよね?」
「そうだよ!オレ達最初にどこ行った?」
ちなみに今、賢者の石の情報は真っ白なのでリトの記憶を当てにした、が。
「私が知っているのは3年後からです。物語はエドが15歳、アルが14歳のときからです」
「意味ねー!てか、使えね―――っ!」
「……では、その時がきても私は何も言いませんから」
「何でそうなるんだよ!?」
「意味がないのでしょう?」
「いや、そうだけど…そうじゃねぇ!!」
「言ってる意味がわかんないよ、兄さん」
とりあえずスミマセンと謝っておけばリトは何も言わずスタスタとどこかへ行こうとする。
「おい、どこ行くんだよ?」
「……図書館。情報は大佐に任せているのですから、本でも読んで待っていてはどうです?セントラルの図書館にはいろいろありますから」
「そうだね!」
「しゃあねーな、そうするか」
自分達のことを考えてくれるリトにオレもアルも口元が緩んだ。その顔を見たリトの「気持ち悪いです」との言葉は聞こえないふりでいいだろう。
──……オレたちがが出て行って静かになった執務室で大佐と中尉が話していたことを、この時のオレたちは知らない。
「大丈夫でしょうか?アールシャナ大佐……いえ、リトちゃんは…」
「さぁな。リトの抱える闇に鋼のがどこまで気づくか……もしかしたら本当に殺されてしまうかもな」
「大佐、笑うのは不謹慎かと」
「おや、これは失礼した。だが、彼らならなんとかやるだろう。年も近いし…リトの氷を溶かしてくれると良いのだが……」
二人は願っている。自分達では救えなかった少女、心に氷の壁を作ってしまった少女の……幸せを。
「太陽は氷を溶かすものだろう、鋼の?」
闇に魅入られ凍てつく心
救える者は彼らだけ
彼女が憎む彼らだけ
2008.10.20
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