紅の幻影 | ナノ


諦めない 1  


──ゴオオォオオ
「……………。」

少女が見上げた空は禍々しい雲に覆われていた。遠雷が走り、大地はまるで何かに怯えるかのように震えている。太陽はもう随分と前に雲の向こうへと姿を消してしまった。

学校の屋上に立つ少女。そのちょうど真下の教室では、クラスメート達がざわめきながら同じようにこの空を見ているのだろう。

──ゴオゥツ
鳴り止まない、寧ろ、刻一刻と激しさを増す時空の歪み。

少女…──美香の茶色い瞳は黒雲を映し、震えの止まらない両手は縋るように屋上のフェンスを掴んだ。そして彼女は呟く。

「──…理冬」

何度も何度も、親友の名を呼ぶ。

「理冬…、理冬……っ」

応えて、と言わんばかりに。
ただただ、この空の向こうにいる親友の無事を祈る。それしか自分には出来ないと己の無力さを悲観しながらも、美香は空へと語りかけるのを止めない。

「感じるよ、理冬。雲の向こうから理冬の気配を感じる。……ねえ、どうして消えちゃいそうなの?」

目元に涙を浮かべ、悲痛な声とともに胸元のリボンをくしゃりと握りつぶした。

美香は自分が何故、理冬の気配を感じ取ることができるのか分からない。同じ遺伝子を持つ明のことならともかく、全く違う環境で育った人間の気配を感じ取れるなんて、自分はエスパーなんじゃないかとさえ疑った。(正確には喜んだ)
しかし、残念ながらスプーンを思念で曲げることは叶わなかったし、覇気が使えるわけでも、テレポート出来るわけでもなかった。

それでも美香は満足だった。大切な親友の安否を感じ取ることができるだけで幸せだと、たいして信じてもいない神様に感謝した。

理冬の気配を察知する能力は理屈ではなく、もっと別の潜在意識に近い感覚で美香の心に寄り添う。故に、理冬が“帰ってくる”瞬間が美香には分かった。理冬と出会う前も自分は時折胸のざわめきを感じて空を見上げる事があったが、今にして思えばそれも彼女と繋がっていたのかもしれない。

そして、その感覚はどうやら自分だけのものらしく、明や他の親友達に話しても難しい顔をされ、美香だけズルいとブーイングを浴びた。その時は、ただ誇らしく、嬉しかった。

それと同時に少しの安心を美香に与えてくれた。

行ってらっしゃい…と、光の中へ消えていく親友を見送るとき、本当はいつも泣いて引き止めたかった。行かないでと、喉の奥まで来てしまった本音を涙と一緒に飲み込んだ。理性だけでは到底制御出来そうもない伸ばしかけた右手をぐっと我慢できたのも、ひとえにあの感覚のおかげだった。

──…大丈夫。

離れていても自分には理冬の気配が分かるから。この空の向こうに理冬がいるって、感じるから。だから私も泣かないよ。笑ってアナタの帰りを待つから。この世界で強く生きることが約束だもんね?

……──そう言い聞かせることで安心し、親友の帰りを待つことができた。しかし、今はどうだろう。

「理冬……消えないで…」

空の向こうから感じる気配はあまりにも弱々しく、いつもより近いのに遠く感じる。誰よりも理冬を理解している美香だからこそ、この得体の知れない暗雲が酷く恐ろしい。

もう二度と彼女に会うことが出来ない、彼女はもうすぐいなくなる。そう告げられているようだった。

「…許さないから……」

ポタッ…と、美香の足下に雫が落ちる。

「例えそれが世界でも……私の大好きなハガレン世界だったとしても…」

とめどなく落ちるのは雨か、それとも…。

「理冬を……ううん。リトを傷つけたら許さない…っ!」

空を睨む美香の瞳の奥で紅い光が揺らめいた。それはゆらゆらと燃え盛る焔のように、はたまた血潮を凍てつかせた氷の刃のように。鋭く激しく、紅い瞳で天を睨む。

「リトを奪う世界なんて……いらない!」

ガシャンと美香が掴むフェンスが音をたてた。



そんな彼女の様子を、後ろの方、備え付けられた扉のところから見つめる明、隼斗、千尋の3人。突然消えた美香を追って走ってきたのだが、声をかけることが出来ないでいた。

「……なにがあったんや…」
「あんな美香は初めて見ますわ。ねぇ、明……」
「たぶん、理冬に……向こうの世界でよくないことが起きてる。美香にはそれが分かるから……」
「せやかて、あの美香は……あの眼はまるで…」

3人には時空の歪みも、その向こうにいる理冬の気配も分からない。それでも、この胸のざわめきが杞憂でないことは理解できる。

「………今は待つしか出来ない。理冬のことも、美香のことも……悪い、俺にもどうしようもないんだ…」
「明……。……信じましよう、私たちの親友を」
「そうやな。美香が信じるって…待つって決めたんや。俺も信じて待つで」
「お前ら………あぁ、そうだな」

明も決意し、空を見た。
禍禍しい暗雲の向こうにぼんやりと何かが浮かんできているようだった。それは初めて見る景色のはずなのに、よく知っている景色。何度も何度も本で見た景色。

「……あれがハガレン世界か………」

反転して空に浮かんでいたのは、漫画やゲームで幾度となく見てきた憧れの世界そのものだった。

美香はただひたすら、手に血が滲んでも空を……世界を睨み続けていた。


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