万能であるが故の大きすぎる代価。それを知らず、ただただ欲するばかりの愚かな人間達。
彼らも同じでした……、とリトは蔑みと少しの憐れみを含んだ声で話す。
「……可能性ばかり追い求めて、そこに潜む犠牲を考えていない。だから、嫌いなんです」
苦々しく呟くリト。
この“大嫌い”は自分に一番当てはまる。賢者の石の事を知り、今日までソレを頑なに拒んできた。
忌み嫌い、嫌悪する存在。なのに今、自分の為に石を……他人の命を使おうとしている。
──タスけて…誰か
──おねがい…殺して
──きゃははははは
──いやダ…
──あそぼうよ
──…ちゃん…おねえちゃん
犠牲を知りながら、その声は聴こえないフリをする。そんな自分が何よりも嫌いで反吐が出る。
「──…っ、……だったらいっそ……堕ちるとこまで堕ちましょう」
──ブチッ ブチブチッ
リトは左腕に繋がれた点滴を勢いよく引き抜いた。赤い血が腕を伝い、シーツに花を咲かせる。もう迷わない。
「やめるんだ!リトっ!!」
──パンッ
ロイの制止も聞かず、リトは胸の前で両手を合わせ、膝に触れた。
──バシィッ バチバチッ
「何だ…っ!」
「赤い、錬成反応…?!」
くすんだ色の天井も、真っ白なシーツも、部屋の全てを赤く染め上げる強烈な光。まともに目を開けていられない中、ロイが一瞬だけ見たリトの姿は…
──バチバチッ…バチィッ
「……、」
「っ…(あれは…、)」
赤い光の中心で一点だけを見つめるリトの姿は、戦場で血を浴び、屍の山に立つ雪女の姿と重なって見えた。
──…バチッ シュウゥー…
暫くして、けたたましい音と光が止んだ時。まだチカチカする眼を押さえながら開いたロイが見たものは、白磁のように美しく、しなやかで華奢なスラリとしたリトの両脚。
「……、そんな…っ」
「…これが賢者の石の力か…!」
いくら医療系の錬金術が得意だからといって、失う前と寸分違わぬ姿に戻すなんて、有り得ないにも程がある。
デタラメ人間に魔法の石。まるで夢を見ているようだよ、とロイは額を押さえ、側にあったパイプ椅子に腰をおろした。
そんなロイの言葉には答えず、リトは元に戻った脚を一撫でしてから、……では、もう一度訊きましょうか……とロイの方を向き、さっきの質問を繰り返した。
しかし、ロイは首を横に振る。
「答えられんな」
「………」
エルリック兄弟の居場所を吐けば、リトは直ぐにでも追いかけるだろう。いくら足が治ったとは言え、こんな身体的にも精神的にも不安定な状態のまま、彼女を行かせるわけにはいかない。
「……どうしても、ですか?」
「……どうしても、だ」
リザやアームストロングでさえ冷や汗を流すほど強いプレッシャーを放つリトの前でも、ロイは顔色を変えることなく口を閉ざす。
暫しの沈黙。均衡状態が続くと思われたが、彼女にはこの問答に時間をかけるつもりは端からないらしい。
「……勘違いしないで下さい」
リトはポツリと呟くと裸足のままベッドから降り、ペタリと床に立った。そして、一向に答える気配を見せないロイを静かに見下ろす。
──…カチャ
「っ…准将!いったい何を…!」
「やめて、リトちゃん!」
コートから抜かれた拳銃。銃口をロイに向け、リトは引き金に指をかけた。
「『エルリック兄弟の居場所を教えて下さい』これはお願いではなく命令です、ロイ・マスタング大佐」
ピリピリと伝わる冷気。瞳は紅い、雪女の色。
引き金にかけられた人差し指に躊躇いは感じられない。
リザも銃を構えようとしたが、式典の後だったため生憎と携帯していない。たとえ持っていたとしても、この距離だ。リトの方が0、数秒早い。
「……っ、」
「Dead or Answer……さあ、どうします?」
リトは問い掛けながら、カチャリと銃の安全装置を外した。これで後は引き金を引くだけ。病室内に緊張が走る。
「………、」
己が命か、リトの体か。
窮地に立たされたロイが絞り出した答えは、
「…承服…できない……!」
「……そうですか、では…」
サヨウナラ。リトが人差し指に力を込めた瞬間、
「お待ち下さい、准将!彼らはダブリスの師匠の所へ行きました!!」
──バン…ッ
アームストロングが声を張り上げて叫んだ。
──…シュウゥ〜…
銃口から放たれた弾丸はロイの頬をかすり、病室の壁にめり込んでいた。正に危機一髪。
「ダブリス…師匠の所……」
硝煙の上がる銃を構えたままリトは彼らの行先を復唱すると、そうですか。と納得したのか、銃を下ろすとコートと制服を抱えた。
医者の定めた入院期間など関係ない。もうダブリスへ向かう準備をしている。
そんなリトに欠けているものがある事にロイは気づいた。それはエド達と旅をしはじめてから、欠かすことなく首に巻いていたマフラーだ。
スカー抹殺の任務を受けた時、一時的に外されていたが……。その後リゼンブールへ向かう際にはやはり、リトの首にはあの純白のマフラーが巻かれていた。
彼女がそれを大事にしていることはロイ達から見ても一目瞭然で、東方司令部の面々はそれを微笑ましく見ていた。自他共に雪女と認める彼女が、良い傾向に変わってきていると思っていたのに…。
「リト……マフラーはどうした?」
「………」
ロイの言葉に一瞬、リトの表情が強張った。しかし、直ぐに元に戻り、冷たい刃物のような声で吐き捨てる。
「……汚れたので捨てました」
──パタンッ
彼女はそれ以上何も喋ることなく、病室を出て行ってしまった。
リトのいなくなった病室に響く怒号。
「なぜ鋼のの居場所をあの子に教えた!!」
「しかし、あのまま黙っていては、確実に殺されておりました!」
息巻くロイに対し、弁解するアームストロング。
事実、彼の言うことは間違いではない。
──…ツー
「っ!」
ロイは頬から伝う血を指で拭い、壁にめり込んだ鉛弾を見やった。
あの時、咄嗟にアームストロングが答えたから、リトはギリギリで弾道を変えた。もしそれがなかったら、危うくヒューズの墓の隣にロイ・マスタングの墓がたつところだっただろう。
たった数cmでわかれた生死。
「……はぁ、」
ロイの溜め息は九死に一生を得た安堵のものではない。ましてや、この未来(さき)のことを危惧したものでもない。
「…鋼の……」
子供を頼る他道がない、自分の情けなさに対しての溜め息だった。
一体、ヒューズに……リトに何があったというのだ。せっかく彼女に心が戻り始めていたというのに。
そんな、どうしようもないやるせなさだけが三人の心に重くのし掛かった。
(リトside)
誰も入院していない病院の個室に入り、内側から鍵をかけた。閉めきられた窓はカーテンが閉まっており、整えられたベッドはそこに横たわる患者を待っているようだ。
──スルスル パサッ
この部屋に設けられた洗面台。その鏡の前に立ち病衣を脱ぐ。所々巻かれていた包帯は全て取り外し、錬金術でなるべく傷を癒した。
それでも、うっすらと傷痕が残ってしまうのは仕方ない。これは自分への戒め。弱い自分への罰なんだと、昔から受け入れてきた。
鏡に映った自分の姿。
傷口が炎症を起こし、紅くなった首の傷痕を鏡ごしにそっと指で撫でる。
傷は首だけじゃない。首筋、胸、お腹、腕、背中、ふともも。古くなって目立たないものもあるが、至るところにその跡がある。
他者につけられたものか、自分でつけたものか。覚えてすらいない。顔に傷痕が少ないのは、あの男が顔だけはあまり攻撃をしてこなかったから。
戦い方も氷の心も傷痕(からだ)でさえも、全てあの男の好みに育てられた。
「……っ、」
不愉快極まりない。
だから私は何としてでも、あの男を殺さなければいけない。自分の為にも、守りたいものの為にも。
それなのに、エド達と出会ってから私は確実弱くなった。認めたくない事実。
──スルッ
制服のシャツに袖を通せば、袖口には茶色く変色した血が滲んでいる。
これはきっと、ヒューズの血。こんなことを考えてしまうのも、私が弱くなったからだろうか。殺すことに躊躇いを覚え、人の死に涙する。そして結局……誰も守れていない。
──プチ プチ
シャツのボタンをとめ、スカートのホックに手をかける。
思い出せ、あの憎しみを。自分が何の為にこの世界にいるのかを。
──バサッ
体力が落ちているからか、羽織った漆黒のコートがいつもより重い。そう、残された時間(いのち)は限られている。
──シュルッ
エンヴィーを殺す。
──シュルッ
邪魔する者も殺す。
コートの前のリボンをとめながら鏡を見れば、紅い瞳の自分と目があった。
冷たい瞳。そうだ、それでいい。何も悩む必要なんてない。目的を成し遂げる為ならば、狗だろうが傀儡だろうが雪女だろうが、何にだってなってやる。
どこまでも堕ちてやる。迷うな、心は凍らせろ。善も悪も関係ない。エンヴィーを殺す為なら、私は…───
「……どんな犠牲も厭わない」
たとえそれが自分自身であったとしても。
──…キュッ
胸元のリボンをきつく結んで。
さあ、行きましょう。逝き着く場所が地獄でも、私はあなたに逢いに行く。
2010.12.04
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