「っ…ヒューズ……」
動かせる上半身を奮い起たせて顔を上げると、その先にいたのは胸を真っ赤に染め上げた……かけがえのない人。
「ヒューズ……嫌っ…」
ポロポロと零れる涙の味と血の匂いが口の中で混ざり合い、否応無しに両親が死んだ日の光景を思い出す。私の親になる人はみな、殺される運命なのだろうか。
「ゃだ……っ死なない、で……ッ」
腕を使い、ズルズルと這って進む。たった数メートル、私とあなたの距離。痛みなんて感じない。
ううん、痛い。胸が……心がすごく痛い。
凍らせたはずの心臓が足よりも身体よりも痛いと泣き叫ぶ。
死なないで、どうかお願い、もう私なんかを愛さなくていいから、私もあなたに関わらないから、だから死なないで。声に出ているのか出ていないのか分からない声量で叶わぬ願いを乞うも、進んだ刻は決して逆戻りしたりはしない。
──ズル…ズル
「……っ、涙が止まらないのは足が痛いから、です」
下腿が潰れた両足。躰から離れたところに足首が二つ転がっている。
「胸が痛いのは…っ、命が残り少ないからです……」
呼吸が乱れ、血も足りてない。命が遠のく感覚がする。
「………っ」
じゃあ、ヒューズの服を掴むこの右手は?
これだけは言い訳が見つからない。
「なんで…、っ……私なんかと、関わるからですよ…」
バカですね。何度も忠告したのに、何度も突き放したのに。本当にあなたは最期までバカだった、大嫌い。
「ヒューズ……ヒューズ…ッ」
すみません。
巻き込んで…、守れなくて…、
関わって…、愛してくれて…、
「ヒューズ!今度セントラルに行ったら…」
「おう!絶対うちに帰って来いよ!グレイシアもエリシアも待ってるからな!!」
「はい、必ず…!!」
約束やぶって…、
「ごめ、ん…なさ……ぃッ」
動かないヒューズを抱き締めて目を閉じた。
だらりと力の入らない身体から鼓動は感じられなくて、それでも血の匂いに混じってヒューズの匂いがする。
目を閉じればまた抱きしめてはくれないだろうか。こんなところで寝ていたら風邪をひくぞと、いつもみたいに頭を撫でてはくれないだろうか。
そっと目を開ければ、目に映るのは赤にまみれたヒューズと私。
「っ……いつもと逆ですね……」
もう私を抱き締めてはくれない……おとうさん。
もう何も考えられなくて、何も考えたくなくて。もう一度瞳を閉じようとした……その時、
【…───…ズ、ヒューズ?】
「───……ッ」
外れたままの受話器から聞こえてきた声。初めこそ鬱陶しそうに、けれどもこちらから何の返答もないことを不審に思ったのか、声の主は訝しげに動かなくなった男の名を呼んだ。
とても聞き覚えのある声。
【おいっ!ヒューズ!】
「……た…いさ……?」
【ん?誰かいるのか?】
ヒューズのか私のか判らない血のついた手で、私は縋るように受話器をとる。
「…ィ……ロィ……」
【!?リト…?リトなのか!】
消えそうな声だったがロイには届いたようで、いつもと違う私の様子に気づいたロイは頻りに私の名を呼んだ。その声色に含まれるは確かな焦り。
【リト、そこは何処だ?何があった!?】
「……ここは………」
そうだ、ロイに伝えなければいけない。ヒューズが……あなたの親友が死んだ、私のせいで……死んだのだと。ぁ…ぁあ………、
「ゃっ…ァアアアァアアッ!!」
【っ、リト!しっかりするんだ、リト!!】
電話ボックスに充満する血、血、血の匂い。生暖かく、触れればグチャッと音が鳴る傷口。この目に映る全てが赤く染まり、口の中に広がるは鉄の味。
「ぁあああ゛…ッ、ゃっ!!嫌ぁああああ!」
お父さん…!お母さん…!
死なないで!!一人にしないで!
ぅああああああああっ!
もう自分が何を言っているのかも、何に怯えているのかも分からない。叫ぶことでしか意識を保てない。血と涙と涎と鼻水でぐちゃぐちゃになった手で頭を抱えながら、私は叫んだ。あの日のように。
なんでヒューズは殺されて、私は生きているのだ。どうして私だけが、いつもいつも生かされるんだ。
いっそのこと私も殺してくれればどれだけ楽だったか。それでも殺されなかったことに安堵する自分は、何と醜い生き物なんだ。
「やめて、…嫌だ…!!いゃ、ああああッ!!」
【リト!落ち着くんだリト!!】
「…あああぁ゛っ!!!」
気持ち悪い、汚い、穢らわしい存在。私こそ死ねばいい大罪人だというのに。それでも自害することも出来ない、しようとすらしない自分は愚かしいことこの上ない。結局は私も醜悪な人間なのだ。
【…──っ、リト!!】
「っ!…ァ…ァア………」
自分の名を呼ぶ声に脳が揺れた。
そうだ…、この声はロイだ……。
…ロイ…ロイ……っ
「ロ…ィッ……、…早く…きて……」
───……助けて…ッ
【今、何処にいるんだ!リト?!…リト!!】
リト!と、受話器の向こうから響くのは懸命に私を呼ぶあなたの声。けれど、私には答える力なんて残っていなかった。
ただいつもは温かいヒューズの体が、私と同じ体温になっていくのを感じながら、私も静かに目を閉じた。
永訣、それは永遠の別れ。
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