沈黙の温度


「………」
「………」

ど、どどどどどどどうしよう。
ばくばくと五月蝿い心臓を押さえつけて、私は目の前の存在を凝視していた。
こんなに見つめていては、相手に失礼になってしまう。
それは判っているのに、目線がそらせない。
相手も私のことをじっと見つめている。沈黙が、舞い降りていた。

「あっ、えっと…」
「あっ……」

何か喋ろうとしても、互いに黙りこくってしまう。
気まずそうに彷徨うその目線を追ううちに、私は徐々に落ち着いて来た。
…きっと、彼も私と同じ種類なんだ。
人とポケモンという違いはあれど、その性格はまま共通することがある。
大抵の場合、明るいトレーナーといるポケモンは性格も明るくなるし、またその逆もあり得る。

そして私の場合……

「ごめんなさい……私、すごく人見知りで……あ、この場合ポケ見知りかな…あはは……」

無理矢理に笑顔を作ってみると、向こうは気恥ずかしそうに視線をそらした。
ああ、やっぱりそうだ。それを知って安心する。

「えっと…貴方は、この島のポケモンさんですか? 私を…助けてくれたんですよね…」

昨日の大嵐を思い出して、ほんの少し眉を下げる。
シンオウの海を観光するための回遊船、嵐に巻き込まれることなんて無いはずだった。
この辺りは安全ですからと、転覆するその時までガイドさんは叫んでいた。

「ええと…ありがとうございました」

海辺に打ち上げられたはずの私を内陸まで運んでくれたのは間違いなく目の前のポケモンだし、私が目を覚ました時だって、恐る恐る私の横に木の実を置きにきていたのだ。
…まあ、私が中途半端なタイミングで覚醒してしまったせいで、この堪え難い沈黙が訪れてしまったのも事実なのだけれど。

「アノ…」

自分の間の悪さを呪っていたら、不意に蚊の鳴くような声が聞こえた。
目の前のポケモンが喋っているのだろう。正確にはテレパシーだけれど、響いてくる低音が、彼が雄であることを私に教えた。

「な、なんでしょうっ!」
「私ヲ、怖ガラナイノカ」

やけに不自然な発音で紡がれる言葉は、私の頭の中に疑問符を浮かべて通り抜ける。
どうして怖がる必要があるというのだろう。確かに珍しいポケモンではあるけれど、私だって全てのポケモンを見た事がある訳じゃないし、それに第一、このポケモンは私を助けてくれたのだ。

「ええ。寧ろ、どうして怖がるんですか?」

その問いかけに、ポケモンは一瞬俯いた。
何かマズいことを聞いてしまっただろうか。質問を撤回しようと唇を開いたとき、
ポケモンはこちらを見て再び言葉を紡ぎ出した。

「…私ガ、”ダークライ”ダカラ」
「ダークライ……?」

一瞬、頭の中で話が繋がらなかった。今目の前で気まずそうに話しているこのポケモンと、幼い頃から読まされた昔話に出てくる凶悪なポケモン、「ダークライ」の二つが。
確かに絵本の中に描かれた影だけのポケモンはこんな容姿をしていたような気がする。
もう遠い記憶になってしまったのだけれど。

「人々ハ私ヲ忌ミ嫌ウ。……仕方ガ無イコト」

ダークライは不意にこちらに背を向けると、私に言った。

「コノ島カラ出ナイ限リ……貴方モ悪夢ニ魘サレル。夜ニナル前ニ、出タ方ガ……」

そうは言われても、と私は困ってしまった。
島から出る、と言われても、私はテレポートを持ったポケモンも、波乗りを使えるパートナーも居ないのだ。…というより、ポケモンを持っていない。
私のように内気な性格だと、ポケモンと打ち解けるのにも時間がかかる。今までに何度かポケモンを貰う機会はあったけれど、結局育てる自信が無くて返してしまうのだ。

「えっと…ごめんなさい…。私、ポケモン持ってないし、泳いで帰る訳にも……」

再び、沈黙。

「ほんと…ごめんなさい。この島って貴方しかいないんですよね…。邪魔しちゃって……」
「イヤ、人ガ来ルノハ……久シブリダカラ……」

ぎこちない会話を続けながら、私たちは沈みかけてきた夕日を見る。
ダークライが少し表情を曇らせた。

「それで……苦手なんですか……?」
「……アア」

お互い、口に出さなくても判っている。喋るのが、極度に苦手なのだ。
一生懸命喋ろうとしても、言葉が出てこない。沈黙が突き刺さって、相手の苛々した顔を見ると泣きそうになる。それで余計に言葉が出ない。
今も、それは沈黙だった。

けれど何故か。

「……今は平気です」
「……………アア」

この辺りには、週に一度連絡船が通るらしい。
きっと何かで合図をすれば、気付いて私を拾ってくれるだろう。

……だけど。
その時までに、私は。

ダークライをちらりと見て、ひとり思う。
一週間かけて、ひとつの言葉が言えたら。
この性格を、治す事は出来ないけれど。

たった今知り合ったばかりの私たちは、まるで長年一緒に戦って来たポケモンとトレーナーのように並んで、何を言うでも無くぼんやりと海を眺めていた。
それは確かに沈黙だったのだけれど、同時に私たちに呼吸を許してくれる、最後の大気でもあるような気がした。




10/08/22




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