曖昧不落のジレンマ

「一張羅はデートに取っておくものだろう?」賢二郎にそう伝えたのは先週の事。あいにく今日はデートじゃないが、ついに俺の一張羅を披露する時がやって来た。名前さんの通う学校の学園祭に行くなんて、やっと俺にも青春らしいイベントが巡ってきたじゃないか。


「瀬見さん、今回も俺の服貸しますね」


当日の朝、洗面所で出くわした瀬見さんに声をかけると、口に含んでいた水をぶっと吐き出した。


「いらねーよ!お前いつまでも俺を馬鹿にするな」
「瀬見さんを馬鹿にしてるわけじゃないです。瀬見さんのセンスを馬鹿にしてるんです」
「一緒だろ」
「違いますって」
「大丈夫だよ。最近じゃ俺の服は彼女が選んでくれてますからー」


なかなか他人に向かって嫌味を言わない瀬見さんだが、この時ばかりは渾身のドヤ顔を見せつけられた。そうだった、瀬見さんには奇跡的に一般的なセンスを持った彼女が居るんだ。まぁ俺のお陰ですけども。
ひとまず俺がダサい人物と知り合いだと言うのは、名前さんに知られなくて済みそうだ。瀬見さんには悪いけどなるべくマイナスな要素は排除しておきたい。俺は決して瀬見さんの事が嫌いなのではない、むしろ好きではあるけれど。

ともかく心配していた瀬見さんの身なりはまともな状態で、無事に伊達工業高校の前へと辿り着いたのである。


「で、その名前さんはドコに居るわけ?」


まずは校門で貰った案内図を眺めながらの作戦会議。その地図を開いた瞬間に賢二郎がずばり質問した。


「……どこだろう?」
「は?」
「やばい。俺、名前さんのクラス聞くの忘れてた」
「嘘だろ」


瀬見さんと賢二郎は口を合わせて言った。
俺だって嘘だろと言いたい、先週の俺に。学園祭に来る許可を与えられただけで浮かれてしまい、名前さんがどのクラスで何の出し物をするのか聞き忘れてしまったのだ。


「どうすんだよ!結構広いじゃん」
「手分けして探すとか…」
「その人の顔、俺知らねーんだけど」
「俺もハッキリとは覚えてないぞ」


名前さんに会ったことが無い瀬見さんは仕方ないとして、物覚えのいい賢二郎まで名前さんの顔を覚えていないだと?無理もないか。海の家にいた時の賢二郎は、他の女性を気にするどころじゃなかったもんなぁ。


「…どうしましょう」
「どうしましょうじゃねーよ」
「とにかく何か食おう。腹減った」


溜息とともに賢二郎が言った。
確かに入口付近で団子になっていても仕方ない。せっかく他校の学園祭に来た事だし、この二人にも俺の付き添いばかりでは申し訳ないので楽しんで貰わなくては。

グラウンドには大掛かりなステージが設けられていて、他にもたくさんのテントが並んでいた。たこ焼きとか綿菓子とか定番のものもあれば、ちょっと珍しい食べ物まで。
結構楽しそうじゃん、と思いながら辺りを見渡すと、瀬見さんがとある看板を指さして言った。


「お、スムージーあんじゃん!」
「好きなんですか?」
「いや俺と彼女の初デートっていうか付き合う前だけど初めてふたりで」
「あーはいはい」
「おい」
「ブフッ」


俺と賢二郎はほぼ同時に吹き出したが、今回のは賢二郎が悪いぞ。俺は瀬見さんの話をちゃんと聞いてあげようと思ったのに。と言うか初デートの日、甘いものを勧めたのは確かだけど、スムージーなんか食べちゃったのかよ。なんだそのチョイス。

暫く瀬見さんとその彼女が二人してスムージーを吸う姿を想像して爆笑し、賢二郎がやっと息を落ち着けて言った。


「はー…でもいいですね。飲みますか?スムージーとかいう物体」
「なんだその言い方」
「俺スムージー初めてなんで」


なんて言いながら賢二郎は列に向かって歩き始めたので、なんだかんだスムージーが気になっているのだろうと思えた。
350円を払って俺はオレンジ、賢二郎はバナナ、瀬見さんは苺を頼んだ。もしかして瀬見さんの苺は初デートの想い出の味だったりして。太めのストローからスムージーを飲んでみると、程よく果肉も残ってて良い感じ。思ったより本格的だ。


「なかなか美味い」
「うん」
「だろ?飲みながら歩いてみるか」


何故か得意げな様子の瀬見さんに続いて、俺たち三人は伊達工の校舎の中へと進んだ。
工業高校と言うだけあって男ばかりだ。白鳥沢がいかに華やかで恵まれているのかが分かる。俺にとっては名前さん一人居ればそれで充分なんだけど…なんちゃって。


「お化け屋敷やってますよー!どうですかーぁ!」


ポスターが沢山貼られた階段を登っていると、大きな呼び込みの声が響いてきた。
なんだなんだと思いながら登りきった廊下には数名の生徒がビラ配りをしていて、執拗に「お兄さん達もどうぞ!」と誘ってくるではないか。


「…お化け屋敷?」
「2年A組って書いてあるけど…名前さんは3年だろ?ここには居ないんじゃ」


賢二郎が首を伸ばし、廊下の先まで見渡して言った。確かに3年の教室がどこにあるのか調べるのが早そうだ。さすが頭のいいやつは違う。
そんなわけでお化け屋敷の勧誘をしている奴に聞いてみようかと振り向いた時、驚きの光景が目に入った。


「お願いですって、一緒に入りましょうよ名前さん!」


飛び込んできたのは伊達工バレーボール部の二口堅治。その二口が両手を合わせて頼み込んでいる相手は、紛うことなき名前さんだ!名前さんと一緒にお化け屋敷に入ろうだって?あの野郎。


「あいつバレー部の…」
「二口堅治。川西の恋敵です」
「マジか」


ずんずん進む俺の後ろで瀬見さんと賢二郎が話すのが聞こえた。
ああそうだ、あいつは俺の恋敵。明らかに名前さんに好意を持っている。ただでさえ二口は名前さんと同じ学校で俺が不利だと言うのに、お化け屋敷に入るなんて冗談じゃない。


「すみません。お化け屋敷興味あるんですけど。」


そう言いながら、お化け屋敷の入口に居た二人の間に割り込んでやった。名前さんはあっと口を開けて俺を見上げた。うーん今日も可愛いです。


「川西くん?来てくれたんだね」
「はっ?白鳥沢の!何でお前うちの学祭来てんだよ!」
「名前さんからの招待を受けたもんで」


この時の二口の驚いた顔と言ったら。しかし俺の言う事は信じられないらしく、憤慨した様子で言い返してきた。


「はぁ?名前さんが他校の男なんか招待するわけねぇだろ」
「したよ。ね」
「はい」
「嘘でしょ!?」


先程の何倍も驚愕した声で二口が言った。悪かったな二口堅治、俺は確かに名前さんに「おいでよ」と言ってもらえたのだ。断じて不法侵入ではない。

言葉も出ない二口は放っておいて、どんなお化け屋敷だろうかと入口の看板を見上げてみると。「二人一組でお入りください」という注意書きが書かれていた。ペアじゃないと入れないのか。


「俺、お化け屋敷興味あるんですよね。名前さん一緒に入りませんか」
「わたし?いいよ」
「やった」
「えっ!?ちょっと」


一度くらい拒否されるかと思ったのに、名前さんは快諾してくれた。その代わり隣の二口が納得いかないらしく俺たちのあいだに割り入ってくる。コイツ、まだ居たのか。


「名前さん、何で俺の事は断ったのにコイツと入るんですか」
「だって今日はわたしが誘って来てくれたんだから。放置なんてひどいでしょ」


名前さんの言い分はあまりにも真っ当であった。俺の事が好きだからって理由なら嬉しかったけど、まぁこの際それは良い。


「じゃあ行こうか」
「え、ホントにいいんですか」
「うん。あ、でも友だちはいいの?一緒じゃなくても」
「あ……」


すっかり忘れていた。瀬見さんと賢二郎の存在を。二人は顔を見合わせていたが、やがて瀬見さんが苦々しく言った。


「…俺は入らないぞ」
「あれ、瀬見さんもしかして怖いんですか?」
「こ…わくねえ!」
「じゃあお友だちの二人、先にどうぞ!わたしたち後ろを追いかけるから」
「えっ」


きっと瀬見さんはホラーが苦手なのだと思う。どう見ても得意じゃなさそうだ。
天才的に空気を読まない名前さん(わざと読まなかったのかな)が瀬見さんと賢二郎の背中を押して、入口の前まで追いやった。


「嘘、俺ほんと無理」
「いけますって」
「無理無理マジで」
「うるさいです」


このお化け屋敷は悲しきかな、二人一組でなければ入る事が出来ない。首を振って嫌がる瀬見さんに心底引いた顔をして、賢二郎が「さっさと行きますよ」と真っ暗な教室へ引っ張りこんでいった。…ムービー撮っておけば良かった。


「わたし、押しちゃったけど…あの人大丈夫?」
「大丈夫です。相方が強いんで」


賢二郎はこういう類が得意なはずだ、きっとか弱い瀬見さんを護ってくれるだろう。
そう思っていたのに、いざ俺たちが中に入ろうとした時におぞましい叫び声が聞こえた。


「ぎゃあぁぁぁ!!おい待て白布、行くな行くな置いて行くな!」


偉大な先輩の情けない声、聞こえなかった事にしておきたい。ばっちり聞こえちゃったけど。


「…大丈夫かな?」
「死にはしません」


名前さんも明らかに引いているので、俺だけは瀬見さんの勇姿を讃えてポーカーフェイスを貫き通した。瀬見さん、彼女を連れてこなくて良かったですね。
それからやっと俺たちも黒い布を潜り、完全に光の遮断された教室内へ足を踏み入れた。


「…本格的っすね」
「うん」


中はなんとなくヒヤリとしており、不気味なBGMが流れている。真っ暗だけれども青白い光があり、ぎりぎり進むべき通路が見えた。
お墓、井戸、その他お化けが出てきそうなセットが造られていて、お遊びのお化け屋敷とは思えない。そういやここは工業高校だった。モノづくりが好きなやつが集まっているのかな?

でも、俺にとっては本格的であればあるほど有難い。お化けに怯えた名前さんが、俺の腕にしがみ付いてくれるかも知れないじゃん?


「わー、すごい!」
「………。」


ところが誰か聞いてくれ。名前さんは怖がるどころかお化けの人形、まるで病室みたいな部屋、天井からぶら下がった骸骨、突然の物音にも全く動じること無く楽しんでいるではないか。これじゃあ作戦が台無しだ。いや作戦なんて作ってきてないけど、とにかく台無し。


「……あの」
「ん?」


名前さんから俺にしがみ付いて来ないなら仕方ない。俺から行くしか無い。


「怖いんで手ぇ繋いでいいですか」


この言葉を発するのと同時に、俺は右手を出した。暗いから見えてないかも知れないけど。


「……怖いの?」
「寒気がするほど」
「全然怖くなさそうだけど」
「怖いですよ」


そりゃもう全然怖くなんかない。俺はこういうのが得意なのだから。でも、名前さんと少しでも近付くには多少強引だけどこれしか無い。お化け屋敷を出たら二人きりでは無くなってしまう。


「…べつにいいけど……」
「ありがとうございます」


信じてくれたのか、またはただの粘り勝ちか。とにかく名前さんは渋々ながらも受け入れてくれた。暗い中でも俺の右手を触り、すっと自らの右手を重ねてくれたのだ!残念ながら指は絡めてくれなかったけど。


「………」
「………」
「…何?」
「いえ、何も。怖いなと思って」
「ホント?」
「はい」


嘘です、本当は「名前さんの手、小さくて可愛いな」って思ってます。「ずっとこのままが良いな」とも。
さすがに絶賛アピール中の俺もそこまでは言えないので、その辺のお化けを指差して適当な嘘をつく事にした。


「ほらこの人形とか良く出来てるじゃないですか。ホンモノみたい」
「ホンモノだよ。青根くんじゃん」
「アオネクン?」


何やらウーウー唸っているお化けをじっと見てみると、突然そいつが動き出して俺よりも高い位置まで巨大化した。いや、立ち上がったのだ。顔面白塗りの大きな人間が。


「うわっ」
「あははっ、川西くん初めて怖がったね」
「だってこの人もバレー部の……、このクラスだったのか」


アオネクンと言うのは伊達工バレー部の青根だったらしい。元々ド迫力の顔なのに、真っ白な顔してあんな野太い声で巨大化されたらそりゃあビビるに決まっているだろう。あいつのメイクを施したやつ、才能あるな。

青根のお陰で初めて俺もビクリとしてしまったが、名前さんはそれでも楽しそうだった。「一緒にお化け屋敷に入る」こと自体が失敗だったかも。


「あ、見てあそこ!人魂みたいなのが…」


と、相変わらず楽しそうにしながらふわふわ浮く光を指さして笑っている。
しかしその瞬間に名前さんの体勢が崩れ、繋いだ手に引っ張られて俺も身体がぐらりと揺れた。


「ひゃっ」
「あぶねっ」


がたん、と何かがどこかに当たる音。咄嗟に名前さんを支えようと動いたせいで、何かを蹴ってしまったようだ。
俺が手を離さなかったおかけで名前さんは倒れずに済み、代わりに足元でお化け屋敷のセットの置物が崩れるのを感じた。暗いから戻せないな、2年A組の皆さんごめんなさい。


「…ありがとう」
「いや、俺は……平気ですか?」
「うん」


名前さんはどこにもぶつけなかったらしく、どうやら被害を受けたのは俺が蹴っ飛ばした置物だけだった。


「暗くて見えなかった…何かに躓いちゃった、ごめん」
「いえ…」
「すごいね。わたし結構な勢いで転んだのに支えちゃうんだもん」
「…全然。軽かったですよ」
「ははっ、嘘でも嬉しいよ」


屈託のない笑顔が暗闇の中でも良くわかる。ここがお化け屋敷の中だなんて忘れてしまいそうだ。嘘でも嬉しいよって、それ、わざと言っているんだろうか。俺の気持ちを知った上で。


「…嘘じゃないですけど……」
「ん?あっ、出口だ」


名前さんは前方に外の光が差し込んでいるのを発見した。
嘘だろ、もう終わりなのか?そりゃそうだよな、よく考えたらここは教室の中なんだから。


「…どうしたの?」


不思議そうな名前さんの声ではっとした。俺は無意識のうちに足を止めていたらしい。
だって仕方ないじゃないか。せっかく誰の邪魔も入らないところに居るのに、この手を離さなければならないなんて。


「手を離すのが惜しいなと思って」


ぎゅっと意識的に手に力を込めた。名前さんはそんな俺を軽く去なすかと思ったが、その気配はない。


「……なに言ってるの」
「そのままです。離したくない」
「な…」


手を振り払うことなく立ち尽くす名前さん。その反応、良いほうに捉えていいのだろうか。
ひと回りもふた回りも小さな名前さんの手の、細い指のあいだにゆっくり俺の指を絡めていく。まだ拒否されない。固まってる?嫌なら嫌だと言うはずだよな、この人の性格なら。


「…川西くん、あの」


やめてくれる?と言おうとしたのかも知れないが、その声が最後まで聞こえる事は無かった。俺たちの後に入ったペアが近くまで歩いてきたらしく、彼らの「怖えぇぇ!」という叫び声のお陰で我に返ったのだ。


「……ここに居ちゃ迷惑ですね。出ましょうか」
「う、うん…」


残念でならないけれど、他校の学園祭に、そのお化け屋敷の中にずっと入っておくわけにも行かない。すぐそこまで来ていた出口の布を潜り、明るい世界へと戻ってきた。


「おう、おかえり」


聞こえてきたのは賢二郎の声だ。まだ光に慣れなくてよく見えないけど、右手にはしっかりと名前さんの手の感触がある。
やばい、手を繋いだまま出てきてしまった!
名前さんも同じ事を感じたみたいで、俺たちは同時に手を離した。


「よう賢二郎。楽しめた?」
「上々」
「どっこっがっだよ!全然楽しくねぇ!マジで最悪だった!」
「俺は瀬見さんのあられもない姿を拝めて幸せでした」
「覚えとけよ白布…」
「心配しなくてもあの顔は死ぬまで忘れませんよ」
「そっちの意味じゃねえ!」


良かった。ふたりも大いに楽しんでくれたみたいだ。瀬見さんがどんな顔だったのか後で再現してもらおう。


「で、そっちは?」


賢二郎は俺と名前さんとを交互に見て言った。嫌な聞き方だ。こいつ、何か勘づいてるのか?


「…楽しかった。ですよね」
「え、あー…うん」


名前さんは気乗りしない返事だ。最後に俺が繋いだ手に指を絡めてしまった事、逆効果だったろうか。


「……あ!せっかくだから皆、うちのクラスにも来てよ。焼きそば売ってるよ」


しかし、名前さんのほうから別の話題を出したおかげで変な空気はどこかに消えた。
俺たち三人ともスムージーしか口にしていないので、焼きそばには大賛成。名前さんの誘導で再びグラウンドの飲食ブースへ歩きながら、賢二郎がボソッと呟いた。


「帰ったら聞かせてもらいたいね」
「え。何?」
「とぼけんなよ。見えてた」


そう言ってひらひらと右手を振ってみせる賢二郎。ゲッ、という俺を鼻で笑うと、すたすたと焼きそばの列へ並びに行ってしまった。


「適いませんなあ…」


すっかり俺も賢二郎にからかわれる立場になってしまったか。
今夜は俺の部屋で話が盛り上がりそうだ。お化け屋敷での瀬見さんのリアクションについて、そして俺と名前さんが手を繋いでいた事実について。

20180603/リサコ