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二章 緋色の国王
第九話 面影
鬱蒼〈うっそう〉と生い茂る木々を払い除けながら進んでいく。
幻想的な空間から一転、ラシーヌ湖周辺の森は薄暗く、動物達もみな息を潜めていた。
視界を奪う重苦しい霧は、旅人の不安を掻き立てるためのものだろうか。濃霧に隔絶された空間では、あんなに煌々と照っていた太陽も遮られてしまう。
カイザは少年の背を目で追った。彼らは、暗くも無ければ明るくもない、酷く曖昧な境界を彷徨っていた。
肺に息を送り込むとひんやりとした大気が全身に行き渡る。
暦の上では初夏だったが、シザールの晩秋を思わせる寒さだ。鎧の下に薄い衣服を身に着けていたカイザは、耐え切れず、くしゃみを一つ。
「さっむ……!」
歩みを進めるほどに、季節は冬へと移り変わっていくようだ。少し湖岸から離れただけでこうも違うものだろうか。
カイザは、己が何処へ向かおうとしているかも分からず、ただひたすらに前へ進むのみだった。
意識は足に、視線はシェオールの大剣に。
ともすれば少年を見失いかねない。幸いなことに、僅かな光を反射して煌めく大剣が導いてくれていたが、それでも彼は懸命に目を凝らしていた。
「そろそろ、かな」
シェオールの呟きが濃霧に吸い込まれる。
「そろそろって?」
カイザが反応すると、少年は一呼吸置いてから上を見上げた。
「不死鳥〈フォイエクス〉の住家です」
この辺に花崗岩の洞窟があるはずなんですが、と掃いたような金色を動かした。
「不死鳥ってこんな暗いところにいるもんなの?」
「ええ、鳥達の情報によれば」
シェオールが相槌を打つ。
「不死鳥って火を司ってるくらいだから、もっと明るいところに住んでるイメージがあったよ。火山や溶岩みたいな」
「……本来はそうです。ここに住む不死鳥以外は、東域のロザリオ山脈のふもとに住んでいますよ」
あそこは活火山となって久しいですから。シェオールがそう告げた一瞬、ふと金色の輝きが失せた。
「ここに住む……?」
だが、カイザが何か言う間もなく少年は歩き始める。仕方なくその背を追うが、行き先の知らぬ彼が少年を追い越すことは決してなかった。
「はぁ、はぁ……」
どれほど、歩いただろう。カイザは次第に身体が怠くなってきた。恐らく、身体がまだ目覚めていないのだ。
聞くところによると二昼夜寝続けていたと言うし、無理もない。カイザの脳裏に、もう少し湖畔で休んでいるべきだったかと過ぎる。
しかし、あの場で用心棒の少年がいつまでも待ってくれるはずもなかった。不死鳥に会えるんだ。これくらい耐えてみせろ。カイザは挫けそうな己を叱咤した。
けれども、それだけで苦痛が和らげられぬことも、彼はよく了解していた。進む意欲を削ぐ原因は、他にもあったのだ。
視界の利かぬ濃霧の森。不明瞭な空間は純白の夢を連想させるに足り、現実世界の存在を薄れさせる。
『――なにゆえ』
カイザはまだあの夢の続きを見ているようだった。銀灰色の世界で、滑らかな壁に包まれて。
揺籠にも似た心地良さは逃がすまいと。牢屋にも似た圧迫感は去り行くなと。
こうしている間にも、彼女達が姿を現すのでは――カイザはそうと考える間もなく、左右に視線を走らせていた。
しかし、眼前には雫に濡れた瑞々しい青葉が茂っているだけ。彼の口から、安堵と、他の感情が綯い交ぜになった嘆息が漏れ出た。
「全く、馬鹿だよ僕は」
銀灰色に捕らわれて、何を望む。そう思うも、女が絡み付いて離れない。カイザは何かを振り払うように被りを振った。そして、今は目を見開き、進むことに集中しろと言い聞かせる。
するとすぐ近くで、じゃりという音がした。
「……辛いんですか、カイルさん」
柔らかいアルトが、強張ったカイザの身体に染み込む。小柄なシェオールがやや前方で佇んでいた。
随分先を歩いていたと思ったが、カイザのために引き返してきたのだろうか。彼の瞳は僅かに、それと分からない程度だが、心配そうな色を含んでいた。
「大丈夫。少し痛むだけだから」
カイザは汗を拭うと、緩やかな微笑みを投げ掛けた。
当初カイザは、シェオールをとても無感情な子だと思っていた。だが、その結論付けは早過ぎたかもしれない。
この少年は、奥に潜む感情を表に出さぬだけで、実のところ非常に豊かな心を授かっているのではないか。
カイザは合わせて少年の黒髪を撫でる。するとシェオールは口元を曲げて、目を逸した。
「……俺、ずっと思ってたんですけど」
シェオールはためらいがちに切り出す。
「カイルさん、俺のこと何歳くらいだと思ってます?」
「へ?」
なんとも唐突な質問だった。カイザの手が止まる。彼は艶やかな黒髪から掌を退せ、少年を見返した。
そういえば、何歳くらいなのか。彼は無意識に十六、七を想定して対応していたように思った。だがシェオールには、その年齢にはない落ち着いた雰囲気がある。
カイザは唸りながら腰へ手を当てた。間違ったことは言えない。しかし難しい。こんな難問に出会ったのはいつぶりだったかと考えあぐねる。
カイザとシェオールは無言のまま見つめ合った。万が一、誰かが「睨み合っていた」と言ってもあながち間違いではないだろう。
カイザは散々悩んだ挙げ句、思い切って何歳か足してみることにした。
「十八歳、くらい」
シェオールの頬がひくついた。ということは違ったのだろう。しかし、巧妙に化けたスパイを見破るより困難だと思った。
カイザは慌てて「ごめん」と付け足し、
「じゃ、じゃあもう少し年下げて――いつっ!」
訂正しかけると、すかさず右足に激痛が走った。おかしい、べっして右足は怪我してないはずだ。彼は不審に思って視線を落とす。するとシェオールの足がカイザのそれの上にあった。
つまり踏まれているのだ。それから少年は下方からありったけの眼力で睨み
「俺は、二十三です……!」
と、もう一方も強く踏み付けた。
「痛たたっ!」
二十三。まさかそんな、信じがたい、と言ったらまた何かされるから、その言葉を飲み込んだが、さすがに無理があろう。
カイザは呆気に取られた。まじまじと言う効果音が相応しい程に、シェオールを観察した。
小柄な身長、撫で肩の華奢な体格、女の子の様に線が細く、可愛いらしい顔立ち。それらが相俟って彼を幼く見せている。
「シェオール君って、僕と四歳しか離れてないんだ」
「『しか』ってなんですか『しか』って」
「や、あの、うんごめん」
「……慣れてるから良いですけど」
深い溜息が放たれた。慣れてるなら足踏まなくても、とはやはり言えない。シェオールは不貞腐れたように再び前を向いた。
その不機嫌そうな横顔がどこか懐かしくて、故郷の弟を見ているような気分になる。知らず知らずのうちに、カイザは笑みが零れていた。 そしてまた、それとなく軽減された疲労感に気が付いた。ひょっとしたら、シェオールはこれを狙っていたのだろうか。
「ありがとう、シェオール君」
「何の、話ですか」
「君が旅に同行してくれて、嬉しいって話」
「……」
気味悪い物体を見るようなシェオールの視線を受けて、カイザはなおも極上の笑み。
お気楽な人――そう告げてマントを翻す少年も、僅かに微笑んでいるように見えた。
再び歩み始めたカイザは、シェオールの隣りに並んだ。
ほんのささいな会話。それだけだが、この少年とカイザを隔てる透明な壁が少し薄れたような気がしたのだ。
フォイエクスの息吹は那辺より来るものか。二人の旅路は次第に深まっていった。
カイザは全身凍え、指先はとうの昔に感覚が無くなっている。彼はシェオールを一瞥した。少年は恬然として前を向いていたが、鼻先は赤く、亜麻色の睫毛にも霜が降りていた。
その横顔を観察すればするほど、女の子のようだと思う。何日か前、似たような女の子を夢うつつで見掛けた気がしたが、どこだったろうか。
カイザは睫毛に乗った結晶を眺めながら考えた。だが、考えるほどに矛盾に突き当たる。
彼はあの御者と旅に出て以来、シェオールと言うこの少年と、強面の男達にしか会っていなかったのだ。
ならば夢だったのか――そう結論づけ、奇妙な夢ばかり見るものだと自己完結してしまった。
そんなことをしていると、不意にシェオールが振り返った。二人の視線が絡まり、少年は驚いたように目を見開く。
しかしそれも束の間、カイザの袖を引いて足早に進み始めた。
「洞窟、ありました。多分あれです」
少年が指示した先には、小さな洞穴があった。洞窟と言うより、空気穴と呼ぶほうが正しいかもしれない。中は森中よりもさらに暗く、物言わぬ威圧感を感じる。
「洞窟っていうほど大きくないけど」
「……小鳥達にしたら洞窟なんでしょう」
シェオールは穴を覗き込み、どうすべきか迷っているようだった。
先には何がいるか分からない。神と崇められる不死鳥が住むなら、同様な幻獣達が住んでいたって何らおかしいことはないだろう。
加えて、この辺りには情報源たる小鳥達の姿がない。
それもそのはず、彼らは非常に敏感だ。だから不死鳥から発せられる気に少しでも当てられると、狂い死にしてしまうのだ。
それを恐れて動物達はこの場所を敬遠、ましてや道案内などもっての他だろう。
「シェオール君、行かないの?」
「……俺は、行っても良いんですけど」
意味深長な色を含んだ、少年の視線。それは言わずもがな、カイザへと向けられていた。
彼を連れてきたことを今更後悔してるような、そんな表情だった。
「僕の体調なら、もう大丈夫」
そう告げたカイザは、静かな興奮に包まれていた。
シェオールの優しさをこんなに肌で感じるのは、単に仲良くなったからではない。この先にいる何か――不死鳥だろうが――によって、彼らの心がよりむき出しにされているのだ。
少年より先に、カイザは一歩踏み出す。未知の洞窟だと言うのに、不思議と恐怖はなかった。
「行こう、不死鳥が待ってるよ」
言葉の文で言ったつもりはなかった。不死鳥は彼らの訪問を心待ちにしている――本当に、そう思ったのだ。
シェオールも不可視の力を感じたのだろうか。無表情の裏に緊張と期待を込めて、洞窟へ足を踏み入れた。
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