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二章 緋色の国王
第十二話 誇れ、我らが紅よ
石造りの研究所に白衣が翻る。足取りも軽く、ヴェルヴェットは底高のハイヒールで螺旋階段を昇っていった。
その後ろに続くのはフィリップ。彼は隅に積まれた瓦礫を見て「うわ」と小さく口走った。
「瓦礫片付けないと危ないぞ」
「構わん。いちいち片付けていたら切りがない」
何段か上がるごとに瓦礫が視界に入った。そのため階段の広さは半分以下に縮められ、歩きにくいことこの上ない。
慣れているとは言え、ヴェルヴェットが怪我でもしたら、とフィリップは気が気ではなかった。
来た道を振り返ると、遥か下方に一階の床が見える。
そこから連綿と続く、螺旋の脇に瓦礫の山。到底建物の中で相見える光景とは思えない。
戦争終結より少し前、レダンの残党が都内で暴れたちょっとした事件があった。
その際に振動で建物の一部が崩壊したと言うが、戦争は終結したのだ。そろそろ片付けに着手し始めても良いように思えた。
だが一方で、彼女の言い分も最もなものだった。
ヴェルヴェットは師の旅立った後、名とともに巨大研究所を受け継いだ。
しかし人嫌いのエレットリ博士が使用人を雇っていたとも考えがたい。
ただっ広い建物に一人生活する彼女には、瓦礫の片付けは大変な作業に違いなかった。
フィリップは特に反論するでもなく、「まあなぁ」と日に焼けた鼻を掻いた。
それから突然、あることを思いついた。
「おお、そうだ!」
突然の大声に、ヴェルヴェットが驚いて立ち止まった。
「一体何だって言うんだ」
「ああ、いやな? 『狼』のやつらでも連れて来れば、瓦礫の片付けも楽じゃないかって思ったんだよ」
狼――ギルド戦闘部隊に所属する者で、ヴェルヴェットに恩のない者はいなかった。
皆が皆ギルド長に勧められ、ヴェルヴェットの働く病院へ足を踏み入れる。
初めは男のような物言い、颯爽とした立ち振る舞いに戸惑うも、帰る頃には国一番と称される腕にすっかり感嘆。
何時しか常連となっているのだ。
勿論、民間のみを治療すると言い張ってる彼女は良い顔をしない。
しかし怪我人を追い出す程悪魔でもない。むしろそう言う人間を放って置けぬ質で、文句を言いつつも最後まで面倒を見ていた。
だからこそフィリップに信頼され、患者も安心して我が身を任せることが出来たと言える。
「……悪いが、当分の間は研究費用をギルドへ割くつもりはないぜ」
しかし、あっさりと斬り捨てられる。費用はこちらが負担すると申し出るも、最後まで首を縦に振らなかった。
そのうちに、最上階の七階に辿りついた。
これまで通ってきた階には一切暖かみを感じられなかったが、ここだけは別だ。白を基調とした室内はヴェルヴェットの香りが満ちている。
フィリップは久方振りの訪問に嬉しさを隠せなかった。
記憶が正しければ、ギルドを建設して以来一度も来ていない。
彼は片隅にあるソファへ腰掛け、ゆったりと寛いだ。
目の前には品の良い食卓兼用テーブル。厨房には何種類かの調味料、数枚の皿、鍋などがこれまた品良く置かれていた。
彼は首を回して後ろの壁を見遣った。
壁一面を覆うのは、閃きを書き留めた紙。その連なりは厨房まで続き、努力の痕跡がありありと記されていた。
「しばらく来ないうちに、まった研究メモ増えたなー」
「誰かさんが厄介な腹黒人間を押し付けたからな」
フィリップは、間髪を入れず返された言葉に笑みを浮かべた。
「ディスのことか?」
「他に誰がいる。あんなやつの面倒を見させられるなんて、良い迷惑だ」
すると思い当たる節があるのか。フィリップは腕を組み、何事かを考え込み始めた。
「確かに俺も手は焼いてるが……けど、根っからの悪人って訳じゃあないんだぞ」
「お前の勘違いじゃないと良いがな」
相当、腹黒青年がお嫌いらしい。男は低く唸り、「そんな気もしてきた」と頭を掻いた。
フォローを入れておいて、反論に納得してしまっては意味がない。庇うなら庇うで最後まで庇えと彼女の脳裏を過ぎる。
確かに、彼は純朴だと言えば聞こえは良いだろう。
しかし、生来彼は素直過ぎるのだ。
それは皆から好かれる所以〈ゆえん〉でもあるが、荒れくれ者を纏める人間に取って欠点にもなり兼ねない。
ヴェルヴェットは呆れ果て、緩く被りを振った。
話を切り上げ、彼女は夕食の準備に取り掛かる。
いっそ鍋の代わりにフラスコを使ってやろうか。そんな考えが過ぎるが、機材のほうが可哀相である。彼女は寸でのところで思いとどまった。
香味として、海の幸によく合うフルット、薔薇のように気高いロザイオ、隠し味に甘味のミエロ。
肉とハーブの香りが室内に充満し、食欲を促進する。
「……まずまずな出来だな」
ヴェルヴェットは味見をし、皿を片手に振り返った。
その時、ふと、友人が不審な行動をしてることに気が付いた。
「何か探してるのか」
彼女は厨房から問い掛ける。するとイガグリ頭は、外に出す丁度良いサイズの机を探しているんだ、と返すではないか。
「ベランダで食べたほうが、見晴らし良いだろ」
全くもって彼らしい提案であった。
彼女は、物置に丁度良い小机があったはずだと思い当たった。厨房の横を通って、二つ目の扉。
その旨を伝えると、フィリップは鼻歌を歌いながら奥へと消えた。
ヴェルヴェットは食事の完成を待って、時計を見遣る。午後七時。少し遅い夕食だ。
だが夏が近付いているだけあって日も長くなったものだ。王宮の向こう側から斜陽が差し込み、いやがおうにも神聖さを感じざる得ない。
彼女は友人の姿を探しつつ、ベランダへ出た。
七階からは王都ミュンツェルが一望出来る。
風にそよぐ赤毛は蜜を塗られたような金色に。三つ編みにされたそれはブロンドよりも太く、不死鳥の力強さを彷彿させた。
その一対の翡翠は、国家の象徴をただ見つめるばかり。
見渡す限り、王都は黄金色に染まっていた。
その中心、地平線の果てまで斜陽に照らされた都心で、優雅に翼を広げるのは聖鳥フォイエクスだ。
その像は前サンティッシモ王朝の頃よりずっと同じ場所にそびえ立っていた。
その忌々しいまでの威光に、見るものは思わず目を細めてしまうだろう。
盛る紅は民の心に闘志と熱情を、輝く金色は誇りと優しさを。
丸屋根の上で左右に広げられた翼、金色の目――巨大な嘴を大きく開き、聖鳥たる威厳を備えている。
先人の記録によると、不死鳥信仰ははるか昔から存在していたが、この像の価値は不死鳥とは縁のない他国さえも認めるほど。
信仰成立以来の傑作と称され、それゆえにレダンもシザールも、クァージ王宮だけは決して破壊しようとしなかった。
「『誇れ、我らが紅よ』」
ヴェルヴェットの色は不死鳥の色。そして不死鳥の紅は神聖な色。彼女の師は毎日この場から同じ台詞を叫び、赤毛を撫でていたものだ。
ああ、もし私が本当に不死鳥ならば、師を探しに出掛けるのに――彼女の胸に込み上げたのは、愚かな願い。
それを無理矢理飲み込み、非現実的な考えは捨てるべきだと小さく嘆息した。
目を上げると、当の不死鳥は王宮の屋根で相変わらず羽を広げている。
よくよく見ると、翼の先に金が塗りたくられていた。
それが太陽光を反射して「威光」が放たれると言う仕組みなのだろう。よく出来ている。
だが誤解をしないで欲しい。当初の人間は伝説通りに不死鳥を作っただけで、そんな効果が出るなど想像だにしていなかったのだ。
威光などと言う戯言は、後の王が権威を強めたいがために、有りもしないことを吹聴したに過ぎない。
彼女は室内へ戻った。琥珀色に染め上げられた私室で、友人の名を呼ぶ。
「フィリップ、準備出来たぞ」
無音のみが返った。
親友の姿はリビング――と彼女は呼んでいるのだが、実際はそんな立派なものではない――にも、ない。
陽気な人間一人いなくなっただけで、随分ともの寂しくなるものだ。
彼女は訝しげに首を傾げ、その後やや遅れて小机のことを思い出した。
「フィリップ、机見つかったのか」
今度は大きめの声で呼び掛けた。
しかし、やはり返事はない。行ったまま。いつかの師のように、彼女一人を残して。
絶望と、僅かな希望と――あの日以来、二つの相反する者達がヴェルヴェットの跡を付け回していた。
胃の底から抑えようのない不安がにじみ出る。
彼女は思わず身震いをした。と、その刹那、奥から小さな物音が聞こえた。
不意にヴェルヴェットは我に返った。食事をテーブルに置いたまま急ぎそちらへ向かう。
そして厨房の脇を通り廊下を辿っていくと、彼女の友人は意外な場所で発見されたのだった。
指定した部屋の一個手前。師の寝室となっていた、東の部屋だ。
そこは屋根や壁の大半が崩れ落ち、部屋としての役割を全く果たしていなかった。
同じく先の事件で破壊されたのだが、床が落ちて真下の研究室が見えると言った具合だ。
その隅で、フィリップはぼんやりと座り込んでいた。
「……見ろよ、なーんにもないなあ」
ヴェルヴェットが隣りに立つと、微かな呟きが耳に入った。
彼らの眼下に広がるは、廃墟となった東王都。レダンの残党に破壊される前は、有名な高級街として他国にまで名を馳せていた。
ゆえに外国人の来訪も後を絶たず、訪れた者は異国情緒溢れた町並みを満喫して帰るのが常だった。
しかしレダンの残党達は、全てに等しき暴力をもたらした。それはあらゆるものを葬り去った。
ヴェルヴェットの師が残した、唯一の部屋をも。
「東域は、第二の王宮」
そんな標語がある程に賑わっていた街も、今や人っ子一人住んでいない。
当時の死者は六百人を超え、王都は深い深い傷を負った。
建物の再建には多額な費用が掛かるため、数年経った今でも手を付けられていない。
フィリップはそんなことを語りながら、最後にもう一度、ゆっくりと繰り返した。
「なーんにも、ない」
その表情から彼の気持ちを察することは出来なかった。
しかしヴェルヴェットは、彼もきっと自分と同じ心境なのだと思った。
たった数百年で古都は崩れ落ちる。ましてや、永遠に続く都など何処にあろうか。
上に立つ者も、下に立つ者も、戦火の前には等しく命を落としていくのだ。 すると彼は緩慢に立ち上がり、小さく微笑した。
「ここがこんな絶景ポイントになってるとは、思わなかったな」
「そうだな……ここまで何もないといっそ清々しいものだ」
短い言葉を交わす。自然に笑えるだけ、まだ自分は大丈夫だろう。ヴェルヴェットは、そんな漠然とした思いを抱いた。
人間とは弱い生き物だ。なおかつ、文明が進むにつれその小ささが誇張されていくように見えるのだ。
機械にしろ科学にしろ、技術が発展するほどに人間一人で出来ることは減少していく。
そして我々は何かに頼らなければならず、必然的に己の限界に気がついてしまう。
しかし、彼女が昔この男へそう告げた時、「それは違う」と返されたのをよく覚えている。
人間は有限だからこそ強いと。
無限の世界では強い生き物は生まれない、限界や終りを知っているからこそ再び笑うことが出来るのだと。
ヴェルヴェットは頬にかかった髪を払い、胸の内を舌に乗せて発した。
「戦争は何も残さない。悲しい思い出だって、いつかは風化して忘れ去られる」
しかし、と饒舌に先を続ける。
「数年、数十年先……私達が死んだら、死んでいったやつらのことを誰が語り継いでくれるんだろうな」
いつだって命を落とすのは、歴史に名を残さぬ者達だ。
するとフィリップは少しの間を置き、静かに返した。
「それをするのが、俺達ギルドだろ?」
ギルドの意義は国家の復興にある。その生々しい傷跡を直に見つめ、悲惨な経験、それを乗り越えた人々の心を教え子達へ、その更に教え子達へ受け継いでいくのだ。
フィリップには、悲惨な状況に立ち会ってもなお未来を見据える強さがあった。
彼は都心寄りのある一点を指差し、「あそこ」と陽気に笑った。
「聞いてくれよ。数日前な、建築依頼が入ったんだ。労働力は提供するから、飛び切り素敵なデザインをお願いってな」
「やっと再興する気になったってことか」
男は、そうと頷いた。しかし、誰を担当にするか迷っているらしい。いっそデザインから工事まで全てディスに任せてしまおうか、と語る。
するとその途端、ヴェルヴェットは柳眉を逆立てて声を荒げた。
「フィリップ、あいつには出来るだけ魔科学〈ヘカテ〉を使わせるなと言っただろう!」
彼女が今まで散々、その危険性を注意してきたにも関わらず、この人間は微塵も理解していない。
ヴェルヴェットは「上司がこれならば部下がああなのも頷ける」と思った。
切れ長の瞳に睨み付けられ、ギルド長はうろたえる。彼女はヘカテのこととなると途端に口うるさくなるのだ。
「じょ、冗談だ、そんな怒るなって!」
そして頭の上で手を組むと、さあ飯だ、と逃げるように空部屋を後にした。
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