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一章 内乱と幕開け
第七話 金眼の姫君
「悪いな、王子さま」
力なく崩れおちたカイザ。シェオールと御者の間に戦慄が走った。
御者は冷淡なまなざしで優男を眺め下ろし、足元のそれを片足で仰向けにした。
彫刻のように整った高い鼻、しっかりと閉じられた、その両脇に陣取る鮮やかな翡翠。意識を手放した王子は、穏やかな表情で身を横たえている。
それはどこか『イオ神』を彷彿させ、御者は苦々しい笑みを浮かべた。
「皮肉なもんだ。こんな時に思い浮かべるのが、あの女神だなんてな」
王子の瞳は固く閉じられている。今この瞬間、彼が自力でその瞼を開くことはないだろう。御者の一撃で、勝敗は既に決したように思えた。
「……まだ、戦いは終わってません」
しかし、凛と響くシェオールの声。小さな身体を覆い隠してしまうほどの大剣を握り、少年は一直線に駆け抜けた。
「はっ。まーまー昔っから代わり映えのしねぇガキだ」
一晩仲良く過ごした友人がやられたというのに、シェオールは至って冷静。淡々と業務をこなすその表情は、言うまでもなかった。
御者は口角を上げ、向かい来る少年剣士を快く歓迎した。
『――なんと、嘆かわしい』
脳裏を掠める、男の主人の言葉。「彼女」はどんな気持ちで柔糸を漆黒に染めたのだろう。「彼女」はどんな気持ちでその剣を磨くのだろう。
無表情の奥に隠された激情、燦然として暗闇に際立つ蜜色。
彼は艶のある黒髪が大きく跳ねたのを認めた。そう思う間もなく、シェオールが強く地面を蹴った。
しかし全ては無意味なのだ。幾らシェオールが腕の良い用心棒だとしても、彼を殺せるはずがない。それを解らせてやるために、彼は瞳を閉じ、諸手を上げた。
「はっ!」
紫伝一閃。
シェオールの掛け声と共に、頑強な身体が切り裂かれた。
煌めく大剣はけさ掛けに真っ二つに切断し、分解する時特有の高揚感が御者の胸を踊らせる。
しかし、生憎と男は死なない。――いや、死ねないのだ。
シェオールに切り裂かれた部位は瞬時に黒い霧と化し、やはりそれは緩慢な速度で再び一つに戻っていった。
「だぁからよ、何度殺ったって俺は死にゃぁしねーんだよ」
御者がせせら笑うと、のっぺりとした仏頂面が歪んだ。
しかし少年も根っからの愚か者という訳ではない。先程の攻撃が意味を成さなかったことを理解すると素早く後退し、口許をへの字に曲げた。
「……貴方は、何者なの?」
「シザール王子さまを案内した御者――なんて答えじゃあ、満足してくんねぇか」
御者と呼ばれた男は、白髪交じりの髭を擦った。
「そーさな、主人様に忠実なただの下っ端ってとこかな」
「ごしゅじんさま?」
「まー下っ端ってより、鎖に繋がれた飼い犬ってあたりが丁度良いかもしんねぇがな」
「……意味が分からない。主人って誰ですか」
知らず知らず、男の誘導に乗せられているシェオール。
こんな引っ掛かり易さでよくまぁ今まで逃げ延びてたもんだと、御者が吹き出しそうになったのは言うまでもない。
――恐らく、全ては相方の努力の賜なのだろう。
というのもシェオールには、頭脳明晰な相方――便宜上、兄と呼ぶ――が一人いた。その頭は剃刀のように鋭く、加えて性格が悪いと来てる。
「ま、お馬鹿な子ほど可愛いって言うけどなぁ」
御者、もといプロメテウスは、シェオール達の事情を知る数少ない人物だった。
しかし、なぜ彼がシェオールとその兄の素性を知っているか、彼らとどんな関わりを持っているかについては、後々語ることにする。
プロメテウスは自分の口許が引きつるのが分かった。
捩じれそうな腹を懸命に抑え、もう少しだけ遊び相手をしてやることにした。
「そおーだ。ボウズもよーく知ってる、な」
プロメテウスが意味深長に告げた。
シェオールは身に覚えのないことを指摘され、案の定、眉間に皺が刻まれる。だから男は、ちょっとした悪戯心で、それとなく正しい方向を示唆してやるのだ。
「はは、そういやぁ……随分たくましくなったよなぁ、ボウズ。――いや、『オラクル姫』とでもお呼び申上げるべきかな?」
ねっとり囁かれた台詞。同時に、息を飲む音が響いた。
効果てきめんだ。プロメテウスは思わず頬を緩める。そして、我ながらなんとわざとらしい演技か、と心中でひっそりと嘲笑った。
冴えた空気の中、少年――否、オラクル姫の動揺が伝わってきた。
プロメテウスは、相手が黙りこくってしまったのを良いことに、執拗に追い詰めていった。
「魔科学使いの兄は元気か? あんたは兎も角、ゲヘナ王子が亡命したって聞いた時にゃびびったぜ。なんせ兄貴のほうは、女帝のお気に入りだったからなぁ」
心底不思議だ、と言う風に。
すると長い静寂の後、姫は気位の高さを表すようにくいと顎を上げ、言葉を紡いだ。
「……どうして、『私』がオラクル姫だと分かったの」
そう、この瞳だ。臆することなく睨み返す金色。かつてプロメテウスの主へ会いにきた彼女は、この瞳で弱り切った御者を見つめていた。
否定も誤魔化しもしない潔さが、若き日の、男の親友を彷彿させる。
「カイザ王子のことといい、随分と情報通みたいね」
あなたの主人とやらが教えてくれてるんですか、と眼を細める。
「しかし、本来クァージ国王に仕えるべき人間が、女帝の下に付いて一体何をするつもりなのかしら」
彼女の声は平静を装っていたが、その表情は固く強張っていた。
吉兆の金色は微かに揺らぎ、見る者の心を波立たせる。その蜜色が持つ神聖さこそがオラクル姫の存在意義であり、かの女帝が忌み嫌う『イオ神』の輝きであることは、男にとって周知の事実だった。
彼は居たたまれなくなり、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。
小鳥達の陽気な声が森から漏れてくる。
――チュンチュン、チュンチュン。
二人に向かって口々に何かを囁き合っているようでもある。すると姫君は一瞬柔らかな笑みを浮かべ、また無表情へと戻った。
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