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「……どうするんですか、カイザ=シザール」
目前に立ちはだかる金が、早急な決断を求めていた。責めるでも怒るでもない。シェオールは感情の籠らない声色でカイザの本名を呼んだ。
ささめき合っていた木々も息を潜めていた。森全体が、彼の返答を待っているようだった。
静寂の帳に包まれ、彼らはその場に立ち尽くす。
――ああ、痛い。
カイザは、不意に目眩を覚えた。そして次に、自分は今何のために生きているのだろう、といった考えが頭を占めていった。
彼は、目標があった弟とは違った。ただひっそりとキースを見守り、困難にぶち当たった時にそれとなく手を貸してやる。
そんな生活。そこに不満があった訳ではなく、可愛い弟の役に立てていた喜びがあっただけ。そこには自身の目標、意味は存在していなかったが、それがカイザの幸せでもあった。
しかし、弟が自立した今はどうなのだろう。 カイザは、自分が何のために戦い、何のために生きていけば良いのか分からなくなっていた。
「僕は……自分がわからない」
どうしてこんなことを彼に話すのか分からなかった。ただ、口から滑り出た。それだけのこと。
「……今はそんなことを話している余裕などありません。……ねえ、カイザ=シザール。俺達は時間がないんですよ」
カイザの心は激しく揺れ動いていた。だが、誰かに助言を求めたところで答えは決まり切っていた。
彼がシザール王子と言う重要な立場にある以上、この場で御者の息の根を絶つのが最善の道なのだ。
しかし、どうしても――彼にはシェオールの案が了承しがたかった。
「人の命を奪うのは、もうこりごりなんだ。だから逃げよう」
ようやく出した結論を、穏やかに告げる。するとシェオールは、視線を落として静かに頷いた。
「……いいでしょう。では、『御者を消してから』逃げましょう」
「うんうん、そう――は?」
カイザは微笑みを浮かべたまま凍結した。
「あれ? 今、僕の葛藤を無下にするような台詞が聞こえたんだけど……」
頼むから聞き間違いであって欲しいと、目前の少年を見遣る。しかし用心棒の表情は、今の台詞が現実のものだと物語っていた。
「……貴方の意見を聞いてみただけで、その通りにするなんて俺は一言も言ってませんよ」
したり顔から、感情が消えた。と思うや否や、シェオールは大剣を片手に、勢いよく駆け出したのだった。
この時ほど、カイザは「時間を返せ」と思ったことはないだろう。カイザは驚愕のあまり、茫然と立ち尽くす。
しかし当のシェオールは、「待って」などと言ってる間にも距離を縮め、御者まであと数歩のところに迫っていた。
そして大きく地面を蹴ると、巨大な剣を横に凪ぎ――
ひっそりとした森に、耳障りな金属音が響いた。辛うじて攻撃を防いだ御者は、ありったけの力で弾き返した。
「ボウズ、後ろから狙うたぁ卑怯だなぁ」
「……卑怯はどっちだか。闇討ちしようとしたくせに」
シェオールは鼻で嘲笑った。その後ろを、カイザが追う。
「その闇討ちがバレたのは予想外、ってな」
御者は嘲るように少年を見下ろし、口笛を吹いた。
対峙するシェオールは、迸る殺気を隠そうともしなかった。その息が詰まる戦場の感覚は、痛いほどに肌を突き刺してくる。
カイザはこの感覚が酷く懐かしかった。と同時に、永久に蓋をしてしまいたいとも思った。
カイザは緊張で乾いた唇を舐め、唾を飲み込んだ。
「あなたは……クァージの国民なのに国王を裏切るの」
寂しそうな光を瞳に宿し、シェオールは小さく紡いだ。
すると御者は、「言っただろーが」と返す。
「金さえ払って貰えりゃ、何だってするってなぁ」
下卑な笑みが浮かぶ、日に焼けた顔。だが部外者のカイザは、すぐにその意味を把握することが出来なかった。
その話は外国から来ているギルド傭兵の話だったはずだ。御者とは全く関係がないのではないかと。
カイザは繰り広げられている会話に付いていけず、先を待つしかなかった。しかし相手は嘲笑を浮かべただけ。それ以上言葉を発することはなかったのだ。
こうなってしまった以上、一戦交えるより他に道はなかった。カイザは意を決し、握り締めていた拳を解いた。
そして剣に手を掛けるも、シェオールから「任せてください」と声が掛かる。少年は、カイザが充分に距離を取ったことを認めると戦闘体制を取った。
――それは、一瞬だった。
カイザが気が付いた時、その場にシェオールの姿はなかった。ひとっ跳びで御者の間に入り込み、大きく宙を断ち切る。その振われた大剣の先には、驚愕に目を見開く御者の姿があった。
終わった。
その瞬間、誰もがそう思ったろう。
だが大剣が振り降ろされた時、シェオールは御者が不敵に笑ったのを認めた。そして剣が相手を切り裂くと、男の身体はたちまちに真っ黒な空気となり、霧散してしまったのだ。
「……え……?」
辺りには一滴の血痕も残っていなかった。地面にも剣にも。シェオールが相手の身体に剣を通した瞬間に感じたのは、生き物を斬った感覚とはまた違う奇妙な抵抗感だった。
彼らは、到底現実とは思えぬ現象に言葉を失ってしまう。
剣は確実に御者の身体を切り裂いていたはずだ。見間違えるはずがない。
カイザは、確かに、その目で見たのだ。
「彼は、死んだの?」
違う。ただ姿が見えないだけだ、と何者かがしきりに囁く。
「何が、起きてるんだ」
カイザは無意識にそう呟いていた。
零れた台詞に反応して、少年が地面に刺さった剣を引き抜く。同様に、不可解な出来事に厳しい表情を浮かべていた。
「……気を付けて。まだ彼は生きています」
シェオールの額から一筋汗が伝い落ちた。
こうして闘っている間にも、月は白銀のヴェールをまとい、地平線の向こう側へと姿を隠す。
一時沈黙を守っていた森は、夜明けとともに息を吹き返していた。その朝の到来を告げるさえずりは、この場に酷く不釣り合いに思えた。
「朝……」
目を射る光に、カイザが眉をひそめた時だった。
シェオールが面を上げた。それから勢いよく振り向くと、意表を突かれたように声を荒げた。
「カイルさん! 後ろ!」
用心棒が放った警告と共に、カイザの背筋が凍り付いた。
間違いない。先に感じた寒気は、御者の殺気だったのだ。
カイザは反射的に剣を鞘から引き抜き、片足を軸に身体を回転させると、二本を交差させて攻撃に備えた。
すると次の瞬間、曲刀と二本の剣が交わった。再び金属音が響き、森の囁きがざわめきに変わる。
カイザの目前には、シェオールに斬られたはずの御者がいた。
それから交差した三本は一旦離れ、続いて御者による怒濤の攻撃が開始された。
第二撃、第三撃。繰り出される攻撃の波をカイザは辛うじて受け流していく。そして幾度か剣を交えた後、御者は渾身の力で刀を降り下ろした。
恐らく、普通の人間ならば危うく剣を取り落としてしまうところだろう。しかしカイザも戦慣れをしている人間である。そんなもので殺られるほど柔ではなかった。
彼も持ち得る力で対向し、上手く防いだ――つもりだったのだが。
御者のほうがカイザよりも何枚も上手だったらしい。
カイザの愛刀が曲刀と触れ合った途端、そこから溶解し始めたのだ。驚く間もなく、二本の剣は折れてしまう。そして身を守る術もないまま、鋭い蹴りがカイザの腹部を襲った。
鍛えられた彼の身体は、激痛のあまり横に傾いだ。くそ、と王宮では言ったことのない悪態が零れ出る。
その歪む視界の中に、大剣を構えたシェオールが駆けて来るのが見えていた。
「ねぇ、女の子はそんなことしちゃ危ないよ」
なんて、彼は自分でもよく分からないことを考えながら、意識を手放した。
続く
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