ネモフィラ外伝 星影十夜
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ネモフィラの渓谷
外伝 来し方の姫君(下)
「来し方の姫君いかで逢はむと思い参らせど、跡しら雲の幾重にも重なりて、清らなる御形、涼しげなる御姿を隠し、なほ心苦しや――」
硬い足音が響く。誰もいない廊下を進んでいく。カイザは地下へと続く道のりを駆け足で進んでいった。
目指すは牢屋。それは城の一番端に位置している。彼は螺旋状の階段まで辿り着き、一歩ずつ降り始めた。
本当ならば入国管理部に行って不正を暴くほうが先なのだろう。だが彼が下手に動くより、国王に任せたほうが打撃は大きいはずだ。
柔和な王子は歩きながらポケットへ手を入れた。ボロボロの日記帳。初めてこれを読んだ時、彼はどうしようもなく切ない気持ちになった。
――敬愛していた王が殺されてしまった。慕っていた姫君がいなくなってしまった。
彼女の口から語られるよりも深い深い闇。一度開けば、言い知れぬ悲しみが津波のように襲い来る。
これに目を通していると、どこか遠くから語り部の空音〈そらね〉が聞こえるような気がしたものだ。
彼は地下牢に辿り着くと、人払いをし、薄暗い牢屋へと足を踏み入れた。そこはシザールの闇だった。優美な王宮が持つ唯一の汚点。昔程拷問はされなくなったが、それでも囚人達からは酷く重い空気が漂ってくる。
カイザは呻き声を聞きながら、奥へ奥へと進んでいった。この何処かに彼女はいるはずだ。ランプの光だけを頼りに周囲を探っていく。
と不意に、どこからか懐かしい香りが漂ってきた。言わずもがなネモフィラだ。それは囚人達が発する悪臭にも負けず、凛として香っていた。
「語り部さん……?」
微かな香りを頼りに、彼は暗闇を進んでいった。
色こそ見えね、香やは隠るる――花の色こそ見えないが、その香りは隠れようか。いや、隠れはしない――なんとなく、出会った当初語り部が詠んでいた歌を思い出す。
すると唐突に闇夜の探索は終りを告げた。一番奥の個室、そこにリリスはいた。他の囚人と比べると断然待遇が良い。引き渡すなりに体面を気づかっているのだろうな、とカイザは苦笑しながら軽くノックをした。
次いで外から鉄の小窓を開けると、聞き覚えのある皮肉った声が聞こえてきたのだった。
「ふん。残念ね。貴方達がいくら来ようとも、私は居場所を言わないわよ」
「居場所?」
思わず聞き返すと中で何かが動いた。小窓に二色の瞳が現れ、大きく見開かれる。
「まあ、王子様……何であなたがここにいるのかしら」
「レダンに強制返還されるって聞いて」
「あら、お早い情報網ですこと」
やっぱり皮肉で返される。耳が痛かった。しかし彼女は、空谷の跫音〈きょうおん〉を喜んでいるようでもあった。
カイザは情けない笑みを浮かべ窓に近寄る。そして、今まで胸にしまい込んでいたことを静かに紐解き始めた。
「あの日記、君が書いたものなんだろう?」
「そうねぇ、よくお分かりで」
「どうして僕に渡したんだい」
「だって、姫や私の持物が裏切り者達の手に渡るくらいなら売っ払ったほうがましでしょう」
事務的に返される返事。カイザは「それじゃあ」と続ける。
「こっからは僕の推測だけど……君は、レダン先帝に仕えてたんだね?」
「ふふ。正しくは、オラクル姫にね」
カイザへ売っ払った櫛も、元は姫のもの。彼女は、この先姫と再会することがあればお返ししようと考えていた。しかし自分の身が危険になったことを察知して、信頼の置ける人間へ渡したと語った。
――その口振りから、カイザはリリスの姫に対する固い忠誠を垣間見たような気がした。
しかしここで、カイザはあることに気が付いた。
「あーでも……手鏡のほうキースにあげちゃった」
「まぁ、気にしなくて良いわよ。あの手鏡は女帝のところから拝借してきたやつだから」
高級そうだから一応預けておいたの、とサラッと言ってのけた。やはりリリスは肝っ玉がある。常人らしからぬ勇敢な行為に苦笑いをし、カイザは強くドアノブを引いた。
しかし、当然といえば当然だが、鍵が掛けられており虚しい金属音が響いただけだった。
「何してるの」
「扉開けようと思ったんだけど」
「……囚人を捕らえて置くのに、鍵を掛けない馬鹿はいないでしょうに」
と厳しくたしなめられてしまった。語り部は、夕闇のような瞳をスウと細め
「貴方、自分が何やってるかご存じ」
「もちろん。君をここから出そうとしてるんだ」
「貴方も捕まるわよ?」
「捕まらないよ」
柔らかく返すと、リリスは少し黙り込んだ。
「……どういう理由で、捕まらないと言えるのかしら」
「そうだなぁ……不正に捕らえられた人間は公正な罰を受ける権利がない、と言うところかな」
遠回しな説明に、扉の向こうから溜息が返ってきた。
つまりこう言うことだ。彼女は闇取引で捕らえられた。しかしそれは不正であり、公正な逮捕とは言えない。したがって罪に問われることもない。
極め付けに、国王がカイザの報告に乗っ取って不正を暴いているはずだ。ならばリリスが牢から出たからと言って誰が責めようか。
説得されて、再び沈黙する語り部。もはや反論する気は起きないようだ。満足したカイザは長らく気になっていたことをようやく口にした。
「ねぇ、リリスさん。君はどうして女帝から狙われているの」
先帝に仕えていただけでは、それほど女帝は執着しないはずだ。逃げるなら逃げるで放っておくのが上策だろう。
そうでないならば彼女が本当に罪を犯したか。または女帝が欲しがる何らかの秘密を握っているか。カイザは後者だと確信を込めて尋ねた。
動揺が鉄の扉を通して伝わってくる。囚人の声以外何も聞こえぬ牢屋に、固唾を飲む音が響いた。
「それ、は……私が――」
「――彼女が、レダン第一皇女オラクルが何処へ亡命したかを知っている、唯一の人間だからでございますよ」
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