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9.閉じられた絵本

「(ーーー…これは…?)」



増えていた『青い鳥』を開いたものの、そこには何も仕舞われていない。
何も無いのに絵本だけを足す意味は何だろうか。
もしかして他のものに変化があるのかと前からあったものにも手を伸ばす。



「えっ嘘…いつもみたいに論文、挟まってないの?」
「あぁ…。ついでに他のものも抜いていったみたいだね」



確認すると他の絵本の中からも書きかけの論文がなくなっていた。
茜ちゃんに手紙で伝えるくらいだから回収したのは名前自身だろうけど、今更隠し場所を変えるという事でもなさそうだ。
一体何の為に。



「(…完成したから…?)」



しかし完成しかけたものが多かったとは言え、全てが完結したなんてあまりにも急な様に思う。
論文で検証する上で何か問題が生じたのか。



「(…名前に、何も起こってなければ良いけど)」



何だか嫌な予感がして、僕は直ぐに名前に連絡を入れた。
講演に引っ張り出されている彼女だが、連絡自体は取れる。
…勿論、その身に何も起こっていなければ。







ーーー王帝の宿舎。
星の瞬く夜、この屋上で名前と待ち合わせた。
結果だけ言うと彼女は無事で連絡も直ぐ取れたのだ。
けれどこちらに帰って来るまでに少し時間が必要で、茜ちゃんと論文が無いと確認した時から数日が経っていた。
その間僕は病院に通うのも勿論の事、本戦で試合をするであろう2校 ー星章と雷門ー の地区予選決勝を観に行ったり、そこで灰崎君や稲森君に出くわしたりした。

彼に敵意を剥き出しにされる事はよくあるけど、散々だったのはその試合を観戦した後。
また意識が飛びそうになって、その上 運悪く雷門のマネージャーの子に見られた。
何とか取り繕ったけれど少し気にかけて様子を伺う必要があるかも知れない。

ともあれ、ようやく名前が帰ってくる日になって約束した時間だ。
静かになった校舎の廊下を歩いて屋上に向かう。

久しぶりに長い日程で学外に出ていたから疲れている事は予想出来た。
でも僕も開会式や試合日程がそれなりにタイトで、明日以降に名前と時間が合わせられるかどうか怪しかった。
幸い、名前もそれなら早く会おうと言ってくれた。
きっと何かしら察してくれたのだろう。だから敢えて先延ばしにはしなかった。

階段を上がって扉を開けると少し離れた所からゴホゴホ、と激しく咳き込む音が聞こえた。
目を向けるとそこには堪え切れず膝をついた名前がいた。



「名前…!」
「…っげほ、…、っ悠馬…」
「飲む物でも買って来ようか。場所も…ここじゃ夏でも体は冷える」
「…大丈夫です。休めば落ち着きます」



同じ様にしゃがんだ僕の顔を見つめて苦しそうに名前は言った。
校舎の照明も消されてここにあるのは月と星の灯火だけ。
近づくとまた少し痩せたように思うし、うっすらと目の下にクマも出来ていた。
顔に暗い影を落としながら彼女は本題を切り出した。



「何か、私に聞きたい事があると」
「…あぁ。変わった事がなかったかなと思ってね。君もここ最近、僕にそう聞いていただろう」
「…そうでしたね…」



声にどことなく諦めたような色が混じる。
きっと僕が連絡した時点で名前は何を聞かれるのか察していたのだと思う。
そしてこの切り返しでそれは確信に変わったのではないだろうか。
彼女が先程より落ち着いて、やや深く息をする。
息遣いが か細く思えるのは悲哀か落胆か、或いはまた別の感情を抱いているのを感じたからかも知れない。



「…私は、変わりありません。他には何かありますか?」



…嘘つき。
外見の変化もだけど何に咽せた訳でもないのにそんな咳、前はしてなかったろう。
論文作成は終わってもその影響が残っているのだろうか。



「ーーー火事の時みたいにはぐらかさずに教えてくれるのかい?」
「内容によります」



聞けば今回の講演はサッカー部躍進の影響もあり盛況だったらしく、王帝への問い合わせ対応に人手が取られているらしい。
そして、その間は監視下から外れ言葉の自由は取り戻せる。
見張られているから妙な言い方になっているんじゃないかと思う時は幾らかあったけれど、実際に聞くと言葉に詰まる。

そっと小さな肩に手を添えると名前は力なく目を閉じた。



「ーーー…アレスプログラムは、やはり危険なのかい」
「それは…私に聞かなくても、悠馬はもう自分の中で答えを持っているのでは?…それが一番、大切にされるべきです」
「君の意見を聞きたい」



単刀直入に言葉にする。
余計な形容は付けるだけ時間の無駄で、名前の疲労に変わっていくからだ。
彼女にお目付役がついていないなら、尚更そうやって聞くべきだと思った。



「(それに…さっきの様子からすると気付いているんだろうな)」



いつからかは分からないが、名前は僕が彼女の論文を読んだり、竹見君の様子を見たりと色々調べているのを知っているのだろう。
だから僕の思いをそのまま答えとすれば良いと言ったのだ。
けれど、それなら名前の答えはどうなるのだろう。
誰にも聞かれる事なく何処かに消えてしまっても良いと言うのだろうか。



「…」
「自分の持った答えを一番大切にしろと言うのなら、僕は名前の答えも同じ様に扱われるべきだと思う」
「ーーー…。…アレスプログラムは危険です」



普及されても健全な世界になるには程遠い、そう思うのだと絞り出したのは、苦しさと悔しさの滲んだ声だった。
無理もない話だ、疑いを持って調べ始めた僕でさえ言葉として聞くと心が痛い。
名前の答えが深く調べた末のものだと分かるから余計にそう感じるのだろう。



「(名前…)」



名前が論文を書いてきたのはプログラムを改善する為だろうから、そのものを否定した今 どんな思いを抱いているのか…想像もつかない。

身を削っても続けてきた彼女の成果。
それを放棄するという結論、そこに至ったきっかけは何なのだろう。
ほんの僅か、名前が可能性を綴ったあの一本の論文はどうしてしまったのだろう。



「…僕がやってきた事は意味がなかったのかな」
「…!」



僕自身、名前の力になりたいと思ってプログラムを調べ始めた経緯がある。
だから彼女の希望が途絶えれば僕の目的は果たせない事になる。
ポツリと僕が言い終わった途端、名前が一瞬体を強張らせてから静かに項垂れた。



「…名前…?大丈夫かい、やっぱり誰か人を呼…」
「大丈夫、…大丈夫です…」



僕の言葉をかぶりを振って否定する。
次いでごくん、と息を飲むのが聞こえた。
やるべき事の妨げになる感情、言葉、情報…僕の知る由もない全てを喉の奥に押し込んだようだった。



「…無駄には、しません」
「しない、とは言うけれど。何をどうするつもりだい?」
「これ以上被害を増やさない事、機能回復の方法を探す事…私が出来るのはこれだけです」




名前の言葉は決して後ろ向きではなかったけれど僕の問いの答えには満たない。
抽象的なのだ、わざと具体的に言っていないのだろう。
『自分だけが分かっていれば良い』、どこか押し退けられるようなニュアンスに僕はふつ、と何かが沸いたのを感じた。

はぐらかされないで済むと思ったけれど、どうやらそう上手くはいかないらしい。



「…具体的にどうするか、何か考えがあるのかな」
「それは、…言えません」
「どうして。監視はされていないんだろう」
「悠馬は…、…悠馬がやるべき事を優先して下さい」



やるべき事というとサッカーの事だろうか。
選手宣誓だとかキャプテンとしてチームを取り纏めるだとか、この局面にまできて尚 続けるべきだと言うのか。
どう考えても名前の発言は的外れでその裏にある意図を勘ぐってしまう。

本当は何を言いたかったのか。
名前は何をしようとしているのか。



「(どうして、僕には言えないっていうんだ)」



君は何をひた隠しているんだ。
プログラムの中心に程近く、影響力もある僕をまだ外に置こうとするのはどうして。
僕以上に協力してくれる存在があるという事だろうか。




「(ーーー…。…あぁ、そうかさっきのは…)」



先程沸いたのは名前に対する不満か。
昔とは随分と状況も変わった、それでも僕は蚊帳の外。
名前がいつまでも頼ってくれない事を、自分が認められていない事と同義にしている。
だからきっと、僕はどうしようもなく気に食わなかった。
打ち明けてくれない名前に苛立ったのだ。



「…名前」



先程からあまり合わせてもらえない顔を見つめて声を掛ける。
僕は今どんな顔をしているのだろう。
当然の如く僕からは見えない。



「…何でしょうか」
「どうして僕を見ないの」
「…。特に意味はありません」
「大事な話をしているんだけど。顔は合わせられないかい」
「…」



言われて顔を上げた静かな瞳に僕が映る。
とても険しい表情で名前を睨みつけていて、彼女は大人しく僕の視線を受け止めている。



「…名前。もう一度聞くけど…具体的に何をするつもりなの」
「…悠馬。私は同じ答えしか持っていません」
「じゃあ、どうして僕に教えられないの」
「知らない方が良い事だと思うからです」
「…っ、馬鹿じゃないのか…!!」



あぁ、違う。
僕が言いたいのはこういう事じゃないのに、口から幼稚な言葉が止まらない。
今まで意識せずに積み上げてきてしまったものが音を立ててなだれていくようだ。



「名前…僕のやるべき事って、サッカーの事言ってる?アレスの安全性が揺らいでる今、それを土台にした王帝のサッカーを呑気にこなしてる場合じゃない!君がそれを分からない訳ないだろう…!?」
「…」
「西蔭から連絡をもらったけど、竹見だって限界に近い状態だ…先に見えるのは犠牲だけ、こんな異常な状況でもう隠し事は無しだよ…!」
「…、…」



こんなに息が荒くなったのはいつぶりだろう。堰を切ったように鬱憤をぶちまけた、そんな表現が正しいのだろう。
言ったのは思っている事だけどこんな理性的じゃない言い方は本意じゃなかった。

竹見の事も殆ど八つ当たりだ。
薬を違うものに変える試みは僕が勝手にやったのだから、それで当たられるなんて名前はとんだとばっちりを受けてる。

でも止まらなかった、止められなかった。

別行動でも良いと思えていた筈なのに。
知らなくても問題ないと考えていたのに。
それがお互いの為になるのだと納得してやってきたのに。
それなのに結局、僕は前からそれが許せなかったのだと態度を覆している。



「…何か言ったらどう」
「…」
「名前」



感情が剥き出しのまま、依然 僕の言葉が彼女を傷つける。
ひとしきり話し終わるのを待っていたのか落ち着いた口調で名前が問う。



「ーーー…隠し事は無し、とは言いますが…悠馬にはないですか?」
「…それは」
「私が勧めた1度だけじゃなく度々病院へ行くのも、宮野さんのお見舞いと称して絵本を開くのも…何か秘密にしたいからではないんですか?」




ひゅう、と屋上を風が吹き抜ける。
気付いているだろうとは感じていたが指摘をされると痛い。
不味い、お互い様なのだから詮索するなという流れが成立してしまう。
ーーーそう思った矢先だった。



「…っ名前…?」
「…、初めから。初めから、全て君に打ち明けていれば…未来は変わったのでしょうか…」



−−−…こんな事には、ならなかったのでしょうか。

そう悲し気に呟けば ツ、と名前の目尻から雫が伝った。
ゆっくりと閉じられた瞳が最後に写した僕は狼狽えていた。

泣かせてしまった、これまで人前で泣かなかった名前を。
自分のした事がショックで頭に上っていた血がスッと冷えて全身へ戻っていくようだ。

『言い過ぎた、ゴメン』

そのたった10文字が伝えられなくて、ただハンカチを取り出して渡す。
けれど名前は受け取ってくれなくて、代わりに僕の手をそっと押し戻した。



「私…、悠馬に気遣われる資格なんてありません」
「資格なんて…」
「ないです…。私の身勝手が色んな人の…悠馬の未来を、壊したのに」



自分たちのこれまでを否定したくないと、プログラムを諦めきれなかった幼さ。
危険性を承知でプログラムの中止を提言しなかったという後悔。
その灰暗い過去の責任を負わなければならないと彼女は言う。

それは最早、責任というよりも負い目だった。



「君だけが気に病んだって…何の解決にもならない。今は真実を知り得る僕らが協力して動かなきゃいけないんだ」
「いいえ。私のせいで悠馬を酷い目に遭わせてしまった…、私の真似事なんてしなければ君は副作用に苦しむ事なんてなかった…っなのに今更、全て打ち明けて君の手を借りるなんて…余計にできません」
「…! 名前、君はどこまで知って…」


ローファーの靴底を小さく鳴らして名前は一歩僕から離れる。
苦しそうに背を向けて、その場を離れようとした。
咄嗟に腕を掴む。



「待って名前、どこ行くんだい?まだ話は終わってないのに…!」
「…事前にアポイントを取りました。これから御堂院オーナーと会います」
「会ってどうするつもり?あの人はプログラムの中止なんて聞く耳持たないよ。…本当にどうしたの。君らしくもない、何もかもが性急すぎるよ」
「いいえ、そんな事ありません。…遅すぎたくらいです」



止まらない彼女を引き留める為に腕に力を込めた。
悠長にはしていられないにしてもここにきて一体、何を焦っているんだ。
名前のやろうとしている事はプログラムの中止と被害者支援。短期間に何とか出来る事じゃない。



「…なら、僕も一緒に行く」
「…私を手伝うより、悠馬には自分の療養に専念して欲しいんです」
「っ!!」
「お願い、…お願いです…猶予がある内に、どうか…−−−」



絞りだされた名前の言葉でようやく合点がいった。
僕らは行き違っていた。
名前も気付いたなら言えば良いのに、どうして何も言わない。
見当違いだったのは僕の方、先の『やるべき事』とはサッカーではなく脳腫瘍の治療の事だったのだ。

だとすれば彼女の言う『猶予』とは先日医師に告げられた期限の事だろうか。
そう仮定すればこの無茶にも説明がつく。

アレスプログラムの中止を余儀なくされれば月光エレクトロニクスはサッカー事業を続けられなくなる。
王帝サッカー部はスポンサー制度の規則によって活動できなくなる。
フットボールフロンティアから退いた後は外部からの過剰な刺激や定期薬の副作用は遮断され、僕は自動的に治療に専念する事になるのだから。



「(論文も何もかも、順序も全部ひっくり返した?−−−…僕の為に…?)」



名前が個人の為に全体を棄てるなんて、今まで考えられなかった。
いつだってより良い方法を選び取ってきた彼女が判断を狂わせたなんて −しかもその原因が僕にあっただなんてー 誰が信じられるというのか。

呆然とする中、手がゆっくりと取り払われた。
そのまま名前は屋上の扉へと向かう。



「−−−…悠馬。本当に、ごめんなさい…」



ガチャン。
屋上には何も言えなくなった僕だけが残され、扉が閉じた音が辺りに響いたのだった…−−−。














*****
(2020/1/22)

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