ゼロ距離で笑って(鬼道/無印)
『…駅で15時頃、乗客と列車の接触があった為、
現在〇〇線の運行を見合わせております…』
下校途中、電気専門店のスクリーンに流れるニュースのトピックス。
えっ、それ今から乗る電車がやばいのでは…。
思わず顔をしかめる。振替輸送などについて触れたアナウンサーは私が通学で使う線が、
夕方になった今でも人をせっせと運んでいる事を伝えている。
「(…この時間って退社時間とかに被るんだけど…)」
働いている人だけではなく、私のように部活から帰る学生も
今まで外出していた人だってそうだ。
そうなれば電車の中が混み合うのは必然だが、私は人混みがとてつもなく嫌いだった。
いや、好きな人はいないかもだけど…。
部活で消耗した体のまま、不穏な様子を醸し出している駅に向かい足取り重く進んだ。
***
「(ぐっ…やっぱり最悪だ…)」
間がないくらい人が詰め込まれた車内は軽く地獄絵図だった。
柿の葉寿司も押し寿司もこんな感じでシャリは苦しいのか…。
そんな馬鹿な事を考えても苦しさは全く軽減されなくて、いよいよ事態は深刻だ。
膨らんだ荷物は足元に持ち、隣接する人に必要以上に当たったりしないよう
足を踏ん張ったりして気を遣う。
それなのに電車の揺れで携帯に頭が当たれば憎悪を向けられる理不尽。
こんな状況で携帯触ってたらそりゃ頭も顔も当たりますよ…私は悪くない。
そう心は毒づくのに口から出るのは『…すみません』とはどう言う事なのだろう。
…性格か…。私の小心者…。
「(もう嫌だ…気分悪い…)」
電車の揺れの他に誰かが移動しているのか、
その度にぎゅうぎゅうと押し付けられる体に意識が限界を迎えそうだ。
因みに今はドアに押し付けられている。
人の間よりは良いけど頭と背中がゴリゴリして痛い。
そんな中、虚ろになっている私の視界の先にふと他の人の頭や肩の間を動く
南米系の…編み込み?ドレッド?が見えた。
…あれ、私こんな人見たことある…?
「有人君…?」
「名前、大丈夫か…?」
目の前まで移動してきたのは恋人の有人君だった。
ぎちぎちに詰まった車内で私を両腕で庇うようにして
周りの人に当たらないようにしてくれた。
優しい…。ありがとう有人君。
このまま行ってたら人嫌いの花が開きそうだった…。いや、本当に。
「あんまり真っ青な顔をしていたから痴漢にでも遭っているのかと思っただろう」
「さすがにこの状態でそんな事する人はいないんじゃ…?
でも、ありがとう…精神的にはそれに近かったから助かった…」
依然、車内は人で溢れている。
あまり詳しく無いが乗車率とやらはきっと200%くらいあるんじゃ無いだろうか。
「…」
「…(…それにしても、ち…近…)」
有人君が近い。いや、こんな状況だから当たり前なんだけども…
もはや壁ドンだとか密着だとかそういうレベルではない。
その上向かい合っているからもう、本当に至近距離すぎて…。
ありふれた言葉で言うならドキドキでヤバいというやつだ。
人は一生の内に拍動の回数が決まっていると言うが、
それが本当なら私は恐らく今日中に逝ってしまうだろう。
それくらい心臓の音が早くて、顔が熱い。
「ゆ、有人君。ごめん、腕とか疲れるでしょ?
あの、私次の駅で降りて歩いて帰るよ…!」
「あぁ…確かにお前の最寄とは距離が近かったな。じゃあ俺もそこで降りて送る」
「えっ、そんな悪…」
ちゅっ
「…!!?」
「…何も言うな、そんなフラフラしたお前を1人で返す方がストレスだ」
言葉を言い切る前に私と自分の唇を合わせた後、『少しくらいは彼氏面させてくれ』と付け加える。
ゴーグルの奥の切れ長の赤色が優しく細められるのが見えるのも、
いつになく有人君が近くにいるからだ。
目は口ほどに物を言う。
普段はゴーグルであまり見えないけど、
見つめられるだけでも想ってくれているのが伝わってきて、
今までの全ての嫌な思いが吹っ飛んだ。
嬉しくてにやける顔を手で隠したかったが、なにぶん身動き取れないので下を向く。
「…名前?どうした、本格的に人酔いが悪化してきたか…?
血色はさっきより良さそうだがな」
「ちっ…違うよ…!何かさっきまで気分最悪だったのに、
有人君といるだけで幸せになるなんて我ながらゲンキンな女だなぁって思ってただけ…!!」
「ほう」
顔の色が戻ってきたのはあなたのキスのせいです…。
分かって言っているんだとしたら、全部筒抜けって事で…余計に恥ずかしい。
「…だが、満員電車を利用してお前に触れるズルい男が相手なら、
釣り合いがとれて丁度良いだろう?」
「…っ」
今度は俯いた私の額に添える程度のキスを落とす。
思わずぱっと顔を上げると有人君が満足そうに笑っていた。
「もう…恥ずかしいよ…っ」
「それはすまなかったな。…もうすぐ目的の駅だ。あと少し頑張れ」
有人君がそう言った直後、降車駅まで間もなくだと言う車内アナウンスが流れてくる。
やっと解放されるという安堵感を感じて事が出来て少し力が抜ける。
「(…でも、まぁ…)」
こんな風に優しい有人君の笑顔が見られるなら
満員電車も案外悪くないかも…なんて思った私がいたのだった…−−−。
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満員電車の描写は実体験を元にしてみました!
推しがこんな風に助けてくれるなら別ですが出来れば遭いたくないものです…。
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