一秒前の君にはもう会えない

※兵太夫×伝七(成長)



つまらない喧嘩をした。

兵太夫と伝七は、常から顔を合わせればいらない言い争いをしていたが、今日はまた殊更ひどく、加虐的な兵太夫の冷たい視線にいたたまれなくなった伝七が委員会顧問の依頼で町へのお使いを引き受けたのは一刻前だった。

本来ならば、四年にもなってこのような一年生でもできるような買い出しのお使いを引き受けることはない。しかし、兵太夫の「別にお前なんかいなくてもいいし」という言葉に不覚にも酷く傷ついた。いや、伝七本人はそれを否定するだろうが、先の言葉を兵太夫の口から聞いた時の彼の表情は、悲しさや空しさを合わせてぐるぐるに混ぜた、そう、「傷ついた」顔をしていたことだろう。逃げるように学園を後にした。これ以上、兵太夫の顔を見なくて済むように。




作法委員会の備品の買い付けは滞りなく終わり、帰路を急いでいた伝七は我が耳を疑った。

町まで買い出しに来た自分の目の前に突如現れたこの男は確かに、「お時間あるなら一緒に茶屋へ行きませんか」と言ったようだ。
別に授業の一環や任務で女装しているわけではない。ごく普通の男のなりをした自分に、見ず知らずの目の前の男は、女性に声をかけるように誘い文句を口にしていた。


「あの、僕は男ですが…?」

「存じています。ですが、少し、お時間あるならご一緒させていただきたいと。」

丁寧だが強い意志を感じる口調に、一瞬思考が止まる。

(自分が忍者のたまごと気づいて新手の敵か。それとも…)

なんの反応もない伝七の返事が肯定と受け取ったのか、男は伝七の手を取る。
咄嗟にその手を払いのけるとぎゅっと両の手を握り男を睨んだ。

「何の真似でしょうか。忙しいので失礼します」

すると男はなおも食い下がり、伝七の手首をつかんで引き寄せた。

「はな、せ」

懐の苦無に手を伸ばそうとした刹那、伝七の背後から鋭い声が飛んだ。









「それを離してくださいませんか」










その声は平素聞きなれた、つい先刻まで言い争っていた、彼の人のもの。
伝七はびくりと肩を震わせ、振り返る。そこには、よく見知った、同じ委員会の同級生。



「それは私の連れですから。お引き取りください」

「へいだ、ゆう」



伝七の大きな目が見開き、彼の人の名前をぽつりとつぶやいた。

丁寧な口調とは裏腹に溢れる殺気を隠そうともせず、男を見据える兵太夫の瞳は暗い。

男の返答如何では何をするかわからない―伝七の危惧はただ一点だけだった。

兵太夫の気迫に押された男の緩んだ手元からするりとすり抜け、伝七は背後の兵太夫めがけて駆け寄ると、その手を掴んで一気に走り出した。

背後から何やら声が聞こえたが、伝七は構わず走り続ける。

手元の兵太夫のぬくもりだけを、感じながら。








「お前は阿呆か、兵太夫」

しばらく走って走って町はずれまで来たところで、上がる息を落ち着けるように胸元を押さえ、伝七は掴んだ手を離した。

「あんな街中で何する気だったんだ」

「それを言うならおまえだろ、伝七」

むっとした顔で伝七を睨むと、その手を握って自分の懐まで引き寄せる。力いっぱい引かれた体は、兵太夫の腕の中に飛び込む格好になる。

「懐の苦無なんか、街中で振り回してみろ。大騒ぎだよ」

その目を細め、伝七の顎に手をかけ上を向かせると、じいっと瞳の奥を覗き込むように見つめた。


「それにしてもお前はまだ、自分の立場がわかってないみたいだね。い組ってバカなの?学習能力だけはあると思ってたのに、とんだ買い被りだ」

呆れた声を伝七に浴びせると、兵太夫は抱き締める腕に力を込める。


「いたっやめろ兵太夫…!」

「この白い肌も手も何もかも…全部僕のなのに、何ほかの男に触られてんの」

「いつお前のものになんか…っ」

伝七はその大きな目で睨みつけると、兵太夫の腕から逃れようともがき始める。

「無駄。お前の力と技術で、僕から逃れられるとでも思ってる?」

にい、と口角を上げて楽しそうに笑う兵太夫の顔を見上げ、伝七は唇をかみしめる。

「離せ」

「いやだよ」

「僕なんか、いない方がいいんだろ」

徐々に視線を下げて兵太夫の胸元を見つめ、じわり、と滲んだ涙を堪えた。

「…ふうん?」

兵太夫の面白そうに含み笑いをする空気を感じて、伝七は再度兵太夫の顔を見上げると頬を赤くして食って掛かる。

「なんだよっ」

「やっぱりそれで拗ねてたんだ」

途端に更に真っ赤になった伝七が、滲んだ涙を溢れさせた。
涙の滴がぽとりぽとりと落ちて行き、伝七の滑らかな頬を伝う。

「その顔、そそる」

「う〜〜…」

兵太夫は止めようとしてもなかなか止まらない伝七の涙が伝う頬に、そっと口づける。吸い付くように涙を唇で受け止めると、そのままちろっと涙を舐めとる。

「…!」

驚いた伝七が大きな目を殊更大きくして、びくりと体を震わせ硬直した。口づけは頬だけにとどまらず、瞼、額とそろりと優しく移動する。普段お互いを傷つける言葉を紡ぐ唇とは思えない、優しい優しい行為。そして首筋に口づけると、強弱を付けて吸い付く。
なんの抵抗も見せなくなった伝七の手をとると、手の甲、掌、手首と、順に唇を這わせる。指の一本一本、丁寧に兵太夫の口中で舐めとられると、都度微かに震えた伝七の体から徐々に力が抜けていく。

「あ…、やめ、ろって」

伝七の漏れた声が若干色を持ち始めたとき、唐突に兵太夫はその手を離し、ぼんやりと開かれた伝七の瞳を覗き込む。

「…続きは僕の部屋に帰ってからね」

それとも、もっとしてほしい?

意地の悪い質問に、止まっていた涙を再度溢れさせた。

「…兵、太夫、なんかっ大っ嫌いだっ」

「うん、僕も嫌い」

揃った前髪をさらりと揺らし、その目をすうっと細めた兵太夫の美しい顔に、伝七は目を奪われた。

「頭固いし融通きかないし。嫌い嫌いって可愛くないことばっかり言うし、僕がちょっと構わないとすぐに拗ねるし、いやだって言う割に最後はもっととか素直じゃないし。」

そこでさらに耳まで真っ赤にした伝七を見つめるとまたくすり、と笑い。

「そんなお前の相手、僕しかできないでしょ」

弾かれたように顔を上げる伝七に、兵太夫はとろけるような甘い笑みを浮かべて、一言。



「お前がいなくてもいい、なんて、ウソ。早くかえってこいよ」



涙を溢れさせた伝七の頭を優しく撫でながら、意外と普通に謝罪できるんじゃん僕。とのんびりと考えていた。



一秒前の君にはもう会えない



だから今を、とびきり愛してあげなくちゃ。




「でもさ、勝手に出てって知らない男に触らせたのはやっぱりお仕置き決定、だよね」

「〜〜〜っやっぱりお前なんか、大っ嫌いだっ」





END







mokuji



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