花月なる君 <留三郎が長期忍務の間、皆からの浮気の誘い(冗談)を断る伊作。最後は留帰還でラブラブ> 「…っと、めっ…もう…」 「まだ、だぜっいさくっ」 二人の交わる濃い空気が、部屋中を漂っている。荒い息遣いが響き、聴覚もその熱に侵される。留三郎は伊作の背後から抱すくめ、首筋に顔をうずめる。 「もっとくれよっ…お前を」 留三郎が歯を立てて噛み付くように項に口づけると、甘い痛みと痺れが伊作の全身に走った。その体を留三郎にすべて預け、彼から与えられる疼きに翻弄され続けている。敏感な部分を撫で上げられ、漏れそうになる悲鳴に似た喘ぎを、必死に飲み込んだ。 「我慢、するなよ。もっとお前の声を…聞かせろ」 熱い吐息と共に耳元で囁かれる留三郎の低い声に、伊作は絶えず体を震わせた。その瞳から流す涙は、伊作の紅潮した頬を濡らす。 「愛してる、伊作…」 「留三郎っ」 掠れた声で名前を呼べば、さらに離れることのないようにその身をきつく抱きしめられる力に伊作は酔いしれた。 濃厚な空気は、二人を飲み込む。 「行ってくる」 気を失うように深い眠りに落ちている伊作の体を清め、布団を整えるとその身を横たえさせる。留三郎は眠る伊作の頬を優しく撫でると、ゆっくりと口づけた。 旅支度は長期間のもの。学園長から告げられた忍務はある程度時間が必要と思われた。 考えられる装備を準備し、忍務にあたる覚悟を決めた。 しばし学園を離れる、と伊作に告げれば、多くを聞かず、「いってらっしゃい」と微笑んだ。任務に関する他言は無用。その掟に従っているまでのこと。しかし、留三郎はその伊作の微笑みに、堪らずその身を抱きしめた。 「俺がいない間、浮気すんなよ」 「するわけないじゃん。僕は誰のものだい?」 くすり、と余裕のある笑いが気に入らなかった。もっと切羽詰まって欲しい。自分がいないとだめだと言って欲しい。子供じみた独占欲に、出立前というのに我を忘れて伊作の体を責め立てた。伊作がいないとダメなのは、自分の方だと内心自嘲しながら。 出立は夜陰に紛れて。留三郎は学園を後にした。 留三郎が忍務に赴いてから二週間が経った。 「なんだか先週と今週は、医務室に来る人が多いですね」 医務室にて当番の仕事を続ける数馬が、入室表を眺めながら伊作に告げる。 「立花先輩、七松先輩、潮江先輩、中在家先輩…なんだか珍しい方たちばかり目立ちます…」 数馬が不思議そうに言うと、伊作はにっこり笑う。 「今週は六年生は校外演習もあったからね。自主的に医務室に来るようになったなんて、よかったじゃない」 それにしても、と数馬は思う。回数が多すぎる、のだが。 「あ、食満先輩は見えませんね」 数馬の問いに、伊作が作業の手を止めた。顔を上げると遠くを見るように一瞬その瞳を揺らし、すぐにいつもの優しげな伊作の表情に戻る。 「留三郎は今学園にいないんだ。まだもうちょっとかかるんじゃないかな。」 伊作の曖昧な微笑みに、数馬は大方の予想はした。多くを聞かずとも数馬とて三年も学園にいるのだ。どうして学園にいないのか想像はできる。しかし、伊作のこの表情はどういうことか。 「あの、伊作せんぱ」 「いさっくーん、いるか?」 「小平太?」 ずかずかと珍客が医務室を訪れると、伊作は選り分けていた薬草籠から顔を上げる。 伊作は意外な人が来た、と驚いたように笑うと、どうぞ、と入室を勧めた。数馬は小平太の存在感と勢いに医務室の隅で小さくなっている。小平太は伊作の前に腰を下ろすと、伊作の作業する手を見つめた。 「いさっくん、ちゃんと寝てる?」 小平太の短い問いに、その手を止めると、軽くため息をつく。 「ばれた?」 「長次が言ってた。文次郎のようだって」 その目の下にうっすらとできた寝不足の跡に、数馬は今更ながら気づく。 「あんまり、寝付けなくて。」 伊作は自嘲気味に笑うと、薬草籠を壁の方に押しやる。「お茶入れるね」と立ち上がろうとした伊作の手を素早くつかむと、小平太は自分の方へ伊作を引き寄せる。不意を突かれてそのまま小平太の胸の中に倒れ込んだ伊作は、慌てて立ち退こうとする。しかし小平太の強い力に阻まれて、じたばた手足を動かしただけとなった。 「もー、小平太、離して」 伊作は悪ふざけと取ったのか、怒りながらも笑った。小平太はというと、伊作を引き寄せたときに一瞬見えた白い首筋に目を奪われていた。 「小平太?」 少し緩んだ力に、伊作は素早くその腕の中から逃れると、呆けている小平太の顔を覗き込む。 「ふざけたり怪我や病気じゃない人は長居はだめだよ」 にっこり笑うと、小平太の手を取って、立ち上がらせる。 自分より少し背が高く、少し広い背中を押して、医務室から出て行かせようと戸口まで追い立てる。 「いさっくん」 小平太は振り向きざま、耳元で短く囁いた。 伊作は瞬間、首筋を抑えると、顔を真っ赤にして俯く。 「じゃ、まーたーねっいさっくん!」 小平太は来た時と同じように突然に、医務室から出て行った。 『首、痕ついてた。紅いの。本当は私がつけたかったな』 伊作は小平太の言葉を思い出すと、尚も顔を真っ赤にして叫びたい衝動に駆られる。 「伊作先輩?大丈夫ですか?」 心配げな数馬に、慌てて我に返る伊作だった。 「二週間も前の口吸い痕なんて、残ってるわけないじゃないか」 仕事を終わらせた数馬を部屋に返し、医務室にひとりになった伊作は、大きな独り言を洩らす。 選り分けた薬草をそれぞれ薬箪笥にしまいながら、首筋の留三郎に噛みつかれたような口吸い跡を、そっと押さえた。 とたんにあの時留三郎の熱い息遣いや甘い疼きまで蘇る。二週間も前の記憶も鮮明に思い出された。 伊作は頬を赤らめ目を瞑ると小さくため息をはいた。 「どうかしたか?伊作」 突然声をかけられて、驚き振り向くと仙蔵が不思議そうな顔をしている。 「え、仙蔵?」 「なんだってそんなに驚いている。私は声をかけたぞ?」 「あ、そう…」 伊作は俯くと、小さく答える。その間、ずっと首筋を押さえている伊作に、仙蔵はなおも不思議そうに声をかけた。 「首、どうかしたのか」 慌てて手を離すと、ごまかすように笑う伊作に仙蔵は静かに近づく。 制服の忍服に手をかけ、襟元を覗き込む。途端に伊作はその手を乱暴に払うと、顔を真っ赤にしていた。 「やめ、」 伊作の焦った様子に、仙蔵は目を細めた。 「何を気にしている?何もない首筋を」 からかうように笑うと、伊作は顔をそむける。 「なんでもない」 「先週は紅い痕がついていたぞ」 仙蔵の言葉に勢いよく顔を上げ、何か言葉を発しようとしているが、声となって出てこない。 「…なんで、知ってるの」 ようやく絞り出した声に、仙蔵は口角を上げて笑う。 「お前を見ているものは、みんな知ってる」 途端に更に顔を赤くした伊作は、仙蔵がゆっくり近づくのを許し、その長い指が伊作の頬をとらえた。自分の秘密を知られたようで、羞恥に濡れた伊作の心が体の自由を奪っていた。白い指が伊作の頬を撫でると、伊作は目をぎゅっと瞑る。 「触るな」 「お前に触れていいのは留三郎だけか?」 「…そう、だよっ」 伊作はやっとのことで小声でつぶやくと、仙蔵の指から逃れようと体を引く。しかし後ろは薬箪笥、逃げ場を失った伊作は身動きできない。仙蔵は伊作の顎に手をかけると、少しだけ上向かせる。自然と開く唇を親指で撫で、震えるまつ毛を眺める。 「いやなら、逃げろ」 「せんぞ…う…」 伊作は薄目を開け、仙蔵の顔を見つめる。その瞳にうっすらと涙を溜め、仙蔵の美しい笑顔を写していた。 「やだ、仙蔵…」 その瞳を見つめる仙蔵がふ、と笑うと、伊作をそっと抱きしめる。 「戯れが過ぎた。何もせん。そう怯えるな」 「仙蔵」 伊作は深い溜め息を吐くとやんわりと仙蔵の体を押し戻す。仙蔵が何かを言いかけて、そして口をつぐんで医務室を後にした。 残された伊作は、ゆっくりと座り込むと、自分の体を抱きしめるように小さくなった。 「留、早く帰ってきて…」 この心と体を包んでくれる、それは留三郎だけができることだったから。 それから更に一週間、留三郎は帰ってこなかった。伊作は相変わらず寝不足だったし、同級生達は何かと伊作に絡もうとしていた。その都度、伊作の拒絶にあい、つまらない思いをしていたのだが。 ある夜、伊作は自室で読書をしていた。眠れぬ夜を過ごす相手は、山積みになった薬学や医学の書物だった。留三郎が出立してから何冊目の書物に手を伸ばしただろう。伊作が文机に向かって頁をめくると、ふと、明かりの炎がゆらりと揺れたのを感じた。 ふわ、と肩から優しく抱きしめられる感触と共に、待ち焦がれた香りが伊作を包み込む。 「…とめ」 「ただいま、伊作」 伊作はあまりに唐突に訪れた再会に、その瞳を揺らす。 「本物?」 「お前、自分の恋人忘れたのかよ」 留三郎の軽口に、伊作は唇を軽く噛む。 「だって」 「ほら伊作、こっち向けよ」 身体ごと自分に向かせると顎に手をあて顔を上げさせる。 「よく顔をみせろ」 じっと見つめる瞳の奥に、お互いを映しながらどちらからともなく口づける。 優しく啄むような口づけは、離れていた時間を少しづつ埋めるように。 留三郎がしっかりと伊作の体を抱きしめると、それに応えるように伊作が留三郎の首に腕を回す。 「ただいま」 「おかえり」 二人顔を見合わせて笑いあうと、また口づける。 このまま二人、溶け合うように、いつまでも抱きしめあった。 花月なる君、己のすべてを、君に 恋慕う END mokuji top |