僕が辞めない理由



門を叩くと中から顔を出したのはあの子では無かった。

「やぁ、利吉くん。また母上殿から山田先生への言付けですか?」

「こんにちは、吉野先生。まあそんな所です。先生が出られるなんて珍しいですね。小松田くんはどうしたんですか?」

入門票にサインをしながら尋ねた。

「彼は今学園長先生の部屋です。一時は新しい事務員を探さないといけないかと思いましたがね」

字を綴る手が勝手に止まる。

「…彼、辞めるんですか?それとも何か失敗してクビに?」

そう尋ねると吉野先生が驚いてこちらを見た。

「いえ…彼の兄上が急に扇子屋を継がないと言い出して、一時は彼が跡取りにという話が出たのですよ。まぁ、結局兄上が目を覚まして事なきを得たんですが」

ほっと胸を撫で下ろした。

扇子屋を継いだりしたら今より益々会えなくなってしまう。

彼は全く気付いていないが、私は彼の事をかなり気に入っている。

知り合って間もない頃は彼の顔を見るだけで苛つき、心底嫌いなのだと思っていたが、それは彼の事が気になって仕方なかっただけだと気付いた。

自分と違いコロコロ変わる表情、愛くるしい笑顔、見ていて飽きないドジっぷりー。

今は全て愛おしいとさえ思えていた。

彼を自分の物にしてしまいたいが、遠回しの愛情表現はおろか、意を決した告白まで伝わらず、どうしたものかと頭を悩ませている。

「利吉くんは小松田くんの事が嫌いだと思っていましたよ」

そう言われて何と答えて良いか分からず微笑んだ。



父上を探していると廊下の向こうから彼が歩いて来るのが見えた。

何故塀を見ているのか、完全に余所見をしていてこちらに気付いていない。

そのまま歩み寄ってわざとぶつかった。

「ぶっ!す、すいませぇん…」

「何見てるの?」

「あ、利吉さぁん!」

ぶつけた鼻を押さえながら嬉しそうに笑う。

この笑顔が自分にだけ向けられる物ならば良いのだがー。

「今来られたんですか?入門票にサインしました?」

いつでもこれだ。

「したよ。所で君、学園を辞めようとしていたのか?吉野先生に聞いたよ」

「そうなんです!利吉さん聞いて下さいよ〜。兄が気紛れに剣豪を目指すなんて言うもんですから」

頬を膨らませながら話す姿がとても可愛い。
…いけない、にやけてしまう所だった。

「だけどっ、僕は絶対に忍術学園を辞めたりしません!」

「忍者になりたいからだろう。知っているよ」

「それもあるんですけど…」

そう言ってこちらに歩み寄り私の顔を覗き込んだ。
心臓が脈打つ。

「辞めたら利吉さんに会えなくなります。だから辞めないです!」

…うん、多分と言うか、絶対に深い意味は無い。
この子は天然の男たらしだ。
何度こんな風に糠喜びさせられたか…

「忍者の仕事を教えて貰いたいからだろう?」

そう尋ねると予想外にもふうっと溜め息を付かれた。

「利吉さんは意外に鈍感なんですねぇ」

「何が?君に言われると人生終わりだよ」

意味が分からず意地悪く尋ねる。

「もうっ!僕、今告白したんですよっ。大好きな利吉さんに会えなくなるから学園は辞めないんです!」

一瞬息を呑んだ。

…告白?…大好き…?
…君が私を?

「…君、私の事好きなのか?」

「だからそう言ってますよ〜」

「…土井先生は好き?」

「はい、勿論」

「父上の事は?」

「好きです。何ですかぁ?」

「…」

やっぱり。
また騙される所だった。
“沢山いる好きな内の一人”という訳だ。

苦笑いしていると不意を突かれた。

「皆さん好きですけど、利吉さんが一番好きです。大好きです!」

「!!」

少し頬を赤らめながらそんな可愛い事を言われたら、勘違いだと言われたってもはや私の責任ではない。

無意識に彼の手を握り締めていた。

「私も君が好きだ。絶対にここを辞めないでくれ。私だって君に会えなくなると悲しいから」

そう言うと、初めて私の気持ちを聞いたかのようにあからさまに照れる。

「はいっ、辞めません!」

言いながら手を握り返して来た。

明日は仕事もないし、今日は父上の所に泊まろうか。
そうすれば彼と少しでも長く居られるし…。

そんな事を考えながら、しばらく手を繋いだまま彼を見つめていた。



(おまけ)

「利吉さん、またすぐお仕事ですかぁ?」

「いや、今日は父上の所に泊まろうかと思っているよ」

「…じゃあ僕のお部屋に泊まって下さい。い〜っぱいお話したい事があるんです!」

“据え膳”か、はたまた“生殺し”かー。

「いいけど…朝まで寝かさないかも知れないよ」

「僕も明日お休みなんです〜。だから臨むところです!利吉さんが今日来ないかなぁって塀ばっかり見てました」

…父上に会うのはちょっと後にしよう。
にやけ顔が収まってからに。


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