第十二章 激戦


 淡々と、しかし確固とした決心を持った声で言った。彼は千歳の反論を待たずに、背中を向けて歩き出した。まるでケイと同じ方向には行かない、と主張するように。
 一人がそちらへ行ったかと思うと、二人、三人と後に続き始めた。廊下に見えない潮流でも生まれたかのように、みるみるその背中を追って人が流れ始める。
 千歳は大弓と無線機を握って、振り絞るように叫んだ。
「そんな……、ねえ! 待ってよ」
「千歳」
「ケイ、だって……っ」
「信じよう」
 酷いじゃない、と言いかけた千歳の言葉が、ケイの一言に遮られる。息を呑んだ千歳に言い聞かせるように、ケイは口許にわずかな笑みを描いて、掠れた声で言った。
「信じよう。きっと外でまた会えるって」
 それからすいと、頭を反対の隣へ向けて、
「あんたはいいの? こっちに来て」
 弟切がいつのまにか、そこに立っていた。
「自分の直感を信じたまでです」
「そう。じゃ、いいや」
 慰めるでもなく、疑うでもなく、平素と全く変わらない調子で言い切った彼に、ケイが呆れたように笑う。途端、襟元に血がこぼれた。焦る千歳に代わってケイに肩を貸し、弟切が階段を上り始める。
 ギイイ、と背後でハルピュイアの鳴き声が大きくなった。
「檻をこじ開けていますね。急がなくては」
「うん。……ここだ、千歳」
「なに?」
「その胸像、木だから。全力で燃やして」
 踊り場に辿り着いた途端、角に設置された胸像を指してケイが言った。それは西華の初代皇帝である、大帝の双子の皇子の一人を模った像だった。
 この片割れが東黎を築いたのだ。かつて二国は、どこよりも親しかった。言い表しがたい苦さを胸に覚えつつ、千歳は手のひらを胸像に当てて、直接、炎を放った。
 出せる限りの力をもって焼かれた像が、あっというまに朽ちていく。頭も土台も、みな跡形もなく木片となって崩れたとき、その下に現れたのは四角形の穴だった。
「ここにいたとき、僕が作った」
 ケイが弟切の手を離して、ベルトにかけていた小型のランタンを千歳に差し出す。加減に気をつけて中の蝋燭に火を点けると、彼はそれを持って、穴の中に身を滑り込ませた。
「一人で?」
「そう。諜報員だってばれたときのために」
 千歳が続いて梯子に足を下ろし、最後に弟切が入った。中は暗く、水道管が無数に通っている。どうやら、あの厚い石の壁の内側らしい。
「余計なことすると怒られるから、成果としては報告しなかったんだけどさ……」
 明かりで照らしながら、ケイが細い階段を下りていく。彼がその先に言おうとしたことは何だったのか。「優秀なスパイだからね」なのか「怖かったからね」なのか、結局ケイはそれきり黙って歩き続け、辿り着いたドアを押し開けて外へ出た。
 光の色が眩しくて、千歳が目を細めたその瞬間。
「――はっ!」
 何かが目にも留まらぬ速さで迫ってきて、銀色の一閃を受けて地面に倒れた。毛むくじゃらの、体長が二メートルはありそうな獣である。灰色の手から覗く鋭い爪に、鮮やかな赤が付着していた。
「ワーウルフ型か……、外にいたとは」
 ゆっくりと体を起こした西鬼に、弟切が剣を構える。剣先から一握の灰が散り、千歳はようやく、彼がワーウルフを退けたことを理解した。
「怪我人を連れて、行ってください」
「弟切さんは?」
「後から追います」
 グルル、と唸る金色の目から目を逸らさずに、弟切は答えた。千歳はそれが本当に正しい判断と言えるのか、後で後悔しないか、数秒の間に脳が焼き切れるほど考えても自信は持てなかったが、ケイの腕を肩に回して、ランタンの火を吹き消した。
「待ってます」
 了解の代わりにそう短く告げて、弟切に背中を向ける。後ろでワーウルフの地を蹴る音と、剣がその牙を受け止める音が聞こえた。弟切を一人にはしたくない。でも、ケイを庇って戦えるほど器用でもない。
 辺りを見れば、多数のワーウルフが放たれているのが嫌でも目に入った。どうりでいつまで待っても、救援の手が差し伸べられないはずだ。
「っ、ケイ」
「平気」
 げほ、と噎せた声に横を見れば、白いコートの左の腹が真っ赤に染まっている。血を吐いたのかと思ったが、そうではなく、背中に受けた傷が腹まで貫通しているのだった。気丈にかぶりを振って歩き出したケイを、これ以上喋らせないよう、千歳は建物の壁に沿ってできる限り急いで歩いた。ワーウルフに見つからないうちに、どこか離れた場所へ行かなくては。安全な場所で傷を診て、止血を施さなくてはなるまい。
 ――丘の上に、シランと百合川が待機するバラックがあったはずだ。ああでもそこまで歩かせるには、怪我が深すぎる……
 段々とかける体重が多く、息が浅くなってきたケイに焦燥感を掻き立てられながら、ひとまず支部の裏手に身を潜めようと回り込んだとき。
 純白の外套が、紺の裏地を見せて風にひるがえった。銀の飾緒が光を弾いて目映く輝き、同じ銀色の、いくらか柔らかな乳白色を含んだ髪が、後を追うように風に吹かれて、隠れていた横顔をさらけ出す。唇が向かい合った人に、何かを言おうと開いた。
 同時に千歳は、考える間もなく弓を引いていた。放たれた矢がまっすぐに飛んで、的の中心に吸い込まれるように、迷彩服に覆われた心臓を射抜く。
 ア、と呻き声を上げて、壁に背中を預けて立ったナーシサスの前で、ライフル銃を構えていた西華兵が倒れた。青灰の眸が驚いたように振り返り、千歳の姿を捉えて見開かれ、
「――ケイ!」
 背負っているものに気づいて、唇を震わせて駆けてくる。緊張の糸がぶつりと切れて、千歳は膝からその場に崩れ落ちた。


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