第四章 黒檀の大弓


「千歳……」
「ごめんなさい、ただの愚痴だわ。忘れて」
 驚いた顔を見せたケイに、千歳は笑ってかぶりを振った。少し、根を詰めすぎて神経が張っているのかもしれない。周りはほとんどが、士官学校上がりの戦う魔術を身につけた男子か、まったく花として学んだことのない男子ばかりで、千歳は前者には置いていかれ、後者よりは遥かに優れている。どっちつかずの立場になって孤立気味で、ただでさえ女というだけで目立っている中で、気軽に話せる相手もおらず、さすがに少々参っていた。
 ふうん、と周囲の空気から何かを察したように、ケイが腕を組む。そうしてしばし考えるそぶりを見せた後、じゃあさ、と言った。
「ちょっと、やり方を変えてみたら」
「どんなふうに?」
「何か、道具を使ってみるとか。いるじゃん、魔術のコントロールのために、杖とか煙管とか使ってる人」
 それは思いもつかなかった発想だった。言われてみれば確かに、と千歳は訓練場を見渡す。魔術に武器は必要ない。媒介も必要ない。そのため、ほとんどの兵士は手ぶらで練習しているが、中には時々、短剣や弾の入っていない銃、杖などを手にしている者がいた。
 花の能力は様々だ。一口に火を操る、水を操るなどと言っても、その扱い方の癖や得手、不得手は実に幅広い。中には武器を通して扱うことで、力が使いやすくなる場合もある。見つめていると丁度、空の銃を持った青年が引鉄を引いた。燃え盛る弾が薄い木製の的に穴を開けて、友人らしき数人から歓声が上がる。彼も炎の使い手だったのだ。
 ケイがふうん、と顎に手をやって、
「銃かぁ。でも銃に込めるとなると、力を相当小さく圧縮しないといけないよね」
「できると思う?」
「あんまり向いてないと思う。多分、線香花火みたいなの撃つよ、あんたは」
 返す言葉がなくて、千歳はぽとりと落下する赤い火の玉を思い浮かべた。想像に易すぎる。思うに、自分はあまり炎を細く絞るのが得意でないのだ。
「もっと自然に、あんたの意識と関係なく、的が小さくなるようなものって――」
 大きな青い目を伏せて、ケイは唸った。そうしてはっと、何かに気づいたように笑顔を浮かべた。
「あるじゃん。ちょっと試してみなよ、持ってきてあげる」


「レモンティー一杯、お願いします」
 昼下がりのラウンジでカウンターに向かって声をかけると、すぐ出せます、と女給が微笑んだ。どうやらちょうど、他の人に淹れるのを用意しているところだったらしい。
 それなら自分で持っていこう。カウンターの脇に立って、千歳はしばし待つことにした。ちょうど、時間帯的にも客が多い。この人数の中から自分を探し出すのは、女給にとっても大変だろう。
 ――制服を着ちゃうと、恰好に特徴もないものね。
 銀のボタンが並んだ白のロングコートを広げて、千歳はふと身を屈め、裾についていた糸屑を払った。膝丈まであるコートだ。中に立襟シャツと黒のプリーツスカートを着ているが、前面のボタンをすべて閉めると、ワンピースのようにも見える。花繚軍の下士官以下に支給される制服の、最もオーソドックスな形だ。将校になると外套がつく分、上着そのものは短くなる。その他、時々役職に応じて、形の違う制服を着ている者もあった。
「どうぞ」
 温かいレモンティーが、千歳の前に差し出された。忙しそうな女給に、礼を言って受け取る。無料のラウンジに最初は抵抗があったが、近頃ようやくそういうものと割り切って利用できるようになった。今日は資料を読みに来たのだ。寒い自室にこもって読むより、ここで温かい飲み物を口にしながら読んだほうが、頭にも入る。
 どこか一人用の、小さな席が空いているといいんだけど。辺りを見回した千歳は、カップを持った手に走ったじくりという痛みに、思わず顔を顰めた。それから気を取り直して、窓際の席に視線を向ける。
 はたと、一つのテーブルに座っていたケイと目が合った。あら、と瞬きをした千歳に、ケイが手招きをする。どうやら相席して良いようだ。他に席も見当たらなかったので、ありがたく申し出に甘えることにした。
「お邪魔します。あの、はじめまして」
 テーブルにはケイと向かい合って、女の子が一人座っていた。初めて見る顔だ。花繚軍の格好とよく似た、衛生兵の制服を着ている。彼女は千歳を見上げるなり、人のよさそうな、綻ぶような微笑みを浮かべて隣の席を勧めた。
 千歳は素直に、そこに腰を下ろした。
「薊千歳です。ナーシサス隊の所属で、訓練生よ」
「空木巴と申します。桐尾ケイの契約者ですわ」
 この子が。千歳は思わず、ああ! と声を上げた。名前だけは最初に聞いていたが、会ったのは初めてだ。巴は千歳の反応から、自分がケイと千歳の会話に上ったことがあるのを察したのだろう。頬を染めてはにかむように、にこ、と笑みを深めた。
 すすき色の目、同じような淡い茶色の髪。肌も白くて、指先など毀れ物のように細い。なんて上品な子なんだろう、と千歳が目を奪われていると、コーヒーを啜っていたケイが口を開いた。
「巴は僕のひとつ下でね、実家が隣同士だったんだ」
「じゃあ、本当に生まれたときからの幼馴染ね」
「そう。ああ、砂糖使う?」
 シュガーポットが自分の脇にあったのを思い出し、訊ねてくる。ええ、と頷いて受け取ろうと手を伸ばし、手のひらが開いた瞬間、千歳はまたしても痛みに顔を顰めた。
「千歳さん?」
「何、どうかしたの?」
 間近でその顔を見た二人は、飲み物を置いて千歳を覗き込んだ。何でもない、と言おうとしたが、じとりと疑うようなケイの視線を受けて逃れるのを諦める。
「大したことじゃないのよ」
「勿体ぶらずに言いなよ」
「……肉刺が潰れてるの」
 肉刺。千歳の言葉に、二人がぱちりと瞬きをした。そうしてケイが、合点がいったように「ああ」と頷いた。
「弓引いてるからか」
 広げた手のひらの、小指の下と親指の付け根に大きな肉刺が二つ。さらに小さなものがいくつか、痛々しい色になって潰れていた。大弓を引くときに力が強くかかる場所だ。このところ連日稽古をしていたせいで、今朝とうとう限界を迎えてしまった。
 黒檀の大弓。それが一週間ほど前、ケイが千歳に持ってきた武器だった。誰のものかも分からなくなって武器倉庫の中に放置されていたのを、以前に見かけたことがあったらしい。軍の女学校にいたなら、習ってるよね。(ゆがけ)を手渡しながらなされた確認に、千歳は頷いて、久方ぶりに持つ弓を構えた。十五、六の頃、必修として習ったとき以来だ。矢を弦につがえ、右足を引いて、体をぐっと横に向ける。
 刹那、腕を通して弓と肉体がひとつになったような静寂が千歳の中に降り立った。訓練場のざわめきが遮断され、的と自分が細長い一直線上の世界に孤立した。
 ――やるじゃん。
 気がついたときには、矢が中央の円を射抜いていた。ケイがぽん、と背中を叩く。ざわめきが耳に戻ってきて、一直線だった世界が拓けた。
 弓道の授業は、好きだった。とっくに忘れてしまったと思っていた感覚が、まだ自分の体に残っていたことに、千歳は驚いた。同時にそれが嬉しくもあり、すでに手の肌と吸いつくように馴染んでいる黒檀の弓を、ぜひとも自分のものにしたい――そんな気持ちが湧き上がっていた。


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