第二幕:靴屋のヒルダ、或いは王女


「貴女が昨日、街にいらしたことを、王様は?」
「知らないと思うわ。私が勝手に立ち寄らせてもらったの。どうか秘密にしてもらえないかしら?」
「かしこまりました、昨日のことは私の中だけに。数々の非礼を、何卒お赦しいただけますよう」
「貴方は何も悪くないと言ったわ。それより、ミカエル」
 深々と下げた頭を上げさせて、カッシーアはようやく、彼と真正面から向き合うことができた喜びに、表情を綻ばせた。
「そんなに畏まられると、他人行儀で淋しいわ。昨日みたいに話してよ」
「そういうわけには、」
「私、貴方に会えて嬉しいの」
 反論しかけていた口を、ミカエルが閉じた。勝った、とカッシーアは確信した。このために、昨夜の姿のままで会いに来たようなものだ。初対面の王女がいかにありのままの態度を望んだところで、臣下である彼は受け入れないだろうが、知らずに一度会ってしまった間柄ならば、今さら取り繕ったところでたかが知れている。
 ミカエルも同じように思ったのだろう。腹を括る浅いため息と共に、彼は彫刻のようだった相好を崩した。
「口達者な姫君だ。そうまで言われて、頑としていられる男はいない」
「本心よ?」
「それは無邪気な? それとも、甘やかな?」
「すべてが蜜でできているとは言わないけど、無邪気なだけの歳でもないわ」
 カッシーアはあっけらかんとして、正直に答えた。ミカエルは面食らったような顔をして、それから苦笑した。苦さの中に、嫌悪ではなく「まったく困ったものだ、信じられない」という驚きの混じった表情だった。
 カッシーアは自分がミカエルに近づくことが、彼にとって損ではないと知っている。王女というのは何も他国との縁を取り持てるだけではなく、王と臣下の結びつきを強める役割を担う場合もあるからだ。実父も何人かの娘を、身近な臣下やその息子に嫁がせていた。
 カッシーアに気に入られ、結婚でも認められれば、ミカエルの地位は今以上に確固としたものになるのだ。王宮において、地位を保証されることがどんなに価値を持つか知っているからこそ、カッシーアは彼に堂々と好意をさらして見せた。
(それに、これは夢なんだもの。楽しまないとね)
 失敗を恐れて、遠慮しても無意味だ。上手くいかなかったら、明日には別の夢を見ればいいだけ。
 にこりと微笑んだカッシーアに、ミカエルが口を開いた。
「昨日、ガートンの店で偶然に会わなければ。この薄化粧の下に隠れているあどけない雀斑も、咄嗟の名演技で町娘になりきって踏み台に跨るお転婆さも、王女としてではない貴女も――何ひとつ知らなかったのだと思うと、あの偶然を与えた神に感謝したいような気持ちになるよ」
「それって、」
「おいで。私に、貴女を連れて庭へ出る許可をもらえないだろうか?」
 大げさに、跪くようなそぶりを見せて、ミカエルは言った。カッシーアは一瞬、彼の仕草に見惚れていたが、すぐに王女ぶって、澄ました顔で「いいわ」と頷いた。



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