第1章


「知ってるの?」
「ああ、知ってるっちゃ知ってるが……お前、アルヤルに何の用だ?」
「弟子にしてもらいに行くのよ。手紙を出して、この町で待ってるって返事ももらってる」
 タミアは証明するように、ポケットから封筒を取り出した。酒樽に手がかかる。青年がよろめきながら立ち上がり、ターバンの奥の目を凝らすように、大げさに首を反らした。
「手紙? あー、そうか、じゃあお前が」
 骨ばった肩を回すと、薄暗い路地に関節の鳴る音が響く。
「アルヤルなら、俺の師匠だ。お前のことは聞いてる」
 青年の笑みに、白い歯が三日月のように覗いた。タリアは呆気に取られて、持っていた手紙を落としそうになった。
「師匠って……、じゃあ、あなた魔法使いなの?」
「おうよ。一番弟子のログズだ、気軽にログズさんって呼んでいいぜ」
「ありがとう、ログズ。タミア・ガザールよ」
「お前、容赦ねえな」
「師匠が敬えって言ったらそうするわ。アルヤル先生はどこにいるの?」
「イクテヤールだよ」
「イクテヤール?」
 タミアは思わず、頓狂な声で訊き返した。イクテヤールといったら、このタフリールを囲んでいる三日月形のオアシスの外側に栄える、第二のタフリールのようなもう一つのオアシスだ。つまり、別の町である。
 ここにいるのではなかったのか。困惑していると、ログズがまあまあと宥めた。
「あいつ、意外と忙しくってな。急用が入ったとかで、どうしても行かなきゃなんねえンだと。代わりにお前を見つけてイクテヤールに連れてこいって、頼まれてる」
「あなたが……?」
「そう。俺が」
 ログズはそこで胸に手を当て、わざとらしく、恭しいポーズを取ってみせた。
「そこでお前に、もう一回訊いてみたいことがあるんだが」
 タミアの背中を、先刻よりもずっと強く、嫌な予感が駆け抜ける。なんとなく、彼の言いたいことが分かって、唇に強張った笑みが浮かんだ。
「橋を渡ってイクテヤールまで。裸の俺と仲良く旅をするか、服を着た俺と仲良く旅をするか。どっちでも、好きなほうを選んでいいぜ」
 予感は、悪いものほど本当によく当たる。
 ログズの勝ち誇った笑顔に、タミアはスカートの上から財布を潰れるほど握りしめた。

 居住区の傍に建ち並ぶ店は日暮れと共に扉を閉めるが、ふもとに広がるバザールは夜も眠らない。屋台だけではなく、雑貨屋も服屋も、店主の顔ぶれを昼間と入れ替えながら、ほとんど同じ場所で似たような品物を売っている。
「おっ、ここなんか良さげじゃねえか?」
 昼間よりはいくらか少ない人出の中を、猫のようにすり抜けながら歩いて、ログズは一軒の店の前で足を留めた。数歩遅れて辿り着いたタミアは、彼の後姿を追いかけて店へと入りながら、通りすがりに見える値札をチェックすることに尽力していた。
 良かった。ここなら、手持ちの半分を使えば最低限の上下は揃えられそうだ。
「お、これにするかな。おーい、店主さん」
「はいよ」
「見ての通り、すぐ着ていきたいんだ。いいか?」
 ログズの声に木箱の奥から顔を覗かせた店主が、ぎょっとした顔で頷いた。悪いね、と彼はほとんど裸に近い恰好でケラケラ笑っている。タミアは連れと思われるのは仕方ないとして、せめて仲睦まじく思われるのは避けたい一心で、色とりどりの服の陰に身を隠した。
 とっさに掴んだワンピースの生地が、さらりと手のひらを滑る。同時に袖口に下がった値札が目に入って、思わず瞬きをした。
 なんて綺麗な服だろう。それに――見た目よりずっと安い。
 故郷から着てきた木綿のワンピースを見下ろし、タミアの心に一瞬、揺らぎが生まれた。アルヤルを見つけるまでは一銭の無駄遣いもできないと決意していたが、そのアルヤルの元へ案内してくれる相手を見つけたのだ。もうタフリールでの目的は半分果たしたようなものである。
 月の都のお土産のひとつくらい、手元に欲しい。
 ログズの服を安いものに抑えてもらえば、これくらいなら。
「ねえ、ログ……」
「二万飛んで七十ガルム。おまけして二万ガルムちょうどでいいよ」
「サンキュー、助かるぜ」
 意を決して振り返ったタミアの目に入ったのは、今まさに、会計を済ませたログズと笑顔を浮かべる店主だった。え、と表情を強張らせて、店主の手が受け取った二枚の紙幣を見やる。
 そのお金は、と視線を巡らせて、声にならない叫びを上げた。ない。スカートのポケットに入れてあったはずの財布がない。信じたくないが、ログズの手に――よく見覚えのある色のものが握られている。
「な、な……! いつのまに……!」
「ん? ああ、これか」
 薄桃色の使い古された財布を宙に掲げて、ログズは振り返った。にんまりと唇を吊り上げた彼を正面から見て、タミアは二重の意味で、雷に打たれたような衝撃を覚えた。


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