第1章
ランプの灯る室内で、ゆっくり朝を待って休みたい。
建ち並ぶ宿の一軒の前で足を止め、窓を見上げたタミアの隣に、ログズも並んで窓を見上げた。
「旅のよしみってヤツで、今晩だけ入れてくれよー。床でいいんだ」
「ないわよ」
「は?」
「だから、宿取ってない。私も、床でいいからどこかの部屋に入れてほしかったわ」
諦めた笑みが、喉からこぼれた。再び歩きだしたタミアの後を、ぽかんとしていたログズが追いかける。
「お前、宿予約してなかったのか!? それであんな時間まで外にいるって、手頃なところはどんどん埋まるぞ。どうする気だったンだよ……つーか、今だってどうする気なんだよ」
「仕方ないじゃない、アルヤル先生を探すのに何日かかるか分からなくて、悩んでたんだもの。っていうか、今取れないのはあなたのせいでしょ」
「あ?」
「空き部屋があったとしたって、泊まれやしないわよ。あなた、私の全財産のうちのどれだけ使ったか、記憶にないの?」
ログズが、あっという顔をした。財布の中身を思い出したのだろう。紙幣が二枚飛んでいって、残っているのは硬貨がいくつか。微々たる額だ。フィッシュバーガーをあと二、三回食べたら底をついてしまう。
今夜は、どこか人目につかなそうな場所でうとうとして明かすしかない。
でも、自由に入れて安全な場所なんてどこにあるだろう。浮浪者や酔っ払いに目を凝らしながら路地を覗いて歩くタミアに、ログズはがしがしと髪をかき上げて唸った。
「あー……しょうがねえなァ。あんまりやりたくなかったんだが」
「なに?」
「ちっと来い。ここは……いや、こっちのほうがいいか」
手招きをされて、渋りながらついていく。ログズが曲がった道は狭いが明るく、窓の外にまで喧騒の漏れてくる酒場の並んだ一角だった。何軒かを覗き込んで、一番賑わっている店のドアを開ける。
躊躇するタミアの腕を引っぱって、彼はタミアをドアに一番近い、カウンターの席に押し込んだ。
「ちょっと、なに……」
「お前、ジュース一杯くらいの金ならあるだろ? なんか頼んでここに座ってろ」
「え、あなたは?」
「一番小さいのでいい、小銭一枚借りるぞ。もし俺の知り合いかって声かけてくるヤツがいたら、すぐ逃げろよ」
「え、はっ!? 何それ、どういう……」
ぽん、と背中を叩かれて、それ以上訊くことはできなかった。ログズが店内の視線を集める前に、さっと離れたからだ。店主が新しくやってきた客に気づいて、オーダーを取りに来る。
「嬢ちゃん、うちは未成年には酒は出さないよ」
「あ、もちろんです! ええと、お酒以外だと……」
「カシスサイダーか、ミルク」
「……カシスサイダー、で」
少し離れた奥のテーブルで、どよめきのような笑い声が起こった。振り返って、その中心にいた人物にあっと目を瞠る。ログズだ。
「馬鹿か魔術師か、どっちだろうな」
タミアの視線に気づいた店主が、ぽつりとこぼす。え、と聞き返すと、険しい目を細めてテーブルを顎でしゃくった。
「十ガルムコインで、賭けに参加しようとしてる。ああいう奴ってのは大体、有り金全部どっかの店でなくして自棄になってるか、歪んだ勝算があるかのどっちかだ」
カシスサイダーをテーブルに置いて、店主は奥へ引っ込んでいく。言われたことの意味は分かったような、分からないような、五分五分だったが、タミアはログズが何をしようとしているのか、緊張した面持ちで見つめた。
彼以外の参加者の前には、紙幣が置かれている。ログズは何か一言二言いい、挑発的に笑うと、彼の賭け分を指して笑った男のグラスをさらって、一思いに飲み干した。馬鹿にしているだけだった男の顔に、面白がるような表情が浮かぶ。
彼らの前に、カードが並べられた。
六万ガルムのうち、賭博を許可した店主の取り分が二万。慣習として、勝者の杯といって賭けに参加した人やギャラリーに振る舞った酒代が二万。
酒場での賭博は酒場での遊びと言われ、正式な賭博場と違って、得た金のほとんどは酒場で返す形になるのが最も礼儀正しいとされる。そうすることで、客同士の遊びであるという体面を保つ。違法賭博と内輪の遊びのグレーゾーンを上手く掻い潜っていく仕組みだ。
ゆえに、勝ったとしても儲けはほとんどない。
……というのが、通常の場合の、暗黙の了解である。
「あなた、一体どういう運の持ち主なの」
ひらりと夜空にかざされた二枚の紙幣を見て、タミアは心の底から信じられないという声を出した。幻でも見ているみたいな気分だ。あるいは、数奇な魔術か。
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