1:ニフタの王女


「麗しゅうございます。やはり金にして、間違いございませんでしたね」
 しっとりと薄く、霧を帯びたような淡い金のドレス。
「ええ、本当に。でも、少し華やかすぎるかしら……」
 爪先まで包むそのドレスに合わせて仕立てた、細い金糸を織り交ぜたレースの、瞳の前で合わさる前開きのヴェール。
「大丈夫でしょう、これくらい。輿入れの衣装ですもの」
「私が心配したのは、道中のことよ。華やかなドレスが目立って、ならず者にでも目をつけられたら」
「護衛は万全だと、王様も仰っていたはずよ。だから安心して、これまでで最も美しいお支度を、とお命じになったのでしょうし」
「それもそうね。ああ、でしたら――」
 細い銀のティアラが、髪にのせられる。雫のように連なって下がる、クリスタルが揺れて無数の輝きを放った。
 重い。たわむように、しっとりと。
 まるで、今日もこの国の空を埋め尽くす、潤んだ雲のように。


 すべての始まりは、十六年前にさかのぼる。
 高く澄んだ空と、どこまでも広がる豊かな森。丘に沿って白い神殿と赤茶けた古い建物が点在し、湖を挟んで市街地の広がる小さな王国、ニフタ。旧遺跡地区と新市街の間に敷かれた湖の、水上に橋を架けて造られた壮麗な王城。
 十六年前、そこで一人の女児が生まれた。
 彼女は王女だった。国王ハルコス・トーラと、王妃エナの間に生まれた三人目の子供。物語に聞く雪原のような白銀の髪と、ラピスラズリを溶いたような藍色の目を持っている。彼女は祝福の中に産声をあげ、捧げられた花束に埋もれて眠った。
 だが、彼女には誰も予期していなかった、大きな力が潜んでいた。

 ――あの子が泣くと、空が泣くのよ。
 初めにその片鱗に気がついたのは、母である王妃だった。彼女は王族でありながら、乳母をつけずに子供を育てていた。だからいつも、その子がぐずりだすと最初に気がついて、あやすのだ。
 ――いい子、いい子、お腹が空いているの。……あら、さっきまで晴れていたと思ったのに……
 天気がいいから庭に出て、日向に出してやろうと思ってもかなわない。その子が泣いて、笑うと、なぜだか空は翳る。灰色の雲がどこからともなく寄り集まって、やがて雨を降らせる。仕方なく抱いて、城に戻ってその子を寝かしつけてやる。
 ――いい子、いい子、おやすみなさい。……あら、どうしてもう、日が出ているのかしら……

 彼女の疑問は次第に、周囲からも囁かれるようになった。生まれた王女が一歳を迎えるころ、王国はすっかり、曇り空の日が続くようになっていたのだ。
 三人目の子が生まれるまで、そんなことはなかった。ニフタは比較的、晴れの日が多くて、日照時間の長い土地だった。畑の作物がいつにない不作となり、果樹の苗木が枯れた。気候が、大きく変化していたのだ。代わってこれまで、あまり育たなかった作物の種が芽を伸ばし、湖には城の上空に渦巻く雲が灰色の影を落とした。
 ――まことに、信じ難いことながら。
 一連の事象に関して、見解を述べたのは、国王ハルコスを育てた導師。盲いた目をしばたたかせ、こぶの目立つ木の杖を鳴らして、彼は告げた。
 ――雨呼びの力を宿したお子と、考えられます。
 王と王妃は目を伏せた。それは薄々、自分たちも予感していたことだった。
 偶然で片をつけるには、その子供は雨を招きすぎていた。生まれて一年、日々大きくなる彼女は一層泣き、笑い、感情を豊かに表現するようになっている。その都度、空は曇り、雨が窓の外を通り過ぎてゆくのだ。呼応している。彼女は雨と、密接に繋がっていた。
 このままでは、ニフタは雨に侵されてしまう。
 王と王妃は考え、そして一つの決断を下した。その子供に、雨を抑え込む術を学ばせること。
 生まれた子は愛らしく、手にかけるなど考えられなかった。先に生まれ、妹を見てきた二人の兄に、そんな残酷な思いをさせたくなかったというのもある。ならば道は一つだ。育てるしかない。しかし、自分たちは国を守らねばならない立場。そしてこの雨呼びの子も、手放さないのであれば王族として育つことになる。
 王女として。
 二人の決断は、三日三晩をかけて決まった。この子を、国民に害をもたらす存在に育ててはならない。愛される王女でなければならない。王族は、愛を失えばいとも容易く滅ぼされる。
 ニフタのために、そしてこの子のために。王は導師とその弟子を招き、命じた。
 ――感情を、抑制し。雨をできるだけ、呼ぶことのないように。
 雨は、少女が眠っている間は姿を見せない。雲もどこかへ散らばっている。彼女の感情の起伏が、雨を呼んでいるのは明白だった。喜びも怒りも、幼い彼女の感情が外に表れるとき、雨もまた降り始める。
 ――どうか、誰よりも静かな心を持って。乱されることなく、雨を呼ぶことなく、この子が人から憎まれず、生きていけるように教えてやってくれ。
 力が、人の憎しみをかい、幼い命が危険にさらされることのないように。そう願うしかなかった。王妃が彼女を抱き上げ、導師の手へ託した。小さな耳はまだ言葉を知らず、藍色の目は母と導師を、代わる代わる見つめて瞬きをしていた。
 ――いい子、いい子、お眠りなさい。……静かに、眠るように、生きなさい。


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