6:予兆


 雨と太陽。呼び寄せるものは反対だが、彼と自分の力は同じようなものだ。天候を左右し、土地の気候に影響を与えてしまう。人々の暮らしを守るため、ルエルは感情を抑えることを学んだ。幼い頃からそう育てられれば、人はそれが自然になる。
 文句のない方法だとは言わないが、ジャクラだってそうしていれば、あんな危険な薬を飲んで眠る必要はなかったはずだ。彼のやり方は、リスクが大きい。
「それは、父上の方針でな」
「フォルス様の?」
「ああ。日招きの力があると分かったとき、ハーディは今のお前と同じことを提案したそうだ。でも、父上が断った」
 雲が次第に晴れていく。照りつける日の下を歩きながら、ジャクラが答えた。
「将来、皇帝の地位に就くものが、人の感情に敏くないのでは生きてはゆけないと。そのためには、自分自身が感情豊かであるべきだと、そう言っていた。いつの時代も、最後に上に立つのは愛される者だというのが、父上の持論だからな」
 ルエルは驚いて、目を瞠った。ニフタの父母が言っていた理由と、まったく同じだ。下にあって支えてくれる人々から、愛されるために。
 片方は抑制を選び、片方は解放を選んだ。
 明確な道もない広々とした中庭を、少しだけ先に立って進んでいく背中を見る。ルエルの瞼の裏に、この宮殿で働く人々や、白の間で見かけた人々の姿が次々と浮かんで消えた。確かに、彼は愛されている。親しみと敬愛によって、いつも周囲を満たされている。その姿を見慣れて、今だから分かる。
 ニフタの城の人たちも、ルエルを愛してくれていなかったわけではないのだ。
「まあ、そのせいで色々と、迷惑をかけてしまった相手もいることはいるんだが……」
「……え?」
 シュルークの人々と対称的に、遠くで見守って、何も言わず、静寂というヴェールでルエルを愛してくれていた。ニフタにいた頃はその愛を、ぼんやりとしか感じ受けることができなかったが、今でははっきりと分かる。感情を抑制することで力を抑える、という自分のあり方に、彼らがどれほどの理解を示してくれていたのかが。
 故郷を離れた今になってそんなことに気づいて、胸の奥が熱くなっていたルエルは、ジャクラがぽつりと零した言葉をよく聞き取れなかった。光が金の髪留めに弾かれて、硬質な欠片のように散らばる。
「いや、何でもない」
 うちの一つが目に入って、ルエルは一瞬、瞼を伏せた。振り返ったジャクラの顔は、逆光で暗く、眩んだ目では見えない。
 眩しさが収まったときにはもう、彼はいつものように笑っていた。
「たまには庭を突っ切ってと思ったが、やはり光が強いな。……お」
 話しながら歩いているうちに、中庭をちょうど真ん中あたりまで進んできていたらしい。大きく枝を張った無花果の木が、正面に聳えていた。
 木陰に入っていったジャクラが、何かを見つけたように枝を見上げる。倣うように首を持ち上げたルエルの目に、無数に並んだ赤紫の、丸い雫が映った。
「あれは?」
「無花果の実だ。今年もそろそろ、季節だな」
「これが、無花果の実なのですか。生っているところを見るの、初めてです」
 無花果の木の下は今までにも何度となく通ってきたはずなのに、以前はこんなふうに、興味を持つことがなかったからだろうか。しっかりと目にしたのは、初めてのことだ。
 お菓子や料理に使われて、すでに加工された姿しか見慣れていなかったルエルは、重そうに撓む枝をしげしげと眺めた。葉の緑色と相まって、甘い果実の存在感は大きい。所々、穴の開いているものもある。ここは屋根もない。鳥が放っておかないのだろう。
 すいとジャクラが手を伸ばして、不満げに唸った。
「少し、届かないな……」
「枝が高いですから。人の背では、無理ではありませんか?」
 低いところの熟れた実に手を伸ばしたのだということは分かったが、無理だ。ルエルより頭一つ背の高いジャクラでも、数十センチは腕が足りない。無花果の木は立派で、良い木陰を提供してくれるが、そのぶん枝の位置も高かった。
 鳥たちだけが味わえるものなのかもしれない。諦めて、甘い風の匂いを吸い込んだルエルの手が、ふいに離される。
「そこで待っていてくれ」
「ジャクラ?」
「いや、来たければ手を貸すが」
 広い幹の周りを半周ほど見て回って、彼は機嫌よく笑った。手を貸す、と言われても何のことだか、すぐには理解が追いつかない。だが、次の瞬間、ルエルは思わず駆け寄らずにはいられなかった。
 ジャクラは幹の窪みに手をかけると、片足でこぶを蹴って、そこへ登ったのだ。
「な、何をしているのですか……!」
「せっかくこんなに実っているんだぞ? 見ていくだけというのも、惜しいだろう」
「だからって、危ないのでは……」
「平気だ、これくらい。高いところへ行かなければ。心配なら、お前も来てみるか?」
 誘いには勢いよく、首を横に振った。ジャクラもさすがに冗談だったらしく、枝を掴んで立ち上がり、そうだろうなと笑っている。行ったところで、何もできない。それ以前に、木になど登れる気がしない。引っ張って下ろしにも行けないルエルは、ただ呆然と、樹上の人と化したジャクラを見上げた。
「……怖くないのですか?」
「こういうのは、落ちる想像をするから怖いんだ」
「しなければ、平気だと」
「あとは慣れだな」
 無花果の実を選別して、鳥に突かれたものを見分けながら、ジャクラは返事をする。つまり、木に登っているのもそれほど珍しいことではないのだと言外に察して、ルエルは口を噤んだ。そういうことなら止めたところで、今さらというものだろう。


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