3:雨憑姫≠ニ煌野の皇子


「あなたはどう考えているか分からないが、ここが嫌いでないなら予定通り、三ヶ月過ごしてみてくれないか?」
「……ジャクラ様が、そう仰るのでしたら。雨が降らないのに、シュルークに私を置いていただく意味はあまりないように思われますが」
 帰れと言われたら帰るつもりだったが、そうは言われなかった。婚約という名目で出てきてしまった以上、三日か四日で国へ帰れば、自国の民への説明も難しい。当初の予定通りいてほしいと言われるのであれば断る理由もなく、躊躇いがちに頷いたルエルに、ジャクラは笑って返した。
「意味があるかないかは、これからいくらでも変わる。時間は三ヶ月あるんだ。何もできないということはないだろう」
「そう、でしょうか」
「例えば三ヶ月の間に、あなたがここで過ごすことを、心から楽しいと思えるようになれば。感情なんて自然と湧いてくると、俺は思う」
 琥珀色の目でルエルを覗き込み、彼は自信ありげに言う。心から楽しい。それはルエルにとって、物心ついてからこれまで、感じることを避け続けてきた感情の一つだ。
「思えるように、なるでしょうか?」
「してみせる」
 そのための期限だろうと、ジャクラは笑った。
 あれほどの歓待の宴にも、ここへ来るまでに見てきた華々しい景色の数々にも、ルエルが眉一つ動かさなかったことなどまるで些末な話というように。あっさりと胸を張る姿は、いっそ困惑を通り越して、清々しい。
 晴れやかな。
 ふと、彼に与えられた煌野の皇子≠フ名を思い出して、それはもしかしたら力の揶揄ばかりでなく、彼自身の気質を反映した通り名なのかもしれないなと、ルエルは一人、心の中で納得した。
「感情の抑制については、父上たちに伝えても構わないか?」
「はい。隠しておけることではありませんので、夕の宴で私からお話しいたします」
「うん、それがいいだろう。俺からも話しやすいように切り出す。……ああ、あと」
 宮殿の散策を、再開するようだ。柱から身を離した彼を追い、ルエルも日陰を出る。刺すような光の降る中庭に下りて、遠くに見える一本の木を目指すように歩きながら、ジャクラは振り返った。
「あなたのことだが、何と呼んだらいい?」
「え?」
「宴のときに思ったんだが、大臣たちはともかく、俺があなたを王女と呼ぶのは味気ないだろう。良ければルエルと呼ばせてもらえると、親しみが湧く感じがしないか?」
 少し、風が吹き抜けたような、新鮮な心地がした。
 王族という立場上、ごく親しい家族以外に、名前をそのまま呼ばれることはほとんどない。なるほど確かに、同じ立場同士なのだから、彼から王女と呼んでもらう必要はないのだ。
「それで構いません」
「そうか、ありがとう。俺のこともジャクラでいい」
 ああ、そういえば。家族のことは、ほとんど名前で呼ばなかった。お父さま、お母さま、長兄さま、次兄さま。導師も導師さまだった。ごく限られたメイドの名くらいしか、呼んだことはなかったように思う。
「はい。……ジャクラ」
 確かめるように口に出した響きは、そんな不慣れさゆえだろうか。あまりにたどたどしく、前を歩いていたジャクラが問いかけかと勘違いして、何だと振り返った。
 再び白い歩廊が見えてくる。ルエルは何でもないのだと首を横に振ったが、逆に興味を示したジャクラによって色々と訊ねられ、兄の話やニフタの話を、ぽつりぽつりと答えつつ歩いた。


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