18 ユーティアの戦い


 サロワとロメイユを繋ぐ汽車が、戦争による燃料の削減のために停められてしまい、母は今コートドールへ来る手だてをなくしている。郵便ならばまだ届けてもらえるからと、ユーティアの返事に構わず手紙をたくさん送ってくれていた。例年、ちょうど今ごろはサロワへ帰っていた時期だ。空き家になっていた実家は人手に渡ったが、毎年変わらず、母の暮らす親戚の家へ帰らせてもらっていた。紅茶のシフォンケーキも、のどかな果樹園にうっすらと雪が積もる光景も、すべてが恋しく懐かしい。
 ユーティアは時計を見て、一人の時間は長いものだと目を瞑った。そうして母が無花果の木の間でよく歌っていた、あのメロディーを口ずさんだ。きんと冷たい空気が、胸に駆けこんできて噎せそうになる。
 それでも歌っていると、訪れたばかりの冬が一秒また一秒と消費されていく感覚がした。

 そんな生活が再び大きく変わったのは、翌年の春。ユーティアが人知れず、四十六歳の誕生日を迎えて数日が経った日のことだった。
 独房で本を読んでいたユーティアのもとに数人の兵士が押しかけてきて、止血薬と痛み止めは作れるのかと訊いてきたのだ。傷薬はソリエスでも昔から扱ってきたし、外傷よりは頭痛や腹痛に向くものを作っていたが、痛み止めの知識も一通りは備えている。可能だと答えると彼らは顔を見合わせ、ユーティアを実に久しぶりに、風呂以外の用で牢から連れ出した。
 彼らに囲まれて歩く間、廊下や階段の端々からたくさんの視線を感じた。石の塔に閉じ込められている魔女、王に逆らった女囚、燃えない本を持っている――ひとり歩きを重ねて広がった噂話が、ユーティアの歩く先々で囁かれる。
 視線をくれると彼らは押し黙るか、仲間と目を合わせて何かを言い交す。面白いものと目を合わせたように口笛を吹いてみせる者もあった。城内の兵士たちの雰囲気が、以前より俗っぽく、良識のない荒れたものになっている。自分を囲んでいる顔見知りの兵士たちの上から目線や愛想のなさなど、彼らに比べれば遥かにましなものだと思えた。
「足を緩めるな」
 ユーティアの苛立った眼差しに気づいたのか、左腕を捕らえて歩く兵士が呆れたように言った。
「あなたの部下か何か?」
「知らん。訓練兵だろう」
「……そう」
 ユーティアがそれ以上なにも訊かなかったので、兵士は何も言わなかった。ただしユーティアのほうは、それから用心深く通り過ぎる者たちを観察した。自分の傍にいる兵士たちと、コートの丈の違う兵士たち。短く、さほど機能的でもなさそうな適当な制服を与えられている。彼らがおそらく訓練兵だろう。城の庭で訓練をしているのか、あちらこちらで見かける。
 一体どれくらいの期間で戦地へ赴くのだろう。この数週間で聞き集めた看守たちの会話を思い返しながら歩き続けていると、長い廊下の片隅まで来て、兵士たちが足を止めた。
「ここだ」
 先頭を歩いていた男がドアを開ける。ペンキも何も塗られていない、木製の、城の裏庭からしか見えない質素なドアだ。一目で古いと分かる錆びついたノブを引くと、ギイイという予想通りの音と共に、思いがけず広い室内が明らかになった。前方に一つ、空気を丸ごと入れ換えられそうな大きさの窓がある。
 ユーティアは背中を押されるように室内へ足を踏み入れ、その窓の傍に並んだものの光景に息を呑んだ。
 すり鉢、フラスコ、大小様々な鍋、空き瓶、はかり、ガラスの器。見覚えのある道具の数々が、壁に沿って備えつけられた細長いテーブルの上に揃えられている。これは、薬の調合に使うものだ。ものは所々に埃を被っているが、テーブルは掃除がされている。もしやと思って振り返ると、ユーティアの後ろに立った兵士が頷いた。
「ここは昔、王家が専属の魔女を薬師として召し抱えていたころの調合室だ。薬が貴重だったころ、常に魔女を置いて薬湯や軟膏を作らせていた」
「私に、この部屋を使って薬を作れということですね?」
「そうだ。ウォルド様がお前にこの部屋を見せ、使えるようなら仕事をさせてみよと申された。……そこの引き出しを開けてみろ」
 ユーティアは示された通りに、傍らの引き出しを開けた。身に馴染んだ懐かしい香りが、途端に溢れてくる。
 細かく仕切られた引き出しの中身はすべて、ドライハーブなどの薬の材料だった。一瞬、自分が城にいるのを忘れて、ソリエスのキッチンへ戻ったような錯覚を覚えてしまう。眩しい裏庭の日差しと、使い慣れた道具で飾られていたキッチンに、もうずいぶん長いこと帰っていない。


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