16 国王ウォルド


「あの」
「なんだ」
「グリモアを」
 ここまで持ってきたということは、王の手元で保管するというつもりはないのだろう。口にすると、格子の隙間から背表紙が差しこまれた。両手を拘束されているせいで、受け取りにくい。
 挟むようにして受け取ると、ユーティアがしっかり掴むか掴まないかといううちに、グリモアを持ってきた兵士は素早く手を離した。ユーティアがグリモアを取り戻すことを、誰も止めなかった。ただの書物と思っていたものが燃えずに残ったことが、よほど不気味で空恐ろしかったらしい。
 腕を出すように言われて伸ばすと、手錠が外された。鉄格子の中で、やっと両手が自由になる。扉に鍵がかけられるのを、ユーティアは抵抗せずに見守った。室内に明かりはなく、石の壁の高いところに、鉄格子を嵌めた窓がくり抜かれている。そこから入ってくる光だけで、明るくはないが十分に過ごせる程度の部屋だ。
 石の短い廊下を、兵士たちが出ていく。彼らがもっと「大人しくしておけ」とか「騒ぐなよ」といったふうに罪人扱いをするかと思っていたが、ユーティアの予想に反して、誰も必要以上のことを言い残そうとはしなかった。

 それから三日が経った日の昼下がり、ユーティアが牢で手持無沙汰にベッドのシーツをかけ直していると、塔の扉が勢いよく開かれる音がした。かつかつという足音と共に、それを追いかける足音が雪崩れ込んでくる。
「おい、おいって! 勝手に進むんじゃない!」
「うるさいわね、だったらもっと速く歩きなさいよ。どっちが前に立とうが、行き先は変わらないわ。大した問題じゃないでしょ」
 顔を上げたユーティアは、聞き覚えのある声にシーツを投げ出して格子戸へ駆け寄った。踵を鳴らして向かってくる黒いワンピースの人影が、閉まりかけたドアからの逆光に包まれて影絵のようにすらりと伸びている。後ろから何事か言い返すようにしながら、兵士がその腕を掴もうとするのが見えた。
 だが、彼女はそれを素早く振り切って駆け出すと、青い目をいっぱいに見開いて鉄格子に手を伸ばした。
「ユーティア!」
「ベレット! どうしてここへ?」
 ドアの幅だけ嵌め込まれた鉄格子が、彼女の手に押し込まれて激しい音を立てる。一瞬、外れたかと錯覚するようなその音に、追いついた兵士がやめろと制してベレットの手を掴んだ。
「お城へ呼び出されたきり、あんたが戻ってこないから、いくらなんでもおかしいと思って来たのよ。私も今日、呼び出されて王様に会うチャンスがあったから、ユーティアって魔女を知らないかって問い詰めたの」
 彼女は兵士の存在などまるで目に入っていないかのように、腕を掴まれたまま口早に言った。ユーティアはこの三日間、ベレットがずっと自分の行方を捜してくれていたことを悟った。
 兵士が諦めたように腕を離す。ベレットはすぐにまた、格子戸へ両手を伸ばした。
「ウォルド様から、大方の話は聞いたわ」
「ええ」
「従軍を断ったんですってね、グリモアのために……知っていれば、先にあんたと会わせてくれるよう交渉できたのに」
「ベレット?」
「あの王、あんたのことを訊いたら、すでに決断を済ませてこの城に残っているって言ったのよ。だからてっきり、従軍を決めて何か準備でもしていたのかと思って……まさかこんな形でお城にいるだなんて、想像がつかなかったわ」
 ベレットは長い髪を荒々しくかき上げて、吐き捨てるようなため息をついた。黒髪が床に落ちた彼女の影の周囲で踊って、一層細く長く見せる。ウォルドから話を聞いたということはグリモアが焼けなかったことも知っているのかと尋ねると、遠慮がちながらはっきりと頷いた。ユーティアのグリモアは机の上で、静かに背中を向けている。
「まっとうに暮らしてきたくせに、こんなところに来て……他の魔女から白い目で見られて、独房なんかに入ってまで、従軍は避けるべきなの?」
 冷静に、心の奥まで問い質すようにベレットは訊いた。
「うん」
 ユーティアは短く、躊躇いなく答えた。
 傍から見てどう思われようと、自分で選んだ決断が間違っていたとは思わない。この三日間、ほとんどの時間をそれについて考えて過ごした気がするが、決意は三日前と同じままだ。グリモアを違えずに果たすためには、自分はきっと、この戦争に行くべきではない。


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