16 国王ウォルド


「さて……」
 やれやれというように、姿勢を崩す。王は椅子の上で足を組み、組んだ膝に肘をのせて頬杖をつくなり、何か考えるように穏やかな顔になってユーティアを見上げた。
「まずは、そなたの名を伺おうか」
「ユーティア・ハーツと申します」
「ふむ、ユーティア。そなた、この国は好きではないか?」
 魔女が全員、外に連れ出されたあとの室内は、広い空間に王とユーティアと、数人の兵士しか残っていない。静まり返ったその場所で、王の声はどこまでも響いていくように思えた。広がり、壁に当たって反響し、緩やかに背中からユーティアを探る。
「いいえ、国王様。祖国を大切に想わぬ者など、おりません。私ももちろん、それに同じです。特にアルシエは、魔女である私にとって、生まれたことを幸運に思える国です。心から、大切に想っております」
「ならばなぜ、その祖国に手を貸すことを拒む?」
「……グリモアに、背きたくありません」
 一周した会話が、元の地点に舞い戻る。ユーティアは居た堪れなくなって、両腕でグリモアと共に自分の体を抱いた。
「それは、すでに聞いた。だが、そなたは本当に、それが理由になると思うか?」
「……」
「沈黙か。……時にそれは、賢い返事だ。しかし、例外を認めることは難しい。任意での従軍でない以上、そなたと同じ不満を持つ者は少なくないだろう。だが、彼女たちは聞き分けた。そなた一人を、特別に認められる理由が、そなたの意見の中からは見えてこない。
 聞き分けよ、ユーティア・ハーツ。これは国として、立ち向かわざるをえない危機なのだ。この国がセリンデンに侵されてなくなれば、そなたが抱えている使命を全うすることも難しくなろう。優先すべきはどちらか、そなたも理解しているのではないか?」
 王はあくまで淡々と、口調を崩すことなく諭した。そのことで、ユーティアにはよく分かった。ウォルドが自分の反発を、覚悟を持った抵抗ではなく、恐怖心や不安からくる気持ちの高揚だと思っているのだということが。
 宥めれば落ち着く類のものだと、彼は思っている。だから怒らない。人任せにすることもしない。なぜなら他国の王と渡り合い、交渉や説得に慣れている彼にとって、一般市民であるユーティア一人の駄々を治めることくらい、容易であるはずだからだ。彼は思っている。こうして説き伏せていれば、間もなくユーティアは首を縦に振って、恐る恐るペンを所望し、名前を書くと。そうして一人、後から連れられてゆきながら、一時の感情に任せて起こした反抗心を恥じ、忘れてゆくのだと。
「さあ」
 黙り込んでいることを、この会話に終止符が打たれたと取ったのだろうか。促すように書類を差し出したウォルドを見つめ、ユーティアは固く引き結んでいた唇を開いた。
「できません」
 再度、拒絶の意思を口にした瞬間、眼前の王の顔はわずかに歪んだ。
 眉の両端がゆっくりと吊り上がり、天青石のごとき両目が見開かれる。小鼻が開き、こめかみの辺りが緊張する。右の唇の端が震えて、視界の隅で兵士が凍りつくのが分かった。
 ユーティアはそれでも、眼差しに力を込めて立っていた。
「そこまでして、そなたが守っているグリモアとは何なのだ」
 王が重々しく、口を開く。声色に先ほどまでの、幼子をあやすような柔らかさは失せていた。冷たい、氷のような目はいつも透明度が高すぎて恐ろしい。どれほど中心を見つめたくても、眸を通り越して、眼窩を覗き見てしまいそうで。
「言えません」
「何?」
「このグリモアは、口外しないことも含めて、私の使命であると自覚しております。例え王様の命であっても、開くことはできません」
「言われぬものは、認めよというほうが無理だと言ったら」
「申し訳ありません」
 間髪入れずに、ユーティアは答えた。ただ謝るという、この場で最も王の怒りを増長させるであろう方法で。分かってはいたが、他に返せる言葉を持っていなかった。過ちを認めるわけでもない。主張を通すため、意見を述べるわけでもない。


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