12 隣国の魔女


「サラって人には申し訳ないけど、断って正解だと思うわ」
「そう……、そうなのかしら、やっぱり」
「正直、匿ったとかいう話じゃなくて安心してるもの。あんたなら面倒みるって言い出しかねない気がしたから。セリンデンの魔女が来た、とだけ聞いたときは、ちょっと焦ったわ」
「どうして?」
「彼女に罪はなくても、あんたに何かあったら困るもの」
 ベレットは眉を顰めて、迷いなくそう言った。それはユーティアが、サラをベレットに紹介できないと判断した理由とまったく同じものだった。
 潔く言い切られて、こんな話のときだというのに、漠然とベレットとの心の繋がりを認識してしまう。自分にとって彼女が大切な存在だ、と思ったのと同じように、彼女にとっても自分が「何かあったら困る」存在なのだとはっきり口に出されて、サラを見捨てた罪悪感で燻っていた心から少しだけ力が抜けた。
 ユーティアは頭を切り替えて、何かって例えば、と聞き返した。ベレットは少し言葉に悩みながらも、紅茶の入ったカップを片手に、口を開いた。
「あくまで、市場で流れ聞こえてくる程度の話よ? 信憑性がどのくらいあるかは、私も、何とも言えないんだけれど」
「構わないわ、教えて」
「どうも最近、セリンデンがアルシエに、魔女の流入を黙認しないようにって言ってきているらしいわ」
「え?」
「簡単に言えば、国の間で圧力がかかってて、前みたいに王様が入国の許可を自由に出せなくなったらしくて。結果的に、今いるセリンデンの魔女っていうのは、許可証を持たずに不法滞在してるのがほとんどなのよ。知っていながら雇っちゃうと、店側にペナルティがあるから……」
 ベレットは眼差しにかすかな険を滲ませて、ユーティアの肩越しに窓を見た。そうして、誰がいるわけでもないのに声を落として明かした。
 近頃、市場に出店の許可証を求めてやってくる魔女が絶えないこと。彼女らは多くを語らず、断られると足早に去っていくが、許可証を発行しているのが王であることを知らずにやってくるところを見ると、おそらくアルシエの者ではないこと。中には許可証を高額で譲ってくれないかと求めてくる者もあって、市場では厄介者扱いされていること。
 アルシエの民ならば簡単に取引してしまうことはないが、中には近隣の国からやってきて、出稼ぎのように働いている商人もいる。そういう商人は、大抵自国に元締めがいて、雇われているのだ。安い賃金でアルシエまで品物を運ばされている彼らは、セリンデンの魔女の取引に乗ってしまうことが少なくない。
 何せ許可証一枚が、一年は遊んで暮らせる額に化けることもある。
「そんなにたくさんのお金を出してまで、アルシエに暮らしたいのね……」
「それだけ必死ってことなんでしょ。実際、許可証なんて人から買ったらいつかはばれるから、なんでわざわざこっちに来るのかと思ってたけど……まさかセリンデンが、魔女にそれほどの研究を始めていたなんてね」
「うん」
「どうりで、逃げてくるはずだわ。アルシエの人間はまだ、同情で目を瞑ってる人も多いしね。でも、このまま見逃し続けるのは難しいんじゃないかしら」
「どうして?」
「セリンデンがかけている圧力って、結構本気みたいだから。最近、アルシエも国境の警備を厚くしているって、市場じゃ噂よ。西側は今まで通りなのに、東は兵士がずいぶん増えたんですって。王様がそれだけ、向こうの出方に警戒するようなことを言われているってことでしょ」
 ユーティアはぐっと唇を噛みしめて、動揺を堪えた。時勢の話題にはそれなりに耳をそばだてているつもりだったが、この話は初めて聞いた。雑誌や新聞に載せられていない、本当の「風の噂」というやつだ。様々な地方から人が集まる市場に出入りしているベレットは、公にされているニュースよりも、こういった人々の間を漂流している話に詳しい。
 膝の上で両手を握って、ユーティアがぽつりと、独り言のように呟いた。
「セリンデンは、アルシエを敵視してしまったのかしら」
「そこまではいっていないでしょ。自分たちよりずっと小さい国のくせに、ちょっとおどかしたくらいじゃ靡かなくて、生意気だとは思ってるかもしれないけど。セリンデンがわざわざ敵にするような、大きな国じゃないもの」
「そう……よね」
「でもまあ、だからこそ怖いわよね。元々科学に強かったけど、このところセリンデンって、工業もずいぶん発展したらしいじゃない? 怒らせたくない相手よね。だから王様も、今は慎重になってるんだと思うわ」
 俯いたユーティアを見て、ベレットはユーティアが落ち込んでいるのだと思ったらしかった。きっとそのうち昔みたいに、セリンデンの魔女だなんて誰も気にしない時期が来るわよ、と、暗にサラのことも気に病まなくても大丈夫だと励ましてくる。
 ユーティアはその優しさに、笑みを溢した。紅茶を飲み干して、背凭れにかけていたショールを羽織る。
「帰るの? もう遅いんだし、泊まっていってもいいのに」
「ううん、日記帳を置いてきちゃったから、今日は帰るわ。ありがとう」
「生真面目ねえ。私なら、三日も続かないけど」
「あなたはいいのよ、それで」
 ごちそうさま、と席を立ったユーティアをドアまで送って、ベレットはどういう意味よと笑った。別に、と答えて微笑み、おやすみと挨拶を交わしてアパートを後にする。
 階段の踊り場で振り返ると、手すりに寄りかかってベレットが立っていた。彼女はひらひらと片手を振って、ユーティアが再び階段を下り始め、彼女の姿が見えなくなるまでそこにいた。

 その晩、家に戻ったユーティアはシャワーを浴びて髪を乾かすと、屋根裏部屋に上がってカーテンを開けた。日付が変わる瞬間に刻一刻と近づいている町は、昼間の喧騒が嘘のように静かで、ひっそりと大人しい。川の向こうに街灯が点々と灯っているのが見える。その光は町の中に所々ある、まだ眠らない窓の光と交じりあい、遠く、城のほうへゆくにつれて肉眼では区別がつかなくなっていく。
 綺麗な町だ。
 ユーティアはしばらくそれを見つめて、窓辺に立っていた。蝋燭のように、瞼の裏に光が泳いでいる。隙間風が頬に吹きつけて、カーテンを閉め、机に腰を下ろした。並んだインク瓶の中から、深い青を取る。タイムの葉を挟んだページに、今日の日記を書き込む。

 アルシエ国王が大量の坑夫を募る触れ込みを出したのは、その翌年の春のことだった。


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