12 隣国の魔女


 あの、と彼女は口を開いた。硬い声の中に、緊張と、絶対言うのだという意思が強く絡み合っている。
「魔女の店、ソリエスというのはこちらですよね?」
「はい。私が店主のユーティアです」
「そうですか……ユーティアさん、お願いします。私をここで、あなたの知人か弟子という形にして、働かせていただけないでしょうか」
 ユーティアは、思わず両目をしばたたかせた。言われた意味を理解するのに、少しの時間を要した。
 ええっと、困惑に声を上げてしまう。眼前の女性はそれでも目線を逸らさず、懇願するようにユーティアを強い眼差しで見上げた。
「どんな仕事でも構いません、ここで働かせてください。私は魔女です。薬の調合には明るくありませんが、必要であればお役に立てるよう、精いっぱい学びます。証拠が必要でしたらグリモアをお見せします。持って、確かめていただいて構いません。それから、あとは――」
「ちょっと、ちょっと待ってください!」
 堰を切ったように話し出した彼女を、ユーティアは慌てて止めた。話が急すぎて、一体なんのことなのか、まったくついていくことができない。
 女性ははっとしたように瞬きを一つして、すみませんと謝った。オリーブグリーンの穏やかな目が、怯えたように潤んでいる。
 ユーティアは少し困ってから、落ち着いて、と心の中で自分に言い聞かせた。何も彼女に、謝ってほしいと思ったわけではない。ただ、いきなりやってきて「ここで働きたい」と言われても、事情がまるで呑み込めないだけだ。
 ユーティアは女性を店に上げながら、改めて自己紹介をして、詳しい話を求めた。サラと名乗った彼女は、年の頃は三十四、五、ユーティアよりもやや下というくらいに見える。少し汚れたブラウスに、地味な色のカーディガンを羽織って、冬物の厚いスカートを履いていた。
 ドアの閉まる音を背中に聞いて、サラは、今度はゆっくりと口を開く。
「ごめんなさい、気が急いてしまって」
「いいえ。謝らなくていいから、わけを話していただけませんか? なぜ、急に私の店に……それも、弟子でもいいから働きたいだなんて」
「はい」
 ユーティアは彼女に、見覚えがなかった。何よりサラは最初、ソリエスというのはこの店であっているかと訊ねてきたのだ。ここに来たのは初めてなのだろう。それなのになぜ、こうまでも必死に働かせてほしいと訴えるのか。
 何か一筋縄ではない事情がありそうだと感じたユーティアは、軽々しく受け入れることはせず、サラがすべてを話すのを辛抱強く待った。両手の指を所在なさげに擦り合わせながら、サラがぽつぽつと、覚悟を決めたように話し出す。
「私は、セリンデンの魔女なんです」
「え……?」
「この春から、セリンデンでは国を挙げて、魔女の研究が始まりました。出生の条件や、魔女の行動が歴史に影響を与える理由、魔女とそうでない人々は何が違うのか。そういったことを調べる研究です」
 セリンデン。魔女。研究。それらの単語は耳から入ってきて、ユーティアの頭の中に不穏な想像を過ぎらせた。嫌な鼓動が胸の奥で揺れる。サラはそんなユーティアの推察を後押しするように、小さく頷いて言った。
「事実上の、魔女狩りです。グリモアの仕組みを解明するといって、多くの魔女がグリモアを取り上げられ、生まれてからずっと守り続けてきた本を失いました。逆らった者はグリモアがだめなら体を調べると連れて行かれ、誰も戻ってきません。何か、実験をされているようなのです。どんな実験なのか、恐ろしくてとても想像はつきませんが」
「……」
「私は、逃げてきたのです。セリンデンはこれまでも、魔女に対してあまり寛容ではありませんでしたが、今回のことは酷すぎると思うのです。あの国にいては、もう生きている心地がしません。魔女だと知れてしまったら、どんな目に遭うか分からない。家族にも迷惑をかけてしまうことが怖くて、みんな置いてきてしまいました。私にはもう、セリンデンに帰ることはできないと思うのです」
 ユーティアはただ、沈黙するしかできなかった。言葉か何も出てこなくて、ショックで呆然と立ち尽くしていた。サラが堪えきれなくなったように、両手で顔を覆う。その手の隙間から涙がこぼれて、ソリエスの床にはぜた。
「ここで雇っていただけないのなら、せめてどこか、市場か何かを紹介していただくことはできないでしょうか。ご迷惑をおかけすることは言いません。隠せと言われれば、身分は隠します」
「サラさん……」
「私はもう、帰ることはできない。魔女でも、商人でも、なんだっていい。アルシエで働いていく手段を、見つけたいのです」
 お願いします、と懇願するように、サラは深く頭を下げた。栗色の髪がはらりと落ちて、緊張に震える肩が露わになる。よほどの決意を持って、彼女が自分を頼っているのだということが伝わってきた。


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