7 魔女ベレット


 今日は何のことを書こうかと、ユーティアはペン先にインクをつけてから少し悩み、机の隣の窓を覆っているカーテンを開けた。町はすっかり夜の闇に包まれているが、まだ多くの人が目を覚ましている時間帯だ。川のむこうに立ち並ぶアパートの窓も、ほとんどの部屋から明かりが漏れている。
 プラタナスのむこうに、サボのアパートも見えた。彼の部屋もまだ、明かりが灯されている。
 ユーティアはしばらく町を眺め、日記のページにさらさらとペンを滑らせた。蝋燭の火は橙に燃え、紙の上に落ちる影も、灰色の芯に橙色の滲みを持って揺れていた。

 明くる朝、いつもより三十分ほど早く目を覚ましたユーティアは、いつものように窓を開けて髪を結い、着替えて一階へ下りた。顔を洗うと、目覚めたばかりでぼうっとしていたのが幾分かさっぱりする。来客に緊張しているつもりだったのだが、そのわりには普段と変わらず、ずいぶんよく眠ってしまった。
 こういう性分を、もしかして暢気というのだろうか。
「あら、おはよ」
「え? ああ、おはよう。もう起きていたの」
 エプロンの裾を伸ばしてリビングに入ると、ベレットがいた。生成りのシャツの襟元に古そうなループタイをして、黒のロングスカートの中で足を組んでいる。
 思いがけずきちんとした格好をしていて、ユーティアは少し驚いた。昨夜の調子では部屋着で出てくるか、あるいは昨日と同じ服を着ているのではないかと思っていたのだ。
 ベレットはそんなユーティアの視線から、何かを感じ取ったらしい。あのねえ、と笑って猫のような吊り目を細めた。
「確かに昨日は、雨に濡れてぐちゃぐちゃだったけど。私だって四六時中、あんなふうに汚れてるわけじゃないわよ。言ったでしょ、野宿は嫌だから行商しながら来たんだって。宿に泊まれば、予備の服の洗濯くらいしてるわよ」
「そ、そうよね。ごめんなさい、じっと見ちゃって」
「起き抜けに免じて許してあげる。あ、洗面所借りたから。ついでに、置いてあった石鹸もちょっとだけ」
「ああ、どうぞ。使って」
 ベレットは朝にもそれほど弱くないらしい。朝は好きだが、起きてから頭が冴えてくるまでに時間のかかるユーティアは、つられるように喋りながら、何だか新鮮な気分だと思った。ベレットといると、いつもより思ったことを躊躇わずに言ってしまう。それは彼女の会話のペースが、速いからというだけの理由ではあるまい。
「朝ごはん、まだよね? 卵は好き?」
「大好き」
「じゃあ、オムレツ」
 ベレットはどこか、人に気を遣わせない、気さくにさせる雰囲気を持ち合わせている。彼女自身も遠慮をしない部分があるが、相手にもいらぬ遠慮を抱かせない。そういう態度の持ち主だ。
 やった、と笑ったベレットにお茶を作ってくれるよう頼んで、ユーティアは卵を三つ取り出した。たまねぎを刻んで、ハツカダイコンも少し入れる。薄味の具のさくさくした食感を残すように、ハーブバターでさっと焼くのがユーティアの作るオムレツだ。タイムを振りかけて、もう一味ほしいときには、バジルのペーストをつけて食べる。
「あんた、料理うまいわよね」
 お湯を沸かしていたベレットが、手持無沙汰にフライパンを覗き込んだ。
「そう、かしら?」
「うまいわよ、昨日のグラタンも美味しかったし、スープだって。私、そういうの全然だめなのよね」
「そういうのって」
「なんていうのか、何と何をどうしたら美味しくなるか、想像ができないの。食べるのは大好きなんだけど」
 だから卵なら卵、肉なら肉を味付けして焼くのが精いっぱいなのよ、と、付け合せに出したミニトマトを一つつまんでベレットは言う。それなら野菜はどうしているのかと訊くと、みんなサラダという答えが返ってきた。ようは、生である。
「料理、あまり好きじゃないんでしょう」
「あ、分かる?」
「私は得意ってほどじゃないけれど、好きだから色々試すもの。あれこれやってみたい気持ちがないってことは、あまり好きじゃないんだろうなと思って。お皿、そこにあるの出してくれる? 二枚ね」
 一人前ずつに作ったオムレツを、それぞれ皿の手前にのせて、奥にミニトマトとバジルのペーストを並べる。切り分けた麦のパンをテーブルの中心に置いて、ベレットが淹れたハーブティーを並べ、席についた。
「ねえ、ベレット」
「なに?」
「あなたはどうしてコートドールに来たの?」
 柔らかく膨らんだオムレツにフォークを入れながら、昨晩気になって、結局聞かず終いだったことを訊ねる。オムレツを頬張ったベレットは「ん?」と顔を上げて、一瞬、ユーティアの目を見据えた。
「グリモアのために」
 フォークを片手に、心なしか真面目な表情になってそう答え、ベレットはハーブティーを一口飲んだ。そうして今度はそちらの番だと、促すようにその目を細める。
「そういうあんたは? 首都で一旗揚げようなんて柄じゃなさそうだけど、どうしてここに暮らしてるの。生まれは結構遠いって言ってたわよね」
「そうね。私も……、グリモアのために」
「なるほど?」
「……ええ」
「……ふうん。そうなのね」
 に、とベレットの唇が弧を描いた。どうやら互いに、グリモアのためにここへ来たことは認めるが、その内容を明かす気がないことも同じらしい。


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