5 青年サボ


 それから窺うように顔を上げて、申し訳なさそうに口を開いた。
「看板が気になって、入ってきただけで」
「そうでしたか。ゆっくりご覧になってください」
「あ、はい。……あの」
「はい?」
「これ、何の香りですか。この、店の中の」
 青年は意を決したように、そう訊ねた。ユーティアは一瞬きょとんとしてから、すぐにああと気がついて、近くの棚へ手を伸ばす。
「ラベンダーではないですか? これです」
 ドライフラワーを引き寄せて、青年に見せる。彼は近くへきて、あっと止める間もなく鼻を埋めてその香りを嗅いだ。
 よほど、強いラベンダーの香りが彼の鼻から肺までを満たしたに違いない。ぎこちない動きで花束から顔を上げ、健気に「これです」と笑った彼を見て、ユーティアは思わずふきだしそうになってしまった。
 無理をしなくてもいいのに。そもそも香りを確かめようとしたといったって、空気中に漂うほど濃い香りを放つものを、そんなに直接嗅ぐ人があるとは思わなかった。いくらなんでも、きつすぎて噎せそうになったことだろう。
「ラベンダーは元々、香りが出やすいですから。こうして吊り下げておくだけで、風が吹けば良い香りがします」
「へえ……」
「これは石鹸の材料にするんですが、あんまり良い香りだったので、乾燥のあいだ店内に置いておこうと思いまして。お部屋でも、こうして茎を結んで下げておくだけで、あっ」
 するり、とラベンダーの束を棚にかけていた紐が、釘から外れてしまった。紫の花束が、ユーティアの腕に落ちてくる。
 元に戻そうと手を伸ばしたが、紐の輪はあと少しのところをふらふらと掠めて、なかなか引っかからない。元々打ってあった釘を利用しているせいで、ユーティアの背には少し高いのだ。背伸びをしようとしたとき、後ろから伸びてきた手がラベンダーを取った。
「やりますよ」
「ああ、すみません。ありがとうございます」
「いいえ。これでいいんですか?」
「はい」
 ユーティアより頭一つ高い青年の手は、優に釘へ届いて、ラベンダーの束を元通りにかけた。古びた焦げ茶色の棚が再び、彩りを取り戻す。
 礼を言うと、青年はどういたしましてと笑って店内を眺めた。反対側の棚にも、ラベンダーが吊るしてある。レジにしているチェストの脇には、両側にローズマリー、すぐ傍の壁にフェンネルが下がっている。
 彼はそれらを見渡して、楽しそうに頷いた。
「これが、魔女の店ですか」
「ええ……、何か変わっていますか?」
「いや、僕、こういう昔ながらの魔女の店を見たのが初めてで。生まれの町には、近くに魔女の店がなかったものですから」
 青年はサボと名乗り、まるで外国に遊びに来た子供のように店内を見て回る。聞けば歳はユーティアの一つ下で、この春からコートドールで仕事を始めたばかりだといった。出身はユーティアの知らない町だったが、コートドールの近くの、どうやらそれなりに大きな町であるらしい。
 アルシエで薬を扱う魔女の少ない町なんて珍しい、というと、サボは苦笑して言った。
「コートドールほど大きなものじゃないんですが、町の大きさのわりに、小さな大学や病院がたくさん集まっていて。医者の町とも言われているんです。なので、薬草魔女が居つかないみたいで」
 ユーティアはなるほどと頷いた。隣国セリンデンと同じようなものだ。医学が発展して身近になった場所に、民間療法を携えた薬草魔女は居心地が悪い。
 病院の薬は高価だが、即効性がある。魔女の薬は病院の薬に比べて、体に負担をかけず、ゆっくりと効くものだ。どちらを重視するかは人それぞれの好みによるが、個人の小さな病院ならば、国立の大きな病院より、一般の人々も足を踏み入れやすいことだろう。
「だから正直、薬草魔女っていうものが今でもこんな身近にいたんだって、驚いて。もっと、年配の魔女がやっている仕事だってイメージがあったんだ。勝手だけど」
 しばらく互いの出身やソリエスの品物について話すうち、口調も打ち解けてきたサボが、遠慮がちに言った。だから最初、あんなに自分をまじまじと見ていたのか。あなたが魔女、と問いかけられたことを思い出して、ユーティアはそうだったのと微笑む。
 薬草魔女は確かに、昔ながらの、と言われる魔女のありようだ。
 魔女が堂々とグリモアのために生きることを認められているアルシエでは、薬草の知識がなくても迫害されることはほとんどない。近年、薬を扱う魔女は減少傾向にあって、魔女といっても普通の女性となんら変わりのない仕事を選んだり、結婚して母になったりする人が多くなっていると聞く。
 しかしユーティアが薬草魔女になったのは、その根源である伝統を継ぐことが、自分のグリモアにとっては最も良いのではないかと思ったからだ。理由がなければきっと、ユーティアも実家の無花果園を手伝いながら暮らしていて、薬草魔女にはならなかった。今となっては、この仕事を気に入っている。
 テーブルに並べられた薬や石鹸を手にとっては眺めて、サボが尋ねた。


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